第73話 太陽の下

ぬくぬくである。

まどろむ朝の感触――意識が浮き上がるようで、けれど眠気があって。

クリシェのとても好きな時間だった。

クリシェが薄目を開けると、自分が二人の女に挟み込まれていることに気がつく。

右手にカルア、左手にミア。


クリシェはこの状況がよく分からず少し考え込み、ああ、と昨日のことを思い出す。

宴の終わりの頃の記憶は少しあやふやであったが、カルアに抱かれて天幕へ戻ったのだ。

何故その二人が一緒に寝てるのか。

そうした疑問を覚えたものの、毛布の中はおかげでぬくぬくである。

すぐにどうでもよくなった。


天幕の隙間からは太陽の光が見えている。

光は赤く――まだ明け方だろう。

もうちょっと眠れそうです、とクリシェはそのまま目を閉じる。


まどろみから意識の落ちる、そんなひとときの快楽。

そうしてクリシェが意識を手放そうとした瞬間、


「うーん……」

「ひぅっ!?」


――寝返りを打ったミアの裏拳がクリシェの額を直撃した。







朝日は朱を残し、張られた無数の天幕を照らしていた。

兵士達は二日酔いか。

皆、どこか怠そうな様子ながらも忙しそうに働いている。


野営地を歩くクリシェはカルアとミアを伴っていた。

ミアは栗毛の髪を揺らしながら、ぺこぺこと頭を何度も下げている。


「す、すみませんでした軍団長……」

「……クリシェは怒ってないです」


言いながらも額は赤く、ズキズキと少し鈍い痛みを発していた。

クリシェの人生史上最悪の目覚めである。

その頬は怒っていないと言いながらも不機嫌そうに膨らんでいた。


「いやー、うさちゃんに裏拳なんて流石ミア。誰にも出来ないところを平然とやってのけるところが大物だよね」

「わ、わざとじゃないもん!」


通りすがる兵士達はクリシェを見ると一様に敬礼を行ない、クリシェもそれを一々返していく。

妙に兵士達がきびきびと敬礼を行なう様子に首を傾げつつ、クリシェは目的地へ。


もう少し眠っているつもりではあったが、ミアの裏拳によって完全に目覚めたクリシェは仕方なく食事を行なうため黒の炊事場に向かっていた。

基本的にクリシェの食事は彼等が作る。


食事の類は通常大隊――千人ごとに担当を決めて行なわれるが、大隊指揮下ではなくクリシェ直轄となる彼等は指揮系統の関係上そこから外れる。

大隊のいずれかに彼等の食事も用意させることはあったが、ただでさえ特別扱いをされている黒の百人隊。あまり特別扱いをしすぎるのは他大隊の兵士達から良い目では見られないというダグラの言葉もあり、基本的に余裕があれば彼等に自炊させている。

