第6話 理不尽

鼻歌交じりにスープを作り、パイ生地を練っていく。

自分本位な彼女は、どんな時も自分にとって都合の良い方向へと物事を考える。

グレイスもゴルカもいなくなった。

それはつまり、考えようによっては二人分余計にたっぷりカボチャを味わえるということだ。

二度も阻まれ、二週間もお預けを食らった後。

念願のカボチャ尽くしな夕食だけあって、空腹を我慢し昼食を抜いたクリシェは一人で三人前を食べる気でいた。


一枚一枚丁寧に生地を重ね、出来上がりを想像しながらペーストにしたカボチャを配置。

ふんふんと鼻歌を歌いながらパイ生地の形を整えたクリシェは満足のいく出来映えに頬を緩めた。

スープの味見をしばらく繰り返した後火を弱め、ちょっとだけ、と更に味見を二、三度繰り返し。

そうして満足するまでスープを味わった後、足取り軽やかにガーラの家に向かう。


手に持つは丁寧に作り上げた完璧なカボチャパイ。

先日作ったものなど、これの足元にも及ぶまい。

その出来上がりを想像しながら微笑を浮かべてガーラの家に向かい――そしてそこで怒鳴り合う二人の声を聞いた。


「だからってそんなこと――あんたはあの子を一人でほっぽり出すって言うのかい!?」

「違う! 信用できる友人に預けると言っているんだ。この村で腫れ物扱いされたまま、あの子に一生を過ごせというのか! それがクリシェのためだと!?」


中で話されているのはどうにも、クリシェの話である。

首を傾げながらもドアをノックする。

誰だい、と怒りを抑えたガーラの声が響き、クリシェです、と普段通りに名を告げる。

すぐに戸は開いた。

中にいたのはガーレンとガーラ。二人はぴりぴりとした様子である。

クリシェはそれを見て硬直した。


「クリシェ、どうしたんだ――ああ」

「そ、その……クリシェ、カボチャのパイ、焼きに来て……」


――またもカボチャのパイを食べ損ないかけている。

留まることを知らぬカボチャ熱はもはや限界。

これで三度目なのである。


「だ、駄目そうなら、その……」


クリシェはあまりのタイミングの悪さに母の死ですら零れなかった涙を滲ませそうになる。


ガーラはその様子に慌てたようにクリシェを招き入れ、ガーレンを睨む。

ガーレンもまた、内に残る怒気を吐き出すように嘆息し、頷いた。


「びっくりさせてごめんよ。ちょっと口論になっちゃっただけだ。喧嘩をしてるわけじゃないんだよ。ガーレン、そうだね」

「あ、ああ……すまない。随分と驚かせてしまった」

「いえ……」

「ちょっと待ってな」


ガーラはクリシェの頭を撫で、オーブンへと誘導する。

クリシェはオーブンが使えることにほっとしながら、パイを中央に設置し、いくつか焼けた炭を拝借し、オーブンの中へ並べていった。


「……随分と大きいね」

「その……食べ損ねちゃいましたから」


クリシェが告げると、ガーラは目頭を指で押さえ、そうだね、と言った。


「落ち着いたら、みんなで……クリシェちゃんのパイを食べるって約束だったね」

「はい。随分遅くなっちゃいました」


クリシェは微笑を浮かべ、しかし思い出して目を伏せる。


「……クリシェは、終わったらすぐ作ろうって思ってたのですけれど」


