Episode3-2 初心者先輩と初心者後輩②

 入場ゲートにチケットをかざし、スクリーンへと入る。観客の入りはまばらで、独特の静けさに映画への期待感が高まっていく。

「お、ここか」

 選んだ席は、中央列のど真ん中。

「……」

 スクリーン内を興味深そうに見回す六花を尻目に、着席してトレーラーの開始を待つ。

 そういえば。

 映画館という非日常が、日常に包摂されたのはいつからだろう。

 去年、師匠が戦争で死んで、映画館に通うようになった時からだろうか。

 もしかしたら、そもそも映画館に非日常を感じたことなんてなくて、最初から日常として位置付けていたのかもしれない。

 そも、日常とは何なのだろう——。

 そんな柄にもない思考を始めようとするあたり、自分も少し浮かれているなと玲は思う。

 隣では、六花がスクリーン後方の壁——映写機を興味深そうに眺めていた。その様子はどことなく子猫のようで、庇護欲を掻き立てる。

「……、」

「……っ、す、すいません……」

 玲の視線に気づくと、六花は居住まいを正してしまった。

「あー、悪い、違うんだ。気にしないでくれ」

「……?」

 別に、はしゃいでいたのを咎めていたわけではない……のだが、どうやら六花は見咎められたと思ったらしい。

 玲はよく後輩に怖がられる。というか後輩に限らず初対面の人に怖がられる。

 一七〇センチを超えた身長はいまだ伸び続け、玲本人も自分の威圧感に驚くこともしばしば。

 ——まぁ別に、いいんだけど。

 他人との交流に消極的な玲にとって、この見た目はむしろ都合がよくさえある。

 映写機が投げかける光に照らされて、ちろちろと揺れる埃が薄暗がりに浮かび上がった。

 ぽん、と画面に避難時の案内が表示されてから、トレーラーが始まる。

 これから上映される映画に合わせているのか、流れる予告も恋愛映画のものが多い。

 スクリーンでは主人公らしき男が土砂降りの中で膝から崩れ落ち、泣きながらヒロインの名前を叫んでいた。感動的な曲も相まって、普段は恋愛映画に興味すら抱かない玲でも、本編の内容が気になってしまう。

 映像に見入っていると、

「…………、っ、、、」

「えっ?」

 つかえるような呼吸が聞こえてきて、反射的に振り向く。

「……マ、ジか、」

 振り向いた先では——六花が、鼻の先で涙をこらえるようにして泣いていた。

「……」

「……」

「……ぐす……っ、」

 ——な、泣いてる……⁉ 予告編で……⁉

 玲は思わず二度見をしたのち、天井を仰いだ。

 ど、どうしよう……と玲は脳をフル回転させ、結果。

「……へっくしょい!」

 くしゃみのフリをした。

「⁉」

「あ、ごめん……花粉症なんだ……あ、くしゃみしたら涙が……」

 くしゃみをして六花の涙を見なかったことにすると同時に、「花粉症」という逃げフレーズを六花に提供する超絶技巧。対人経験の乏しい玲が導き出した、現状における完全解であった。