一人二人ならともかく百人単位となると食事の用意はそれなりに面倒があるため、流石にどの大隊も喜んで、とはならないのだった。


時間としては少し早いが、炊事場に到着するとスープはもうほとんど出来上がっているようだった。


「軍団長に敬礼!」

「おはようございます」


今日の食事担当は第二班と第十二班。

どちらも料理レベルは高い。

寸胴で煮込まれるスープからは中々空腹を刺激する良い香り――


「……馬骨ですね。いい匂いです」

「は。こればかりは持って行くわけにはいきませんからね」


スープの出汁として煮込まれるのは馬骨であった。

戦場では騎兵が馬を使い、そして当然戦えば死ぬ。

となれば、それを無駄にはしたくない。

食事にその肉を使うのは良くあることで、血抜きのされぬままになることが多い馬肉はやや臭みが残るが、干されても燻製されてもいない肉というのはそれだけで価値がある。

馬を友とする騎兵達は口を付けたがらないが、多くの兵士にとって馬肉は喜ぶべき戦場の贈り物であった。


随分早くから煮込んでいたのだろう。

スープには油が浮き、旨みが抽出されているのがわかる。

臭み抜きにタマネギを放り込み、根菜が放り込まれ、そして馬肉。

スープには溶け出す美味が調和しているように思えた。


何を言うでもなく兵士はスープを皿に取り、自信ありげにクリシェに手渡す。

クリシェは真剣な顔でそれを眺め、ふーふーと息を吹きかけながら口付ける。

目を閉じた。

寝起きの喉を通り、胃を満たし――五臓六腑に染み渡る味わい。


「……とても良いですね、おいしいです。コーザ、味付けが上手になりましたね」

「ありがたいお言葉です。昨日のスープの残りをベースにしてみまして」

「そういう工夫が美味しさを作るのです。これからも頑張ってください」


クリシェは満足げに頷く。

第二班長コーザもまた嬉しそうであった。


黒の百人隊では美味な食事を作った班にはちょっとしたご褒美が用意されることが多い。

それは雑務の免除であったり、酒や果物であったりと様々であるが、少しでも美味しいものが食べたいというクリシェの希望がそのままそこに反映されている。

その仕組み上自然と兵士達は競い合い、クリシェが何度か料理指導を行なったこともあって料理技術は全体的に向上していた。


「ん……ただちょっと。ミア、バーレの実を」

「え、は、はい……」


ミアが走って持って来たのは薄紅の果実であった。

果実としては特に美味、というわけではない。

酸味が強く、甘さは控え目。

けれどしっかりとした皮を持つ水気の少ない果実であるため、それなりに日持ちがすること。季節にそれほど左右されずに育つことから軍では良く使われていた。


クリシェは皮ごと細切れにすると軽く押し潰し、鍋の中へと放り込んだ。

そしてそのままかき混ぜ、おたまでスープをすくう。


1/2クリシェほどもある大きな寸胴に、拳程度の果実一つ。

僅かに残っていた臭みが爽やかな香りに誤魔化され、味に深みが出る。

果実一つであれば大きく味を変えることもない。

隠し味程度のほのかな甘み――スープにふーふーと口付けるとクリシェは頬を綻ばせて頷き、皿にスープを取ってコーザに手渡した。

自身はおたまを手放さない。


「これでもっとよくなりました」

「……なるほど。臭みが消えましたな」

「バーレはあんまり美味しくないですけれど、隠し味には持って来いです。これだけ沢山の具材を入れているなら果実を放り込むのは選択の一つとして悪くありません」


あっさりスープだと味自体を変えてしまうのですが、とおたまで何度も味見をする。

酸っぱいスープの類は好きではない。クリシェは基本的に塩味派である。

けれどほんの少しの酸味と甘みがその旨みを引き立てることをクリシェはしっかりと学んでいた。


ご満悦なクリシェはおたまを離さずスープの味見に夢中。

コーザ達料理担当は苦笑しながら、カルアとミアに目をやり、カルアは呆れたようにおたまを取り上げ、クリシェの腰を掴んで持ち上げる。


「あ……」

「はいはい、うさちゃんはパンが来るまで先に軽くお食事にしましょうね。コーザ、スープをちょっとだけ用意してあげて」

「く……クリシェ、お食事はもう少し後でも……」

「出来上がるまでそうやって延々とスープを飲んでる気?」

「そ、そんなことは……」


コーザ達が楽しげに笑い、クリシェは頬を染めた。

うぅ、と唸りながらカルアに運ばれ、椅子代わりに置かれた丸太に座る。

手渡されるのは熱々のスープ。

クリシェはやや不満そうにしながらも、食欲には敵わない。

息を吹きかけ冷ましながら、クリシェは静かにスープへと口付ける。


王国兵士の食事は基本的にパンとスープ。

しかしまだパンは届いていなかった。

パンはまだ焼き上げている最中なのだ。


