Episode1-2 初夏のにおいと気弱な後輩②

 玲の通う東浜高校は、海のそばにある。

 全教室オーシャンフロント(オーシャンビューではなく、断固としてオーシャンフロントとパンフレットに書かれているので、それに倣うことにする)を売りにしているものの、それだけ。オーシャンフロント以外の特色は一切ない。卒業後の進路は進学と就職が7対3くらいの、まさしく中堅校。

 10年前——2026年に改築されたという比較的新しい校舎は、絶え間なく吹き付ける潮風の影響であちこちがボロボロになっていた。

 そんな校舎がまだ綺麗だったころの面影を残した、リノリウムの廊下を歩く。

「双海さん、部活も委員会もやってなかったわよね?」

「えぇ、去年はそれどころじゃなかったですし、今年は……球技大会の委員押し付けられましたけど、それだけですね」

「……うん、そっか。去年は大変だったものね……。最近はどう?」

「おかげさまで」

「高校生がいっちょまえに社交辞令なんて使っちゃって。……でも、なにも無いなら、それが一番よね」

——去年、親代わりだったひとが死んだ。

 玲の中学卒業と同時に戦争に行って、一人での生活と高校生活が始まった。目まぐるしい毎日を過ごしていた時に、玲のもとへ彼の戦死の報が届いたのだった。

 ふと襟から忍び込んで来る寒さに、ネクタイを締める。

 全教室をオーシャンフロントにする都合上、海のある東側に教室が集まっている。  

西側にしか窓がない廊下は、採光の関係で暗くなるのが早いのだ。

「ところで、どんな子なんですか? これから会う後輩ってのは」

「どんな子って……普通の子よ? うん。普通の、高校生の女の子」

「へぇ?」


 普通の——。

 聞いて、果たして自分は、「普通」なのだろうかと省みる。

 そんな玲を見透かしたように、紗香は廊下の先を見ながらひとりごとのように呟いた。


「そう、普通に友達ができて、放課後に遊んで、卒業式の時にみんなと記念写真を撮るような、そんな高校生活を送れる、普通の女の子」

 紗香はちらと、玲に視線を向ける。

「だから、双海さん。君の思春期特有の青くさいスタンスも分かるけど、」

「帰りますね」

「待って! 今からいいこと言うから待って!」

「……」

「ごほん——それでも、私は、君に、これから会う子と仲良くなってほしい。たとえ無理にでも、仲良くなろうとしてほしい。それはきっと、君のこれからの人生を支える想像力の糧として、必要なことだから」

「……さいですか」

「……あんまり名台詞感出なかったわね。リテイクしていいかしら?」

「人がせっかく神妙な顔してやったのにひどくない?」

 薄暗い廊下をしばし歩いたところで、1年生の教室の前に着いた。紗香が担当している1年3組の教室だ。玲が去年お世話になった教室でもある。

 教室の前で立ち止まると紗香は玲を横目で見て、とんとん、とノックしてから紗香が扉を開けた。


「おまたせ——天瀬あませさん」


紗香が声を掛けると、窓際の席で本を読んでいた少女が玲のほうを向いた。




——吹き抜けた潮風に、色がついたような気がした。


 窓枠で四角く切り取られた青。眩く差し込む西日の逆光は、教室の彩度を極限まで落とし……けれど一層、フレームの内側の情景を際立たせる。風を受けてふわりと広がったカーテンのプリーツが、気の利いた額縁のように視界を装飾していた。

 まるでこの教室、この視界を埋めるすべての要素が、瑠璃色を背負って佇む少女を引き立てるかのように。あるいは、その少女を起点に生み出されたかのように。

 

