第113話 帰る場所

王宮の地下実験室は少し大きな倉庫といった様子で、棚には無数の本。

何に使うのか分からない金属の棒や積み上げられた魔水晶があちこちに置かれていた。

エルヴェナは積み上げられた魔水晶からひとまずの選別と複製作業を終え、主人の方へと視線を向ける。


「クリシェ様、一通り終わったのですが……」

「そうですか。いくつできました?」

「十二、先日からの分を合わせればこれで五十六個ですね」


出来上がった魔水晶をそれ専用の箱に詰めると、腕を組むクリシェの前にある物体へと目を向ける。

そこには金属棒と鳥籠で出来た人形というべきものが台の上に横たわっていた。

棒で出来たそれは人体を簡略化したように四肢と頭部があり、四肢の各関節には魔水晶が計24個。鳥籠のような胴体の中に大きな魔水晶が一つと、同じく頭の籠にもう一つ。

各関節は鎖で繋がっており、出来の悪い模型というべき姿であった。

七尺の体躯は不気味で、魔水晶の冷えた青の輝きがどうにも寒々しい。


「その……クリシェ様の方は」

「一応最低限の動作はできそうですね」

「……動くんでしょうか?」

「動きますよ」


クリシェは台に乗るとその胴体――心臓部の魔水晶に指を当てる。

指先から魔力が送り込まれると伝播するように、青い光が各魔水晶を輝かせる。


じゃら、と鎖の奏でる音が響き、


「っ……」


人形は身を起こすと立ち上がる。

七尺の体躯はこの地下室では天井にぶつかりそうなほどで、人間でない何かが目の前で動く姿にエルヴェナは少し身構える。

その金属の体に纏わり付くのは青き魔力が形作る仮想の筋肉。

細い体であるのに妙な威圧感があった。


人形は片手を前につきだし、胸へ。

敬礼の動作を取る。


「……やっぱり足と腕の関節は鎖じゃなくて、ある程度しっかり繋げておいた方がいいですね。魔力のロスが大きいですし」


クリシェは目を細めその人形の四肢を眺めた。

人形はそのまま、台の周囲をぐるぐると歩き出す。

がしゃ、がしゃ、と歩く度に鎖と金属、そして床の奏でる音が響いた。


それは傷つくことなく、死ぬこともないもの。

魔力の尽きぬ限り戦う鉄の兵士であった。


「まだ戦わせるには問題がありますが、ちゃんと動くでしょう?」

「……動き、ますね」


出来上がればこの奇妙な人形は、剣や斧、槍を持って戦場で敵を殺すのだ。

殺人のための兵器――少女が家事の片手間に作っているものの異様さに、エルヴェナはなんとも言えない寒気を覚えた。

製作に取りかかってから一週間と経っていない。

けれど既にその具体的な形が出来上がっていた。


魔力保有者が作りだし、身に纏う仮想の筋肉。

その展開と処理を魔水晶によって代替させ、物言わぬ金属人形を動かす血肉とする。

魔水晶に刻まれる式は精緻なもの。

エルヴェナでは理解の及ばない複雑な術式が刻まれ、何が何に作用しているのかも分からない。

理屈は分かっても理解が出来ない何かで、この人形は作られている。


「人体に倣うなら主要部位の骨は一本より細い二本で負荷を分散させた方が良いかもです。特に足は人間より重たい事を考えると重点的に……接地面積ももう少し広げた方が良さそうですね。地面だとめり込みそうです」


クリシェは羊皮紙を手に取ると、自分の頭から情報を書き出す。

定規の類を用いているわけではなく、けれど一分の狂いもない正確な図であった。

一枚に書き記すのは部品の一部だけ。

職人へ分散させて注文を出すのだ。情報漏洩を防ぐ意味合いもあったが、単純に分散させた方が効率が良いという点が大きい。


人形はしばらくすると台の上に戻り、再び横たわると停止。

何事もなかったように、再び静寂が訪れた。


「複製水晶に問題は?」

「あ、はい……魔水晶の質によって少し狂いは出ますけれど、魔力測定に使うのであれば恐らく問題はないかと。一応、直せるものは微調整を施してみたのですが……ちゃんと出来ているかは少し……」