パンは基本的に堅焼き、石のようなパンであり、スープでふやかしながら食べるのが普通であるが、当然あまり美味くはない。

そのため行軍中でない限り簡易のかまどが設置されることが多い。

設置には二日程度はかかるため、常にとはいかないものの、パンとして成形してから運搬するより小麦として運搬した方が軽く日持ちもする上、美味である。

兵の士気を考えれば現地で焼き上げる仕組みにするメリットも大きく、野営中は焼きたてのパンを食べることが多い。


ノーザンは初日の段階でかまどを設置するよう命令を出していたらしい。

今回の戦いには確実に勝利する。そして多くの捕虜が出る。

敵将の首を狙った一撃――間違いなくそれで決着がつくだろうと考えていたノーザンは捕虜の扱いに時間が掛かる事を見越して、前もってそのような準備をしていた。

ここでの滞在は数日――だが、その数日間をまともなパンを食べて過ごせるというだけで、兵士達の気持ちも違ってくる。

今回のような遠征においてはこうした些細な喜びが何より大きい。

美味しいパンを食べたいクリシェなどは英断であるとノーザンを手放しで褒めていた。


スープもその都度中身が変わるが、ベースとなるのは芋と干し肉、燻製肉。

次いでタマネギなどといった日持ちのするもの。水気の少ない根菜類も多い。

王国は季節による寒暖の差は少なく、基本的に空気も乾燥している。

食料が腐りにくい立地ではあったが、やはり糧食となると品物は限られる。


街が近いと状況によりチーズや腸詰めなどが増えてくるが、ここではマルケルス軍の糧食を多く得られた事で比較的豊かな食事を行えた。


「クリシェ様、パンが届きました」


一杯目のスープを飲み終えた辺りでパンも届き、他のものも用意される。

クリシェの前に並べられたのは腸詰めと、ほんの少し炙られたチーズ。

馬骨で出汁を取った具だくさんのスープと、焼きたてのパン。

先にスープで小腹を満たしたクリシェであっても垂涎の品々である。


黒の百人隊は現状、仕事という仕事もない。

スープを飲み終えた頃には全員がここに集まってきており、中には二日酔いで苦しそうなものもいたが、幸せそうに食事をするクリシェの様子を微笑ましそうに眺めていた。


軍では朝と昼の食事が特に重視され、逆に夜は控え目。

そして朝と昼では朝の食事が重視されることが多い。

昼をまともに取れない部隊が出てくることがあるためだ。

野営中であっても敵地には変わらないため、朝の食事は普段以上に豪勢になる。

寝起きに食べるには少し苦しいが、余った料理をそのまま昼にも流用できるためこうした形が一般的であった。


クリシェは改めて出されたスープにパンを千切って浸す。

肉汁が溶け出し、野菜の旨みが濃縮されたスープに浸されたパンは口の中でスープを滲ませ踊り出す。

それをよく噛んで味わいながら、パンの半分に切り込みを入れ、羊の腸詰めとチーズを挟み込む。

チーズは炙られたことでとろけ、噛めば弾ける腸詰めとの相性は抜群。

その塩気の強さはパンによってまろやかに――そうなれば相性は三重に抜群である。


チーズと腸詰めを挟んだパンを口にするクリシェの頬はすっかりと緩んでいた。

隣でそれを見ていたミアがそれとなく自分のパンをクリシェの皿に置く。

クリシェの食の好みは既に周知のもの。

腸詰めがあると必ず挟んで食べるため、スープに浸して食べるパンをクリシェはおかわりするのだ。


食事に夢中のクリシェはそれに気付いた様子もなかった。

基本的に食事中のクリシェは知性が著しく鈍る。

いつの間にか増えていたパンを気にすることもない。


「……今日のは一段と良い出来ですね。コーザ、ベルツ。第二、第十二班は今日、兵食以外の業務はお休みです。他の班も今後この二班を見習うように」

「おぉ……っ」


クリシェは真面目な顔で頷いて告げ、二班、十二班の兵士達は喜びの声を上げた。

他の隊に比べ兵食の扱いが非常に重要視される黒の百人隊。

彼等は日々切磋琢磨し、こうして日々料理技術を向上させていく。


大雑把にならざるを得ない戦場の料理であるため完璧とは言いがたいが、そこで行なわれるあらゆる努力をクリシェは大いに評価した。

兵食担当になってそれなりの料理を作ることで半ば休みをもらえるとあっては、彼等のやる気も大きく異なる。

結果として百人隊の食事は時間が許す場合、比較的凝ったものが作られることが多くなってきており、クリシェは彼等の戦闘能力以上に彼等の作る料理を高く評価していた。


クリシェは腹の中に食事を詰め込むと満足げに微笑み、ダグラへ声を掛ける。


「ハゲワシ、今日は?」

「連携訓練を。得物が変わった分個々の能力は向上したように思えますが……昨日の戦いでは少し、連携が雑になってしまったように見えます。しばらくはそちらの訓練を再度行なおうかと」

