第4話 崩壊

朝食は冷めたカボチャパイ。

完璧であったはずのパイは冷えて固まり、もそもそとした食感になっていた。

そのことで突発性の鬱を患っていたクリシェは、グレイスやガーラに慰められながらそれを消化する。

ゴルカとガーレンはおらず、村にもいつもの騒々しさはなかった。


――賊を撃退できた。

あくまで撃退。敵の首領を討ち取ったわけでも壊滅させたわけでもない。

となれば二度目の夜襲を掛けてくることは容易に予想ができ、村は厳戒態勢。

クリシェは日課となっている川での水浴びを二人に止められ泣く泣く断念し、水桶の水で体を拭ってもらうと、生活用水を持ってくるため手桶を手に広場へ来ていた。

いつもは川から水浴びついでに持ってくるのであるが、川に行けないとなれば最寄りの井戸はそことなる。


広場には男たちが集まっていた。

どうにも村の防衛について話しているらしい。

そこには商人と護衛の四人も混ざっていたが、丁稚の男は姿が見えなかった。

商人は真剣な話し合いの最中クリシェを見つけると近寄り、大丈夫だったか、と笑顔を浮かべる。


「……おはようございます。今日発つのですか?」

「はは、悪い冗談だ。近くに賊がいるのにのうのうと街道に出る事なんて出来ないよ。……君の家は森の方か」


答えない。

悪意に対しては鈍感なクリシェであっても、流石にこの男が今回の賊をけしかけた張本人だということはわかっている。

カボチャのスープを台無しにされたクリシェとしては痛めつけてから殺してやりたい相手であったが、人目があるのが問題であった。


自然にどこかへ連れ出すにしろ、森の中には仲間がいるのだろう。

何度か茂みから人の視線を感じたため邪魔が入る公算も高く、騒がれては面倒。

殺すのは容易いとはいえ、複数人相手となると多少手間取る上、堂々と殺人を犯せばその後のクリシェの評価に関わってくる。

クリシェは仕方なく諦めると口を開いた。


「折角もらったカボチャでスープとパイを作ったのに、おかげでクリシェ、食べ損ねてしまいました」

「賊が来たというのに、随分気丈なお嬢さんだ」


商人は楽しそうに笑い、懐から袋を取り出しクリシェに手渡す。


「それは残念だった……代わりにこれを持って行くといい」


中には昨日のキャンディがいくつか入っているらしい。

こう言えば何かくれるのではないか、そんな期待半分程度の言葉。

その目論見は成功したらしく、損益を多少補填できたことにクリシェは心中で喜んだ。


「いいんですか?」


人から何かをもらう際にはせめて一度は遠慮しなさい、というのがグレイスの教えである。

もらうことを前提としながらもその通りに遠慮をしてみせると、商人は笑って頷く。


「あぁ、いいとも」


失われたカボチャともらったキャンディを頭の中で天秤に掛け、しかしややカボチャが重い。

あのスープとパイは傑作だったのである。

それを台無しにした罪は重く――とはいえこのキャンディも中々のもの。

殺すときはなるべく痛くないようにしてやろうと考えなおしながら、視線を周囲にやる。

