第72話 握る柄の先に見つめるもの

宴にあるのは大半が百人隊の者達で、第一大隊軽装歩兵の姿も見える。

今回前面に出た部隊は基本的に歩哨の役目も免除され、休息が与えられているのであった。

ベーギルはこちらを見ながらダグラに笑いかけ何かを話し、ダグラは不機嫌そうに呆れた顔でベーギルに言葉を返していた。

クリシェはそれを遠目に見ながら、ミアから受け取った酒に口付ける。

ワインは大分控え目。絞りたての果汁が強く、ジュースに近い代物だった。

これなら普通に飲めそうだと、喉を潤しながら宴を眺める。


借りてきた猫のようにクリシェはカルアの上に座ったまま動かず、黙り込んでいた。

何を喋ったらいいのかもわからないのだった。

用事がなければ未だにクリシェは人に話し掛けることをしない。

彼等が楽しそうにしているならばなおさらだった。

クリシェは黙り込んだまま、紫色の瞳で楽しそうな兵士達の姿を眺めてちびちびと、単なる果実の絞り汁のような酒に口付ける。


「おい、軍団長の前に皿がないぞ」


様子を見ていた一人の男が声を上げ、一人の青年の尻を叩く。

先日クリシェが剣を教えていた青年軽装歩兵だった。

迷っていた彼は慌てたように雑に盛られた酒のつまみからいくつか皿に取って、クリシェの前に置く。


「ぐ、軍団長、どうぞ」

「え、と……ありがとうございます」


大したものがあるわけでもない。

焼いた馬肉と炙った干し肉。あとはフルーツ程度。

けれどクリシェは礼儀正しく頭を下げて、青年を見上げた。


酒精もあってほのかに赤らむクリシェの顔。

青年はそれに見惚れ、硬直し――カルアに額を弾かれる。


「痛っ!?」

「姫さまのかんばせをそのように見るなどなんて畏れ多い。もーちょっとこっそり見なよ」

「は、は……!」


年若い青年は不可解な敬礼を行ない足早へ元の席へと戻っていく。

周囲から笑いが起きて、渦中のクリシェだけが不思議そうに首を傾げた。


「あ……ニルカナ」


これから眠るつもりであったため我慢していたが、感じていた多少の空腹も起きておくとなると流石に苦しい。

お気に入りのニルカナの実が皿にあることに気付いて、それをつまんで口にする。

砂糖のような味わいの小ぶりな果実。

ミツクロネティアでベリーと食べたものだった。

指先ほどの大きさであるため空腹を満たせる訳ではないが、こうしてつまむには丁度良かった。


「おいしい?」

「……はい」


クリシェは素直に頷く。

先ほど食べたパイほど美味ではない。単なる甘味で果実であった。

けれども、先ほど感じた空しさも感じない。


「んー、あたしはそれ甘すぎて苦手なんだけどなぁ」

「じゃあ林檎でしょうか」

「おお……」


クリシェはその言葉を聞くと皿に盛られた林檎を手に取り、近くにあったナイフで小分けにする。

そして切り分けた一つをカルアの口元に差しだす。

カルアは遠慮もなくそれを咥え、笑った。


「ぐ、軍団長に林檎を切らせて……」

「これが側仕えの役得なのだ。ふふ、おいしー」

「それは良かったです」


クリシェは特に気にした様子もなく微笑む。


「お、俺もいいですか?」

「お、おい……」


勇気ある男が声を上げて近づく。

人と言うより岩や何かに近い外見の男である。


「……? いいですよ、どうぞ」


しかしクリシェはその要望にも当然のように応え、切り分けた一つを与えてやる。


「ありがとうございます……!!」


流石にカルアと違って口で受け取るほどの勇気は出ない。

男はそれが宝物か何かのように、切り分けてもらった林檎を両手で受け取る。

そしてまるで戦利品を見せびらかすように周りの兵達へ掲げて見せた。


その様子に驚いた男たちは顔を見合わせ、立ち上がるとクリシェに迫る。

――俺にもください、こっちにも。

クリシェは少し驚きながらも微笑み、いいですよ、ちょっと待ってくださいねと素直に応じた。

そうして果物を剥いていく。


