レグルスの残照~気弱(?)な後輩と送る青春ラブコメ~

志賀拓也🍩DONUT SOFTWARE

Episode1-1 初夏のにおいと気弱な後輩①

 ちょんちょん。

 軽やかに吹き抜けた初夏のにおいを追うように、視界の端でカーテンがふわりと揺れた。

 頬を掠めたカーテンを非難するように視線を向けると、窓の向こうには気だるげに煌めく午後の海が広がっている。

 つんつん。

 窓から吹き込む潮風と、教室特有の埃っぽい木のにおい。次第に大きくなっていく廊下の笑い声を聞いて、そろそろSHRも終わりかな、と玲――双海玲ふたみ れいはスクールバッグのファスナーを閉めた。

 ぐさぐさ。

「流石に痛い。痛いってば。明らかに効果音変わってきてない?」

「あ、ごめん。眠そうだったから」

「眠いけど……ペンで刺すな。そんなんじゃ成長期の眠気は収まらん」

「いや、だから安らかに眠らせてあげようと思って」

「え、そっち? 永眠?」

「ははは。冗談じょーだん。まぁ、私が昨日『ジョン・ウィック』見た話はさておいて」

「刺そうとしたな? 冗談じゃなく刺そうとしたな?」

 傷跡できたらどうすんだ、と玲は嘆息する。

「花盛りの17歳の柔肌を何だとお思いで?」

「若さに甘んじてケアを怠ると指数関数的に劣化していく砂漠化寸前の土地」

「……………一瞬でも真理だと思っちゃったのすごい嫌だなぁ……」

 玲がすごい嫌そうな顔をして答えると、後ろの席の女の子――速水はやみあかねは、からからと笑った。外ハネの効いたウルフカットが特徴の、さっぱりした性格の子だ。

今年から玲と同じクラスになったので、付き合いはまだ一か月程度。けれど高校生活のイベントとは凄いもので、先週の球技大会でチームになって以来、そこそこ会話するようになった。

「それで……やっぱり来ないの? 球技大会の打ち上げ」

「あ、うん。悪い。明日はバイトあるし」

「そっかぁ~。ま、バイトなら仕方ないよね。せっかくクラス委員やってくれたから、みんな来てほしい~って思ってたんだけど。……あと、私も双海さんともっと話したいし」

「ごめんな……また機会あったら行くからさ」

「はーい。でも残念だなぁ……双海さん連れて行ったら男子がおごってくれたのになぁ」

「会話のオチつけるために本音出すのやめよう?」

「…………」

「ペンとオレの首を交互に見るのもやめよう? 『双海持ってきて』でオレの首だけ持って行って成立する時代じゃないんだわ」

「まぁ、身体がついてた方が良いもんね」

「そういうことじゃないし、肉体だけじゃなくて魂も一緒に連れて行ってあげてよ……」

心身二元論ってやつだね、とあかねが冗談めかして言うと、ようやくSHRが終わった。

 玲はあかねに「じゃ、」と短く言って、放課後の到来にざわめき立つ教室を後にした。



・・・



 かきん、と響いた金属バットの乾いた音で、不意に自分の日常と誰かの「青春」が地続きにあると思い出す。


 五月も半ばになり、校舎も体育館も校庭も、どこもかしこも活気づいていた。もうすぐ運動部は夏大会が始まる。3年生にとっては最後の大会だから、気合が入っているのだろう。

 青空に抜けるような合奏の音。運動部の掛け声に、文化部の今日持ってきたお菓子の話。

 放課後の校舎に溢れる様々な音を逃がしてやるように、玲は屋上へと続く扉を開けた。

「……ふぅ」

 吸い込まれそうなほどの快晴。

 時刻はいまだ午後3時半で、バイトの時間まではまだ一時間半もある。そんな時、玲は決まって屋上で時間をつぶすことにしていた。

「…………打ち上げ、かぁ」

 先日開催された球技大会は、かなりの盛り上がりを見せた。

 クラスの球技大会実行委員を務め、かつ持ち前の運動神経でチームを逆転勝利に導いた玲が打ち上げに誘われるのは、当然のなりゆきだといえよう。

 もしかしたら、新クラスの親睦会も兼ねているのかもしれない。

 あかねには悪いことをしたかな、と玲が嘆息すると同時に、後ろでドアが開いた。

「まーた来てる……」

「ども。時間つぶすのにちょうどいいんで」

 開いたドアからひょこっと顔を覗かせたのは、去年の担任の稲野紗香いなの さやかだった。

 平均よりも少し低い背丈と、よく手入れされたふわふわの髪。セーターの似合う姿は、どことなく現代文の教師っぽさがある。が、見た目に反して修士卒の生物教師だ。

「君はもっと、青春の有限性に気付いた方がいいと思うなぁ……アオハルの貴重な時間を「つぶす」なんてもったいないよ?」

「アオハルって死語っすよ。年出て……」

「…………何か言った?」

「29歳くらいが一番いい時期だと思います。はい。若さと円熟みのバランスが。ええ」

 ちなみに、生徒である玲を前にしても右手に持ったメンソールのマルボロを隠そうとしていない辺り、なんでモテないのかがちょっと分かってしまう。


 稲野紗香はヘビースモーカーだ。

 玲がそれを知ったのは、去年のちょうどこの時期のこと。

一人でゆっくりできる場所を求めて校内をうろうろしていた時に、本来であれば立ち入り禁止の屋上へと向かう紗香を見つけたのだ。何気なく後をつけると、神聖な学び舎の屋上を喫煙所代わりにしている紗香を目撃し——口止め料として、屋上の使用許可を賜ったのだった。