「わかりました。クリシェは大隊の視察後会議です。後はお任せしますが……クリシェ達は動く可能性があります。訓練は疲れが残らない程度に」

「は」


クリシェが皿を重ねて立ち上がろうとすると、兵士の一人がすかさずそれを受け取る。

ん? とクリシェが首を傾げると、別な一人が小さな袋を持って来た。


「ニルカナの実です、軍団長」

「え、えと……はい、ありがとうございます」


今日はいつも以上にクリシェの食事が豪勢であった。

ジュースを、チーズのお代わりを、などと勧めてくる上、やけに兵士達は気が利いている。


彼等の姿に疑問を覚え首を捻って考えるも、その理由には思い至らない。

ただ、困惑する少女を優しい目で彼等は見ていた。


「それじゃあまた、お昼に戻ってきますね」


不思議に思いつつも、まぁいいか、とクリシェが立ち上がる。

続くように五人が立ち上がった。

ミア達第一班である。

特に護衛が必要なわけではないが、ちょっとした連絡や雑用のため第一班はクリシェと共に行動することが多い。






野営陣地の配置は基本的にどこへ行っても変わらない。

軍団は五つの大隊で構成され、そしてこの大隊それぞれに持ち場が割り振られる。

中央に指揮官と一個大隊。

その周囲四方を四つの大隊が固める。

大隊ごとに持ち場の警護を担当する形であった。


一軍団一つに、凡そ二里四方の野営陣地。

大隊ごとの天幕配置や物資集積所の配置もある程度決められており、こうすることで襲撃の際に起きる混乱を最小限にできる。

平時にも走り回る伝令がその都度軍団長や大隊長の天幕を探し回らなくて済み、利便性という面でも都合が良かった。


捕虜にもまた同じように野営陣地を設営させていたが、一時的に武器を取り上げている以外はこちらのそれと変わらない。

元々の軍団ごとに野営陣地を作らせている。


一夜明けて残ったのは2万強。

3000人近くはどこかに逃げたらしい。

多少の喧嘩騒ぎはあり、死人も少しは出ていたものの、特段気にする必要もない程度であった。


ノーザンは自ら各野営地を巡回し、昨日の内に改めて彼等の処遇については周知していた。

敵であったからと処罰することはなく、募兵の時にギルダンスタイン側が提示した条件通りとまでは行かないものの、こちらの兵士の条件と同等の報酬を支払う。

そうでなくとも同行すれば食は保証し、付近の街までは送る。

悪い条件ではないはずで、逃げた理由は政治的信条があったか、あるいは戦闘による怨恨か、そうした理由だろう。


残った2万の捕虜の内、そのまま雇用されることを選んだのは1万5000。

その内5000程度はクリシェとエルーガの取り分であった。

捕虜の振り分けをどうするか、という点については考えるところがある。

新規に軍団を設けるか、それとも現状の軍団に組み込むか。

結局エルーガは新規の大隊を二つ新設し、クリシェは大隊新設は行なわず、現状の大隊に組み込み増強させる方式を取った。


これは軍団の性質と指揮官の性格によるものと言える。

クリシェは性格上、指揮官として前面に出ることが多い。

その場合どうしても指揮が滞る可能性があり、大隊をあまり多く増やすことは指揮統制の面でデメリットが大きくなる。

対するエルーガは前線に出ず、後方で冷静に指揮を執ることを好む。

そのため彼は大隊を増やしたところで容易に統制が可能と見たため新設を選択した。


兵力優位な戦闘が行えるのであればクリシェもエルーガと同じく後方で指揮を執りたいところではあるが、実際の所そうも行かない。