村で子供達に果実を剥いてあげた時のことを思い出す。

その時と同じようにクリシェの前には果実が山盛りに持ってこられて、クリシェはさくさくとナイフでそれを切り分けた。

様々な種類の果実があったが、迷うことはない。

手つきに危なさはなく鮮やかで、男たちはその手慣れた様子に感心する。


自然にクリシェの口元も綻んでいた。

さまざまな形状から最適解を導き出して、食べられる部分だけを切り出す。

ここにある様々な果物の剥き方は、大抵ベリーに教わったものだ。

これはこうですよ、こう言う風に剥くと上手に剥けます――などと、一つ一つ。

村ではそれほど種類も豊富でなかったし、街では初めて見る果物で溢れていた。

だからほとんどはベリーに教えてもらい、時には一緒に剥き方を考えて。

そうやって覚えたものだった。


その時のことを思い出しながら丁寧に。

果物が書物のように、触れると情景が浮かんで見えた。

そんな情景を重ねるように、宝石のような果実にカットを入れていく。


カルアはその様子を少し驚いたように眺めながら、時折お気に入りらしいニルカナを口に運んでやる。

クリシェは一々おいしいです、だとか、ありがとうございます、だとかお礼を口にするので、それが妙に面白い。


銀色の隙間から覗いた紫色は静かに果実に向けられている。

普段より幾分柔らかい顔つきには厳しいものがなく、果実を剥かされている現状に何ら不快も疑問も覚えていない。

世界一美しい皮剥き器の姿を男たちは見惚れながら一人一人切り分けられた果実を受け取る。

礼を言えば微笑を浮かべ、その優しげな様子は戦場で敵を切り裂く彼女とは別人に見えた。

そんな彼女の様子と共に、場の空気は少し、静かなものになっていく。


ミアは止めた方が良いのではないかとカルアに視線で尋ねるが、カルアは迷いつつ大丈夫だろうと頷いた。

クリシェはどちらかと言えば楽しそうで、クリシェが満足しているなら良いかと、ミアも何も言わずに酒のお代わりを出していった。


そうしてしばらく時間は過ぎて。

果実の絞り汁に近い酒とは言え、三杯目となると流石にクリシェの頬はあからさまなほど赤くなる。

瞳はどこか濡れたように輝きだし、妙な色気が漂いはじめた。


「……えーと、ミア、酔い潰れちゃうでしょ。後はジュースにしときなさい」

「え、あ、そ、そだね……」


酔うとクリシェはどうなるのかと、無意識に期待を膨らませていたミアはその言葉に慌てて作業を中断する。

白い肌が赤く色づき、ぼんやりとしたクリシェの姿。

何やら嬉しそうな兵士達。

それに気付いていない様子のクリシェ。


カルアは嘆息すると、はい終わり、と両手を叩いて兵士達を散らせる。


「ほらほら、目つきがいやらしくなってるよ。いつまで上官に皮剥きさせる気?」

「……クリシェは大丈夫ですよ?」

「うさちゃん以外が駄目なの、もう。ちょっと無警戒すぎだなぁ、これは」

「次は私の番だったんだが……」

「……大隊長、ダグラ隊長が手招きしてますよ」


ひっそり並んでいたらしい第一大隊長――ベーギルは頬を掻きながら肩を落とし、ダグラの下へと戻っていく。

ダグラは呆れたようにこめかみを押さえながら、ベーギルに小言を言っていた。


カルアはその様子を笑ってクリシェの頭を優しく撫でる。

どこかぼんやりとした様子でクリシェはされるがままだった。

さらさらと炎と月明かりに煌めく銀の髪。

指でそれを拾い上げながらカルアが呆れた声を出す。


「うへぇ、さらさら……ずっと外に出てるのによくもまぁこんだけ綺麗なこと」

「……そうですか?」

「あたしはバシバシになっちゃってるよ。手入れをサボっちゃって」

「駄目ですよ。髪はちゃんと手入れしないと」

「へぇ……」


ミアが感心したようにクリシェの髪を留める薄紅の花飾りを見つめた。


「髪飾りもすっごい似合ってますし……それだけお綺麗なのは羨ましいです」

「安心して。ミアにうさちゃんみたいな綺麗な髪は似合わないから、それで丁度いいよ」

