満ちるを剪む

04号 専用機

満ちるを剪む

「いらっしゃいませ〜」

 今日も至福のひとときを楽しむべく、居酒屋に来た。

 ここには毎晩通い詰めてる。店員の幸原ユキハラ 摩季マキと会える事がささやかな楽しみだ。世間では食欲の秋などと言われてるが、俺にとって、今は居酒屋摩季の秋である。 

 俺は調薬師の細川ホソカワ 真貴マキ。退勤時間を迎えるや否や居酒屋に即直行。そんな毎日を送っている。この一時は秋に感じる寂しさに似合わず、ハイテンションである。

 席に着いてから気が付いた。もう一人見慣れない客が、摩季ちゃんと親しげに談笑している。俺とは真逆な性格の、見るからにデブなおっさんだ。

 気分はすっかり冷め、夏から秋に変わったかのようだ。

 側で少しやり取りを見ただけだが、なんとなく苦手だ。

 モヤモヤを抱えながら注文する。程なくして、摩季ちゃんがオーダー通り無限キャベツを作り、ラー油をかけ出した。しばらく様子を見ているが、止まる気配がない。ずっとかけ続けている。

 まるで秋の落ち葉のような色になってきている。見る見るうちにキャベツが紅葉していく。

「おいおい、そろそろ止めてくれよ」

 そう声をかける。

「もっと入れてくれな困るがな」

 しかし、何故かデブのおっさんが割り込んできた。 

 摩季ちゃんは俺の静止には見向きもせず、淡々と作業を続けた。

 出来上がりだ……。

「お待たせしました〜」

 そう言っておっさんに差し出した。そう、それはおっさんの分だった。

 一気に居づらくなり、俺は店を立ち去ろうとする。鶏南蛮を10人前注文した。ここの鶏南蛮は伝統の秘伝のタレがかかっていて美味い。職場への差し入れにしようと考えたのだ。「こちらでお召上がりですか?」

 俺の意思に反して、摩季ちゃんは、秋の満月のような笑みで聞いてきた。内心、そんなに食えるか、と思いつつ。

「実は……。小食なんや」

 そうカッコつけて答えた。

 するとおっさんが横から茶々を入れてきた。

「お前デブやん!」

「なんやとデブ!!」

 デブと言われるのは死ぬほど嫌いである。

 細身の人に言われるならまだ我慢できる、そうではないおっさんに言われるのとはまたわけが違う。

「お前に言われたないっ!」

 かぼちゃが破裂しそうなほどの勢いで啖呵を切り、店を後にした。

 しかめっ面で前を向き、勢いよく歩き出す。半ば走っているようなものだ。早く歩いてるせいか、肌寒さは感じない。むしろ、少し暑いぐらいだ。

 周りは、デブから細身の人まで多種多様だ。皆汗はかいていない。服を濡らしているのは自分ぐらいだ。

(なんで俺だけ汗かいてんねん……)

 不思議に思いながら家に戻った。


 疑問を解消する為、匿名掲示板を閲覧する。いくつか質問をぶつけるが、ここでも何故かデブ呼ばわりされる羽目になった。

(なんで皆俺をデブ扱いするんや!? こんなにイケてるのに!?)

 おっさん以外からもデブ呼ばわりされ、自分が自分でなくなるような感覚に陥る。そうして、不安になり、部屋の中を意味もなく物色しだす。

 洋服ダンスに仕舞われたままになっていたジャケットが目に入った。

 兄から貰ったオーダーメイドのジャケットだ。


(あの縮んでしもたジャケットか……)そういえばしばらく着ていない。(縮んだ……?)着ていないのに?(もしかして……)ありえないことだが、まさか。(俺がデカなったんか⁉) 