クリシェたちはどちらかと言えば、兵力劣勢の戦場に出る公算が高い。

であればやはりクリシェの大隊新設は躊躇われた。


新設と比べ、大隊に組み込むほうが容易なことも理由であった。

百人隊という区分けはこうした面で利便性があり、組み込む際百人単位の部隊として成り立っているため再配置が行ないやすいのだ。

現行の大隊にそのまま百人隊を放り込んでしまえば、大隊増強はそれで済む。


損耗や逃亡によって解体する隊も存在したが概ね問題はなく、今のところ大きな不満を示す所は存在しなかった。


「キース、問題は?」

「特には。悪くない兵達です。飲み込みが早い」


第一班を伴い、クリシェが訪れたのは第三大隊の野営地。

組み込んだ元捕虜を交えて行軍訓練を行なっていた。


「なるべく優秀に見える百人隊を組み込ませました。あなたの隊は今後、予備隊として運用されることが多くあるでしょう」

「……予備?」


痩せた第三大隊長キースは自身の髭を撫で、眉をひそめた。


「後ほど話をしますが、クリシェ達は第四軍団としばらく行動を共にすることになります。クリシェとベーギルの第一大隊は攻撃的な動きを、キースには主に防御的な動きをしてもらう形となるのですが、キースには今後第四軍団と連携し合い、この軍団の全体配置を考えながら動いてもらうことになるでしょう」


要するに今回のような形です、とクリシェは簡単に口にする。

キースはますます眉をひそめた。

与えられた責任は大隊長のそれを越え、軍団長、もしくはその副官としての役割に近い。


「第四軍団は大隊を増やしましたから、戦闘正面の多くは第四軍団にお任せする形で良いでしょう。キースの役割はその後方からの支援です」

「……私には重責に思えますが」

「クリシェはキースが適任と感じました」


キースは思ってもみなかったクリシェの言葉に驚きを浮かべる。

彼女には嫌われているだろう――そう感じていたためだ。


「山中で囮にした際、クリシェはもう少し被害が出るものと考えていました。ですが、あなたはクリシェの意図をある程度理解してくれていたように思えます。結果として追撃を受けながらも第三大隊は崩壊することなく、第五大隊の弓兵支援を受けられる場所まで兵を引くことが出来ました。……与えられた条件で被害を可能な限り減らし、組織的統率を保つ。それは軍の指揮官として何より必要な能力と言えるでしょう」


クリシェは少し考え込むようにしながら、すごく立派なのです、と頷く。

キースは少女のあまりに意外な言葉に困惑していた。


「クリシェとしてはあの状況、何かしらあなたからのまともな提案が存在して欲しかったところですが、大局を見据える視野を持つことでそうした点は磨かれていくのではないか、とも感じます」


要するに期待しているのです、とクリシェは真面目な顔で再び頷く。


「そのため、第一軍団の副官相当官として、あなたに予備を預けるという結論に至りました。異論はありますか?」

「……いえ、身に余る栄誉です。しかし他の大隊長からは――」

「第一大隊ベーギルはクリシェと行動を共にする可能性が高いので駄目。第二大隊ファグランは重装歩兵の性質上、前に貼り付けになってしまいます。第五大隊ガインズは弓兵指揮に忙しく……残りは第四大隊バーガだったのですが、バーガはキースならば喜んでと言ってます。なので気にしなくて大丈夫です」


クリシェはうんうんと頷いて、続けた。


「後方指揮は非常に重要な役目です。あなたがしっかりしなければこちらは総崩れになってしまいます。その責任がもし重い、というのなら、クリシェはもう一度考えましょう。どうですか?」


