「沈黙 サイレンス」

「沈黙 サイレンス」


以前、レンタルで見て以来ほったらかしになっていたスコセッシの「沈黙 サイレンス」の配信版がようやくリリースされたので即買いして即見返した。シンプルなプロットなので大体全部覚えていたが、全く飽きることなく再見し、所々感動した。こういうシンプルかつ普遍的テーマを扱った物語って最高だなと改めて思った。この映画は主に迫害についての映画なので、イスラエルにおける緊張状態、実際には戦争、はっきり言ってしまえば明らかな民族虐殺(ジェノサイド)における現状を思い起こさずにはいられなかった。


自分としてはこういう映画を昔の歴史を扱ったかけ離れた世界の映画という感覚で見ているが、世界的な観点から考えると、敬虔なキリスト教徒も相当数いる訳だから、この映画を全くの今日的現実として見る観客も相当数いる訳だ。そういう観客からは受け止め方が自分とは全くかけ離れていると考えると、同一の時空に存在しながらも、感覚的には全く別世界に生きているようにも感じる。ああいった江戸時代の物語を見ると時間的に離れているから遠い物語であるような気がするが、江戸時代において既にアイフォーンがあるような世界だった仮定すれば、現代と変わらない近接した時代と感じられるのではないだろうか。だからそう考えると時間という単位、概念は単に変化の大きさを計測する大まかな目安でしかないとしか思えない。大昔でも現代と変わらなければ親近感を感じるし、ちょっと前でも変化が大きければ大昔に感じる。アインシュタインは時間は重力によって進み方が変わると証明した訳だけども、感覚的には重力以外の要素でも相当変化する。楽しい時間は早く、辛く退屈な時間は長い。変化が大きいと早く、少ないと長い、もし仮に全く変化が無ければ、時間が止まり、時間は無くなる。ブラックホールでは重力が無限大になり、変化と時間が消滅する。よく考えてみると光とか速度とかと違って、時間それ自体は直接観察出来ない。時計の針の動きとかいう物理的装置による表示によって間接的にしかその痕跡を確認出来ない抽象概念に過ぎない、ような気がする。よく時間は平等だって話聞くけど、同じ一時間でも、人によって相当変わるはずだ。思考速度も、動作速度もその人によって違う訳だから。

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