 静物——人気ひとけの絶えた美術館の片隅で、誰かに見つけてもらうのを静かに待っていた絵画を思わせるような、そんな光景だった。

 玲は思わず呼吸も忘れ、少女の髪が揺れるのを眺めていた。



「紹介するわね。こちら、2年生の双海玲さん。去年の私の教え子」

「あ、こんにちは。双海です、よろしく」

 紗香に水を向けられ、ようやく少女が彫刻でも絵画でもなく、普通の生徒であると思い出す。玲は頭を振って、夢見ごこちの意識をしゃっきりとさせた。

「そしてこちら、1年生の天瀬六花あませ りっかさん」

「…………こ、こんにち、は、」


 六花は軽く会釈をすると、所在なさげに本を閉じた。

 どことなく気弱というか、自信がなさそうな印象の子だ。


「じゃあ、軽く面談だけやっちゃうわね」

 言いながら、紗香は六花の前の席に腰掛ける。

「ならオレ、外に出てますよ。話しづらいでしょうし」

「あぁ、いいのいいの。すぐ終わるから」

「いや、それは天瀬さん次第なんじゃ……」

 話しづらいかどうかは天瀬が決めるべきものだし、すぐに終わらせようとするのもマズいのでは、と玲は思ったが、無情にも面談は始まった。


「どう? 天瀬さん、学校……たのしい?」

「はい…………楽しい、です」

「うん! そっか! じゃあ話すことはこれくらいかなー!」

「教師としての責任を放棄するんじゃない」

 明らかにダメな反応だったろ、今の! と叫びたくなったが、六花に失礼なので玲はぐっとこらえた。


「知ってる? 生徒の自主性を重んじることによって判断力と行動力を育み、対症療法的な問題解決ではなく、原因療法的な問題解決を行うのが我が校の校風なのよ? 社会に出たら、自分で自分の問題を把握して解決しようと思う自省能力は不可欠だもの」

 それらしく聞こえるが、大事なところだけ意訳すると「勝手に性根から叩き直れ」と言っている。玲は容赦のない半眼を向けた。

「その自省能力をやんわり獲得させるのが教師の仕事なんじゃ——」

「……ふふふ」

「……?」

 玲が藪蛇だと気づいた時には、既に紗香の手が双海の肩を捉えていた。


「だから、双海さんにお願いするわ。

 歳の近い子との交流を通して、。ね?」

 教師が介入せずに済むのなら、それが一番健全だもの、と紗香は続けた。

「……さいですか」 

 玲は、勘違いをした自分を少し恥じる。てっきり天瀬の問題——一見するに、気弱なところ——を解決しろ、という話だと思ったら、玲自身の問題を解決しろと言われてしまった。

「あの……、」

 と、控えめに手を挙げたのは、置物になって話を聞いていた六花だ。

「そんなに……私のことで、ご迷惑をおかけするのは……」

「いや、迷惑なんてそんな……ちょっと先生、これじゃまるでオレが押し付けられたみたいになっちゃうじゃないですか。天瀬さんにすげー失礼ですよ」

「? ……あぁ、そっか。天瀬さんには言ってなかったわね」

「え……?」

「この学校、ブラザー/シスター制度っていうのが導入される予定でね? ほら、企業でやってるみたいな」

 一般企業におけるブラザー/シスター制度とは、新入社員ひとりに先輩社員ひとりが付いて、仕事を教えたり、プライベートの相談に乗ったりする制度だ。業務の枠を越えて築かれる信頼関係は、まさしく兄弟姉妹というにふさわしい。

 学校においては部活動によって縦の関係が生まれるが、もちろん部活動に入っていない生徒はいるわけで。

「そんな部活に入っていない生徒に、暇そうな先……双海さんみたいな生徒をあてがって、健全な交流を生み出そう、っていう制度なの」

「実際ヒマだから言い返せねえ……」

 まぁ、バイトに家事と、玲も言うほど暇ではないのだが……ここで躍起になってツッコんでも、六花に負い目を感じさせてしまうだけだろう。冗談めかしてスルーする。

「で、被験者として丁度いい二人がいたから、お願いしてるというわけ。こちらこそ、2人に迷惑かけちゃってごめんね」

「そうだったん、ですか……なら」

「よかった。双海さん、誤解されやすいけど…………ほら、根は、良い人だから」

「最近みんなに避けられる理由わかったぞ? あんたのその発言だな?」

紗香がしおらしく「根は良い人」なんて言ったら、まさにDV年下ヒモバンドマンの養分にされる美人OL感が出てしまう。怖い。実際に年下ヒモバンドマンに引っかかりそうなのが怖い。


「そういうわけで、これから1年間、ブラザー/シスター制度のおためしペアとして、仲良くいい感じに過ごしてね~。じゃ、あとは若い二人でごゆっくり~~」

「あ、ちょ、稲野先生⁉」

 言って、紗香はそそくさと教室から出て行った。

 玲はそのうしろ姿を見送りながら、ポツリと呟く。

「行っちまった……にしても、そんな制度が導入されるなんて知らなかったな」


 ちなみに。


 廊下でぽつりと呟かれた「ま、嘘なんだけどね」という言葉は、誰に聞かれることもなく、窓ガラスの揺れる音に紛れて消えた。

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