キースは少し考え込み、喜びを滲ませた敬礼を行なう。


「ご再考の必要はありません。このキース、必ずや期待に応えましょう」

「はい。ではよろしくお願いします」


クリシェは答礼し、そしてその場を後にした。







「ん……いい感じだったような気がします。今みたいな感じで良いのですか?」

「はい、軍団長。素晴らしい言い回しだったと思います」


ミアが笑って頷く。

キースに今後も後方指揮を任せようと考えていたクリシェであるが、なんと言うべきか言葉に迷っていた。

基本的にキースが自分を嫌っていると言うことくらいは理解している。


エルーガとのやりとりを聞いていたミアもまた、第三大隊との確執は知っている。

なんと説明するべきか、迷うようなクリシェの様子を見て恐る恐ると提案を行ない、先ほどのやりとりが生まれたのだった。


ポイントは期待している、適任である、あとは褒める、の三つ。

クリシェの性格は大隊長の誰もが知る。

そんな彼女に能力を褒められて嫌な顔をするものはいないだろう、とミアはエルーガと同様のことを考えた。

彼女は口べたで素直な性格であるため、その口から褒められれば誰もがそれを事実だと受け止める。

そしてミアはまず、他の大隊長の承諾を得る所から始めるように提案をした。


幸いと言って良いべきか、キースは怪我をして未だに片腕を吊っている。

どう考えても前衛を任せられない彼に後方指揮を任せるのは自然なことで、他の大隊長達は素直にそれを承諾。

バーガなどは特に役割が似ておりポジションを奪い合う関係にあるのだが、先日の一件でキースに負い目があるため、彼もまた素直に応じていた。


そうして外堀を埋めておけば、キースは安心してその役割を担うことが出来る。

大隊長ともなれば自分の力にそれなりの自負があるもの。

責任が重いと思うなら――という言い回しもミアが考えたものだった。


実質クリシェは操り人形。

言い回しのほとんどはミアが考えたと言っていい。


「ミアはお馬鹿な子だと思っていたのですが、お話は上手ですね」

「おばか……」


ミアが呆然と立ち止まり、周りの四人は噴き出す。


「ああ、まぁミア班長には抜けてるところがありますからね」

「要領が悪いっていうかなんというか……」

「あ、あなたたちね……」


班員のバグとケルスが笑い、ミアが睨み付ける。

カルアは楽しげにミアの肩に手を回した。


「ミアは賢いけどなんか天然だからなぁ。こう、普通にできることができなかったり」

「……叱られるの大体カルアのせいなのに、わたしになすりつけるからでしょ」

「軍団長、ミアが責任逃れしようとしています」

「駄目な子です。ミア、基本的に部下の責任は自分のせいですからね」

「うぅ……わたし別に班長も副官もなりたくてなったわけじゃ……」


クリシェは少し考え込んで告げる。


「駄目ですよ、ミアは適任なんです。クリシェはちゃんとミアの成長に期待してハゲワシの副官にしたんですから。ほら、ミアは……えーと、そこそこ頭が回りますし、そこそこお喋りも上手で……んー、剣はへたっぴで要領が良くないですけれど……お馬鹿かもしれないですけれど……とにかくなんだかすごいのです」

「……あの、軍団長。余計に辛いのでやめてほしいです」

「おかしいですね」


クリシェが首を傾げ、再び四人が笑う。

カルアなどはお腹を抱えていた。


「くくっ、そうそう、うさちゃん良いこと言った! ミア班長はすごいですよ、なんだかすごいですから……!」

「カルア! それ以上言ったら怒るからね」

「わ、すごい班長が部下を理不尽に怒ろうとしてます!」

「ミア、駄目ですよ。上に立つ人間は冷静じゃないと駄目なのです」

「うぅ……っ」


くだらないやりとりをしながらそうしてクリシェ達は野営地を回る。

どこか柔らかい空気を纏い、談笑しながら兵士に囲まれ。


歪さが完全に解消されたわけではない。

しかしそんな彼女の様子はほんの少し、兵士達との間にあった溝を埋め。

ほんの少し、遠くに見えた彼女の姿を身近なものへと変化させた。


些細な変化。

そうして彼等の真上へ日が昇る。

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