「この……っ」

「……そういえば付けっぱなしでした」


いつもは寝る前に外しているのだが、言われて気付き髪留めを外す。

銀の髪は散るように、癖もなく流れた。


それは薄紅の花を象った髪飾り。それほど高価なものではない。

けれど大切なものに変わりない。

ベリーがたまたま城砦に来ていた商人から、クリシェに似合うと買った物だった。


「……ベリーからもらった物なんです。クリシェに似合う、って言ってくれて」

「ああ、あの人……」


クリシェは大事そうに膝の上に置き、どこか熱を帯びた瞳で見つめる。

口元には微かに綻ばせ――炎に照らされた少女の横顔はどこまでも美しく、儚げに見えた。


「ベリーさんに会えなくて寂しい?」

「え?」

「そんな顔してるから」


カルアが尋ねると、クリシェは少し迷うように瞳を揺らし、頷く。


「……かも知れません。多分、寂しいのかも」


酒精で少し麻痺した頭は、素直な言葉を口にする。

酒杯のジュースに口付けたクリシェにカルアが首を傾げた。


「えと……多分?」

「クリシェはあんまり、寂しいとか、怖いとか、そういうのよくわかりませんから。ちゃんと寂しいのかどうか、よくわからないんです」

「あ、ああ……なるほど。そういうところもうさちゃんは真面目な訳か」


カルアは苦笑して頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「そんなのにちゃんとも何もないよ、うさちゃん。人それぞれなんだから」

「そうでしょうか?」

「そうなんです。軍団長は寂しいのですよ、だからこうしてみんなと一緒にお酒を飲んで騒いで気を紛らわせるのです。……ってミアが言ってました」

「……そうなんですか、ミア?」

「へ? ぁ、まぁ、そ、それは一理あるような気もしますけれど……」


突然振られたミアはひとまず頷き、クリシェは少し考え込んで頷く。


「ま、そういうあたしは寂しいとかあんまり感じたことはないんだけど。ミアなんか恐がりで寂しがり屋だから、夜中にいきなり抱きついてきたり――」

「そ、そんなのしてない! この前は寝ぼけただけなんだから……っ」

「いやー、夜這いされたのかとびっくりしたね。……ま、何にせよ、あんまり深く考えるもんじゃないと思うよ、風の吹くまま心のままに、食いたいときには食って、寝たいときには寝て、人肌恋しいときはミアみたいに人に抱きつくと」


ミアはカルアを睨み付けるも、カルアは笑って取り合わない。

その様子を眺めながらクリシェは答える。


「……それじゃ獣と一緒な気がします」

「人間だって獣に違いはないと思いますよ、軍団長殿。多少賢いだけで犬や猫と変わりない。そして幸せってやつはそういう獣の部分にあるもんだ」


クリシェは少し驚いたようにカルアを見た。

食べる、寝る、抱きつく。

よくよく考えれば、クリシェが好きなものは全部動物的な欲求だった。


「……なるほど」


はしたない、はしたないと考えていた欲求。

しかしそれを満たしている間がクリシェは一番安心出来ているのだ。

それは真理に近い言葉であるようにも思えた。

甘えるときはいつもそうで、だからクリシェは満たされている。


「難しく頭を捻って考えたって、所詮上っ面。結局根本はそこにあるとあたしは思ってる。うさちゃんは違うのかい?」

「……いえ、違わないかもです」


酒の入ったクリシェは普段以上に素直だった。


「でっしょー。おねえさんからの金言ってやつかな、ふふ、礼は要らないよ」


クリシェは困ったようにカルアを見上げ、カルアは笑いながらわしわしとクリシェの頭を撫でる。

クリシェはほんの少し嬉しそうに口元を緩め、頬を染めると体を預けた。


「この戦が終わったら沢山寂しかった分甘えてやればベリーさんも大喜び。そしてついでに大活躍のあたしにご褒美を沢山くれりゃ、あたしはあたしで悠々自適のぐーたら生活を送れて大喜び。大団円ってやつだ」


