Episode2-1 厨房の熱と思春期男子高校生①

 午後五時のバイト先は、まさに嵐の前の静けさといった様子だった。


 さほど広くないログハウス風の店内はがらんとしているが、あと一時間もすれば、息継ぎするのもやっとという具合に混雑する。

 ここは洋食屋フォークロッジ。木のぬくもりを感じさせるログハウス風の内装と、こだわりのハンバーグが売りの小さな店だ。玲のバイト先でもある。

 そんなフォークロッジの手狭な厨房で、玲の隣に立つ男は語る。


「……やっぱりよ、“ビンビン”よりも“ギンギン”の方が良いと思わないか。

 考えてもみろよ、金に挟まれてるワケだろ? だったら「ビン」は縁起が悪いだろ。金だったらゴージャスじゃなくっちゃ——なぁ、そうだろう?」

「お前もう帰れよ」

「いーや、こればっかりは譲れないぜ? 連想・反復・逆転がギャグに必要不可欠なエッセンスだとするのなら、それらすべてを包括しうる〝下ネタ〟は人類世界における最高のギャグなんだよ。人類の歴史とはあの手この手で下ネタを言おうとしてきた叡智の軌跡だ。生物としての本能と、知性あるヒトとしての倫理ッ! 理性と言語を獲得してしまったからこそ生み出された、原始欲求と社会規範の乖離ッ‼

 そうッ! 進化し、文明を確立し、規範意識を持たなければ獲得することがなかった、〝下ネタを面白がる魂〟こそが人類の進化の象徴ッ‼ 

故に人類の矜持として、誰も彼も心の中に——否、己の魂に、誰にも譲れない下ネタを」

「あ、速水さん来てる」

「っス。俺、フライパンに集中するんで、ちょっと黙っててもらえまっスか。うちのソーセージは直火で焼くんじゃない。魂で焼くんだって、死んだじっちゃから託されたっス。ところで速水さん何番卓っスか。ホールの健さんの腰が心配なんで俺が運ぶっス」

「………………コイツ、」

 どこからツッコもうか迷った挙句、とりあえず玲は隣でソーセージを焼く男に軽蔑の視線を向けた。

 彼の名前は沢口圭一さわぐち けいいち。誠に遺憾ながら、玲の高1からのクラスメイトだ。

 切れ長の目と地黒がかった肌。コック帽に収められて分かりづらいが、髪色はかなり明るく染められている。ヤンチャな見た目なので誤解されがちなものの、中身はいたって普通の思春期男子高校生である。

「……あの、視線が熱いんスけど。俺を加熱しても仕方ないんスけど」

「黙れよ」

「…………うス。ところで速水さん何番卓、」

「いねえよ」

「…………うっス……」

 露骨に肩を落とした圭一の手元を見れば、ソーセージがこんがりと焼き上がっていた。

 圭一はすかさず別のフライパンの前に移ると、ふと——しんと張り詰めた表情をして、被せていた蓋を持ち上げる。

「……、うし」

 煙と同時に広がった香ばしい香り。よく手入れされた鉄フライパンの中心に現れたのは、食欲をそそる焼き色のついたハンバーグだ。


 圭一は眼光で最後の仕上げをするかのように、じっとハンバーグを見つめた。納得して頷くと、手際よく皿に盛りつけてカウンターへと送り出す。

 流れるような一連の動作は、一朝一夕では到底辿り着けないちゃんとした〝料理人〟のそれだった。額を拭うと、圭一は満足そうな笑顔を浮かべる。

 この男——沢口圭一は、高校生にして店の名物ハンバーグのフライパンを預かる、洋食屋フォークロッジのひとり息子だ。

 玲とは高1の時から2年連続で同じクラスで、腐れ縁的な仲である。


「んで、やっぱり〝ビンビン〟より〝ギンギン〟の方が良いよな?」

「やっぱ帰れお前」

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