第6話  女人の勝負所

 それは、まだ都にいた頃の話であるが、ある蒸し暑い初夏の夜、小萩は突然、満仲様に涼みに出かけないかと誘われた。

『こんな夜に、何を言い出すのかしら? 夜遊びに行くなら、若い衆を連れて行きなさいよ! 』

 などと、思いながらも、付き合うことになったのである。

 だが、いざ出かけるとなると、しっかり化粧をさせられ、綺麗なきぬに着替えるなど、ちょっと様子がおかしい。

 そして、あっという間に、小萩は身支度を整えられると、壺装束つぼしょうぞくにされてしまったのである。

 壺装束とは、当時の女性が外に出かける時にしたスタイルで、衣のすそを歩きやすいように、腰帯で固定したところからこの名前が来ているらしい。また、他人から顔を見られないように、市女笠いちめがさ(笠の縁に薄い垂れ布が下がった物)などを被ったようである。


「あの、御父上様、……一体、どこにお出かけになるのでしょうか? 」

 小萩は、何も知らされないので、ちょっとこれはと思い始めた。

「なに、……まぁ、女人にとってのというところかのう! 」

 そう言って、満仲様はうそぶいたのである。


 だが、驚いたことに、一行は、宮中に足を踏み入れることとなった。


「女人には女人のがある。今宵は、そなたにとって最高の戦場いくさばを用意したからのう! 」

『……何てことしてくれるのだ。この親父! 』


 何も知らなかったとはいえ、まさか、こんなことになるとは、小萩は身が縮む思いがした。

 だが、もう引き返すにも引き返せない。何のくらいもない小萩が、勝手に大内裏だいだいりを歩くわけにもいかないからだ。

 小萩は腹をくくると、仕方なく満仲様の後について行くことにした。

 とはいえ、こんな夜に、大っぴらには回廊を歩くわけにはいかない。そこで満仲様一行は、松明を掲げ持つ若者を先頭に庭づたいに進んだ。

 すると、暗闇の中をと動く人影がいくつも見えた。

 だが、それらは松明に照らされた満仲様の顔を認識した途端に静まり、恐れをなしたように横にしゃがむと礼を示したのである。


「おう、おう、今宵は月も出ておらんので闇が深い。そなたらも精が出るのう! 」


 そう言うと、満仲様は衛士えいしらにねぎらいの言葉を掛けた。

 内裏だいりの中はいざ知らず、周囲の庭で警固をしている武官の間では、度重なる戦で功を上げてきた源満仲様の顔を知らない者はいない。そこで、恐ろしいほど状態であった。


 やがて、とうとう清涼殿せいりょうでん(天皇が日常生活で使っているの建物)の近くまで来てしまった時のことだ。

 夜もかなり更けているというのに、一人の男が帝の寝殿の方から歩いて来るのが見える。

 その男は、満仲様達の姿に気付くと驚いて固まってしまった。


「このような時刻に、何者じゃ? 」

 男は声を震わせながらも、大きな声で牽制けんせいした。

「ほほう、そう言うそなたは、惟成殿、……式太しきた殿じゃな! なに、今夜は月も出ておらんので、道を間違ってしまったようじゃ」

 そう言いながら、満仲様はカラカラと笑ったのである。


『もしかして、この状況を笑って済まそうと思っているの? 』

 あまりに緊張していたので、小萩は、満仲様の一言に腰が抜けそうになった。


「いや、いや、これは我の年頃になったばかりの娘でしてな、一度、我の仕事場を見せてやりとうて、ついつい連れて来てしもうた。

 ……この広いお庭では、誰か止事無やんごとなき人が、我が娘を見初みそめて下さるかもしれませんしのう! 」

 と、と言ったのである。


『さすがに、それは無理だろう! 』

 そう思って、小萩は穴があったら入りたい気分になった。


 相変わらず、満仲様は"我が道を行くゴーイング・マイ・ウェイ"人なので、周りの者が巻き込まれ、いつも迷惑をこうむるのだ。

摂津守せっつのかみ殿、 ……でしたか? 今は平時平和な時ですぞ、お庭の護りは若い者達に任せればよろしかろうに 」

 確かに、ここには満仲様と懇意である武官達が沢山いる。

 惟成は、勇気を出して満仲様に正論を吐いた。

「なんの、なんの! ……本当は、婿探しじゃよ! 」

 すると今度は、に本当のことを言ってしまったのである。

「はぁ? 」

 真面目な惟成は、一瞬、沈黙した。


『それはそうでしょう。……驚いて、開いた口がふさがらないわよね! 』

 そう思って、小萩は後ろから満仲様の袖を引っ張ったのである。



「はぁ、……それは、真にに悪いことでございましたな 」

 桔梗が、気の毒そうに小萩の話に相槌を打った。

「何と申しましょうか、御爺様もそうですが、我が一族の男子には、物事を決める際、妙にところがありますよね。……時々、無茶をするので、周りの皆様に迷惑をかけているようですぞ! 」

 そう言って、困った顔をしながらも、桔梗は食事を摂る手を休めない。モリモリと旨そうに食べている。

「ふふふ、……私も引き取られて暫くの間は、この家の皆様の様子に驚いてばかりでした。それでも、今となっては、真に面白おもしろうて、いかにも"兵の家"の方々だと、頼もしく思っておりますよ」

「ええ、……ものは考えようですね! 」

「慣れてしまえば、何でもなるものですね」

 そう言いながら、二人は袖で口元を隠そうともせずに、一緒になってアハハと笑ったのだった。


 そして、その宮中での出会いを境に、満仲様による、惟成への熱烈な婿が始まったのである。

 実は、当の小萩よりも、満仲様の方が惟成のことを気に入ったからだった。



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