夜明けの子供たち

日暮

夜明けの子供たち

 特別な日の朝は、いつもくすぐったい胸騒ぎと一緒に始まる。

 まだ、目が完全に覚めきる前、ぼんやりした意識で私は今回もまた、ああ、くすぐったいなあって、そう思った。

 うう、起きなきゃいけない。でも、どんなに楽しみな予定があったとしても、冬の朝は同じくらい布団から離れがたい………。

 そんな葛藤も、昨日の夜枕元に置いておいた目覚まし時計の音で吹き飛んでいった。きっと目覚まし時計も久しぶりの活躍に張り切ったんだ。

 その音に気付いたママが部屋に顔をのぞかせる。

「おはよう。美来。もう時間よ」

「ううん…おはよぅ………」

「まだ眠そうだけど、大丈夫なの?」

 くすりと笑いながらママに言われてしまった。起きるもん。

 時間は朝の4時半。いつもの私だとこの時間に起きるのは考えられない。でも今日は特別。

 顔を洗って髪をとかして、家の中だけですでに凍りつくような寒さに負けないぐらいの厚着をして、よし。準備万端。

「あら、ほんとに行くんだねぇ」

「おはよう、おばあちゃん」

「子供はいいねえ。元気で」

「ふふ。そうね。今のうちに楽しんでいらっしゃい」

 ママとおばあちゃんはそう言ってくれるけど、私は少しモヤっとした。

 ママたちはよく「子供だから」「今のうちに」って言う。

 でも、大人が大変そうなのは本当。ママたちは、今日だって早起きして家族のためにおしるこやお雑煮を作ってくれる。パパは家族のために毎日のように遅くまで仕事してくれている。

 私もいつか………。

 いけない、今はこれからのことに集中しよう。

「行ってきまーす」

 ママたちに見送られながら家を出ると、前日に降っていた雪は止んでいて、足元に薄く積もっていた。近くの小山のふもと目指してまだ暗い街を駆け抜ける。道路の雪は踏みしめるたびにザクザクと小気味いい音を立て、とり囲む空気は、きゅうと冷たいけどまっさらな感触がした。

 今日は、一月一日。一年の始まりの日。

 いつもの遊び友達と一緒に、初日の出を見に行く約束をした日。

 いつもと違う時間。いつもと違う街の景色。

 ちょっとした冒険をしてるみたいで、私の胸は期待でいっぱいだった。

 

「おーい。こっちだこっち〜。おはよー」

 待ち合わせ場所に着くと、私以外の4人はもう全員集まっていて、その中でひときわ背が高くがっしりした少年が手を振ってくれた。けんちゃんだ。

「おはよう!みんな」

「おはよー!」

 そう返しながら私に抱きついてくるのは、梨子ちゃん。さっぱりした子で、私と違って男子ともふざけ合ったり言い合ったりできる子だ。

 残りの2人、きいさんとこう君もそれぞれ手を上げて「おう」とあいさつしてくれたり、「おはよう」と優しく微笑んだりしてくれる。

 ちょっとぶっきらぼうだけど意外と怖がりだったり、可愛い一面もあるきいさんは彼1人だけ年上で、六年生だ。学年は違うけど、けんちゃんと同じ地区だったよしみで私たちのグループとも混ざって遊ぶことが多かった。

 こう君はいつも穏やかでとても頭のいい男の子だ。いつも塾で忙しくて、最近は全然遊べていなかったけど、今日は珍しく一緒に行けるみたい。

「全員揃ったな!よし、行こうぜ!」

 けんちゃんの一声で私たちは山を登り始めた。

 近所にある小山で、私たちでもその気になれば全然てっぺんまで行けるんだけど、今日は雪に足を取られて少し危ない。

「おーい、大丈夫か。みんな、気をつけろよ。このヒモもって歩け………うわっ!」

「大丈夫!?」

「おいー、きいさんが案外一番ドジなんだからしっかりしてくれよ!」

「おう………すまんすまん」

 ならされて人が通れるようになっている道の端には、等間隔に低い木の柱が突き立てられていて、その柱から柱へとロープが渡されている。私たちはそのロープにつかまりながら登り続けた。