ずるいぞカルア、などと周囲から声が上がり、悔しかったらあたしより活躍してみな、とカルアは頬を吊り上げる。

クリシェは尋ねた。


「カルアはぐーたら生活がしたいんですか?」

「聞こえは悪いけど、大体そんなとこだね。日がな一日好きなことして毎日過ごして、まぁ、夢って言うほどのもんじゃないけど」

「……カルアは出世を目指してたりしてるのかと。戦場でも楽しそうですし」

「うーん、剣を振るうのは好きだけどね。自分の実力を見せつけてやるのは楽しい限りなんだけど……まぁ別に出世は求めてないかな。剣を振るって生死のスリルを味わうというか、なんというか、まぁ、純粋に剣で戦うのが好きって感じかなぁ……」


夢に近いのはさっき言ったみたいなことだよ、と続けて笑う。


「うさちゃんはどうなの? 好き? 剣」

「クリシェは剣、あんまり好きじゃないです」


誰もが驚く一言であった。

クリシェは先ほど――パイを食べながら考えていたことを思い出し、目を伏せる。


「必要なことですから練習もしますし、効率化されていくこと自体は楽しいと感じますけれど……カルアみたいに剣自体が楽しいってわけじゃなくて、やっぱり、必要だからやっているだけで……必要ないなら、別に振りたいとも」

「……剣が好きでもないうさちゃんにあたしはボロ負けなのか」


カルアは呆然とする。


「だってカルア、へたっぴですから」

「うぐ……」


兵士たちは顔を見合わせる。

カルアの実力はこの場の誰もが知っていた。

この軍団でも一、二を争うような実力者だろう。

しかしクリシェはあくまで自分と照らし合わせる。


「まぁうさちゃんに言わせればそうなのかもだけど……」

「でも、へたっぴの中でもカルアは上手な方ですよ。セレネといい勝負をしそうですね」

「お……それは是非とも手合わせをしたいなぁ。将軍相手じゃ機会はないだろうけど」


クリシェは少し考え込んで、告げる。


「セレネもへたっぴですけれど、剣振るのは好きですから喜ぶかもです。手合わせしたいならクリシェ、聞いておきますけれど」

「うぇ、じゃあ是非是非っ」


酒に酔ったカルアはどこまでも遠慮がない。

かえってそれがクリシェには気が楽でよかった。


「いやぁ、それは楽しみだなぁ。ふふ、うさちゃん大好きぃ」


後ろからぎゅうと抱きつかれ、少し驚きながらも、クリシェはしかし何も言わない。

羨むような周囲の視線を気にせず、カルアは華奢な体を感じながら尋ねる。


「うさちゃんは何が好きなの?」

「クリシェ、ですか?」

「そそ。剣が好きなのかと思ってたからちょっと意外というか」


問われたクリシェは酒杯に目を向け静かに告げる。


「お料理が好きです。あと、お掃除とかお庭の手入れだとかも……好きなのかも」

「……また家庭的な」

「あとは……その、ちょ、ちょっとぐーたらするのも好きなのかも……」


カルアと似てるかも知れません、と恥ずかしそうに微笑みながら。


「ふぅん、真面目な軍団長殿もそんなことを思うんですね?」


からかうように告げるとクリシェは困ったように頷く。


「く、クリシェは、その、あんまり良くはないと思うのですが……やっぱり、こういうお仕事より、そうやってお屋敷でお仕事してる方が、好きなので」


言い訳をするような口調であった。

カルアは苦笑して頭を撫でる。


「まぁうさちゃんは出世だとか、そういうのに興味がありそうなタイプには見えないね」

「クリシェはセレネのお手伝いを出来れば、それでいいです。えへへ……セレネ、クリシェがいつか、お屋敷でお料理ばっかりしてても大丈夫なようにしてくれる、って言ってくれましたから。だから、クリシェは……」


