第74話 邪悪


竜の顎南部――そこでは幾万の兵が睨み合う。

焼け落ちたミツクロニアには新たに築かれた大砦。

そこに布陣した兵士達と睨み合うは、平原に並ぶ整然とした戦列。


その狭間の空白に二人の男の姿があった。

馬上から互いを見つめ、そして声が発せられる。


「降伏せよ、ヴィリング将軍。もはやあなたに勝ち目はあるまい」


老将ゲルツ=ヴィリングの眼前に立つは赤銅の髪。

全身に翼を象る彫刻の施された鎧は陽光に輝きを放っていた。


「……勝ち目はなくとも時間稼ぎにはなろう、ヴェルライヒ将軍。ここで刃を交えず降伏したとあっては貴族の名折れ。既に私はここを自らの死に場所として選んでおる」

「なるほど、立派なことだ。付き合う兵が不憫ではあるが」


竜の顎を守る兵士達の姿を眺める。

ここからは見えない北からは、セレネ率いるクリシュタンド軍1万5000。

そして南にはノーザン率いるヴェルライヒ軍2万2000。

対するゲルツ=ヴィリングの兵は1万2000と言ったところ。

彼等に勝ち目はない。


「無駄死にではない。少しでも貴公らの兵力を削ぎ、時間を稼ぐ――そうすれば王弟殿下が片をつけてくださるだろう。反逆者として貴公らを葬り去る。私はそのための一助となれればそれでよい」

「……ほう」


ノーザンの目が鋭く細められた。

そしてその口元がつり上がる。

悪意に満ちた笑みだった。


「くく、あくまで忠臣を気取るか。我が主ボーガン=クリシュタンドが仇――ギルダンスタインの。……素晴らしい」


その丹精な美貌が底知れぬ怒りで歪む。

けだもののような剥き出しの敵意が滲み、遠く二人を見つめる兵士達ですらがその気配に背筋を凍らせる。


「私の前でよくぞ言った。……ならば容赦はせぬ。慈悲も掛けぬ。その言葉を血の海の中で後悔させてやろうじゃないか」


ゲルツはしかし、それを正面から受け止め、堂々と告げる。


「恐れるものなどもはやない。刃にて語り合おう。戦士が語るは言葉でなく、剣であるべきだ。違うかねヴェルライヒ将軍?」

「同意しよう。あなたがその言葉に違わぬ戦士であれば、の話だが。単に年月を重ねるだけならば犬畜生でも出来るもの。言葉に剣がつり合う戦士であることを祈っているよ、老将殿」


