Episode3-3 初心者先輩と初心者後輩③


 二本目に選んだのは、SF映画だった。もちろん玲の趣味だ。

「……今更あれだけど、大丈夫? 門限とか……」

「大丈夫、だと思います。さっき連絡しておいたので」

 ちなみに六花は離島から船で通学しているため、最終便の時間も気にしないといけない。

 が、こちらは玲があらかじめ調べておいた。二十時半に出る船が最終便らしい。

「そっか、よかった。……急に二本目とか言い出して、ごめんな?」

「い、いえ! 全然……私、も、見たいと思ってたので……」

 ちなみに元のプランは、映画のあとにゲームセンター、ファミレスを回る放課後満喫プランだった。それがあら不思議、放課後に映画を連続鑑賞する双海玲体験プランになってしまいましたとさ……。

 とはいえ。

 玲が隣を見ると、そこには柔らかな表情を湛えた六花の姿。

 これまでのような緊張はすっかり抜け、純粋に映画への期待を胸にスクリーンを眺めていた。そんな表情を見られるのも二本目の鑑賞を選んだからだと思うと、なかなか良いデート(仮)プランになったのかもしれない。

 スクリーン内の照明が落ち、予告編に続いて映画泥棒のパルクール、そして本編が始まる。


 ある荒廃した世界。

 人間は機械の身体に意識を乗せ換えることで、荒廃した世界を生き延びていた。

 主人公は記憶喪失の青年。どうやら意識を機械の身体に移す際に失敗して、記憶を失ってしまったのだという。

 人工知能を搭載した純ロボットのヒロインと共に、主人公は己の足跡を辿る旅に出る。

 ヒロインを狙う組織との銃撃戦を繰り広げたり、世界の荒廃の秘密が明かされたり、人間の本質がどこにあるのか悩んだり……そんなこんなで、主人公はヒロインを助けるため、自分を犠牲に敵の組織と刺し違える。

 ヒロインは自分の脳内に主人公の人格をインストールして、二人は一緒に生きていくことになる。


 上映中に盗み見た六花の表情は、真剣そのものだった。

 作品に没頭しているようにも見えたし、なにか考え込んでいるようも見える。

 ……もしかしたら、エンタメに触れてこなかった六花にとって、SFは少し難しかったかもしれないと玲は思った。トト□からの文明水準の発展が凄まじすぎる。

 やはりSFの前にファンタジーものを挟むべきだったか……もしくはドラえもんの劇場版。SFを楽しむための土壌は、ドラえもんによって作られるとは《師匠》の弁。

 ドラえもんはさておいても、あまりエンタメに触れてこなかった六花にとって、少なからず難解なものであったのは確かだ。

「ど、どう? 面白かった……?」

 スクリーン内が明るくなるや否や、玲は心配になって六花に聞いてみた。

「面白かったです……双海先輩がこういう映画好きな理由も、ちょっと分かった気がします」

「……! そっか、良かったぁ……」

 不安が解消されて、玲は思わず嘆息する。良かった。自分の趣味を押し付け過ぎたかと思ったが、きちんと楽しんでくれたようだ。

「ふ、双海先輩は、どうでした?」

「オレもすごく楽しめたよ。アクションのカッコよさで駆け抜けるだけじゃなくて、ちゃんと哲学的な深みがあってさ」

「ふふ、そうですね——先輩は、」

「?」

 次々と席を立つ観客。

 上映が終わり、スクリーンには退場時の諸注意が表示されている。映写機が投げかける光の中に、ちろちろと塵が浮かび上がっては消えて行った。

「——双海先輩は、もし、自分の身体がロボットだ人間じゃないって知ったら、どうしますか」

「え、ロマン感じる」

「……ろまん?」

「……え、感じない? ロマンだよ。どうせならパイルバンカーくらい付けてほしい」

「ぱ、ぱいるばんかー」

「でも思うんだよな。どうせなら人間みたいなロボじゃなくて、もっとメカメカしいロボになりたいって。ほら、油圧シリンダーとかケーブルとか普通に見えるようなタイプの」

「………そ、そうなんですか」

 それはそれとして、きっと自分が実は人間じゃなくロボットだと知ったならば、真っ先に「睡眠時間返せよ!」と叫ぶだろうと玲は思う。ロボットなら連続稼働させてくれ。

「じゃ、じゃあ、もし記憶喪失になったら……」

「それは——」

 ——記憶喪失。

 玲は知らず、自分の足元を見ていた。あぁ、ローファーの汚れが目立ってきている、そろそろ手入れをしないといけない。

「——どう、だろうな。別人になるんじゃないのか」

 別人。

 記憶喪失とはつまり、一度死んで、生まれ変わるようなものだろう。

 それまでの積み重ねを全部リセットして、まっさらな状態からリスタート。

 それはきっと、別人に他ならない。

「やっぱり、そうですよね……」

「でも、SF作品だと身体そのものにも記憶が残ってたり、ふとした瞬間に元の記憶がフラッシュバックすることもあるよな」

 もとい。

 普通に生きていても——記憶喪失なんてなくても——きっと、忘れてしまう記憶は沢山ある。人格だって、生きる上で多かれ少なかれ変わるだろう

 自分がそれまでの自分と地続きであるかどうかなんて、ふとした瞬間に分からなくなるのだ。

「……でも、きっと」

「?」

「記憶喪失したら、生きている実感は薄れるんだろうな」

「——、」

「ジブンの地盤になるような物語——今の人格が形成されるに至った紆余曲折を忘れてしまえば、自分のイマを信じることができなくなるんだよ。そうすると、自分の人生に対する当事者意識が薄くなって、生きている実感が持てなくなる」

