Episode3-1 初心者先輩と初心者後輩①
放課後。
玲が六花を迎えに行こうと、四階——一年生のフロアへとやって来ると、なにやら教室の前に人だかりが出来ていた。
「ん? あの教室、天瀬さんの——」
どことなく野暮ったい制服を見るに、人だかりの多くを占めるのは一年生だろう。
階段を上がって来た玲を見つけるや否や、人だかりが急にざわめき立った。
「お、おいあれ」「噂よりも怖くなさそう?」「あれが天瀬さんの……」「俺行ってこようかな」「天瀬さんが振ったってマジ?」「一方的に付きまとわれてるらしいよ」
「…………」
好奇心旺盛な一年生たち。無遠慮な視線と根も葉もないうわさに眉をひくつかせながら、玲は努めて自然な風を装って教室へ近づく。
と。
「あ、せ、先輩……」
ひょこ、と人だかりの中から顔を覗かせたのは六花だ。心なしか頬が上気し、足元がおぼつかなくなっている。
「お、おう……おつかれ?」
「あ、あり、がとうございます……?」
息も絶え絶えに六花は応える。
「なんか大変そうだな、いったい何が——」
パパラッチに囲まれた有名人ってこんな感じなんだろ~な~。大変そうだなぁ~と他人事のように思って眺めていたら、いつの間にか玲もパパラッチに取り囲まれていた。
後ろから男子生徒の声が投げられる。
「噂についてどうお考えなんですか⁉」
「えっ、なに」
「双海先輩は天瀬と付き合ってるんですか⁉」
「いや、そういうんじゃ……」
「お二人はどういう関係なんですか⁉」
「普通に先輩と後輩だけど……」
「天瀬ちゃんを口説こうとして振られて寝込んでハンバーグ丼食べながら泣いてたって本当ですか⁉」
「口説こうとしてないし振られてないしハンバーグ丼食べながら泣いてない」
「この写真について一言ください!」
「せめて写真撮ってから言おうな?」
「だれよその女ッ⁉」
「君こそ誰かなぁ⁉」
「そっ、そんなッ! 覚えてないなんて……俺とは遊びだったって言うのっ⁉」
「……おいこら沢口てめえ後輩に紛れて何して——なにそのカッコ」
聞き覚えのある声に振り向いてみれば、そこにはサングラスとアフロのかつら、見るからに暑そうなトレンチコートにハットという、まさに時代錯誤な出で立ちの沢口圭一が立っていた。何やってんの……。
「オールドでオーセンティックなトラディショナル・ハードボイルドイケおじごっこ」
「……」
玲が半眼を向けてもお構いなしに、圭一はハットを深くかぶる。まるで、瞳に滲んだ寂寥を隠すように。
「俺は————昔の男に、なりたいのさ」
「………」
じと、と玲は圭一を見つめた。
「……」
「…………」
「……あの、【昔の男】っていうフレーズに【かつて関係のあった男】と【トラディショナル・ハードボイルドイケおじ】がかかっていて、そこが今のセリフの面白いポイントなんスけど」
「沢口」
「ウス」
「帰れ」
「ウっス」
沢口は帰った。
・・・
教室前にできていた人だかりは、沢口圭一が登場したことによって解散した。
どうやら先輩同士の身内ノリが始まった雰囲気を察知して、後輩たちはその場を退いたらしい。
先ほどまでは傍で身を固くしていた六花が、おずおずと玲を見上げて。
「あ、あの、……ごめん、なさい」
「うん?」
「その、えっと……みんなが盛り上がって、しまって」
「あぁ——いいよ、全然。気にしない」
言いながら、少しだけ頬が緩むのを感じた。
——みんな。
六花にとって、クラスメイトは「みんな」と呼べる相手らしい。クラスに友達がいないらしいが、少なくとも六花の方から拒絶しているわけではないのだろう。
加えて、クラスメイトも六花に興味を持っているのは、先ほどの人だかりからして明らかだ。六花が持つ壁を取り払うことができれば、すぐに友達ができるんじゃないだろうか。
「そ、それで、先輩。この後って……?」
不安げな表情で、六花は玲の方を伺う。
「あぁ、そのことなんだけどさ——映画って、どうかな」
・・・
人には誰しも、思春期のうちにやらねばならないことがある。
その際たるもの、それは「自分の楽しませ方を知る」ことである。
むしろ自分の楽しませ方を知って、はじめて「大人」になることができると言えよう。
布団の中でSNSを眺めるだけの不感温浴的な休日の過ごし方では、リラックスできてもリフレッシュはできない。大事なのは、身体だけでなく心を回復させること。つまり、自分を楽しませること。
自分の楽しませ方——人生の楽しみ方を知ってこそ、大人は大人足り得るのだ——とは、玲がかつて生活を共にしていた《師匠》の弁。
というわけで、玲は映画館へとやって来た。
平日ということもあり、館内はかなり空いている。
隣を歩く六花は普段通りの読めない表情だが、心なしかそわそわしている様子だ。
「映画館、来るの初めて?」
「はい。……えっと、双海先輩は、よく来るんですか……?」
「あぁ、週二くらいのペースで来るかな」