「どれですか?」

「この三つです」


エルヴェナが手渡すと、クリシェは一瞥しただけで頷き、返す。


「十分です。ひとまず今出来た分で終わりにしましょうか」

「はい」

「エルヴェナ、これ届けておいてもらえますか? それでお仕事はおしまい……ん、三日くらい家に帰ってお休みしても大丈夫です」

「よろしいのですか?」

「はい、ちゃんと頑張ってくれましたからご褒美です。危ないですから、ちゃんと護衛をつけてくださいね」


エルヴェナは嬉しそうに頭を下げた。


「恐らく家におりますので、何かあればすぐにでも」

「多分ないとは思いますけれど、そのときはちゃんと連絡します。ゆっくりお休みしてください」





王領にある小さな屋敷――賓客の仕度場所として用いられるそこの一つがそのままクリシュタンド家に与えられ、クリシュタンドの屋敷兼王女の寝床となっている。

元々あったクリシュタンドの屋敷と比べれば幾分小さなものであったが、王領外にあるカルアとミアの家に帰ることが多いエルヴェナを含めても高々六人。

その小さな屋敷は六人全員が過ごしても十分過ぎる広さがあった。

クリシェとクレシェンタ、ベリーが同じ部屋を使うこともあり、賓客用の部屋を含めてもむしろ部屋は余っている。


「えへへ、今日のは会心のカボチャパイでした。王都の方がカボチャが美味しいですね」

「そうですね、食品がどれも良いものばかりで……買い物は買い物で楽しいので、ちょっと寂しいところがありますけれど」


クリシェはいつも通り、ソファに座ったベリーの膝の上。

湯浴みを終えた二人はネグリジェ姿でいつも通り――距離感など消えて久しく、他人には見せられない状態であった。

薄く肌を透かせる生地の質感はどうにも扇情的で、ベリーの肩に掛かった毛布に包まったクリシェは時折姿勢を変えてはその胸に顔を埋め、抱きつき、キスをする。


退廃的な空間には二人、終わってから一ヶ月と経っていない内戦の事など遠い昔。

部屋にいるときのクリシェを表わす言葉は堕落以外にない。


目覚めると昨晩の残り物をつまむ『前朝食』を取り、朝食の準備。

朝食を終えて片付けを終えれば弁当を持って王城へ向かい、そこからクリシェはいくつかの『仕事』をこなすが、間食の時間には帰ってきて掃除などを少し手伝い、夕食を作り、食べ、ベリーと風呂に入ってぐっすり。

クリシェの生活サイクルはそのようなもので、なるべくベリーと過ごすを第一にスケジュールが組まれていた。


食事の後も事務仕事や政務に精を出すセレネやクレシェンタと比べれば堕落しきった姿であったが、その理由には再来月に予定されている周辺国との会談があった。

新女王のお披露目という名目で行なう顔合わせのようなもので、代替わりの度に行なう定例行事というべきもの。

北のアーナ皇国は当然のこと、西のエルデラント王国、南のガルシャーン共和国、更には先日の戦から間もないエルスレン神聖帝国にも声を掛け、各国からはその会談に参加する旨の書状が届いている。