 ロープの外側は人の手が入っていない、無秩序に生え茂った木々におおわれている。まだ夜明け前、薄暗い中に浮かぶ木立の影は、まるで妖怪が住んでいてもおかしくなさそうな雰囲気だった。

「よーし、雪アタック〜!」

 先頭を歩いていたけんちゃんが後ろのきいさんに向けて、足先の雪を軽く蹴り落とす。

「うわ、やめろよ〜」

「もう、何やってんの!」

 3人は慣れて余裕が出てきたのか、はしゃぎ始めている。でも私は、相変わらず雪ですべるのが怖かったし、元々5人の中では一番体力がなかった。しっかとロープにつかまりながら一歩一歩歩くうちに、いつの間にか3人とも少し距離が空いていた。

「大丈夫?」

 でも、こう君は違った。

 私の一歩前に歩調を合わせながら、振り向いて心配してくれる彼に「大丈夫だよ」と笑顔で返す。

 私の様子を確認すると、こう君もにっこり笑って再び前を向いた。

「おーい、大丈夫ー?」

 前を行く3人が立ち止まり、私たちに声をかけてくれた。

「大丈夫ー。もしあれなら先行ってて!」

「ごめん!こう君の言う通り先行ってて!」

「気ぃつけろよー」

 こう君と私は保育園の頃から仲が良く、この中ではお互い一番古くから友達同士だった。こういう時もこう君がよく気にかけてくれる。

 こう君は、優しい。私に対してだけじゃなく、誰に対してもそうで、みんなと一緒にいる時も、いつも穏やかで控えめな態度をくずさない。見ているこっちが心配になってしまうくらい。

 以前、そう思って2人きりの時にたずねてみたことがある。いつも人に気を使ってて、疲れてない?って。

 そしたらこう君は、ちょっと肩をすくめるようにしてみせたあと、「大丈夫だよ」って言っていた。

「でもこう君が怒ってるとことか、見たことない」

「んー、男子だけの時は軽く怒ってみせることもあるよ」

「そう、なの?女子にかっこよく思われたいの?」

「まあそれもあるけど、舐められないようにと思って。同性から軽く扱われたりいじめられたりしたら面倒だから。他の人には内緒ね」

 私は、それまで同性同士の面倒ないざこざは女子によくあるものだと思っていたから、びっくりした。

 そして、その時のこう君はいつも以上に大人びて見えて、それにはもっとびっくりしたのだった。

 それと同時に、少し羨ましくもなった。器用な立ち居振る舞いができることは、羨ましい。私には、できないこと。学校でも梨子ちゃんにくっついてってばっかりだ。

「じゃあじゃあ、せめて私と一緒にいる時は怒りたい時に怒ってもいいからね?」

「ふふっ。美来ちゃんと一緒の時は、全然怒ることないよ。大丈夫」

「よかった。あ、ねえ、家でもそうなの?」

 私は学校では怒りをあらわにすることはないけど、ママに対しては、たまについ怒ってしまう時もある。こう君は違うのかな。そう思ってあくまで気軽にした質問だった。

 だけど、こう君は諦めに似た態度で、こう押し出すように言ったのだった。

「………うん。親に怒ったら、もっと面倒だし。うちの親、厳しいし。怒ると怖いんだ」

 こう君の表情に、今まで見たことないような陰りが見えた気がして、思わず黙ってしまった。するとこう君は、いつも通りの優しい笑顔に戻って話を変えたのだった。

 

 そこまで思い出して、私はつい目の前を歩くこう君の背中をじっと見つめてしまった。

 あれから時が経って、何となくこう君の言葉が引っかかっていた私は、ある時、虐待される子供の存在を知った。でも、さりげなく観察してみても、こう君はいつも身綺麗にしていて、痩せ細っているとか手足にあざがあるとか、そういうこともなかった。それに、こう君の親御さんには会ったことがあるけど、優しそうな人たちに見えた。

 でも、わからなかった。わからなかったし、何も言えない。踏み込めなかった。

 こういう時、大人だったら、もっとちゃんとしたことが言えるのかな。ママたちの言葉を思い出して、胸がちくっとする。それと引き換えに、こういう風に自由に楽しく遊べなくなるのかな?