そう笑うとノーザンは背を向け。

ゲルツもまた自陣へと。


「……将軍」


ゲルツに近づいてきた若い副官は何とも言えない顔をしていた。

誰も勝てるとは思っていない。

時間稼ぎ――それ以上のことは出来ないと分かっているのだ。


「そんな顔をするな。時間を稼げばヒルキントス将軍、そして王弟殿下が増援に来る。それまで持ちこたえれば勝機は見いだせる。兵糧の備蓄も十分にある、これも想定の内だ」


実際の所、包囲自体は想定の範疇であったが、まさかこれほど早くにここが包囲されるなど考えてはいなかった。

しかし部下を安心させるためにも将軍として、彼はそう告げておかねばならない。


クラレ=マルケルスとノーザン=ヴェルライヒの戦い。

これ自体は起こるべくして起きたこと。

休戦をクリシュタンドが蹴るならば必ずノーザンが動く。

それを見越してゲルツはここからも一万の増援を出し、十分にクラレがノーザンを打ち破るに足る兵力を与えていた。

そうでなくとも、時間を稼ぐことはできる――そう考えていた。


しかし結果を見ればノーザンの圧勝。

逃げ延びた兵の話によれば衝突から四日。背面奇襲による一瞬の出来事であったらしい。

マルケルス軍は綺麗に首だけを落とされ、結果としてヴェルライヒ軍は兵力を増強。

ゲルツは完全に追い込まれていた。


クリシェ=クリシュタンドの率いる2軍団が見えないところを見ると、彼女らは西側、ヒルキントス軍の合流を阻止するため抑えに回ったのだろう。

ヒルキントス軍は既に西を出発していると聞いている。

ここまではあと二日ほどの道のりであるはずだった。


ならばやはり、ここで時間を稼ぐことには大きな意味がある。

ヒルキントス軍は3万近い戦力を捻出するだろう。

対するクリシェ=クリシュタンドの2軍団は精々1万5000程度。

いつまでもヒルキントス軍を抑えられるわけではない。


「……一週間だ。一週間持たせればそれで良い。そこまで耐えきれば状況は反転する」


陣についたゲルツは声を上げる。

しわがれた声はしかし、落ち着きと深みがあった。


山の際に列をなす兵士達は怯えながらも老将を見上げた。


「正面対決で勝てはせぬ。しかし諸君らの築きあげたこの重厚なる砦――ここでならば十分に時を稼ぐことは出来る。……そして幸いな知らせだ、ここに忌み子クリシェは存在しない。ならば我らは普段通り、恐れることなく戦える」


