Episode5-2 男心と初夏の空②



 放課後。


 進路ガイダンスを終えて図書室へと向かう。


「——、」


 扉を開けて目に飛び込んできたのは、本を開いたまま船をこぐ六花。


 窓から差し込む陽に照らされて、透き通った髪がきらきらと揺れている。白磁の肌はどこか寂し気に輝いていて、そういえば、日が長くなったなと玲は気づいた。


 あの日——はじめて出会った日は、もっと日暮れが早かったのに。


「天瀬さん、おまたせ」


 とんとん、と六花の肩を叩くと、六花は焦ぼんやりした瞳を玲に向ける。


「……」


「おまたせ。ごめんね、遅くなって」


「……ぁ、せんぱい……おはようございます」


 言って、途端に六花は表情をむすっとさせた。


「ど、どした?」


「……いえ、べつに。なんでもないです」


「……?」


「とりあえず行きましょっか」


「う、うん」


 玲は怪訝な表情を浮かべながらも、席を立った六花についていくのだった。



・・・



 やって来たのは、いつも使っているファミレス。


 ひと月前に六花と来て以来、放課後に予定が合えばここに寄るのが習慣になっていた。ドリンクバーで二時間くらい粘って、夕食時までには帰る、というのがいつもの流れだ。


「そういえば、天瀬さんって音楽聞く?」


「まぁ、人並みには」


「そっか、オレ、普段全然聞かないからさ、おススメあったら教えてほしいなって」

「……別に、人に教えられるほど知らないですよ」


 素っ気なく言う六花。


「そ、そっか……」


「そういう話なら、あの人に聞けばいいんじゃないですか」


「へ?」


 六花は言うと、またむすっとした表情に戻る。


 不愛想というか、不機嫌というか。初めて会った時のような、近寄り難い雰囲気を漂わせて、頑なに玲から視線を逸らしている。


「あ、あの、天瀬さん?」


「……先輩と一緒に居た人、バンドやってるんですよね? ぜったい私よりも音楽に詳しいじゃないですか」


「いや、まぁ、そうなんだけど」


——もしかして、天瀬さん……嫉妬していらっしゃる……?


 流石に思い上がりか、と玲は自嘲しつつ、根気よく六花に話しかける。


「……白状するとさ、オレは天瀬さんの好きな曲を知りたいのであって、正直なところ曲なんてどうでもいいんだよ」


「っ……」


「だから、教えてほしいな。天瀬さんの好きな曲」


 気恥ずかしくなって頬を掻く玲。


 普段の玲は、人付き合いを好まない。相手に詮索されようものなら平然と嘘を吐くし、深い付き合いになるのが厭で、自分からも相手のことを聞かない。


 だから、平然と相手のことを聞いた自分に驚いた。


 そんな玲の驚きはつゆ知らず、六花は言う。


「……その、ボサノバが好きです」


「ぼ、ぼさ?」


「ボサノバ——えっと、ジャズの一種で、カフェで流れてそうな曲です。……こんな感じの」


 六花は鞄からイヤホンを取り出すと、片方を玲に差し出した。


 促されるまま耳に付けると、流れてきたのは確かにカフェで流れてそうな音楽だ。アコースティックギターを中心に、フルートかトランペットの軽やかな音。ドラムの静かなビートが心地よい。


「おぉ……良いね」


 玲が率直な感想を溢すと、六花は顔をほころばせて。


「ふふふ、いいですよね、この音。ノスタルジックな感じがして」


 目を瞑ってリズムをとる六花。心地よさそうな揺れは、見ているだけでもヒーリング効果を感じられる。


「なんか海辺のカフェで流れてそう。三連休最終日の夜って感じする」


「三連休最終日の夜……先輩って、けっこう感受性豊かですよね」


「そ、そう?」


 玲は照れくささを隠すように目を逸らすと、


「————んぁァ⁉」


「えっ⁉ な、なんですか先輩」


「ちょ、か、隠れて!」


「え、えっ……えっ⁉」


 反射的にボックス席のテーブルの下に隠れる玲と、その姿を見て軽く引きながら、後に続く六花。密着した肩から感じる熱の生々しさに驚いたが、今はそれどころじゃない。


「ど、どうしたんですかいきなり⁉」


「いや——それが」


 あれ、と玲が指を差した先にいたのは、圭一とあかねだった。


「あれ……? あ、先輩の——って、えっ、あっ、う、うう浮気ですか⁉」


「いや、なんでそうなるんだよ……」


 玲は半眼で訂正する。


「二人ともオレとは友達。ただ、圭一の方が女の子あかねのコト好きでさ」

「なっ、なるほど……! そっか……」


 六花は安堵したような声で言った。


「つまり先輩とあの人は、なにもないと」


「え、あ、うん。そうだけど。それが……いや、なんでもない」


 それがどうかした、と玲が聞きさして、藪蛇な予感がしたのでやめる。


 六花は「そっか……」と小さくひとりごちると、何かに気付いたかのように圭一たちを二度見して。


「つ、つつつまり、あれはリアルデート……!」


「た、たぶん? って、なんで目を覆ってるの」


 見れば、六花は目を覆った指のすき間から向こうを見ていた。目隠しのつもりらしい。


「な、なんか、恥ずかしくないですか、こういうの」


「そうか?」


「先輩だって真っ先に隠れたじゃないですか」


「うぐ、」


 じと、と玲を見る六花。玲は黙って、圭一たちの方に視線を向けた。


 楽しげな様子で話しながら、入り口近くの席に座る二人。


 このままでは店を出ることができないが、動線的に圭一たちが玲と六花のテーブルに近づいてくることも無さそうだ。


「……」


「……ところで先輩。いつまでこうしてればいいんですか……」


「あ、ごめん。……うん、もう大丈夫そうだ」


 海面に顔をだしたダイバーさながら「ぷはぁ、」とテーブルの下から顔を出し、席に座り直す六花と玲。一息ついて、六花が言った。


「どうしましょっか。出ます……?」


「いや、ここで出ていくのも申し訳ないな。あいつらが出るまで、粘ろう」


「…………まぁ、そうしましょっか」


 普段だったら、玲も気にせず店を出るだろう。


 しかし、今日の圭一とあかねは雰囲気が違う——どことなく照れのような、恥じらいのような空気感を持っている。


 そういうことに疎い玲だが、さすがに普段から接している相手の機微は分かった。


 つまり——ただのデートではない、本気のデートである。告白の間合いを図るような緊張感が離れたところにいる玲にまで伝わってくる。


玲は圭一の想いをよく知っている。ここで出て行って、二人の邪魔をしたくない。


「先輩、これを」


「ん?」


 玲の思いを感じ取ったのか、六花は黒い物体を差し出した。


「これは……え。サングラス?」


「……気付かれないためには、こうするのがいいかなって」


「あ、うん……サングラスね、うん、サングラス……せっかくだし、つけよっか」



 玲は黒いティアドロップ、六花は青いレンズのラウンドのサングラスをそれぞれかけて、圭一たちが談笑するのを眺めるのだった。



(Episode5-3に続く)

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