ゴルカとガーレンはザール達と共に、男達の中心となって話し合いに参加しているため今は話せそうになかった。


「……しかし、男衆はこれだけか。塩の採掘で出払っている人達が戻ってくるまでには時間が掛かるという話……今日の晩は我々だけでなんとかしないとならんか」

「商人さんも戦うんですか?」

「私は自衛程度だが……あそこにいる護衛の四人は頼りになる。安心してくれていい、腕利きだからね」


護衛の四人も、話し合いの主体となっている。

元兵士の連中はともかく、残っているのは単なる狩人と職人だけ。

戦いについてよく知る傭兵は頼りになる存在として扱われているらしく、そこでようやく諸々のことが繋がる。


「お付きの人が見えないですけれど、もしかして……その」

「ああ……混乱して昨晩、逃げだしてしまったんだ。上手く生き延びていれば良いが」


あの丁稚が連絡係。恐らくは村の配置や構造を仲間に説明しているのだろう。

護衛の男は村の防衛に口を出し、こちらの動きを誘導する。

クリシェから見て男たちは上手くやっているようで、村人達はすっかり信じ込んでいるらしい。

都合良く現れた手練れの四人を村人達は受け入れているように見えた。


採掘の男たちが戻ってくるまでには村のものを根こそぎ奪って片をつけたい。

そう考えるのは妥当で、今晩本格的な夜襲を掛けてくるだろうとクリシェはぼんやり認識する。

となれば今日またカボチャのスープを作っても台無しにされる可能性があった。


――クリシェはすごく、カボチャが食べたい気分なのに。

不愉快極まりないと不満が心中でくるくると渦巻いた。


「ああ、すまないね。お使いの途中か。貸してご覧、私が汲もう」


クリシェから桶を受け取り井戸の滑車を回す男を見ながら、クリシェはどうしたものかと考えた。





昼に襲撃がある可能性もあるため、貴重なカボチャは使えない。

クリシェは仕方なくカボチャを温存することに決め、棚の上に大事に飾ると、いつものように食べ慣れた塩漬け肉と芋のスープを作った。

そしてパンとスープを口にしながら、帰ってきたゴルカとガーレンの話を聞く。


殺されたのは十七人。攫われた女が二人。

対して殺した賊の数は三人ほど。

三百人程度の村であるが戦える男の半数が採掘でいないため、こちらの戦力は気概のある女子供も含めてせいぜい六十人。


昨晩の夜襲の際は少なくとも二十人程度の賊が確認できたという。

見たものの話では大して物を取ることもなく、仲間が殺されたことで慌てて逃げだしたとのこと。

様子見だろうとザールは考え、四十程度はいるのではないかと語っていたそうだ。


分断され各個撃破されるのは不味いと商人の傭兵が言い、ザールもまたそれに頷いて、他の者達も同調した。

結果として女子供は集落中央の倉庫に集まり、男たちはそこを中心とした防御網を敷くという形で話がついたらしい。


日常的に弓を使う狩人の技量は高い。

狩人出身は軍に行けば即弓兵として歓迎されるくらいで、軍に入って一月足らずで弓の訓練教官となったという話などは比較的よく聞くことで、事前に心構えさえあれば狩人の弓は十分に賊へ対抗する戦力となり得る。