兵士達から安堵の声が上がる。


ゲルツが何より恐れたのはクリシェであった。

ベルナイクで起きた一連の殺戮劇――兵の中には未だ彼女を恐れるものがある。

竜の顎の性質上、挟み込まれれば必ず山中で戦わざるを得ない。

そこに彼女が現れたなら士気を保つことは難しくなる。

木々は枝葉を失い見通しが良くなったため、彼女の精鋭部隊は以前ほどの脅威にはなるまい。

とはいえ、根付いた恐怖というのはそう易々とは拭えないもの。

そういう意味で、ここにクリシェがいないというのは何よりの朗報である。


「西からは勇将ヒルキントス、南からも大軍勢を起こし、王弟殿下が向かっている」


半分嘘であった。

南――王都からの援軍は期待が出来るかどうかはわからない。

王都はノーザンがそのまま南下してくることを警戒していたためだ。


最速で来ることが出来たとしても、情報の遅延がある。

ここから更に一週間以上は掛かるだろう。

望みは西だけであるが――しかしゲルツは西のヒルキントスにもここへの増援を期待はしていない。


「そのどちらかがここへ到着すれば、死地に追い込まれるは彼等となる。決死の戦いと思うな、命を惜しみ、抵抗を続けるのだ」


来たるべき王都での決戦。

そのために王女派の兵力を削り、ヒルキントス軍を王都の軍と合流させることのみが目的だった。

ゲルツは最初から、生き延びることなど考えていない。


ただここにある兵力を張り付け、西に向かっているであろうクリシェの軍に増援を向かわせない事だけを目的としていた。

そうすればヒルキントス軍がクリシェを打ち破る。

そうでなくとも優位な形で突破し、王都との合流を果たす。

ゲルツの望みはここでの勝利ではなく最終的な勝利であった。


「敵を殺すことに力を尽くすな。友と飲む今日の酒こそを望め。そうすれば、必ずや勝利の女神は我らが宴に誘われるであろう」


覚悟を決めた老将の微笑。

その真意を理解しているわけでもなく、ただ言葉を信じる兵士達。

戦場はただ欺瞞に満ちていた。









ミツクロニアには未だ先日の炎の名残が残っていた。

焼け落ちた木々、半ば禿げ山となったミツクロニアはむしろ守るに易い条件を満たす。

戦場において高低差は絶対の地の利。

邪魔をしていた木々がなくなれば弓兵が活き、頭上から放たれる矢雨の中、敵が進軍することは困難を極める。


ゲルツはこのしばらくで焼け落ちた竜の顎――特にミツクロニアの砦化を進めていた。

そして歩兵に弓を放つことができるよう訓練をつけ、弓兵の数を大幅に増員させている。

質は悪いが矢数を増やせればそれだけで良い。

状況は悪いものの、構えとしては悪くなかった。


兵力の劣勢を見たゲルツは完全にベルナイクの防衛を諦め、ミツクロニアに絞っている。

それを守るだけの兵力がないというのも理由であったが、大きな理由は砦の再建が間に合わなかったこと、そして再度の火計を恐れたからだった。


勝利のために山をも焼き払う冷酷さを見せたクリシュタンド軍。

二度目がないなどとは誰も思わない。

防ぐためには山裾から守り抜かねばならないし、先日の事は記憶に新しい。

兵士達の士気も保てないだろう。

そう考えたゲルツはベルナイクを切り捨てた。

どちらにせよ、クリシュタンド側は兵站の中継地となるここを完全に掌握せねば先へは進めない。


「怯むな、矢を放ち続けろ! そうすれば奴らは上がって来れん!」


南、ヴェルライヒ軍に面する最左翼の櫓。

その上から指示を飛ばすのは大兵肥満の男であった。

ヴィリング軍第一軍団第二大隊長タキルス=ゼンガーは唾を飛ばしながら声の限り叫ぶ。

このところ声を発しすぎたせいでその喉は枯れ、痛みを発していた。

戦闘は四日目の今日に至ってなお継続されている。


幾重にも張り巡らせられた柵と無数の櫓。

流石にこれを前にはあのノーザン=ヴェルライヒと言えど正面突破は難しいのだろう。

徹底的にこちらの士気をくじく作戦に来ていた。


兵力優位を活かし、昼夜問わずの嫌がらせのような攻撃。

決して踏み込まず、危険を冒さない。

完全にこちらの体力を奪うことを目的としていた。

北――セレネ=クリシュタンドもまた同様の攻撃に出ており、頭上に大盾を構えての緩やかな進軍は兵力の維持に務めている様子であった。

距離を詰めては矢に対する衝立を設置し、そうしてじわじわと彼我の距離を詰める。


そしてミツクロニアの西側――未だ緑が残る部分に敵兵の一部が迂回しているのが見て取れた。

攻撃の機を見計らっている。

恐らく来るならばそこからだろう。

山の尾根に沿ってくるならば高低差の優位は働かない。

とはいえ元々そう来ることを想定して防備は厚くしてあるため、そこから本陣が即座に落とされると言うことはないだろう。

ベルナイクからも矢の雨が時折降ってくるが、それに関しては本当に嫌がらせ程度の効力しかなかった。

ベルナイクから矢は撃てても、こちらに渡ってくるのは不可能であるからだ。


「……どうだ、アルバ。兵の様子は」

「流石に疲労が大きいですな。昼夜問わずです。しかし将軍の仰った時間――あと数日は持たせられるでしょう」


側にいた百人隊長は白髪の交じった髭を弄び、笑って告げる。

このような状況にあっても笑いを絶やさぬ良い百人隊長であった。

長く苦楽を共にした戦友と言うべき男が側にある。

それが何より心強い。


気は抜けない。だが、まだ終わりではない。

タキルスは鷹揚に頷き、周囲に目がないことを確認した後告げる。


「つくべき主君を誤ったか、どうにもここが我らの死地となりそうだな」

「避けられませんでしょうなぁ。タキルス殿が戦場で死ぬなどありえぬことだと思っていましたが、最後は忠義に名誉になどと言いながら果てるおつもりですかな?」

「はは、よせ。……いや、俺の方はともかく、貴様の方にはそうしてもらいたいところだなアルバ。俺を逃がすために死ぬのだ。そうなれば俺は女でも抱きながら貴様の冥福を祈ってやろう」

「最後くらいはご立派に、部下の身を案じて死んで欲しいものですな。是非に」


二人は笑い、肩を叩き合う。

くだらない冗談とやりとり、しかしそれを行えなくなる時も近いだろうことはわかっていた。

そしてどうであれ、二人は互いに逃げ出すことがないであろう事も。


「……援軍は来ると思うか?」

「来ぬでしょう。真面目なヴィリング将軍のことだ、自ら捨て石になろうとお考えになっているに違いない。まさに武人、見習いたいものですな」

「心にもないことを」


呆れてタキルスは笑う。

それなりの戦歴を重ねながらも上手くやってきたつもりであった。

危険を避け、けれど着実に戦果を上げ――だがそれも、あと数日で終わるだろう。


これで最後の戦。

そう思えばこそ、心は晴れやかであった。


「倅はいくつになった?」

「上が二十三ですな。私に似ず立派なものです」

「もうそんな歳か。顔が俺に似ているだろう」

「はは、まさか。間違いなく私の種ですよ、妻は貞淑ですからタキルス殿のような方は誰より嫌う。太っているのも駄目ですな。そちらの方こそ、私に顔が似てきたのではないですか?」