 玲から少し離れたところまで移動して、紗香は煙草に火を点けた。軽く吸って、舌の上で転がしてから吐き出す。タールの重い紫煙が、まったりと宙に浮かんだ。

「せっかく屋上を使わせてあげてるんだから、友達と一緒に使えばいいのに」

「……せっかく屋上を独り占めできるんだから、友達なんて呼びませんよ」

「ふぅ~ん?」

 肯定とも否定ともつかない、曖昧な返事を返す紗香。人当たりのよさそうな柔和な笑みを浮かべながらも、指の間ではちろちろと赤い火が揺れている。



「そんなだから、適当なうそを吐いて打ち上げのお誘いも断っちゃうんだ?」



「……なんで分かるんすか」

「女の勘、ってやつかな♡」

 紗香のキメ顔に玲は思わず苦笑してしまう。

「苦手なんですよ、大人数とか、無理に仲良くなろうとするのとか」

 たかが3年——クラスに限って言えば、わずか1年間の付き合いだ。

そんな相手と頑張って仲良くなったところですぐに縁は切れるものだし、そもそも、頑張らないと仲良くなれないような相手と仲良くなっても仕方がなくないか、と玲は思う。自然と仲良くなる相手を大事にすればいいのだ。

「ま、そういう考えも間違いとは言わないよ。心の中で思うだけにしといてあげる。打ち上げサボるの、カッコいいって感じちゃう時期も……あるわよね……」

「なーに思春期に理解のある人っぽい雰囲気出してるんすか。そういうのじゃなくて——ただ、こう……めんどくさい、んですかね?」

 めんどくさい——口に出してみて、玲は合点がいった。

自分は、めんどくさいのだ。自分の自由時間を取られることが、ではなく、自分ではどうしようもない他人について一喜一憂することが。

「めんどくさい、ねぇ……」

 紗香は何かを続けようと口を開き、けれど吐き出されたのは煙だけ。

 夏を予感させる日差しと、春の面影を残す微風の流れが玲の頬を撫でる。玲が目を細めると、

「知ってる? 立場の近い人間と話すことで脳内物質のカテコールアミンが分泌されて、人間は幸福感を得るの。心理学で有名な『マズローの欲求五段階説』における【所属と愛の欲求】は、主にこの物質の分泌によって実現されるのよ? ……だから君にも、同年代の子とたくさん話して、幸せになってほしいの」

「へぇ~……」

「全部嘘だけど」

「おい生物教師。……え、全部って言った? オレに幸せになってほしいってとこまで嘘って言った?」

「私、これでも疑似科学が好きなのよね~。水素水みたいな。あの既知と奇知の絶妙なバランス感覚が好き。フィクションとして優秀なのよ」

「スルーの仕方が雑!」

 玲に半眼を向けられた紗香は、「はぁ、」と短くなった煙草をゆっくりと持ち上げる。ひときわ強く煌めいた火が、玲の網膜をちりと焦がした。

「なんにせよ、君はもっとちゃんと、同年代の子と向き合った方が良いと思うな~」

「ま、そのうちに向き合いますよ。時が来たら」

「ふぅん——時がきたら、ね」

 口の端を吊り上げながら、煙草の火を揉み消す紗香。それを見た玲は、今更ながらに自分が失言したと気づく。時が来たら、なんて言ってしまったら。

「ときに、双海玲さん」

「うわーもうこんな時間だ稲野センセと話してると時間があっという間に過ぎるなぁ~! じゃ、バイト行くんでさいなら」

 がしっ。

いつの間にか背後に回った紗香に、玲は肩をがっしりと掴まれた。煙草を持っていた手とは逆の手で掴んでいる辺り、なけなしのコンプライアンス精神を感じる。

「——ときに、双海玲さん?」

「……はい」

「可愛い後輩が欲しいと、思わ」

「思わないです」

「…………思わない? 自分の事を「先輩」って呼び慕って後ろをついてきてくれる後輩とか、後ろをついてくるだけの存在だと思っていたら要所要所で包容力を発揮して「頑張りましたね、先輩」って頭を抱いてくれたりする後輩とか、頭を抱きしめるなんて大胆過ぎたかな、って家に帰ってお風呂に入りながら一人で赤くなっちゃう後輩とか欲しくないの? ほんとに?」

「一切思わないです。ぜんぶ先生の願望じゃないっすか」

 ちなみに、この学校の教師はかなり高齢化が進んでおり、御年29歳(独身)の紗香がいちばんの若手だ。

「はぁ……ねぇ、一生眠たいツッコミばっかりやってて悲しくならない? 自分もボケてみたくない?」

「説得に困ったからって貶さないで⁉」

「ちょっと! ちょっと会うだけだからぁ! どうしても君に手伝ってもらいたいのよ——人助けだと思って!」

 あまりにも痛切な声音だったので、玲は観念して後ろを振り返る。



 ——人助け。

 眩く白飛びした、屋上の風景。中天を大きく回って下がり始めた太陽は、けれどその輝きを一層強め、眼下に広がる海面できらきらと揺れていた。

「……まぁ、会うだけなら」



「ぐすん……最初からそう言ってくれればいいのに……いけず……」


「ぐすん、ってかわい子ぶりながら2本目に火点けるのやめてもらえます?」

 

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