Episode2-2 厨房の熱と思春期男子高校生②
夜のピークも落ち着いた午後9時過ぎ。
定時ちょうどで上がった玲が休憩室で待っていると、
「おつかれ~」
圭一が両手に深皿を持ってやってきた。
「あぁ、ありがとう。おつかれ」
ごとん、と置かれた深皿からは、焼けた肉の香ばしいにおいが漂っている。
見れば、深皿の中にはデミグラスソースに包まれたハンバーグが鎮座しており、鮮やかなニンジンのグラッセやインゲンが彩を加えている。ハンバーグの隣に魚のフライとソーセージも添えられていて、下に盛られた白米が見えないほどのボリューム満点の一皿だ。
まかないにも拘らず豪華(店で出したら1500円はするだろう)なのは、オーナーである圭一の父親の厚意だ。
玲の事情——親代わりの人が死んで、ひとり暮らしをしていること——を知っているオーナーと圭一は、まかないにおかずを追加してくれるのだ。玲が申し訳ないと辞退しても、消費期限が近いのを処理しているだけだからと言って聞いてもらえなかった。
……もっとも、厨房で働いている玲は、消費期限が近いという話が嘘であることくらい分かるのだが……気遣いを無下にするのも悪いので、甘えさせてもらっている。カロリーはもう気にしないことにした。
「あ、そうそう。昨日、前に教えてもらった『ジョン・ウィック』を見たんだけどさ」
と、玲が淹れておいたお茶を啜りながら、圭一は言った。
「……ん、昨日?」
「めちゃくちゃ面白かったぜ。色々意味わかんなかったけど」
「へぇ?」
沢口が洋画観るなんて珍しい、と思いながら、玲は続きを促す。
「自動車に撥ねられても大丈夫なの意味わかんないし」
「まぁ、」
「スーツの布1枚で銃弾を受け止めるのも意味わかんないし」
「……それはそう、」
「なにより変身しなかった」
「変身しちゃうのが一番意味わかんないだろ。キアヌなんだと思ってるんだ」
「でも、キアヌが"——
「お前もうライダー映画以外見るな」
サプライズニンジャ過ぎるだろ、と玲は呆れた。
ちなみにサプライズニンジャ理論とは、作劇理論の一種だ。
シナリオ作りにおいて、何の脈絡もなく唐突にニンジャが登場する方が面白くなる程度のシーンなら書き直せ、という戒めである。
……いや、『ジョン・ウィック』本編でも唐突にニンジャ出てきてたな……。
「なにはともあれ、現実で銃撃戦はしたくないな。痛そう」と圭一。
ひとしきり話して満足したのか、圭一はハンバーグ丼を食べ始めた。玲もいただきます、と呟いたところで、ふと気になった。
「ところでさ」
「んー?」
沢口はハンバーグ丼を食べ進めながら、片眉を持ち上げて応える。
「最近、速水さんとどうなのよ」
「どっ、どどどどどどどうって、べ、別に何も無いっスけど⁉ べっつに夜中に通話しながら同じ映画観たとか、そういうの全然ないっスケド!」
「そうか……」
冷静にツッコもうと思ったが、圭一の表情があまりにも嬉しそうだったのでやめておいた。ここでツッコむのも野暮だろう。
「なんかもう……お前が幸せそうで良かったよ」
「え、なに急に。ごめん、気持ちは嬉しいけど俺、速水さん一筋だから」
「人がせっかくツッコミ自重したのに……! そういうところだぞお前……」
沢口圭一は、速水あかね——玲の後ろの席の女子——のことが好きだ。
出会いは中学1年生のときまで遡る。
中学生活初日、席が隣になったあかねに圭一はひと目惚れしてしまったのだ。
それからは、あかね好きだというバンドの曲を聞いてドハマりしたり、あかねがバンドを始めたと聞いて自分もギターに手を出してみたり、クラスが別々になった中2の時には あかねが入る委員会を推測して実際に同じ委員会になったり……。
そんな涙ぐましい努力は実を結び、たまに二人きりで遊ぶ程度にはあかねにとっての仲のいい友人になることができた。
そして満を持して、中学3年生の冬。
沢口圭一は、決死の思いで速水あかねに告白した。
——が、「ごめん。友達としては好きだけど、そういう風には見たことなかったかな……ほんと、ごめん」とあっけなく振られた。割とガチで申し訳なさそうな顔をしていたのが未だにトラウマである。
以来、想いを吹っ切ることができないまま、友達としての関係は続いている。
最近あかねと知り合った玲から見れば、あかねも圭一の好意がまんざらでも無さそうな感じはするが……まぁ、色々あるのだろう。初恋もまだの玲には、そこら辺の機微が分からない。
「……1回振られてるんだろ? なんでまだ好きなんだ?」
「そりゃお前……付き合えるかどうかと、好きかどうかって別の問題なんだよ。
付き合えないから好きじゃなくなる、なんて、そんなわけないだろ」