彼等を用いた防衛戦術という意味では実に真っ当であった。


とはいえそれは賊の狙い通りだろう、とクリシェは考える。

売り物となる女を倉庫に纏めて回収する。そうすれば取りこぼしはない。

四人の男と商人は機を見て賊へと変貌し、村人達を混乱に陥れる。

統制の利かなくなった素人集団と賊であれば、軍配があがるのは間違いなく賊だった。


話を聞き終え、食事にある程度満足したクリシェはぬるめの白湯を啜って一息をつき。

それからゴルカを見て口を開いた。


「とうさま」

「どうした? クリシェ」

「クリシェ、あの商人さんと護衛の人達は信用できないと思います」


クリシェの言葉に空気が固まる。

ガーレンとゴルカは少し考える風で、ガーラとグレイスは驚いたようにクリシェを見た。


「クリシェちゃん、もしかして何かされたのかい……?」

「いいえ。ただ……」


クリシェはカボチャの件について語る。

その時はあまり気にしなかったものの、今となってはあれが怪しい。

もしかするといつも来ている商人を手に掛け、商人の皮を被ってこの村に紛れ込んだのではないか。クリシェが語ったのはそういう内容である。


子供のクリシェがあの会議で大っぴらにそれを伝えても、その意見が取り入れられることはない。

クリシェは男衆にそれほど好かれているとは思っていないし、混乱を招く恐れもある。

そう考えた結果、話を聞いてくれそうな二人にだけ伝えることにしたのだった。

クリシェが話し終えると、ゴルカが真剣な目で尋ねる。


「クリシェ。本当に、同じものを見たというのは確かか?」

「はい。偶然そっくりなカボチャがあったというのでなければ。でも、そんな偶然に悪い人達が来るという偶然が重なるのは不思議です」

「……そう、か」


ガーレンとゴルカは顔を見合わせた。

あまりに話が上手く行きすぎている。

その事にガーレンは不審を覚えゴルカと信用できる数人に伝えていた。

だからこそクリシェの言葉は重く、二人は懸念を強める。


「わしらも少し出来すぎているとは怪しんでおった。ありがとうクリシェ」

「……いえ。どうするのですか?」

「信頼できるものに伝え、監視する。どうあれお前達を一ヶ所に固めるというのは悪くない案だ。……大丈夫、なんとしてもわしらが守るから安心なさい」

「はい、おじいさま」


クリシェは頷き、棚に飾られたカボチャを見る。

その味を想像すれば、カボチャはきらきらと光り輝くようであった。

早く終わらせて昨日食べ損ねたスープとパイを食べたい。

クリシェの頭にあるのはそれくらいである。


「昨日はクリシェ、カボチャのスープ食べ損ねてしまいました。パイも冷えてしまって……全部終わったら、また作ってもいいですか?」

「ああ、いいとも。これは死ねなくなったぞゴルカ」

「本当に。……ガーラ、クリシェとグレイスを頼めるか?」

「もちろん、任せな」


そう言ってクリシェを撫でた。


「おばさんもその時は招待してもらっていいかい?」

「はい、クリシェ、おばさんの感想も聞きたいですから。オーブンまたお借りしてもいいですか?」

「いいとも。……グレイス、何泣いてんだい」

「ご、ごめ、なさい……ちょっと」


グレイスは目もとを拭い、クリシェに抱きつく。

柔らかく温かい。グレイスの感触はいつも心地良い。


「……終わったら……ちゃんと、みんなで食べましょ」

「はい、かあさま」


更にゴルカが上からクリシェとグレイスを抱きしめた。

むぎゅ、と押し潰されたクリシェはうぅ、と苦しげに唸り、ゴルカは笑う。


「安心しろ。必ず、俺たちが守る」


そして力強くそう言った。








集まった倉庫の中は思っていたほど退屈ではない。

いるのは女と子供。

女子供には人気が高いクリシェは退屈どころかむしろ忙しかった。


「はい、ちゃんと分けてくださいね」


クリシェは倉庫にあった果物を切り分け子供達に配っていく。

倉庫には多くの食料。