「………こう君、そういえば、放課後はいつもは塾なのに、今日は来られたんだね。よかった。遊べて嬉しい」

 そう声をかけると、こう君は横顔だけ向けて少し微笑んだ。

 

「着いたぁぁぁ!」

 この山の頂上にはちょっとした広場があって、たまに子供の遊び場にもなっていたりする。

 そんなに広くはないけど、この辺りでは見晴らしのいい場所で、ここからなら初日の出をキレイに見れるんじゃないかというのが、私たちの計画だ。

 そこに一番乗りで足を踏み入れたけんちゃんが両手を上げてぴょんぴょん飛び跳ねながらくるくる回っている。

 私たちも遅ればせながら広場に着くと、梨子ちゃんが私の手を取って一緒にバンザイをしてくれた。

「着いたね!夜明けに間に合った!」

 梨子ちゃんの言う通り、東の空は明るくなり始めていて、その下の太陽も徐々にその存在感を増してるようだったけど、まだ日が指すほどではなかった。

「いいとこにこれたわー。もうちょっと待つか」

 きいさんはそう言って近くの木にもたれると、ジャンバーのゆったりしたポケットから、なんと缶のコーンスープを取り出して飲み始めた。飲み口からは湯気が出ている。

「えー!?きいさん裏切りだよそれは!」

「そうだぞー!!何一人だけあったかいの飲んでんだ!」

 きいさんは「ふっ」と笑うと、ふざけて何となくカッコいいポーズで木にもたれ直し、何となくカッコいい感じで飲み始めた。

「おいー!俺たちにもよこせ!」

「やーだよ!これは俺がお小づかいで買ってきたんだからな〜」

「だからってこれ見よがしに飲まなくても〜!」

「うばえーうばえーー!」

 きいさんから缶を取ろうとするけんちゃんと梨子ちゃん。それを阻止し、飲み切ろうとするきいさん。またわちゃわちゃし始めた。

 少し離れた所で、私とこう君はくすくす笑いながらそれを眺める。

「しょうがないな〜。飲ませてやるよ」

 観念したのか、最初から実は飲ませてくれる気があったのか、きいさんが2人に缶を差し出す。そして私たちに手招きをしてみせた。

 5人で輪になって、わいわいおしゃべりしながらコーンスープを回し飲みする。楽しい。楽しくてしかたがなかった。

「ずっと、こうしてられたらいいよね」

 ぽろりと出たその言葉は本音だった。他のみんなも、同意してくれてるみたいだったけど、こう君だけ、何か考えているようにじっと一点を見つめている。

「こう君?」

 声をかけると、彼から出た言葉は意外なものだった。

「それはわからないよ」

「………え?」

「ずっとこうやって仲良くできるかはわかんないよってこと。………僕、中学受験するから、中学は別だろうし。来年から塾も増えるし」

 私は驚いた。こう君が、受験することじゃない。このタイミングでそれを持ち出してきたことだった。

 いつものこう君なら、こんな水をさすような時に言わない。

「そ、そうなのか。………でもまた会おうぜ!塾が増えても今までみたいに学校では会えるし………。中学、行ってからだって、会おうと思えば会えるだろ!連絡するし!」

「………どうかなあ。環境変わるとどうなるかわからないし」

 その時、私はようやくわかった。今のこう君が、あの時と同じだってこと。家族について話してた、あの、諦めでどこか冷めていたこう君。

「それに、どのみち、大きくなってもずっと仲良くしてられるかはわからないよ。小学校の時の友達と、大人になってからは全然会わないって普通だろうし」

 ずしんと胸が重くなった。朝の、ママやおばあちゃんの言葉を思い出す。それは、大人によく言われることでもあった。

 『子供のうちに、楽しんでおきなさい』

 他のみんなも、しんと黙り込んでしまう。梨子ちゃんが、困ったようにちらりと私をうかがう。こう君と一番仲が良いのが私だから。私が何か言わないと。私が、どうにかしないと………。