クリシェは愛しげに、両手で何かを胸に抱くように。


「みんなで一緒に夢を叶えるために、頑張らないと」

「……夢?」

「はい。……お屋敷でお掃除したり、お庭の手入れをしながらベリー達とお料理して、ご飯を食べて、お茶をして……ずーっと毎日そうして暮らすんです」


そのために頑張らなくちゃいけない。

自分はそう約束したのだった。


「平和になったら、ちゃんと叶って……そうしたら、みんな幸せです」


喧噪は遠く、辺りは静かになっていた。

無感動に敵を切り裂き、恐怖させ、誰より命を奪ってきた少女からどんな言葉が出てくるのか。

それを期待していたものからすれば随分と意外な言葉。

地位や名誉、わかりやすく輝かしい栄達ではなく。

人を恐れさせるような邪悪な願望でもない。

少女が望むものはただ、ささやかな日常であった。


「……そか、頑張らないとね」

「はい、頑張らないといけません。……頑張らないと」


カルアはクリシェの髪を撫でていた。

さらさらとした銀の髪は、少女の美しさをそのまま示す。


「そー言えばいつぞや訓練中に作った食事にぷんすか怒ってたっけ。皮剥きとか上手だし……掃除とか料理とか、そんなに好きなの?」

「好きです、とっても」


姿通りの笑みだった。

月明かりに咲く花のように、静かに花弁を綻ばすように。

膝に置いた髪飾りを弄ぶ。


「……えへへ、ベリーもとっても上手で、クリシェはいっつもベリーとお料理するんです。ベリーは何をしても上手ですから、クリシェ、早く追いつきたくて――」


クリシェはそうして楽しげに屋敷でのことを語っていく。

些細な日常に華やかなものなど欠片もなく、面白味もない。

けれど彼女は楽しげに、思いつくまま子供のように言葉を紡ぐ。


先ほどまであった騒ぎはこの場所から完全に消え失せて、少女の口から語られる様々な日常が場を満たしていた。

あるものは彼女を憐れむように、あるものは優しい眼差しで。

親があり、兄弟があり、妻があり、子供があり。

ここにある者達もまた、幼い少女の物語に耳を傾けながら、様々なことに思いを巡らす。

思い出すのは戦場に出る前の、なんてことのない日常だった。


立身出世を望み、あるいは剣に夢を見て――様々な理由が彼等にもある。

少女のそれはそれらのことと比べれば、夢と言うには欲の欠片もない、すぐにでも手が届きそうな代物であった。

けれどこの場所からは、どんな場所よりも遠い夢物語の一つだろう。


その両手を誰より血に染めながら、子供のように語る少女の思い出。

料理の話。掃除中の些細な出来事。庭に迷い込んだ猫の話。

脈絡もなく稚拙で、饒舌。

クリシェの声はどこまでも普段のそれとは異なって、だからそうであっても飽きることなく、誰もが耳を傾ける。


そうして、夜も更けていく。






酔いと眠気でクリシェのお喋りが同じ内容を繰り返しはじめ、そんなところで宴は終わる。

カルアとミアは少女をそのまま天幕へと運んでやる。


「意外というか、なんというか」

「見たまんまなんじゃないの、ほら」


カルアは自分の袖をしっかりと掴んだまま眠るクリシェを見て言った。

天幕に入ってベッドへ向かう途中で既にクリシェは眠っており、それをベッドに寝かせるのにも苦労したものだが、掴んだ袖だけはしっかりと握ったまま。

仕方ない、と諦めるとカルアがよいしょと毛布に包まる。


「ほーら、離さないと悪戯するぞー」

「うぅ……」

「もう、カルア」


鼻先をくすぐるとクリシェはむずがるようにそのまま抱きつき、顔を押しつける。

あらま、とカルアが苦笑し頭を撫でると、少女の体から力が抜けていく。


「ん……ベリー」


紡がれた名前を二人は聞いて、笑う。


「……寝言」

「こんな子に好き好き言われる気分っていうのはどんなもんなんだろね。あたしは無理」

「……あのね、カルア」

「冗談だって」

「カルアは時々冗談じゃなさそうだから怖いの。くれぐれも変なことしないでよ」


ミアが睨むように告げると、カルアは楽しげに肩を揺らす。