「殺すぞ貴様、あれは間違いなく……いや、なんとも言えん。正直なところ二人とも本当に俺の種かどうか怪しい娘だ。顔が明らかに違う」


アルバは噴き出し、腹を抱えて楽しげに笑う。


「はは、だから女遊びはほどほどにされよと言いましたでしょう。因果は巡ってくるものです」

「……貴様。言いたい放題言いおって」

「不敬とあらば処罰をして下さっても構いません。ほら、首はここです」


首を手刀で叩くようにしてみせるアルバに、タキルスはため息をついた。


「世の大隊長の中で俺が最も不幸だろうな。お前のような百人隊長と死を共にするとは」

「それを言うなら私の方でしょう。もっと立派な大隊長と溢れんばかりの栄誉の中、戦死したかったものですが」

「お前の夢は寝台で死ぬことと聞いたが」

「はて、そのようなことを申しましたかな」


貴様、と苦笑して、タキルスは眼下の景色に目をやった。

幾重にも建てられた柵に無数の弓兵。

矢の数は十分なほどがある。本来であれば更に一万の兵力がここにあったのだ。

数週間打ち続けても問題はないほどだった。


敵兵はその多くが少し離れた野営地で騒ぎ、休んでいるのが見て取れた。

昼夜で交代しての攻撃。

わざとだろう、戦闘中の昼間であるというのに見せつけるように彼等は休息を取る。


こちらに迫る兵士達にもそれほどやる気は見えなかった。

地道に矢除けの衝立を前に出しながら進んでいるだけだ。

次第に衝立の高さも増していき――


「……アルバ、妙だ」

「妙?」

「あの衝立、こちらに攻め入るためのものには見えない。随分と高くなってきてはいないか?」


山の下部に展開する衝立。

特にその下段は矢除けにしては随分背が高い。

どちらかと言えば目隠し――衝立にしては妙に手間を掛けているように見えた。


ベルナイクで切り倒した木を下部の衝立に運び、そこで加工。

それを新たな衝立の材料としているのだと考えていたが、いくらなんでも妙だった。

そのような手間を掛けずとも出来上がった衝立を運ばせれば良い。


わざわざあそこで衝立を加工する意味がどこにあるのか。


そして不思議なことはまだあった。

そこで加工されたなら使えない余りの材料は必ず出る。

しかし作業の邪魔となるはずのそれらがどこかへ運ばれている様子も見えなかった。


夜中の内にどこかへ運んでいるのか。

だとしたら何故?


タキルスは眉間に皺を寄せて考え込む。


「確かに、少し妙ですが……しかし、あそこを作業場とするのもそれほど悪くない案のように思えます。要は攻城戦のモグラ穴と同じ、作業場は前に出すほうが効率も良い。こちらが逆襲を行なう意志がないと知ってのことならばやり方の一つとしてはそれほどおかしくもないように感じますが」