カボチャは粉砕していたのだ。

クリシェが家に帰ったら、カボチャは見事に粉砕していたのだ。

家を荒らした賊は、果たしてクリシェのカボチャに何の恨みがあったのか。

恐らく仇はとったものの、クリシェとしては実に納得がいかない。

そのことを思い出すと実に不愉快――仮に生きていたならあのカボチャのように、両手足を砕いてやりたい気分だった。


そんなクリシェの内心とは裏腹に、ガーラは五人前のパイを見て、そんなクリシェの姿を見て、涙を流すのを堪えていた。

皆を助けるため幼い手を血で汚し、目の前で母親を殺され、父親も失った。

息子を『不慮の事故』で亡くしたガーラは自分と重ね、涙も流さずいつも通り、淡々と日々を重ねていくクリシェの危うさを思う。

実感もまだ湧いていないのかもしれない。

どうあれ、この小さな少女が受け止めるには、あまりに深い傷であるように思えた。


こうしてあの日のパイをあの日のまま再現するクリシェの姿は、どこか壊れそうに見え、それを感じるほどに、無遠慮でくだらない噂話を繰り返すものたちへ殺意すら覚えた。

聡いクリシェが、周囲でどのように自分が噂されているか知らないはずもない。

グレイスに抱かれ、歳相応に甘える姿を何度もガーラは目にした。

しかし、今ではクリシェがグレイスを手に掛けたのだと、そんな噂までが流れている。


何もかもが許せなかった。

本来であれば村の英雄として祭り上げられて然るべき、そんな少女の不遇と理不尽。

ガーラの胸は張り裂けんばかりの怒りと悲しみで満ちていた。


「おばさんも、夕飯にご招待してもらってもいいかい?」

「はい。流石におばさんにも食べてもらわないと、クリシェも食べきれません」

「はは、そうだね。こんなに大きなパイだ。……おばさんも二人の代わりに、沢山食べなきゃね」

「え……?」


言われた言葉に一瞬、呆然とする。

余分な二人前はクリシェの分なのだ。そのために昼食も抜いたのだった。

自分の失言を悟り、降って湧いた理不尽に目を泳がせ言葉を探る。


「ぁ、あの、おばさん、これは……クリシェの分、で……」

「あ……」


クリシェの反応に、いなくなった二人のことを思い出させてしまったのだとガーラは口を押さえる。

ここのところ不自然なほど、クリシェはグレイスとゴルカのことについて口にすることがなかった。

――きっと、考えないようにしていたのだろう。

自分の間抜けさを悔やむと、ガーラはクリシェの小さな体を抱きしめた。


「……ごめんよ、クリシェちゃん。いいんだ」


良くないです。クリシェは反論したかった。

しかしそれより先にガーラの腕に力が込められ、むぎゅ、とその乳房に顔が押しつけられ、その口を封じられる。


「理不尽だって、思うかい?」


クリシェは迷い、小さく頷く。実に理不尽である。


「でも、受け止めるしかないんだ。いつかはそういう理不尽も受け入れていかなきゃいかない。……そのためには泣いたって、喚いたっていい」

「むぐ……」

「あたしが息子を亡くして、それを受け止めきれなかったとき……クリシェちゃんがあたしの所へ来てくれて、何度も励ましてくれた。すごく嬉しかったよ。それからあたしは、クリシェちゃんが悲しむことがあったら、きっと同じことをしようって誓ったんだ」