肉の類は別の場所に保管されているが、農作物の類はここに置かれ、多少日持ちのする果物などもここに保存されていた。


入ってすぐに、なんとかしてこの果物を食べられないものかとクリシェは考えた。

素直に言えば食べさせてくれるだろう。

しかしクリシェの美意識がその邪魔をして、自分からそれを言い出すことが出来ずにいた。

どうやって食べれば良いものかと考えている内に、閉じ込められていることに子供達が愚図りだし――天啓を得たクリシェはそれを大義名分として果物を食べることを提案。

女達も同意見であったらしく、浪費しても大きな問題にならない倉庫の果物を子供達に与えることになった。


周囲の果実はよりどりみどり。

クリシェはすぐに腹が減る割りに、胃袋はそれほど大きくない。

どれもこれも食べるとすぐに腹がふくれてしまうことを懸念したクリシェは考え、更なる天啓を得た結果、率先して自分が果物を切り分け配るという手段に出た。


「もう、取り合いしちゃ駄目ですよ。順番です。ちゃんとルールを守らない悪い子には果物あげませんからね」


実に自然な流れであるとクリシェはそそくさと果物を切り分け配り始める。

そして切り分けたうちの一部をこっそり自分で食べる算段であったが、予想外な点が一つ。

腹を空かせた雛鳥の如き子供の群れ。

彼等の消費する量に皮剥きが追いつかないのだった。


「ねーちゃん俺も、まだ一個しかもらってない」

「キッダはもう二つ食べたでしょ! クリシェおねーさん、次わたしの番!」

「え、えと……ちょっと待ってくださいね」


クリシェについて先入観を持たない子供達にとって、クリシェは憧れの綺麗なお姉さんであり、当然ながら他の者よりクリシェから果物をもらいたがるのだった。

せっせと皮を剥いていきながらも目論見外れ、しばらく果物を口に出来ないクリシェ。

果物にありつけると考えていたクリシェの胃袋は空腹を訴えていた。


「ふふ、大人気ねぇ。クリシェちゃん、ほら、あーん」

「あ……えへへ」


それを見かねた周囲の女が苦笑しながらクリシェの口に切り分けた果実を与えていく。


彼女が意外に食いしん坊であることはガーラやグレイスによって知れ渡っている。

彼女の中では完璧な建前など、彼女らにとってはあってないようなもので、くすくすと笑いながらクリシェに餌付けを行なっていた。

それを知らず自分への供給が満たされたクリシェは上機嫌に、そうして皮を剥く機械へと変化する。


いつも通りのクリシェの姿に暗い顔だった女達も笑顔になり、色々な話に花を咲かせ始める。

話題の中心にクリシェがあり、彼女はそうと気付かないまま女たちの中心にいた。


「クリシェちゃんは好きな相手はいないのかね? どうなんだい?」


そうして話題を振られることもしばしばで、それにクリシェは一々答える。

好意を維持することはクリシェにとって利益が大きい。

答えることを期待されていることを肌で感じ取れば、答えざるを得ないのだった。


「好き……」


首を傾げて、少し考え込む。

好意とは何かというのはクリシェにとって実に悩ましい命題であった。

クリシェの根本にあるのはやはり、利益と不利益を中心とした経済的な感覚でしかないからだ。


不利益よりも利益をもたらす人間が好かれる。

相手の利益のために多少の苦労を進んでしてくれる人間が好意を持たれ、逆に利益を受け取るばかりで苦労をしない人間が嫌われる。

クリシェの認識する好悪とはそういうもの。そのように物事を考えるクリシェにとって、こうした質問は範囲が広すぎて要点がわかりにくいのだった。


「えーと、おばさんたちのことはとても好きですよ」

「ああ、そう言うんじゃなくて……男だよ、男」

「男……あ、クリシェはとうさまとおじいさまも、とても好きです」


聞いた女は呆れたように頭を抱え、周囲の女達は呵々大笑。

グレイスは少し恥ずかしそうにしながら、クリシェの体を抱きしめる。