 ジャケットをじっと見る。明らかにボタンがとめられない。秋の満月のような腹が邪魔で、ボタンが届かない。

 素肌にジャケットの色を直接塗って、いかにもちゃんと着れているように見せようとした。このアイデアはボツ。

 同じようなジャケットを着て誤魔化すことも考えた。だが――


 1つだけ決定的な問題がある。


 オーダージャケットの胸ポケットには、極めて目立つ位置に刺繍が入れられているのだ。


 "by 真き男"と。


 "細川ホソカワ 真貴男マキオ"。兄の名前だ。

 刺繍を入れるなら自分の名前ぐらいちゃんと漢字で書け。というか胸ポケットに刺繍を入れる奴がどこにいる。しかも、生地とは明らかに違う色で。目立って仕方がない。

 実物のオーダージャケットを着ないと俺のカッコよさが際立たないのでこれもボツ。厄介な証拠を残してくれたものだ。

 途方にくれる。何も思いつかない。

 それにしても、俺はいつの間に太ったんだろう。

 今更ながらそんな疑問が浮かぶ。鏡の前に立つと、太った自分自身の姿が映っていた。


(何!? これが俺か!? こんなんで摩季ちゃんに告るんは無理やんけ⁉)


 その事実に恐れを抱くと、次第に息が荒くなっていく。鏡はだんだん曇っていった。


(このままやったらマズい……どないしよ⁉)


 摩季ちゃんに対する希望が揺らぐ。俺の計画では、そろそろOKをもらえる程度には好かれているはずだったのに。


(なんかええ方法はないんか……。せや! 痩せる薬作ったろ! 俺は天才の調薬師やで!)


 いつかの秋のドライブの最中に、ふと見上げた先にあった追い越し禁止を見た時に浮かんだカッコいい言い回し。凄くお気に入りの台詞だ。

 早速、自前の調合レシピを用いて、1ヶ月で痩せる薬の調合を画策する。やる気が湧き上がってきた。秋風が吹き荒れるようだ。


 調合するならやっぱり職場が最適だろう。時間帯は早朝がいい。その時間なら誰もいないはずだ。材料はあれとあれでいいか――小学生の時、頑固ジジイの家へ窓を割りに行った時を思い出す。いたずらを企むようなドキドキを胸に、俺は眠りについた。


 翌日。痩せ薬はそれほど時間をかけることなく調合できた。我ながら素晴らしい出来だ。気分は秋晴れのよう。 


 そろそろ同僚が出社してくる。差し入れを済ませ、調合した薬を飲んだ。しばらくすると、お腹が途端に緩くなって、慌てて御手洗に駆け込んだ。これで痩せられる。そんな希望を抱きながら。


 そこには惨状が広がっていた。


 職場の同僚複数人が列を成している。慌てて列の1番後ろに並んだが、まるで行楽シーズンの行列のようだ。動きが緩慢すぎる。耐えられない。意識が朦朧としてきた。明らかに限界が近い。側にある洗面台に覆い被さった。

 微かに個室のドアが開く。行けると思った次の瞬間、誰かが後ろから走って駆け込んだ。希望の扉は閉ざされた。ドアをバタンと閉めたのである。

 この苦しみから解放されると思ったのに――絶望の海に叩きつけられた。

 ドアに近づこうとするが脚が思うように動かない。一言文句を言いたいのに、よちよちとしか歩けない。ゆっくりドアに近づいた瞬間、入り口付近から声がした。


「細川さん! 調剤室の鍵を開けて下さい!」

「その前にここの鍵を開けてくれ!」


 思わず出た一言だった。

 なんとか両方の鍵を開けて済ませ、体重計に乗ったが、ミシッ、バキッと音を立てて動かなくなった。


 (全然痩せてへんやん……)


 壊れた体重計を見て、ひたすら落ち込んだ。

 結果。

 作った薬はただの下剤だった。

 余談だが、よく調合現場を見ると下剤の素が作業机一帯に拡がっていた。確か、そこには差し入れの品も置いてあったはずだ。状況からして、差し入れに下剤が混入した可能性が極めて高い。これでは、薬を故意に混ぜたと思われても無理はないだろう。


それから1ヶ月薬を飲み続けたが、その度に体重計は鈍い音を立てて動かなくなった。


(やっぱり楽して痩せるのは無理なんか……?)