クリシェにはその思考回路がよく分からなかった。

自分のカボチャパイを奪い、悲しませておきながら励ますのか。

黙ってみているガーレンは何も言わず、深く頷いていた。

納得している祖父の様子を見て、困惑を強める。

クリシェにはわからない論理であるが、どうにもそれが正常であるらしい。


そこでクリシェも、ガーラの息子を殺しておきながら悲しむガーラを励ましオーブンを借りていたことを思い出す。

妙に納得がいき、要するにガーラはパイがとても食べたいのだと短絡的に理解した。

息子を殺したことをきちんと隠したクリシェと比べ、やり方がとても強引で下手であるものの、行為自体はクリシェ的に真っ当である。

それにガーラには随分恩があった。


クリシェは仕方ないことだと判断し、諦めるとガーラに身を任せる。

ガーラは涙を滲ませながらその頭を優しく撫でた。


「……悲しいのを我慢しなくていい。少なくともおばさんの前では、素直な感情を出していいんだ。おばさんはクリシェちゃんが悲しくなくなるまで、ずっとこうしてるからさ」


うぅ、とクリシェは理不尽を飲み込みつつ。

その頭の中では先ほど作ったパイをどのように切り分ければ一番カボチャを多く食べられるか。

そんなことを考えていた。








――そうしてパイが焼き終わり、クリシェの家。

しかしクリシェの苦難はそこで終わらなかった。


しばしの躊躇のあと渋々と、考えに考え抜いた手法でパイを五等分に切り分けたクリシェは、その内の二枚をガーラに献上する。

当然のように自分も二枚。そしてガーレンは一枚。


切り分ける際のサクサクとした感触。

パイの出来はこれまでに無い最上の出来と言え、とろけたカボチャが生地へと染みこみ、甘い匂いを漂わせる。

サクサクとした食感と甘くとろけたカボチャのハーモニーは食べる前からクリシェの幸福感を掻き立て、まるでその舌を誘うようだった。


カボチャのスープの出来映えも良い。一度冷まして取り分けておいたカボチャと、弱火でじっくりとトロトロに煮込んだカボチャを最後に合わせたのだった。

スープに溶け出したカボチャの甘みとカボチャそのものの味わいを同時に味わえる贅沢なこのスープは、クリシェのカボチャ料理史上最高の一品と言える。


カボチャを立てればスープが立たず、スープを立てればカボチャが立たず。

一週間カボチャのことだけを考えてきたクリシェはカボチャをふんだんに使い、まさに恐るべきカボチャの欲張りセットと言うべき食事を完成させていたのだった。


配膳を終えたクリシェはカボチャ尽くしのスープとパイを見つめ、ある種の感動を覚えながら、ガーレンを見る。

食事前に祈るわけではないが、食事の開始はガーレンかゴルカが宣言する。

クリシェは待ち遠しさに堪えきれなくなりそうな気持ちになりながら、じっと待つ。


ガーレンはぼんやりとカボチャの欲張りセットを見つめ、目頭を押さえた。

そして、俯き、静かに告げる。


「……クリシェ、話がある」

「話、ですか?」


クリシェは今や餌を鼻先にぶら下げられた犬のような気分であった。


倫理感が人と異なり、極めて自分本位であることを除けば、クリシェは実に礼儀正しく従順。

共同体のルールを人前で破る事は無いし、破らざるを得ない場合は必ず、そのルールの監視者がいないところで行う。

上位者に対しては敬い、挨拶や礼、作法をきっちりと守るというのは、グレイスからしっかりと学んだ処世術である。


そしてそんなクリシェであるからこそ、ガーレンに『待て』と言われれば待たざるを得ない。

彼女に犬の耳が生えていたなら、その耳はくにゃりと折れていただろう。

クリシェはそわそわと、パイとガーレンを交互に見つめる。


「……ガーレン」

「お前も、本当はわかっているだろう、ガーラ」

「……でも」


雲行きが怪しくなってきたことにクリシェは戸惑っていた。

そんな、まさか、とは思いながらも時間は無情に過ぎていく。


とはいえ、クリシェにはまだ余裕があった。

なぜならば――クリシェは極めて猫舌なのである。


どちらにせよ少し冷まさないと食べられないのだから、少しくらいは大丈夫。

クリシェはそう判断する。