「もうっ、この子をからかわないでください。クリシェにはまだそういうのは早いんですから……」

「そういうお前はクリシェくらいの歳にはゴルカに纏わり付いてただろうに」

「わ、わたしをからかうのもだめですっ!」


笑い合う女達を見ながら回答に満足がいったのかと首を傾げ、クリシェは再び皮むき作業に戻る。

そんなクリシェの口に切り分けた果実を押し込みながら、ガーラは楽しげに笑った。


「ほんと、クリシェちゃんの旦那はどんな相手になるのか。あたしゃクリシェちゃんを独り占めにしようって野郎が出てきたら殴っちまいそうだよ」


また笑いが起き、クリシェは気にせぬまま与えられたリンゴを咀嚼。

酸味と甘みが口の中で広がり、クリシェにとって実に幸福な時間。


賊が来るまでそうしてクリシェは時を過ごし――夜襲は日が落ちてからしばらくしてのこと。


消え入りそうな月が夜空に浮かび、村のあちこちで篝火が焚かれていた。

賊が手にして家に火を付けるだろうことは予想できたが、弓を使う以上は視界が効かねば話にならない。

いくら一流の射手とは言え、暗がりを動き回る相手を仕留められるものなどそうはいない。


中央で指揮を執るのはザール。

ゴルカとガーレンはそれぞれ弓隊のリーダーとして屋根に陣取る形となっていた。

襲撃に鐘が鳴り響き、ゴルカは屋根からクリシェ達がいる倉庫へと目を向け、一瞬目を閉じ拳を握る。

そして隣を見た。


「サルバ、いいか?」

「当たり前だ」


同じ屋根には信頼できる親友サルバと、二人の裏手にはもう一人。


「ガド! お前はどうだ」

「誰に聞いてやがるゴルカ。俺がへまするとでも思ってるのか?」

「いいや。お前の腕は昔からよく知っているからな。裏手の警戒は任せるぞ」

「ああ」


酒癖の悪い乱暴者だが、腕の良いガドが陣取る。


「上手く行ったら、今度酒を奢るよ」

「は。お前にしちゃ珍しい誘いじゃねぇか。仕事次第じゃグレイスの胸くらいは揉ませてくれそうだな」

「馬鹿を言うな、全く。お前が言うと冗談にも聞こえん」


苦笑すると続ける。


「それほど多くは無いと思うが、そっちに回ってくるようなら声を掛けてくれ」

「ああ。俺より自分の心配をしろよ。鐘はもう鳴ってるぞ」

「わかってる」


答えて前に集中する。

ガーレンの側に比べ射手の数は少ないが、その分腕利きが揃っている。

下で剣を構える男達はこちらの方が数が多く、戦力のバランスは良かった。

問題はないとゴルカは弓を構えた。


想定通り賊は四十を超えていたが、他の屋根に乗る仲間にも指示を送る。

自らも弓を取ることで既に十人ほどの賊を仕留めていた。


ここに布陣するのは皆一流の狩人達。

走り回る獣を相手とする彼等にとって、人を狙うことへの――殺人への忌避感さえどうにかすれば、人間を射抜くことはそれほど難しいことではなかった。


幸い彼等は肉を貫く感触を直接味わうことがなかったし、村と家族を守るため、そういう気持ちがあればその忌避感も押し込めることが出来る。

剣を持って賊を相手にしないといけない者がいることを考えれば、怖いから、などという理由で矢を放たぬなどあってはならないことであった。


下で命を賭けるのは彼等のよく知る知人や友人。

そんな村社会だからこそ、素人集団であってもいくらかの統制が取れた行動を取ることが出来ていた。

声を張り上げ続け、緊張で口の中は渇き、張り付くよう。

獣ではなく人を射抜くことへの強いストレスに晒されながら、それでもゴルカは賢明に全体の指揮を執る。

声を掛けたのはサルバだった。


「……ゴルカ、やはりおかしい」


傭兵の男と商人は二人と三人で別れ、商人を含めた三人が倉庫から南東に位置するこの場所の一区画を担当する。

だが他の区画は多くの被害が出始めているにも関わらず、彼等だけは大した戦闘を行っていなかった。

剣を打ち合うことはあっても、賊の方から逃げていくのだった。


「間違いなくクロだ。……やろう」