「そ、そういうもんか……」
それに、と圭一は言葉を続ける。
「別にいいのさ、あかねが幸せになってくれれば。別に恋人になるのが俺じゃなくたって、あかねを幸せにするのが俺じゃなくたって別に……いいのさ、」
「…………」
「なにそのキモい人間を見る目」
「いや、キモい人間を見る目だけど」
「ひどい⁉」
人のピュアな想いを何だと思ってるんだ、と圭一は抗議の視線を玲に向ける。玲は無視してハンバーグにかじりついた。
「……でも正直、今はバンドが忙しいからなぁ……よしんば付き合えたとしても幸せにできるかどうか」
「沢口…………お前、なんつーか、けっこう香ばしいよな……」
圭一はなかなかロマンチストだ。
その感性が花開いたのかどうかは知らないが、圭一は中学時代の同級生とやっているバンド活動でそこそこの評価を得ている。確かインディーズのレーベルからデビューの話も来ていたはずだ。
玲は最近、そういう——自分の才能を知っていたり、やっていることがあったりする人間が、少しだけ眩しいと感じるようになった。かといって、自分が何かやりたいことがあるわけではないのだが。
別に音楽の才能が欲しいわけではないのに、音楽の才能を持っている人間を羨ましく感じる……というのは流石に図々しすぎるな、と玲は自嘲する。
「んで、速水さんがどうかしたのか? ……ま、まさか高校生対バンライブで知り合った金髪軽薄(俺みたいな)イケメンギタリストと付き合い始めたり——ぐっ、想像しただけでダメージが」
「違え。ちげえよ。いやオレが知らないところでよろしくしてるのかもだけど」
「よろしくとか言うなよ」
「……同級生彼氏の部屋に行って一緒にテスト勉強したり、大学生彼氏の部屋で一緒に映画見ながらいい雰囲気になってたり、独占欲強めな社会人彼氏から付けられた首元のキスマークをクラスメイトに見られて『
「や、やめ」
「近い将来、大学の新歓でろくに自分のこと知らない先輩に誘われるまま途中で抜け出し初めてのお酒の高揚感も手伝って腰に回された先輩の手に身を委ねながら」
「やめろそれ以上は泣くぞお前ッ! ……あ待ってほんとに泣きそう……」
圭一は割と本気で悲しそうな瞳で訴える。
およよ、と涙をぬぐう圭一を見て、「恋愛って残酷だなぁ」と思いながら玲はお茶を啜った。
「ところで」と鼻をかんだ圭一が言う。
「——なにかあったのか? いや、速水さんの話に限らず。双海に」
「あー……、いや、別に、なんも」
玲は視線を逸らして、歯切れ悪く答えた。
「ふぅん……」
圭一は興味を失ったように、ハンバーグ丼を食べ進める。
正直、圭一に相談する内容なのかは分からないが——さりとて、他に相談できそうな友人もいない。玲は努めて何の気なしに、圭一に聞いてみた。
「……なぁ、沢口」
「ん?」
「人と仲良くなるには、どうすりゃいいのかな」
「…………」
「何そのキモい人間を見る目」
「いや、キモい人間を見る目なんだが」
「ひでぇ……人が割とマジで相談してるのに……」
はぁ、と玲は肩を落とす。
圭一はマジか、と呟いてからお茶をすすって、
「仲良くなるには、会話すりゃいいんだよ」
と、簡単に言った。
「いや、それがさ——」
玲は、天瀬六花という後輩の世話を頼まれた事情を説明する。
後輩の世話を紗香——去年のクラス担任——に頼まれ、その子と一年間やっていかないといけないこと。その子があまりにも世間に疎くて、会話が続かないこと。沈黙が気まずくて、早く何とかしたいこと——
彼女が「青春をしてみたい」と思っているという事だけ伏せて、今日の放課後にあった出来事を話す。
「だから、会話がそもそも続かないし、会話ができないから仲良くなれる気もしない。そんな感じで悩んでる…………あー、まぁ、自分で何とかするよ。忘れてくれ」
「…………お前さぁ、」
会話を打ち切ろうとした玲に、圭一の容赦ないジト目が突き刺さった。
口を見事な三角形にした圭一は、「やれやれ、分かってないな……これだから素人は」と呟きながら両手を顔の前で組んで言い放つ。
「いいか? ——会話ってのはな、『恋』なんだよ」
「帰るわ。ごちそうさま」
「待って。待ってくださいっス。あとその侮蔑の眼差しもやめてくれると嬉しいっス。あ、やっぱやめなくて良いっス。その視線、最近だんだん気持ちよくなってきちゃったんス」
「……明日のハンバーグ、味がいつもと違うかもな」
「っス。マジですんませんっス。衛生的観点から俺の肉をそのまま使うんじゃなくて、ブタの餌にする程度で勘弁してほしいス」
「そっち? え、気にするのそっち?」
ちょっとだけ料理人のプライドを垣間見て、不覚にも圭一を見直しかける玲。
圭一は気を取り直して、しぶしぶ腰を下ろした玲に語り始めた。