クリシェとしては熱々の食事にふーふーと息を吹きかけ冷ます食べ方が非常に気にいっているのだが、この際それは必須では無い。

要は好みの温度で口に入れられればいいのだとクリシェは自分を納得させる。


「ガーラの家でわしらが話していたこと、聞いただろう?」

「はい。聞こえたので……少しだけ」

「お前の、今後の話をしていたんだ」


重々しくガーレンはそう言った。

昼食抜きの空腹感――クリシェは何故このタイミングでよく分からない話をするのだろうと困惑していた。

空腹は彼女の知性を著しく鈍らせる。


「……辛くはないか?」

「え、と……」

「素直に言ってくれて構わない。今、お前がどう感じているのか」


ガーラに続きガーレンまで。

自分がカボチャパイを満喫しようとすると邪魔するのは、知らない間に決まった新しいルールか何かなのだろうか。

理不尽を覚えながらもクリシェは頷く。


「……辛いです」


空腹の体の前には極上の餌が並べられている。

辛くないはずがなかった。


「そう、か……」


ガーレンはガーラに目配せし、ガーラは諦めたように頷く。


「街に、軍人時代の友人がおる。その男から先日、わしの無事を確認する文が届いた。中には、自分に協力できることがあるならと。……迷ったが、お前のことを書いて送った」

「クリシェのことを……?」

「ああ。……クリシェ、街に行ってみる気はないか?」


クリシェのカボチャパイの話から何故そんな話に飛んだのか。

唐突な言葉にクリシェは少し驚き。


「……今日、クリシェが良いなら一度、連れてきて欲しいと返信がきた」


ますますクリシェは困惑を強める。

クリシェはとりあえず食事を進めたいのだった。

突如始まった――とクリシェは考える――重大な話にクリシェの理解は追いついていない。


「……おじいさまが行けと仰るなら、クリシェは行きます」

「そうじゃない。……自棄にならないでくれ。決してお前が嫌いになったわけでもない。お前を愛しているからこそ、選択肢を与えたいのだ」

「……? え、と……」

「その知人は信用できる男だ。寝食を共にし、死地で命を助け合った、そんな仲だ。……クリシェ、わしと一度その男に会い、これからどうしたいかを決めて欲しい。無論、それでもこの村に残りたいと言えば、これまで以上にわしもガーラもお前を支えるつもりだ」


そう言い切った後、ガーレンは黙り込んだ。

クリシェの言葉を待っているのだった。

対するクリシェの目は悲しげに伏せられ、そわそわとパイを見つめた。


胸に抱いた手を握っては閉じ、しばらく。

恐る恐るといった調子で、クリシェは口を開いた。


「……ぁ、あの、その……ぱ、パイが、冷めて……しまう、ので」


クリシェにとって、食事の許可をねだるのは辛く苦しい決断であった。

真剣な様子のガーレンとの会話の途中で自分の欲求をさらけ出し、食事開始をおねだりするという行為はクリシェの独特な感性においても実にはしたないことである。

しかし早く食べたい。

二週間のお預けの後なのである。

とはいえ勝手に手をつけるわけにもいかない。

クリシェの理性的かつ理知的な頭脳はぐるぐると、いかに自身の美意識を損ねることなくはしたない欲求を叶えるかという問題に取り組むも、目の前で刻一刻とパイが冷めていく姿に限界を覚えたクリシェは消え入りそうな声でそう告げた。


人前では礼儀正しく品行方正を心がけてきたクリシェにとって前代未聞、空前絶後の出来事である。

クリシェはあまりの羞恥と情けなさに身を焦し、目を潤ませ。


それを見たガーレンは静かに唸り、ガーラが手を打ち鳴らす。


「……そうだね。折角クリシェちゃんが美味しい料理を作ってくれたんだ。冷めないうちに食べないと。……ガーレン、それでいいね?」

「あぁ……すまない。そうだな。ひとまず食事にしよう」





ガーラは話題を切り替えるように、クリシェのパイとスープを絶賛する。

ガーレンも言葉こそ少なかったがそれに追従した。


またもや突発的な鬱を患っていたクリシェは、食事が美味であると認識しながらも満喫できずにいたが、そうしたガーラの努力の甲斐あって食事を楽しむゆとりを取り戻していく。