 1ヶ月分の体重計代がかさむ虚しさ。それでも痩せない虚しさ。絶望。薬の効果なし。

 期待は枯葉のように虚しく散っていった。

 痩せるのに手っ取り早い方法はないと思い知る。薬に頼らずダイエットをするしかないと悟った。

 今度こそ王道の方法を模索する。空虚感に抗うように、そう決意した。

 とはいえ、人生で1度も地味な方法で成功した事がない俺にとっては、けっして容易な事ではない。食欲の秋と言って爆食いしていたから尚更である。


 心の木枯らしは未だに吹いていた。


 ある日、自宅で動画を漁っていると、とあるダイエットインフルエンサーの情報が流れてきた。

(こんなデブ体型でダイエットインフルエンサーやと?)

 あからさまなカボチャ腹だ。お世辞にも説得力があるとは言えない。

 痩せていない奴から痩せる方法を教えられても、説得力は皆無だろう。

 だが、この方法は他とは一線を画していた。

 やり方は至って単純。太る物を全て捨ててしまう。そして、睡眠時間を今まで以上に確保する。

 たったこれだけ。

 まさに目から鱗。確かに原因物質がなければ太らない。当たり前の事ほど忘れがちだ。次に睡眠時間。これが短いと食欲が増すらしい。意識していなかった。いつも異常な程に腹が減っているのはこれのせいか。


(確かに試した事ない……)とはいえ。(言ってる事も間違ってない気がする……。)とはいえ、だ。(言ってる本人が痩せてない。……ホンマに効果あるんか?)


 思わず疑ったが、結果が出ない以上、この手法を試すしかなかった。

 最初の1ヶ月は実感がなかったが、2ヶ月が経とうとした頃から、徐々に成果が出てきた。満月型の腹が見事に凹み、スラッとした理想の体型になっていった。


 痩せてみれば意外と簡単だった。今までの苦労はなんだったのだろう。まるで過ぎ去る秋の虚しさだ。同時に希望も出てきた。これからの季節を迎えるに相応しいと、胸を張って言える。

 今なら例のジャケットを着れる。摩季ちゃんに告白だってできる。拾ってきた秋の枯れ葉を折りたたみ、胸ポケットに被せ、その服の袖に腕を通した。

 縮んでいたジャケットは、それがまるで夢だったかのように、すんなりと俺のことを抱き締めて温める。

 心にじんわりと椛のような赤が差して柔らかな光が灯るかのようである。

 俺はこんなに感傷的だったのか。

 痩せたおかげか無駄なストレスはなく、いつも以上に頭が冴えている。その聡明な頭脳をもってして、あの居酒屋へ行こうと決めた。

 外への扉がいつもより重い。痩せた体はいつもより軽く、小鹿のように非力だ。

 なぜか足も震えてきた。

 別に怖いんじゃないぞ。誘惑に負けてリバウンドすることなんか怖くない。

 居酒屋の前にたどり着くまでそんな調子でいたものだから、俺はすっかり疲弊し、今日くらいは何か精のつくものを食べようと決めて、摩季ちゃんの元へ続く引き戸を開く。

「いらっしゃいませー」

 その声が、その内装が、飽きるほど知っている香りと音が、何もかも懐かしく感じる。

 帰ってきたのだ、愛する人のもとへ。

 今の俺はまさしく熟しきった果実。過酷なダイエットに耐え舞い戻ってきた、まさしく折れた大樹に芽吹いた新芽。

 不可能はない。そう思った。

「や、摩季ちゃん。久しいね」

「えーっと、えー……一名様ですね。そちらご予約の席となってまして……」

 申し訳なさそうな顔を見た瞬間、芽吹いたばかりの双葉は跡形もなく風に散り、頭の中には、三ヵ月間の燃えるようなダイエットの思い出が溢れだした。

「実は……それ俺なんや」と、なんとか絞りだしてから、摩季ちゃんが「えー⁉ 全然分からんかったー!」と返すまで一秒だって空いていないだろうが、俺にとって、気付かれなかったというその事実は一年よりはるかに長い孤独を感じさせた。