現状は優勢であるが、あの男たちが裏切れば途端に状況はひっくり返る。

サルバの言葉に半ば同意しながらも、やはり躊躇があった。

賊であればこそ、ゴルカ達はその矢を放つことが出来る。

しかし、もしそうでなかったならば――


迷いは一瞬だった。

別れ際のクリシェの言葉を思い出し、覚悟を決める。


「……わかった。サルバ、お前は左の傭兵をやれ」

「お前はどうする?」

「俺は商人に扮した奴を狙う。賊であるならば、恐らくそいつがリーダーだ」


サルバは了解、と笑い、ゴルカはしくじるなよ、と一言告げる。


「ああ、鹿を狙うよりゃやりやす――、う、ぐっ!?」

「っ……!?」


くぐもった声に振り返る。

左後ろにいたサルバの胸から、剣が突き出ていた。

何が、と思う間もなく、ゴルカの胸――その筋肉の内側に冷たいものが入ってくる。


「が、ぁど……な、ぜ……?」

「おっと、喋れるのか、へへ……」


体ごとぶつかるように、ゴルカに短刀を突き刺したガドはにやけた声で告げる。


「実は話を持ちかけられてよ。この村のしみったれた生活には嫌気がさしてたから……まぁ、渡りに船ってこった」

「が、ど……」

「安心しろ、酒は奢ってもらわなくて結構だが、てめぇのグレイスはたっぷり俺が可愛がってやるよ。あんなそそる女、街にだってそうはいねぇからな……気味の悪いあのガキも見てくれはそうはお目に掛からねぇ上玉だ、きっと高く売れるぜ」

「っ、ぁ――っ!?」


声にならない声を吐き出し、憎悪のまま拳を振るおうとしたゴルカを、まるで屠殺でもするように短刀をひねってトドメを刺す。


そして持っていた石で、商人――賊の頭領へ合図を送った。






「……妙だ」


それからしばらくして、ガーレンが目にしたのはゴルカの守る南東の混乱であった。


ゴルカがしくじったか、しかし中々考えにくいことだった。

ゴルカの腕はガーレンもよく知る。

でなければ最愛の娘を嫁がせようなどと思わない。


この男ならばと娘を預けた男なのだった。

そのゴルカがありながら、あちらには異変が起きている。

あるいは、ゴルカでも対応出来ない別の事態が起きたか。


それは戦場に身を置いた者の直感というべきものだった。


ガーレンは咄嗟に体を捻り、背後の気配に振り返る。

そして剣を構えた裏切り者のみぞおちに、鍛えられた拳を叩きこんだ。


生き死にの境を何度もくぐり抜け、一時は百人隊長にまで昇り詰めたガーレン。

その体は老いてなお戦場の緊張を忘れない。

カエルの潰れたような声と共に男が蹲り、そういうことかとガーレンは唇を噛んだ。


――であれば、間違いなくクロだ。

敵の少なさで傭兵が敵か味方か、判断をつけかねていたガーレンは冷えた思考で決めつけた。

話を聞く余裕はない。短刀を蹲る男の背に突き立てた。

同じ村の住人であり、何度か酒を飲み交わしたこともある。

しかしガーレンは地獄のような戦場に長く身を置いた者。

身につけた非情さを剥き出しにすると、短刀をひねり男を完全な死体に変え、弓を掴みなおした。


矢を番えて引き絞り、そこに躊躇はなかった。

傭兵の背に矢を放つと同時、屋根から飛び降り腰の剣を引き抜く。

老いた体は衝撃に軋んだが、無視した。

倒れて苦しみ悶える傭兵――狙いはそれを見て混乱したもう一人。

男を捉えると目を細め、相手が混乱から立ち直る前に素早く間合いを詰める。


袈裟に振り下ろされるは荒々しい戦場の剣。

それは賊の片割れの肩から骨を断ち、容易くそれを物言わぬ死体へと変える。

そして矢が突き立ち、倒れ悶える男の心臓へ正確に剣を突き立て、トドメを刺した。

ガーレンの顔には炎が如き憤怒と、氷のような冷酷さが入り混じっていた。


周囲の屋根にいた男たちが何事かとガーレンを見る。


「商人達は賊と通じておる!! 村のものにも裏切り者が出た! 恐らくゴルカ達の方はそれで混乱しておる、お前達はここを固守しろ。わしはあちらへ向かう! アラン、ディック、お前達は来い!」