小さな口で大量のパイを味わい、その食感と甘みに裏切られ続けた欲求が満たされるのを感じたクリシェは、食事を終えるころには随分と上機嫌になっていた。


ガーレンはガーラに目配せし、今日は自分の家に戻ると告げる。

食事前にした話は持ち出さず、いつも通りにおやすみを言ってガーレンは去り、クリシェはガーラと二人、軽い談笑をしながら食器の後片付けをし、寝るための毛布を準備する。

ガーラが泊まっていくことをクリシェは素直に喜んだ。

この辺りは時期を問わず夜が冷え込むため、寒がりなクリシェは暖かい抱き枕が欲しいのだった。


火を消し布団に入った後、ガーラが口にするのは昔のクリシェのことである。


年の頃は三歳程度か。

そんな幼い少女が街道側の森で倒れていたところをゴルカが見つけ、村へ連れて来たときには小さな騒ぎになった。

クリシェは三日寝込み、その看病はグレイスやゴルカが中心となって行ったものの、クリシェの容姿は子供の頃から人目を惹く。

特に銀のような美しい髪はこの辺りでは珍しい上、顔立ちも愛らしく、身につけている服も絹を使った上質なもの。


貴族の娘なのではないか。当然そのように考えられた。

貴族のお家騒動というのはこうした田舎村でも吟遊詩人を通じて伝えられ、一般的な認識になっている。クリシェはそうした身分の家から森へ捨てられたのではないか、と考えられていた。

匿うと面倒なことになるのではないかという話もあったが、かといって殺すことなど村の者達ができるはずもない。

一時的に預かり、もし引き取り手が現れるならば素直に渡すことを決め、子供に恵まれなかったゴルカとグレイスの下へ預けられることとなった。


クリシェの口にする言葉はいつも短くですます口調。

年齢に比べ彼女が聡い娘であることはわかったが、家の外にはほとんど出ず、慣れない環境に緊張している様子が見えた。

周囲の人間をただじっと眺めるクリシェは子供らしさをほとんど見せなかったし、物事に消極的。

グレイスはそんな彼女の手を引いては外へ連れだし村に慣れさせることにし、しばらくはグレイスの後ろをちょこちょことついて回るクリシェの姿は村の名物となっていたのだと、ガーラは懐かしむように笑って語る。


彼女はそうして一時的な預かり手から親代わりとなり、母となる。

グレイスは、クリシェに様々なことを教え、我が子として可愛がった。

次第にその聡明さを見せていくクリシェの姿はそんな彼女の期待に応えるものであり、子供を願っていたグレイスとゴルカは、クリシェと出会ったことは運命だと考えていた。

意外と食いしん坊で、夜になると毛布の中でくっつきたがる甘えたがりな様子はグレイスの口から村に伝えられ、次第に広まる。


そんな昔話を思い出すように、一つ一つ、ガーラは懐かしむように語った。


クリシェはそれを聞いて赤面する。

お手伝いで駄賃に甘味をもらいはじめた時期には既に、クリシェが食いしん坊であると村中に伝わっていたということにである。

甘味をもらうためにお手伝いをしていたのを、分かった上でクリシェに甘味を与えてくれていたというのだから、羞恥を覚えるのも当然であった。


そんなクリシェに構わず、ガーラは続けた。

クリシェのことを話し終えると、次はグレイスとゴルカのことも含め。


グレイスは昔から明るく気立ての良い娘であったこと。

若い頃はゴルカに惚れていたガーラであるが、妹分のグレイスに取られて一時期一方的に敵視していたこと。グレイスの裏表ない優しさに、自分を改め祝福したこと。そんな自身を好いてくれる男がいて、そんな男と結ばれたこと。

そんな夫を早くに失い、そしてすぐに子供をも失い、失意の中をクリシェとグレイスに助けられたこと。

ガーラも当初はクリシェを引き取ることをよしとしなかったものの、今では何よりも良かったと心の底から思っていること。


「もしこの村に残りたいってクリシェちゃんが言うなら、おばさんは、グレイス達の代わりにクリシェちゃんを守る気でいる。うちの娘だ、ってね。おばさんはそうして欲しいと思うし、本当は街に行くことなんて反対だ」


子供をクリシェに殺されたことを知らず、そしてこれから先も知ることのないガーラは、ただ、愛情を持ってクリシェに告げる。

彼女の中でクリシェへの愛情は確かなもので、クリシェが自身の罪を正直に伝えたところで、彼女にとって都合の良い解釈をし、それを不幸の重なった事故だと受け止めるだろう。