「そ、そうなんですね……お、お大事に?」

「あ、うん……」

「……」

「……」

 ……ダメだったかー。

 むしろ六花の映画体験(まだ予告)に水を差してしまったまである。

 こういうとき、圭一なら上手くやるんだろうなと思いながら、スクリーンに視線を戻す。

 スクリーンの中では、カップルがすれ違いを起こして破局寸前まで追い込まれていた。

 一度想いが通じ合った相手でさえこうなのだ。ましてや、真っ当な対人関係がはじめての相手同士なら……。

 コミュニケーションって、難しい。

 玲は口の中で呟いて、ポップコーンをぱくつくのだった。



 ・・・



『なんでっ……どうして分からないの⁉』

 ふと聞こえた叫び声に意識を戻すと、スクリーンでは男女がクライマックスを迎えていた。土砂降りの雨の中で、女性が男性に何かを訴えている。

 さっきの予告の続きかと思ったら、どうやら本編らしい。

 ——映画で寝たの、久しぶりだなぁ。

 ちらと盗み見た腕時計が、本編の開始から一時間が経ったことを告げる。

 普段の玲は、基本的に洋画(それもアクションもの)しか見ない。

 派手な爆発、アクション、爆発、裏切り、爆発、銃撃戦、爆発、陰謀、そして大爆発……そんな感じの金がかかった作品が好きだ。

 つまり、今回のチョイス——六花もとい女子高生が見て面白そうなやつ——は玲の好みと真逆のもので、爆睡しても仕方ないのであった。

 しゃきっとしようと、ドリンクに手を伸ばしかけて。


 ふと、その姿が目に入った。


 スクリーンの光を受けて暗がりに浮かび上がる、白磁のような肌。

 薄い唇、長いまつ毛、艶やかな髪、濡れた大きな瞳。

 そんな天上の彫刻のような佇まいは、投げかけられる色彩の切り替わりと共に、その雰囲気をころころと変えていく。

 悲しげで、楽しげで、不安そうで、嬉しそうで。

 その一瞬に見せたはずの表情は、次の一瞬にはもうそこに無い。失われてしまう一瞬に後ろ髪をひかれると同時に、次の一瞬を渇望する矛盾。

 次のシーンを——そのシーンが六花に投げかける光を——どうしようもなく、求めてしまう。


 玲は結局、そのあとの一時間も映画を見ずに過ごした。

 


 ・・・



 上映が終了し、観客は三々五々に席を立つ。

「……」

「……どうだった?」

 話しかけると、六花は余韻を味わうように一呼吸おいてから玲を見た。

「……面白かった、です」

 六花の頬には微かな涙の跡と、満足そうな色が浮かんでいる。

「そっか、よかった」

「……」

「……」

 ……まぁ、映画一本ごときで距離が近づいたりしないか。

 だが、今日のプランは映画だけではない。今日のデート(仮)は、六花と一緒に「放課後の楽しみ方」を味わうために寝る間も惜しんでプランを練ってきたのだ。

 だから、映画で会話が弾まなくても——

「……とくに、」

「ん?」

「——特に、その、最後のところの音楽が、良かったです」

「あ、あぁ……そうだな」

 伏し見がちで表情は伺えないが、声音からは不安と期待の色が感じられた。

 きっと、六花も六花なりに、玲の気遣いを感じている。だからこうして、不器用にも歩み寄ろうとしてくれているのだろう——

 ——が。

 あろうことか、玲は映画の内容をろくすっぽ覚えていないのだった。

「お、オレ、特にアレがいいと思った。アレ、ほら、主人公の叫び」

「ぁ! わ、私も、そこ、感動しました」

「あとほら、クライマックスの……」

「……ヒロインの手紙のところですか?」

「そ、そう! そこそこ! 良かったなぁ」

「! あそこ、音楽も相まって、すごく良かったです」

「そうそう。めっちゃわかる」

「……あ、あと、私、カフェのシーンも好きで」

「分かる。良いよね」

「注文するものが、相手の好みに寄っていくのが、すごい、いいなって」

「うんうん」

 ……そんな内容だったのか。

 今更ながら、ちょっと内容が気になり始めてしまった。こんなことなら、ちゃんと映画を見ておけば良かったかもしれない。

「ふ、双海先輩は、好きだったシーン、他にもありますか……?」

「へっ、あ、オレは……そうだな、初デートのシーンが好きだったな」

「初デート……水族館ですか?」

「それそれ。なんかいいなって。天瀬さんは他にも好きなシーンある?」

「えっと……別れちゃうシーンとか」

「あぁ、そこな……辛かったな……」

「……ヒロインが友達と放課後に遊ぶところとか」

「青春だよな」

「文化祭のところとか」

「ああ、よかったな」

「…………あと、一緒に冷やした野菜食べるところ、とか」

「ああ、あれな。よかったな……」

「雨の中、妹と一緒に帰るところとか」

「姉妹愛だな」

「病気のお母さんをお見舞いに行って、髪をといてもらうところとか」

「ああ、よかったな……」

「ネコバスが来てくれるところとか」

「うんうん、めちゃめちゃアツかったな…………ん?」

「……」

「……」

「…………双海先輩」

「……はい」

「…………寝て、ました?」

「………………………………ハイ」

 じと、と玲に向けられる瞳。

「……そうですか」

「ご、ごめん! 違うんだ! 別に天瀬さんとの映画がつまらなかったとかじゃなくて、ちょっと疲れてて、序盤で寝ちゃって、そのまま……」

「……ふ」

「?」

 気付けば、六花の口の端には笑みの気配が浮かんでいた。

「ふふっ、双海先輩って、その……面白い、ですね」

「————、」

 それまでは、皮相的な言葉の交わし合いに過ぎなかった二人のやり取り。

 しかし、玲はこの瞬間、彼女の笑顔を見て——知りたいと、思った。

 この子(天瀬さん)の笑顔を、もっと知りたい。どんなことで笑って、どんなことで泣いて、どんなことで喜ぶのか、知りたい。その表情を見てみたい。

「——はは、うん。ありがとう。……ところで、さ」


 ——同時に。

 玲自身のことも知ってほしいと、そう、思った。



「もう一本、見ない?」



 ▶Episode3-3に続く

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