エルスレン神聖帝国のみ未だ返信がないものの、他三国が参加を表明している以上、今王国へ攻め込むことは外交的に難しい。

王国は少なくとも二ヶ月の平穏を得たというわけだった。


王国の疲弊があれど、これから冬が始まろうというこの時期に攻め込んでくる可能性は元々高いものではなかったが、これでその芽は完全に潰れ、国内の修復に時間を割ける。

女王になったクレシェンタが真っ先に自身のお披露目を周辺国へ打診したのはそれが狙いで、その試みは上手く事が運んでいる。


「あ、そうでした」

「……?」


クリシェはベリーの上から降りると、鞄の中から魔水晶をいくつか取り出す。

そしてテーブルに置いて、一つを手に取りベリーに見せた。


「これは?」

「お試しで作った複製用の魔水晶です。実用には十分に思えたので、一つベリーにあげようと思いまして」

「複製……」


いまいち分かっていない様子のベリーはそれを手に取り、中に刻まれた術式を眺める。

水晶の中には無数のラインが幾何学的な立体紋様を作り上げていた。

一目で読み取れるのはこれが他の何かに影響を与える術式であるというところくらいで、理解出来るのは非常に高度な式が組まれていることだけ。


「複製するのは常魔灯で良いですね」


言ってクリシェが魔水晶の一つ――常魔灯を手に。

こちらは見慣れたものであった。


「くっつけて魔力を流してみてください」

「……こうでしょうか?」


クリシェの手にある常魔灯に手の中の魔水晶を当て、魔力を流し込む。

ベリーの掌中にある複製用の魔水晶は光り輝き、その内側へ小さな――新たな術式が刻み込まれた。

それは常魔灯の術式――光を放つだけの簡素な式であった。


「それで常魔灯の術式が記憶出来ますから、同じ要領で綺麗な魔水晶に」


それから新たにクリシェが持つのはまっさらな魔水晶。

ベリーの魔水晶に押しつけて、視線で告げる。ベリーは意図を理解し魔力を流し込み、


「……なるほど」


まっさらな魔水晶にはあっという間に常魔灯の術式が刻み込まれる。


「一時的に術式を記憶させ、書き込む魔水晶です。エルヴェナが複製水晶って名前をつけたので、今のところはそう呼んでいるのですけれど」

「複製水晶……」

「今回は簡単な常魔灯の術式ですが、もっと複雑なものにも使えますから結構便利だと思うのです。だからベリーにもって」


魔水晶に新たな術式を刻み込むこと自体はそれほど難しいものではない。

常魔灯程度の簡素なものならばベリーでも一から作ることは出来る。

とはいえこれは、魔力を使った彫刻のようなものだ。高度なものになればなるほど、当然難易度は上がり――それ専門の魔導技師や魔術師の力が必要になってくる。

便利、などという言葉で片付けられないものであった。


「すごいですね……これは」


いつぞやの魔法を思い出して眉根を寄せる。

クリシェはいつも、時代の数歩先を行っているのだ。

彼女の思いつきは才あるものの一生を軽く飛び越えていく。


「安心してください。これをあげるのはベリーだけですから」

「え?」

「初めて流し込まれた魔力に反応して、専用の術式を中に刻むようできてます。だからこの複製水晶はベリー以外では上手く機能しないようになってますし、仕事で使うエルヴェナを除けばこれを持っているのはクリシェとベリーだけです」


クリシェはベリーの膝に乗って微笑む。


「本当はもっと簡単な術式にできるのですが、色々考えてそういう風に作りました。これならベリーも安心かなって」

「……そうですか」


ベリーもくすりと笑って、その頭を優しく撫でた。


「一度記憶させた術式の消し方も魔法を使うので、ベリーにしかわからないようになっていますし」


指先を振るって宙空に術式を描くと、複製水晶の術式と結合。

複合的に作用し、内に刻まれた常魔灯が消えていく。

それほど難しい術式ではない。それを見て覚えると、ベリーは尋ねた。


「……その、本当にわたしは手伝わなくて良いのでしょうか?」


クリシェがエルヴェナと魔水晶を用いた何かを作っているのは聞いている。

あまりに難解で感覚的なクリシェの説明に代わり、エルヴェナに初歩的な魔水晶の知識を教えたのもベリー。

きっと、自分が助けにならないわけではないだろう。

けれどクリシェが補佐に選んだのはベリーではなく、エルヴェナだった。


ベリーには屋敷のことがあって忙しい。

だからと気を使ってくれているのは分かっていて、けれど。


「今はアーネ様がいらっしゃいますし……屋敷も以前より小さいですから。人手が必要なら、わたしも……わたしでは、お役に立てませんか?」


心の中にどこか納得出来ないものがあって、それがふと、口から漏れた。

クリシェはベリーを見上げ、目を伏せるとそのまま抱きつく。


「……え、と、もちろん、ベリーに手伝ってもらえるのが一番なのですが、でも、なんというか……その」


クリシェは言葉に迷うように口ごもった。

ベリーからは顔は見えず、銀色の髪だけが目に映る。けれどそこに困惑を見て取って、ベリーは首を振った。


「……すみません、変なことを聞いてしまって。前にも聞いたことでした」

「あのっ、ベリーが嫌とか、そういうのじゃなくて……」

「大丈夫です、わかっておりますよ」


顔を上げたクリシェは尚も何かを言いたげに視線を揺らす。

それから、クリシェのわがままなのです、と辿々しく告げた。


「わがまま……?」


クリシェは頷いた。


「……クリシェはいっぱい、人を殺します。これからも沢山殺します。でも、クリシェは変ですから、人を殺したって本当に、悲しいとか辛いとか、そういうこと思いません。平気なんです。……でも、ベリーはそういうクリシェを見ると、辛い、悲しいって思うのですよね?」


ベリーは目を見開いて、その言葉を受け止めた。

クリシェは再び顔を胸に押しつけて、ため息をつくように告げる。


「クリシェは……お城で戦争のための道具を考えたりしてます。どうやったら被害無く楽に勝てて沢山殺せるかって、戦争の……人殺しのことばっかり考えてます。だから、その……そういうクリシェのことをベリーにあんまり、見て欲しくなくて、それで」

「……クリシェ様」

「だから……ベリーにはお屋敷にいて欲しいんです。クリシェもお城から帰ってきたらなるべくそのことは忘れて、ベリーとお料理したり、ベリーのお手伝いしたりして、いつも通り……その、これまでみたいに、したいですから」


ベリーはその小さな体をぎゅっと抱きしめると、その頭に唇を押しつけた。

何とも言えない感情があって、ただ、その少女の頭を撫でた。


「……かしこまりました、クリシェ様。もう二度と、同じことは尋ねません」

「えと、その、聞かれたのが嫌とか、そんなことも全然――んっ」


顔を上げた少女の柔らかい唇。

それを親指で押さえ、なぞると微笑んだ。


「思っておりませんよ。馬鹿な質問をしたのは、わたしの方です。……お許し頂けますか?」


唇を押さえられたまま、クリシェは困ったようにこくりと頷く。

意図は正確に伝わらず、伝える気もなく。

けれどそれで良い。


ベリーはそのまま頬を撫でると、唇を重ねた。

クリシェは予想してはいたのか驚きはせず、けれど安堵するように力を抜く。


そうしてしばらく、ベリーは少女の体を抱きしめた。

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