「……投石機でも設置するべきだったな」

「砦に力を使いすぎましたからね」


北側――クリシュタンド軍は四台の投石機を組み上げて使用していると聞く。

禿げ山となったミツクロニアに対しては有効と見たのだろう。

山の中腹ほどまではその射界に入っており、こちらより状況は悪いはずだった。


事前に工房で準備し、分解して運び、現地で組み立てた後は調節に時間を要する。

投石機は優秀な工員を多く必要とするため、後回しにされていたのだ。


「……それにあの状況では仕方の無いことです。皆が怯えていた」


ベルナイクで行なわれたクリシェ=クリシュタンドによる攪乱。

あれが尾を引いていた。

そのせいでベルナイクでの砦再建は一時中止されることとなり、ミツクロニアの砦に力を注ぐことを決めたのはつい先の先の週のこと。

工員がベルナイクでの作業を嫌がった事も大きい。

一週間に及ぶ執拗な攪乱のおかげで、皆が山に上がることを恐れていた。


作業を急がせたものの難航し、砦が現在の形に仕上げられたのもつい先日。

ミツクロニアに砦を築くにしろ、木を切り出すのは焼けてしまったミツクロニアではなくベルナイクからとなる。

兵士も工員もベルナイクの首狩人――クリシェとその黒き百人隊をただ恐れた。

狂を発し、あるいは物言わぬ屍と化した勇者達の姿は、その死者の数以上に恐怖心を植え付けていたのだ。

彼等には時間も精神的な余裕も足りなかった。


これだけ見通しが良くなったなら投石機は十分に力を発揮できる。

広い射界と距離、敵に多くの出血を強いることができただろう。

しかしあの状況でそれを望むのも難しい。

今更であった。


「忌み子か……化け物め」

「あれがこちらではなく、ヒルキントス将軍の方へ向かわれたことを感謝したいところです。危うく私も死ぬところでしたからな」


アルバも一度ベルナイクへ登っている。

襲撃の最終日、四個の百人隊を固めての登攀。

狙われたのはアルバの隊とは対角に位置する百人隊であった。


生き延びたのは偶然と言っていいだろう。

逆側であれば自分が死んでいた。

こちらが反撃に移るまでもなく敵は鮮やかに離脱し、残されたのは兵士とも言えぬ怯えた者達。


「アロンド、ラウゼル……惜しい男だった」

「……ええ、本当に」

「ヒルキントス将軍が仇を討ってくれることを祈るほかないな」


今回は昼夜問わず攻撃が続き、疲労状態が続いている。

ここにその恐怖の象徴であるクリシェ=クリシュタンドがいたならば――あまり考えたくはないことだった。


「とはいえ……仕事はしておくか。一応軍団長に報告を上げておく。伝令!」

「は!」


少し離れた所に待機していた伝令兵はすぐさま走り寄り、敬礼を行なう。


「軍団長に。それと確認を求めてくれ。山の裾にある敵の――」


――そこで、響いたのは重く響く金属音。


遠くタキルスが鎧の鉄を震わせる騒音は、打ち鳴らされる銅鑼の音であった。

突撃、まさかこのタイミングで。

タキルスは咄嗟に山の下――平原に目をやる。


しかしそこにあったのは喊声を上げて突進をする敵兵の姿ではなかった。


想像外のもの。

そして恐れていたものの姿。


二つに結った銀色の髪を風に揺らし。

身に纏うのは黒き外套。

そしてその背後に続くは黒塗りの甲冑を着込んだ男たちであった。


少女が手に持つは薄汚れ破られた旗――そこには双頭の獅子を示すヒルキントスの紋章。

黒塗りの兵士達は、縄で縛られ猿ぐつわを噛まされた隻腕の男を連れていた。

少女は彼等を伴って、堂々と前に出る。

血に酔う戦場にあって、街の往来を歩くように。


そして後ろに並んだ旗には見慣れぬ図象。

黒塗りの旗には鎌のように鋭利な三日月と髑髏。

刃に刈り取られる首を示すような――それは彼等の隊旗であった。


矢の雨を降らしていた者達までもが一瞬、動きを止める。


「こんにちは。何人かの人はお久しぶりかも知れません。クリシェ=クリシュタンドです」


魔力に拡張された声はどこまでも響く。

少女は幼さを感じさせる――しかし感情のない声で言った。

そして手に持っていたヒルキントスの旗を投げ捨てる。


「ここにいるのは元王国将軍にして辺境伯アウルゴルン=ヒルキントス。……そしてクレシェンタ=ファーナ=ヴェラ=アルベラン第一王女へとその剣を向けた大逆の罪人です」


ヒルキントスの体が両脇から抱えられるようにクリシェの前。

そしてその紋章の上に跪かされる。


「多くの人はご存じの通り、王族へと剣を向けた場合王国法では大逆として弁解の余地なく死刑という形になっています。王家の正統、クレシェンタ王女殿下にその刃を向けた罪、決して許されるものではありません。……そのため、この場をお借りして、僭越ながらこのクリシェがクレシェンタ王女殿下の名の下、処刑を執行します」


何故、どうやって。

ヒルキントス将軍が敗れたというのか。

そうした困惑がミツクロニアの兵士達の頭に満ちていた。


「大逆となれば車裂きが通例なのですが、略式の処刑となりますのでクリシェが手ずから四肢を裂いて見せましょう。きちんと罪には罰を。辺境伯の爵位と将軍の地位を賜りながら、王家への大逆を犯した外道をこの名前に誓ってクリシェは許しません。ご安心ください」


魔力を有する者の中には、クリシェが微笑を浮かべていることに気付いたものがあった。

狂った忌み子――そしてベルナイクでの惨劇。

それを知るものは途端に体を震えさせた。


「えーと、略式であるのにどうして正式な作法に則って四肢を裂くのか。わかるとは思うのですが、これは見せしめというやつです」


クリシェは指を立てて言った。


「クリシェとしては同じ王国民である皆さんに無用な血を流させたくはありません。皆さんは多分自分達の行動が大逆であると知らず、悪いゲルツ=ヴィリング将軍にそそのかされ、そこで戦っていらっしゃるのでしょう」