「寂しいなら一緒に寝てもいいんだよ? ほーらミアちゃん、こっちこっち」

「この……」

「じゃないと明日からうさちゃんとあたし、軍団長と部下の関係でいられなくなっちゃうかも」


笑って告げると、ミアはうー、と迷うように天幕の外に目をやり、嘆息する。

それから諦めたように毛布の反対側に潜り込む。


「本当ミアってからかいがいあるよね」

「……うるさい」

「ふふ、怒んないの。折角の可愛いお顔が台無しだよ?」

「また心にもないことを言って」

「ほんとほんと」


カルアは笑いながら、抱きつくクリシェの頭を撫でた。

普段からは想像できないほど優しい目だった。


「寝顔、本当かわいいね。前も思ったけど」

「まぁ、確かに。カルア――」

「なんにもしないって。ミアは疑り深いなぁ」


カルアは思い出すように言った。


「昔一番下の妹が、すんごいあたしに懐いててさ」

「……姉妹仲悪いって言ってなかったっけ?」

「四人姉妹でね。ま、その前の話かなぁ」


静かな寝息を立てるクリシェを見つめ、微笑む。


「……ふふ、寝るときも一緒、どこに行くのも一緒って感じ。甘えん坊ですっごく可愛かったの。まぁ流石にうさちゃんには負けるけど、あたしに似てちょー美人でさ、寝顔もこんな感じで可愛くて」


そしてすぐに、その目が寂しげに細められた。


「でもそのままじゃ拙いからって、姉離れさせようって思ったの。あたしも街に働きに出るつもりだったしさ。だからわざと冷たくしてたんだ。そしたら甘えてこなくなって……けど出発の日、一緒に馬車に隠れて乗り込んでたみたいで、それが最後」

「え、と……」

「捕まって売られたんだって。結構頑張って探したつもりだけど見つからなくて、諦めたの」


昨日の夕食のことを話すように。

普段通りの声音だった。


「……そんなことなら妹たちの言うようにもっと甘やかして、優しくしてやればなぁって。そしたらもしかして、何かが違ったかも」


いい子だったんだ、とカルアは告げる。


「素直で一生懸命で、優しい子。うさちゃんはちょっと頭がびょーきだけど、なんだかね、雰囲気がそっくりでさ。運命めいたものを感じちゃった」


そのままクリシェの頭に頬を押しつけて、目を閉じる。


「ここに来たのは単に邪悪なギルダンスタインを討つべしだとか、くっだらない八つ当たりめいた正義感なんだけど」


色んな感情が透けて見えて、けれどカルアはそれ以上言わなかった。

ミアは何とも言えない気持ちになって、尋ねる。


「……それで剣を覚えたの?」

「ふふ、復讐の刃というと聞こえがいいね。……でもまぁ、そんなのは単なる切っ掛け。元から殺したり、殺されたり、そういうのが好きだったんだよ多分。実際今は娯楽も兼ねてるわけで」


冗談めかしてカルアは笑った。


「……ただ、次は失敗したくないなぁって、そういうことも思うんだ。ただの稀に見る美少女だった昔と違って、今はそうじゃないって思いたい。あの頃よりはずっと大人で頭も回る、剣の腕もそれなりになって……だから、同じようなことにはならないって」


そう言い切ると、クリシェを抱く手に力を込める。


「……素直でいい子には笑っていて欲しいでしょ? だからちょっと、あたしもうさちゃんに、色々頑張ってあげたいなって。すごく不器用そうだしさ」


ミアはじっとカルアを見つめた後、そうだね、と頷いた。

ゆっくりとクリシェの頭を撫でて、ミアは言った。


「じゃ、わたしの剣は軍団長と、あなたのために振ってあげる」


カルアは少し間を空けてくすりと笑った。


「そういうのはもーちょっと、剣が上手になってから言ってくれると格好いいかも」

「……カルアって一言多いよね」

「照れ隠し照れ隠し」


はぁ、とため息をついたあと、ミアも少女を抱くように手を伸ばす。

その手にカルアの手が伸ばされ、触れ合う。

握った側も、握られた側も何も言わず。


そうしてただ、眠りについた。

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