学校の最寄り駅から数駅先にあるこのシネコンは、玲のお気に入りの場所だ。玲のバイト代はほとんどここのチケット代に消えている。
「そうなんですか……」
「……天瀬さんは、普段どんなところに遊びに行くの?」
「えっと…………海、とか」
「海かぁ……」
アウトドアなんだね、と当たり障りのない感想を漏らしながら、玲は上映スケジュールが表示されているモニターを見た。
「えっと……どれが気になってるとか、ある?」
「そう、ですね……ごめんなさい。あまり詳しくなくて」
「そっか」
見たことのある映画が『トト□』くらいと言っていたから、知らなくても無理はないか。
玲が事前に調べてきた流行りの映画——小説原作の恋愛映画だ——を提案すると、六花からは「あ、それ、クラスの子が話して、ました」と好意的(?)な反応が帰って来たので、それを観ることにした。
チケットを発券して六花に渡すと、
「えっと、お金——」
六花は少し困惑した様子で、財布を出そうとする。
「あぁ、いいよ。バイト代あるから奢る」
「そ、そこまでしてもらうのは、ちょっと」
「……じゃあ、チケット代はもらおうかな」
少しの気まずさを感じながら、玲はお金を受け取った。
——奢るって、難しいな。
あまり高いものを奢っても、相手に気負わせてしまう。かといって何も奢らないのは玲の中にある「よき先輩」像に反するわけで、ようは先輩風の風速調整に困ってしまう。
六花が人との距離感をうまく掴めないのと同じように、玲もまた後輩との距離感が分からずにいるのだ。
協議の末、ポップコーン代は玲が持つということで合意した。
飲食売店に行くと、そのメニューの多彩さに驚かされる。
「ポップコーンも色んな味があるんだな……塩、キャラメル、バター醤油、コーンポタージュ、トリュフソルト、サワークリーム、アップルシナモン……」
さらにポップコーン以外にも、ホットドックやポテト、ピザなんかも売っている。 映画館の飲食物といったらポップコーンの印象だったが、意外と幅広く展開しているようだ。
「……ふ、双海先輩は、映画観る時、こういうの食べてますか……?」
「普段はあんまり食べないかな……食べるとしたら、ポイントがたまった時くらい?」
「……ぽ、ポイント? 映画で、ですか……?」
「そうそう、ポイントカードの会員だと、映画の上映時間に応じてポイントもらえて、それでポップコーンとかドリンクとかの交換ができるんだよ」
「へぇ……」
映画館っていろんなことやってるんですね、と六花。
結局、無難に塩とキャラメルのポップコーンとコーラ二つのペアセットを注文した。
(……たっか)
しめて千五百円也。
千五百円といったら、バイト先である
「ほ、ほんとに良いんですか……? 出していただいて……」
「あ、あぁ、もちろん。ぜっ、ぜんぜん、ダイジョブ。うん」
「そ、そうですか。えっと……ご、ごちそうさまです」
一度奢ると言った手前、ここで退くのは先輩の名折れ。千五百円——一人当たり七百円ちょっとなので、実は良心的な価格かもしれない——を払い、ポップコーンを受け取ってロビーへと戻る。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙。
昨日——会話が全く続かなかった初対面の時と比べて、今日は少しだけ長く会話が続くようになった気がする。が、やはりお互いの距離を測りかねていて、こうして沈黙がやって来ることもしばしばある。
どうやって話題を振ろうか考えあぐねて、なんとなしに六花の方を向くと。
「……」
「?」
六花は、玲の方をじっと——いや、厳密には玲が持ったポップコーンをじぃっと見ていた。
「……」
「…………」
「……えっと、食べる?」
「! ……いいん、ですか?」
野暮ったい前髪のすき間から、ぱぁっと輝いた瞳が覗いた。
恐る恐るといった様子で手を伸ばしかけて、六花は周囲をきょろきょろと見る。
「大丈夫だよ。ロビーで食べても」
「そっ、そう、ですか……いただきます」
玲が持つポップコーンの山から一粒つまみ、六花はゆっくりと口に運んだ。
さくっ。
「っ……!」
思わず玲の方を見上げる六花。その瞳はポップコーンのおいしさを訴えていた。
「お、おぉ……よかった、な?」
六花は玲と視線がぶつかるや否や俯いてしまったが、玲の網膜にはしかと六花の嬉しそうな表情と、上気した頬の色が焼き付いている。
——なるほど、これが、「奢る」……!
自分のお金が、誰かの笑顔につながっている——それを目の前で見て、実感として得られるのは何というか、こう、そそられるものがあるなぁ、と玲は思う。
しばらく二人でポップコーンをぱくついていると、開場のアナウンスが流れた。
▶Episode3-2に続く
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