「頑張ったんやねぇ。カワちゃんどうしたん? なんで痩せてもうたん?」

「あ、や、え、わ……ワァ……!」

 しどろもどろになりながら、なんとか分かったのは、こんな風にまともに話すらできず、信じられない程に性悪でデブな自分こそ、摩季ちゃんにとっての俺なんだということ。


 俺はよく来るデブに過ぎず、あの日いきなりキレて以降来なくなった常連。その程度でしかなかった。思えば連絡先は知らないし、俺に向けたあの笑顔は全部営業スマイルか。

 でも事実として、彼女は俺が痩せたことに「頑張った」と理解を示してくれた。きっと彼女は俺に期待していたんだ。曇って見えなくなったお月様もなんかそう言ってる気がする。うん、きっとそうに違いない。

 彼女は痩せたことに驚いただけで、本当は俺が来たと気付いていたに決まっているし、あまりに変わった俺の格好良さに見惚れて言葉を失ってしまっただけだ。

 それだけこのジャケットは俺を引き立たせてくれるのだろう。生まれて初めて兄貴に感謝した。

 つまり、俺が悪かったのは痩せた理由を上手く話せなかったからだ。


 練習しなければならない。そう決めてからの行動は早く、帰宅するなり酔いが回った頭で片っ端からバラエティ番組を見た。

 まずは学ぶ。喋り方とその内容。使えそうなものはそのままパクって――いや、リスペクトしてしまおう。

 そういえば、職場でも自宅でもラジオを聴いている。いつもとは違って学ぶ姿勢で聴いてみるのもいいかもしれない。

 翌日になって、出社した時、その効果は早速現れた。

「おはよう! 今日も一日頑張るか! やる気、マンマンデー! って感じでな!」

「あ……おはようございます……」

 滑った。

 めちゃくちゃ滑った。

 同僚は気まずそうに傍を駆け抜けていく。

 この方法は良くなかったかもしれない。

 しばらくして、皆がそろった時に気付いた。朝礼を過ぎても誰も話しかけてくれない。それはそうかと思う。ここは仕事場なのだ。真面目に仕事をする以上、誰も自分から話し掛けては来ない。

 つまり、質問なりなんなりで話し掛けてきた時が勝負だ。

 そんなこんなで誰にも話し掛けられることなく、昼休みになった。

「あかん……あかんでしかし。誰も話し掛けてくれへん……俺そんなに怖いかな」

 調剤室で一人昼の準備を済ませていると、扉の向こうに人の気配を感じる。

 どうやら同僚が数人俺のことを見ているらしい。

 話しかけてこない原因を考えて、ふと思い浮かぶ。

 そういえば、あの時の謝罪がまだだった。

「悪かった」

「え」

「あの時は悪かった! でも意図的に下剤を混ぜたわけやない! というか下剤を作りたかったわけでもない! 俺は楽して痩せたかったんや!」

 空気が和らいだ。そして、同僚の一人が話しかけてくる。

「分かります、楽して痩せたいですよね」

 今だ! ここしかない! ここで話を膨らませずいつやるんだ!