――仕返しの結果事故が起き、殺してしまったことを悔いているのだ、と。

ガーラはそれほどまでにクリシェを信頼し、愛していた。

どこまでも滑稽で、しかしそれはある意味とても幸せなことだとも言えるだろう。


ぬくぬくとガーラの熱を奪いながら、そんな彼女の話をぼんやりとクリシェは聞いた。

葬儀の日は一緒に寝たものの、その後は独り寝である。

久しぶりに快適な睡眠が得られそうだと満足し、頬を緩める。


そしてそんなガーラに愛情を向けられることで、クリシェの内面に僅かな疑問が生じていた。

その後クリシェの人間性に大きな影響を与えるような、そんな疑問。

とはいえ、このときはごく些細なものであった。


「……でも、それはクリシェちゃんのためにならないとも思うんだ。クリシェちゃんは頭がいいし、学べる環境があれば、色んな未来が拓けるだろう」

「色んな未来……」

「そう。どれも幸せな未来だ。クリシェちゃんはどうしてグレイスがクリシェって名付けたか、知ってるかい?」

「……はい。少し前に聞きました」


ガーラは満足げに頷き、苦笑する。


「自分がプロポーズされて一番幸せだった夜の、そんな月にちなんで。馬鹿っぽい理由だって思うかも知れないが、でも、そんなグレイスの幸せが全部、クリシェちゃんの名前には詰まってるんだ。クリシェちゃんにもおんなじ幸せが来るように、ってね」

「……来るでしょうか?」


泣いたり笑ったり、小さな事でも大袈裟で、理性的とは対極だろう。

けれどいつも幸せそうなグレイスを思い出し――自分がああなる姿は想像できず。

クリシェは困ったように首を傾げた。


「来るとも、きっと。クリシェちゃんなら絶対だって、そう言い切ったっていい」


そんなクリシェに力強く。

ガーラは目を見てそう告げた。


「今の村で、ずっと生活をしていくよりも、色々なものを見て、感じて、そうした方がクリシェちゃんのためになる。そこでならここよりもっと、幸せになれるだろう。……街はずっと煌びやかで、クリシェちゃんが見たこともないようなものが沢山あるからね」

「見たこともない……?」

「そう、お洋服にしたって家にしたって、食べ物も何もかもだ」


――食べ物。

クリシェの頭に犬の耳があったならば、ぴくりと立ち上がっていたに違いない。

街がどんなものなのか、クリシェにはいまいちわからなかったが、とりあえず大きい村のようなものなのだろう。

問題とすれば――


「……でも、おばさんにオーブン、借りられなくなっちゃいます」


家からとっても近いのに。

ガーラは呆気に取られた顔になり、くしゃ、と顔を歪めてクリシェをぎゅっと抱きしめた。


「お、おばさん……?」

「っ……大丈夫だよ、随分立派なお家らしいから、オーブンくらいおばさんちより立派な奴があるだろうさ」


なるほど、と思いながらも、ぎゅう、と締め付けてくるガーラに告げる。


「くるし、です……っ」

「あ、ああ……ごめんよ」


震えた声で言って、緩め、クリシェの頭を撫でた。


「……心配しなくていいんだ。クリシェちゃんなら、どこでだってやっていける。グレイスやゴルカ……あたしにとっても、あんたは自慢の娘なんだから。今まで通りやっていけば、クリシェはきっと向こうでだって受け入れられる。……あたしは、そう思うよ」


涙を滲ませた震えた声で、しかししっかりと。

ガーラはそれから何も口にすることはなく、クリシェもまた、何も言わず体をガーラに押しつけた。

話の終わりを感じ取って、寝るための準備に入ったのだった。


彼女はすぐに寝息を立て始め。

そんなクリシェを、ガーラはただただ抱きしめ続けた。

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