 地に足が付かない感じかな、と玲は言葉を継いだ。

「……そういう時……もし、双海先輩が記憶喪失になったら……どう、しますか?」

「ん? そうだなぁ。とりあえず何も考えずに生活するかな」

「な、何も考えず……」

「そうそう。記憶が無くなる前のこと——それまでの自分がどうだったかなんて、考えても仕方ないことだろ?」

 大事なのは、と玲は六花の方を見やる。

「今の自分がどういう人間なのか。もし「今の自分」が無いのなら、どんな自分を形成していきたいのか。それだけ」

 玲は語ってしまった気恥ずかしさを隠すように立ち上がると、六花の方を向いた。

「さ、そろそろ行こうか。清掃のスタッフを待たせるのも悪いしな」

「——そう、ですね」

 六花は何やら考えごとをしていたが、玲に促されて席を立つ。

 スクリーン内にはもう人がおらず、少し離れたロビーの喧騒だけが聞こえていた。

「……双海先輩」

「んー?」

「……そ、その考え、すごく、良いと思います」

「あ、ありがとう?」

 いきなりの発言に面食らった玲は、たじろぎながら答える。面と向かって発言をほめられると、どうにもむずがゆい。

 足早に映画館から出ると、その明るさに目がくらんだ。

 船の時間までまだ余裕があるが、今日は六花にとって初めての映画館だ。座っているだけとはいえ体力を消耗しているだろうし、そのまま帰ることにした。


 ・・・


 帰りの電車は、適度に空いていた。

 車内の人々はみんな疲れた顔でスマホを眺めていて、生きることのワビサビを感じさせる。頑張って早起きして通勤ラッシュに巻き込まれ、一日頑張った果てに帰宅ラッシュに巻き込まれる。これが毎日続く。帰宅ラッシュに巻き込まれないときは、だいたい残業で心身を削ったとき……なんて仕打ちだ……。

 生きる意味に想いを馳せながら車窓の外の風景を眺めていると、玲の肘がちょんちょんとつつかれた。

「……あの、双海先輩」

「ん、どうした?」

 見れば、頬に微かな朱を湛えた六花の姿。

 彼女はどことなく頼りなげに、両手でスマホを持っていた。



「その——連絡先、交換、して、くれませんか……?」


 

「あ、」

 言われて、今さら思い出す。

 そういえば、昨日の帰り際に連絡先を交換し損ねていたのだった。

 そのうち聞こうと思っていたが、まさか六花から聞いてくれるなんて——

「——うん、もちろん」

 思わず緩みそうになる頬を引き締め、スマホを差し出して連絡先を交換する。

 しゅぽ、という音と共に、さっそく『よろしくお願いします』と送られてきた。

『よろしく』

 そう返し、スマホから顔を上げる。

 海を一望できる列車の車窓からは、もうすっかり暗くなった海と、それをぐるりと囲むように連なる半島の灯りが見える。遠くには六花の住む霜波立島があるはずだが、車内が明るいからか、島の輪郭さえ確認できない。

「……今日は、突然誘ったのに来てくれてありがとう」

「い、いえ! こちらこそ……楽しかったです」

 顔を緩く綻ばせた六花。

 玲も応えるように破顔すると、ちょうど最寄り駅への到着のアナウンスが流れた。本来であれば港まで送るのが筋だと思うが——相手に気負わせてしまうのも申し訳ない。

「じゃあ、天瀬さん。オレはここで」

「あ! はい……!」

「うん。じゃあ、また」

 言って、立ち上がった玲の袖がちょいと引かれた。

「——の、」

「……ん?」


「——あの、今度、ファミレス、に、行きせんか……?」

 

 自分を見上げる真っすぐな視線に射抜かれて、玲は息が詰まった。

 揺れる大きな瞳に映る自分と目が合うと、玲は口の端を緩めて。

「——うん、もちろん」

 そう応えるのだった。

 天瀬の精いっぱいのはにかみ笑顔を背に電車を降り、見送る。

 駅を出て空を見上げると、星々が淡い光を振りまいていた。夜空を眺めながら、玲は今日の出来事を反芻する。

 強引なデートに、機能不全なコミュニケーション。先輩風の風力調整をしくじり続け、ずっと空回りしていたような気がする。思い返せば、目を覆いたくなるほど拙かった。

 それでも。

 それでも——六花が最後に、笑って「次」を欲してくれたから。

 気が付けば、玲の足取りは軽やかに。

 澄み切った夜風が、緩んだ玲の頬をやさしく撫でていった。

 



 続く

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