「せやねん! しかも全然痩せへんくて! 皆あの後痩せれたん⁉」

 思えば、あの時に種は蒔かれたのだろう。それがようやく花を開いて実をつけて、熟しきったのが今なんだ。

 この後の時間はあっという間だった。

 まるで、最近の秋のように短く感じた。気が付いたら終業の時間だ。

 話が弾むと、こんなに職場は楽しいのか。

「なんや……俺、話せるやん」

 自信がついた。

 俺は来るべきその日まで、同じように、話す練習を続けた。


 十一月の三日。今日は金曜日だ。

 同僚からの誘いを断って、俺は居酒屋へ行くことに決めた。

 着ていくのはもちろんあのジャケットだ。

 高揚でもしているのか、全然寒くない。十一月の頭だというのに紅葉も全然進んでない。きっとまだまだ暖かい日は続くだろう。俺と摩季ちゃんのこれからのように。

 希望に満ち満ちて戸を引いた。

 席に案内されてからしばらく飲む。

 今は待つしかない。摩季ちゃんが忙しそうに調理しているのを見つめながら、機が熟すのを待つ。

 今日は客の引きが早い。あのデブのおっさんもいない。

 数人の客を見送った後、摩季ちゃんが話し掛けてきた。


「……なんか飲む? グラス空いてますけど」

「ああ、そうだね」


 狙っていた瞬間が来た。

 秋鮭を狙う熊のように、その一瞬を逃がさない。

「摩季ちゃん、今日は君と飲みたい気分や。この後一杯どう?」

「一杯もろてええの?」

「違うやん、そうやないやん、これから一緒に飲もうって話やん」

「いやや」

「なんで⁉ お、俺のこと嫌いなんか⁉」

 摩季ちゃんは心底不思議そうな顔をする。

「いや、好きとか嫌いとかやないよ、カワちゃんはお客さんやし。それに私予定あるし」

 摩季ちゃんは無慈悲だ。

 でも、ここで諦めるわけにはいかない。用意していたプランBだ。


「じゃあちょっと話を聞いてくれ。俺の主張を見ててくれ!」

「ラップでも始めたん?」


「俺が痩せられたんわ摩季ちゃん、君がここにいて、いつも俺に微笑んでくれたからなんや! 君の晴れ晴れとした笑顔に何度救われたか分からへん! 酔った時ですら、紅葉した椛みたいに綺麗やもん! 君のことを愛してんねん! めっちゃすっきゃねん!」


 どうだろう、プロの歌手顔負けのこの告白。一週間は考えた。きっとこれで堕ちない女はいない。

 さぁ摩季ちゃん、めくるめく紅葉スポット巡りを共に――


「ウチァな、デブが好きやねん」

「え」

「なんでお前痩せとんねん。あとなんやその胸のやつ」

 摩季ちゃんの目つきが突然厳しいものに変わり、俺の胸ポケットを指さした。

「どういうつもりやねん『ただしきおとこ』て。お前、ウチへの対応ことごとく間違えとるやんけ。恥ずかしいと思えよ」

「これってそう読むんか⁉」

「そんなことも知らん男とは付き合えん。というかまず彼氏おる」


 さっきまで晴れ渡っていた気分は急に土砂降りになった。秋雨でもこんなゲリラ豪雨みたいにはならないと思う。

「あと今日大事な日ィやし! 早上がりもろとるし! 帰りの邪魔せんといてくれるか!!」

 どういうことだ、何も分からない。あまりにも急なことで――困惑していると、外に停まった車から一人のおっさんが出てきた。


「摩季ちゃんお待たせ! 俺やで!」


 俺はそのおっさんを知っていた。かつて、俺のことをデブと罵ってきたもう一人の常連だ。

 摩季ちゃんの話しぶりから考えて、いやそんなまさか、そんなはずは。

「店長! 彼氏来たんで帰ります! 今日はありがとうございました! 明日もよろしくお願いします!」

「今日は付き合って一周年記念日やで~摩季ちゃん! 二人で楽しもうな!」

「うん! お願いな、ウッちゃん!」


 扉からの冷たい風に吹かれながら、二人は店を出ていった。

 嗚呼、なんてことだ。

「まぁ……とりあえず、座りぃや」

 優しげな視線で見つめる店長に促されるまま、なんとか注文を絞り出す。

「熱燗一つ」

 なんだかひどく冷える気がする。腹の底から温まりたい気分だ。

「おや珍しい」

 普段はしない注文を、普段はしない格好でする。まるで生まれ変わったようだけど、本当は、事実が明らかになっただけだ。そうまるで、葉の散った枝が、その姿を露わにしたように。

 ああ、そういえば。

「今日は……冷えますね……」

「そりゃ、暦の上じゃ、もう冬だからねぇ」


 今日は十一月の三日。暦の上では冬だ。

 俺の心に、冷たい木枯らしが吹いた。

 やけ酒にキツい熱燗をやりながら、身体もすっかり暖まり、だんだんと意識が朦朧としてきた。

 泥酔状態だ。まずい。仕事に差し支える。

 たしか、内ポケットに酔い覚ましの薬を忍ばせていたはずだ。自分で調合したから効果はお墨付き。すぐさま酔いは醒めるはず。

 水と一緒に飲んで、酔いが醒めるのを待つ。


 瓶には、いつか職場で惨状を巻き起こした薬のレシピと同じものが貼られていて、蓋には「キケン」と書いてあった。


「どうした? 兄ちゃん?」

「店長…… 俺の暦も冬みたいだ……」


 俺の体にも冷たい木枯らしが吹き荒れた。

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