「ごほん——俺が思うに、双海は〝会話〟をしようとしてないんだよ」
「……? いや、オレ、普通に話してるつもりだけど。沢口だけじゃなく、他のクラスメイトとも」
「いや、双海が普段してんのは〝コント〟だから。会話じゃねえから」
「……そ、そう、なのか?」
冷静なツッコミに、玲は少したじろいだ。
「そうだろ。双海は他人と会話する気が全くない」
「いや、普通にあるけど——」
「いいや、全くないね——だってお前、相手を知りたいとか、全く思ってないだろ」
「——、」
「それだけじゃない。自分の事を知ってほしいとも思ってない」
見透かしたような視線。
薄く口を開いて、圭一に悟られないように息を吸いこむ。確かに吸い込んだはずの空気は喉元で詰まって、空っぽになった肺を満たしてはくれない。
「……どうだろうな、」
やっと絞り出した言葉は、喉を震わせるための空気が足りなかった。圭一まで届かずに、木目調のスチール長机の上に落ちる。
「会話ってのは、恋なんだよ。
相手を知りたいと思うこと——相手に知ってほしいと思うこと。
その両輪がなくちゃ会話なんてできない。双海にはどっちもない。そりゃ会話なんて成り立つわけがないのさ」
「——お前、他人にも、自分自身にも興味ないだろ」と圭一は言葉を継ごうとしたが、俯きかけた玲を見てやめる。
玲としても、圭一に図星を指された自覚はある。
玲が会話をするのは、別に相手と仲良くなりたいからではない。沈黙が嫌だから、気まずいのが嫌だから——誰かと一緒に居るのに、相手との会話がないことに耐えられないから、会話をしたいと思っている。
沈黙は、恐ろしい。
沈黙は本質を連れて来てしまうから——否、沈黙が自分の本質であると気づかされてしまうから、恐ろしい。自分には何もないのだと。語れるような、聞かれるような、そんな「ジブン」が無いのだと、突き付けられてしまうから——
玲は小さく息を吐いて、手元にあったカップを口に運んだ。
が、中身が無くなっていたので、備え付けのポットからお湯を注いで二煎目のお茶を淹れる。
ティーバッグから色がじんわりと沁み出していくのを眺めながら、玲は呟く。
「……ま、言う通りだな。そこまで相手と仲良くなりたいわけじゃない。そもそも一年だけの関係だしな。別に問題さえ起こさなければいいんだ。……ありがとう、とりあえず無理に会話しようと気張らずに、ゆるくやってみるよ」
「だからとりあえず、双海がすべきはデートだな!」
「話聞いてた?」
「いーや聞かねェぞ。明日の打ち上げ、せっかく速水さんが誘ってくれたのに断ったんだろ? そんな人間の言葉は聞く価値がねェ。チクショウ、速水さんから双海に声かけてもらえるよう、わざわざ頼んだのに……」
「お前か? お前だったのか? 速水さんに「双海持ってきて」って依頼(懸賞金付き)出したのは……うっかりペンで暗殺されて首だけ持ってかれるところだったんだぞ」
「いや、生死不問で頼んだから、それでちゃんとオーダー通りだ。ダイジョブ」
「なんもダイジョブじゃねぇが?」
裏社会に毒されすぎだろお前ら、と内心微笑ましく思いながら、玲はツッコんだ
圭一も笑うと、玲を指差して。
「それにしても羨ましいぜ」
「ん?」
「だってよ、自分を先輩って呼び慕ってくれる後輩を持てるなんて、今だけだぜ? きっと大学に行ったら「さん」付けだろうし、社会人になっても多分「○○さん」呼びだろ。まぁ、俺はそもそもこの家継ぐから関係ないけど……でもさ、慕ってくれる後輩女子って良いよな。なんかこう、無垢な感じが良いよな。良いよな?」
「……そうか?」
「そうか? じゃねえよ。もっと興味持ってよ。興味持つためにもとりあえずデート行ってこい。明日な明日。いいな? お前が打ち上げサボった理由、口裏ちゃんと合わせてやるから」
痺れを切らしたのか、圭一は投げやりにデートを勧める。
「ぐ……でもデートって言ったって、そんな急に。相手の都合もあるだろうし」
「ならとりあえず都合を聞け」
「そ、そもそも連絡先持ってないし」
「明日教室行って直接聞け」
「で、デートったって、何をすればいいか分からないし」
「うーーーーーがーーーーッ! その『何をするか』を一緒に探す段階からデートは始まってるんだよトーシローがぁッ! 行けよッ! たとえオプション料金で制服を追加することができたとしても、
興奮のあまり圭一は椅子の上に立ち上がり、力強く拳を振り上げた。痛切な咆哮に玲は思わず、
「お、おぉぅ、おう! ……おう?」
と、頷いてしまったのだった。
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