だからクリシェは周知を行なおうと思います、と続ける。


「大逆の罪がどのようなものであるかを知ってもらい、クリシェとしてはここで皆さんに自分達の過ちを気付いてもらい投降して欲しいと思います。もちろん悪いようにはしないと約束しましょう。けれどそれでも抵抗を続けるならば、それは自分の意志で大逆を行なったということ。もはや言い訳はつきませんし、クリシェも遠慮はしません」


――罪人に罪を償わせるため、クリシェは最大限努力しましょう。

そう告げたのが合図だったか、少女は一人の女から大振りの曲剣を手渡される。

そして跪いた男の体を縛っていた縄を切った。


男――アウルゴルン=ヒルキントスはその瞬間に逃げ出そうとし、背後から易々と追いすがったクリシェに片足を切り落とされる。

背筋を凍らせるような、猿ぐつわ越しの悲鳴。


クリシェは動いてしまった男の首を掴んで引きずり、彼の旗の上に放り投げる。

アウルゴルンは激痛に悲鳴を上げ、けれどクリシェは容赦をしない。

背中を踏みつける。


「この忌み子めが!! そのような一方的な言い分で降伏した将に対し、その非道――聖霊協約をなんと心得るか!」


タキルスが声を張り上げる。

魔力に拡張された怒声――それにいくつかの声が続く。

クリシェはその声を聞きながら何度も頷く。


「あまりに非道ではないか。そのように思う方もいらっしゃるでしょう。降伏した将にこのような扱いをするのはいかがなものか、聖霊協約違反なのではないかと。けれど先ほどこの男が見せた姿を御覧になったでしょうか」


クリシェはアウルゴルンを踏みつけながら、剣を担ぐように持った。


「貴族の風上にもおけないとはこの男を言うのでしょう」


刃からは鮮血が滴り落ちていた。


「この男は先日降伏に見せかけクリシェ達を謀ると、先のように逃走を企図。その結果傷つかずに済んだはずの兵の命が無意味に奪われました。……降伏に見せかけた攻撃行動は明確な聖霊協約違反。それを王国貴族、一軍の将ともあろうものが行なったのです」

「ふぐぅっ!!? うぅが……ぁっ!!」


そして振り下ろし、更に腕を切断する。

猿ぐつわのせいでくぐもった悲鳴はどこまでも無様であった。

数万を指揮してきた将軍の姿とは思えない。


「これを見せるのは同じ悲劇を繰り返さぬためでもあります。仰る通り、戦争にはルールがある。殺し合いの中にも守るべき分別がある。戦う者の名誉や大義――そうした美意識を守るための規律がある」


遠目にも重量のある大曲剣をくるくると。


「クリシェもそれを守る相手には、必ずその好意的解釈に則った対応を行なうつもりです。……けれどそれを守らぬというのであれば――」


――そして振り下ろし、足を切断した。

悲鳴が上がる。怯えから兵士の中に震え、耳を塞いでしゃがみ込むものすらがいた。


「……このようにクリシェは容赦しません。聖霊協約違反は大逆に近しい大罪ですが、実際の所解釈の余地を大いに残した曖昧な決まり事。大半は遵守する側の良心に委ねられていることをお忘れなく。その気になって手順を踏めば、クリシェはここにある兵士全てを聖霊協約を犯すことなく、正当な理由を持って皆殺しにすることだってできますから」


戦場はアウルゴルンが両手足を切り落とされる間、止まったままだった。

栄光ある王国将軍だったものは、芋虫のような姿で痙攣する。


――クリシェは見せつけるようにその首を踏み抜き、完全にその命を絶った後、再び山へと向き直って告げる。


「お話は得意ではないのですが、実際にこうして見せることで多くの方にご理解頂けたならクリシェは何より。今話したことをきちんと理解して、正しい判断が下されることを願います」


手に持っていた剣を女に返し、続ける。


「それから、今晩クリシェがお邪魔をします。……明日の朝までには戦いが終わっているでしょう。無用な流血を避けるためにも、決断は早めにお願いしますね」


そう言い残すと深々と頭を下げ、そのまま銀色の少女は陣地のほうへと戻っていく。

人の手足を切り落としながら、どこまでも平然と。


残されたのは戦場の熱と狂気から醒め、冷え切った空気。

そして無惨に殺され放置された一軍の将。

戦う意志は完全に少女への恐怖に飲まれていた。


それを呆然と見送ったタキルスは今日の必敗を感じ取り――拳を櫓の壁に叩きつけた。

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