呼ばれた二人が降り立ち、ガーレンに追従する。

裏切り者が多いとは思えない。

とはいえ、不安を抱えたまま戦うよりは信頼できるものだけを伴ったほうが良い。

数の不安はあったものの、これが最善。

事前に話を通していた二人を見て頷くと、ガーレンは駆けだす。


しかし崩壊した南東側から押し寄せた集団は、ガーレンよりも早く倉庫の前にまで流れ込んでいた。


元より彼等が知るのは手慰み程度の剣。

従軍経験があるものであればいざ知らず、訓練を付けたとはいえ大半は単なる村人なのだ。

崩壊し、統制が取れなくなれば烏合の衆へと成り下がる。


「……ゴルカが」

「ええ、ゴルカさんが」


中央で指揮を執っていたザールはゴルカが殺されたという言葉に衝撃を受け、建て直すためにはどうするべきか、その老いた体で唯一衰えのない頭脳を回転させる。


――防御正面を更に縮小するほかない。

戦を知らず人を殺し慣れない村人の士気を維持するためには、団結が必要だった。

男たちを集めるため声を張り上げようとし、


「だからまぁ、爺さんも諦めて一緒に休んでおくといい」


しかし口から漏れたのは、空気の漏れるような音。

逃げて来た一人――商人の皮を剥ぎ取った男の顔に浮かぶは悪意に満ちた笑み。


周囲の男たちも一瞬、何が起きたか理解が出来なかった。

味方だと思っていた男が、自分達のリーダーの脇腹にナイフを突き立てていたのだから。

膝から崩れ落ちるザール。

そして周囲の男たちも傭兵たちと裏切り者の刃に斬られ、貫かれて絶命する。


ようやく混乱から逃げ延びた男たちはその光景に悲鳴を上げ、自分達に逃げ場がないことを知り。

統制が利かなくなった男たちは一人一人殺され、辺りは一瞬で血に染まった。


「よぉし、こんなもんか。右手はまだ生きてるぞ、警戒は怠るな」

「へへ、お頭、お楽しみの時間ですか……?」

「どんなに早くても採掘の男たちが帰ってくるのは明日の日暮れだって話だ。ある程度落ち着けば、今夜はお楽しみだな……おい、開けろ」


ハンマーを持って来た男に商人――賊の頭領は告げる。

内側には物が積み上げられていたものの、こうなっては時間の問題だった。

元々単なる倉庫である。

扉は頑丈な造りであったが、所詮は倉庫の扉。

ハンマーが振り抜かれる度その扉に穴が空き、ひしゃげ――その度に女と子供の悲鳴が響いた。


最後の一振りで扉が完全に崩れ落ちると、飛び出したのは数名の女。

恐怖のあまり逃げだそうとした女は残らず捕らえられ、見せしめとばかりに剣で貫かれ、あるいは頭蓋をハンマーで砕かれ絶命する。


――ただ悲鳴があった。


「大人しくしろ、わかるな? 大人しくいい子にしてるなら殺しはしないさ。しかし抵抗するなら――」

「ひ、ぎぃあぁ……ッ!?」


賊の頭領は短刀で捕らえた女の指を切り落とす。

倉庫の中にいた者達は耳を塞ぎ、目を閉じた。


「抵抗した分だけ、痛めつけて殺してやる」


頬を吊り上げ、男の顔に浮かぶのはけだものの笑みだった。


「ゆっくり前に出るんだ。おかしな動きはするなよ」


怯えた子供が限界を迎えて逃げだし、殺される。

どこまでも冷酷だった。

女子供など関係なく、命令に反したものを容赦なく男たちは殺していく。


選択肢などなかった。

抱き合うようにしながら中にいたものは外に出て、広場の中央、井戸の前へと進んでいく。

そしてその中に一人の少女を見つけた賊の頭領は、笑いながら呼びかけた。


「おー、いたな。嬢ちゃん、こっちにきな」


悲劇にあって、銀の髪をした少女は無表情。

周囲を観察するように眺めながら、ゆっくりと男に目をやった。

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