「………ごめん。なんか気まずくしたね」

 ふと、こう君はいつも通りに戻ると、けんちゃんに対して「もっと会いたがってくれよー」なんて軽くふざけたように言ってみせた。

 その様子に、他のみんなもどこかホッとしたようだった。

 なのに。

 ………なのに。

 どうしてなんだろう、私はそうじゃない。安心できない。むしろ。むしろもっと思う。何か言わなきゃ。さっきまでよりずっと。もっともっと、思う。今のこう君に。私が伝えなきゃ。あのこう君を知っている私が。

 上手く振る舞えなくても。大人じゃなくても。

 伝えなきゃ。

「忘れないよ」

 その言葉に、みんながこちらを振り向く。

「もし………もし、大人になって、一緒にいられなくなっても、忘れないよ。今日のこと」

 一度口を開くと、不思議と止まらない。みんな驚いてるようだった。こう君も。

「忘れないから。今日のことも。みんなのことも。………こう君のことも。………それで、それでもし、また会えたら話そうよ。あんなことがあったねって。きっとそういう時が来る。うん、大丈夫。そういう時が来るようにしよう。自分たちで。………だから」

 大丈夫、と言おうとした時、一瞬だけ張りつめた気持ちがゆるんで、恥ずかしさにさまよった視線が何かをとらえた。

「………あっ」

 私の声と視線につられ、みんなもそちらを向いたみたいだった。

 日の出だ。

 いよいよ黄金に染まりきった空から、太陽が顔を出す。ひと筋の日差しが街を駆け抜ける。生まれたての子供のように。やけに目に眩しかった。

 新しい年の始まりを告げる光なんだ。

 しばし見とれたあと、思わず「すごい。きれい………」と口にした。それを皮切りに、他のみんなも口々にほんと!きてよかった!と話し始める。

 こう君の方をうかがうと、下を向いてうつむいていた。

「こう君………?」

 のぞき込むと、笑って「ううん、ごめん。きれいだね」と言うこう君。いつも通りの笑顔だけど、目のふちには、心なしか、涙がにじんでいるような………。

 すると、きいさんが私たち2人の間に立ち、私たちの肩を抱くようにして軽くたたいた。

「よし、初日の出に向かって今年一年の願い事しようぜ」

 それは初詣でやることじゃ?そう思ったけど、何も言わなかった。他のみんなも、こちらを向き笑顔でうなずくと、手を組んだり合わせたりして目を閉じる。

 私も手を合わせ、祈る。

 これからどうなるかわからないけど。それでもどうか、みんなとずっと一緒にいられますように。ぎゅっと目をつぶり、祈る。

 ………ううん、違う。さっき、自分で言ったんだ。

 私たち自身で、そうしようって。

 同時に、家で料理してくれているはずのママたちの姿が思い浮かび、突然理解した。神様からのプレゼントみたいに。

 そっか。そうだったんだ。それが大人になる、ってことなんだ。

 なにか失わなきゃいけないわけでも、できるようにならなきゃいけないわけでもなくて。

 祈るだけじゃなく、祈りを守る側に。

 誰かの、自分の、祈りを守るようになっていくんだ。

「………よ〜っし!あけましておめでとおぉぉ〜!」

「ちょっと、急に何!?」

「よしよし!あけおめ〜っ!」

「きいさんまで!」

「いいじゃん、みんなで言おうぜ!」

「あはは………いいよ」

「初日の出に向かってな!せーのーっ」

「あけましておめで………!って、誰も言わんのかいーっ!」

 みんなで、と言いつつけんちゃん一人だけの声が響いたあと、5人の笑い声が重なる。くそーっ、と言いながら、けんちゃんは登ってきた道へ走る。

「じゃあ競争だー!勝ったやつが缶スープおごり!」

 えーと言いつつみんなでそちらへ向かう中、こう君にそっと「ありがとう」とささやかれた。

 照れながら、返事はできなかった。視界のはしに虹色が見える。多分、私の目のふちにも涙が浮かんでいるからだった。

「よーっし!今度こそ!今度こそ全員で言おうぜ!」

「またー?」

「またじゃなくて今度!今度こそ!せーの」

 

「「「「「あけましておめでとうーーーっ!!!」」」」」

 

 賑やかに笑い合いながら、私たちは活気付き始めた街へ向かって駆け下りていった。

 

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