平安女子のイケない食卓

クワノフ・クワノビッチ

第1話   憧れのカントリーライフ

 平安時代も半ばのことである。

 一人の貴族の娘が、少数の供の者らを連れ、都から摂津国多田せっつのくにただの地にやって来た。

 時は長徳四年(九九八年)の秋。いよいよ一条天皇の御代になり、あの有名な藤原道長が関白となって権勢を振るい始めた頃のことだ。


 この娘の名を、仮に"桔梗ききょう"と呼ぶことにしよう。

 なぜなら、記録の上で、その人の存在が確認できたとしても、当時の女性の名前は、よほどのことがない限り伝わることがなかったからである。


 そして、この桔梗は、摂津国を拠点に栄えた棟梁とうりょうである"源頼光みなもとのよりみつ"のであった。

 源頼光というと、いろいろと伝説があり、源氏のというイメージがあるが、実際の記録の上では、源氏の始祖的な存在である摂津守・源満仲みつなか様の息子に生まれ、後に春宮大進の職に就くと、居貞おきさだ親王(後の三条天皇)の世話係を任せられていたこともある。

 また、国司の仕事も度々経験するなど、当時の中級貴族としては恵まれた人生を送ったようだ。


 長徳四年、この年の夏は、都に住む貴族にとっては大変厳しいものであった。

 宮中で働く者達の間で"赤疱疫あかもがき"(麻疹はしか)が大流行し、沢山の貴族の命が奪われることになったからだ。

 また、政治を支えていた官人達が働けなくなった為に、政治機構自体が止まってしまった。

 そこで、 『都に居ると危ないのでは? 』 と、他にがある者らは、一時的に都を離れたのである。

 そして、そんな理由から、桔梗も祖父・源満仲様が切り拓いた多田荘の地にやって来たのだった。

 だが、肝心の父・頼光自身は、他に健康に働ける者がいない為に、仕事から離れられず、そこで、桔梗だけが訪れたのだ。

 折しも、後数日で満仲様が亡くなってから一年経つ。

 そこで桔梗は、頼光から御爺様おじじさまの供養をしっかりするように頼まれていたのである。


 その日、桔梗を出迎えに出て来たのは、今は亡き満仲様に代わって多田荘を仕切っている"小萩おはぎ"だった。

 小萩は、藤原惟成これなりと別れた後は、誰にも縁づかず、出家した満仲様の世話をしていたのである。

ほんに、よう、御出おいで下さいましたな! 」

 開口一番、嬉しそうに小萩が声を掛けてくれた。

「……あ、有難うございます。叔母上様にもご健勝にあられますようで、……あの、すみません。暫く、お世話になりますが、…… 」

 一方、桔梗は何故か緊張している。

「都の方は、今、大変なのでしょう? 兄上様からは文を頂いておりますから、御安心下さいな! 」

 そう言うと、小萩は桔梗一行を歓待してくれたのであった。

 いろいろと人生経験が豊富なせいだろうか、都から離れていても、小萩の物腰は柔らかく、桔梗よりに見えるから不思議だ。


 こうして、小萩の多田生活カントリーライフが始まったのである。

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