第24話 善意と教育
先輩・上司・教師・年長者・経験者・熟練者まあ様々、ある人Aよりもある物事Bにおいて先んじているCという人が必ずいます。どんな物事でもそう。
そして、一様にではないですが、特にタチの悪いCの人は言います。
『お前のためを思って言ってやってるんや!』という極悪な常套句。
この言葉は、相手に対して、自分の優位性を暗示するために、使う言葉です。
本当は、少しだけ勤続年数が多いだけだったりするのにも関わらず。それを口に出してしまうのは、自身の優位性に、あまりに自信がないからでしょう。
そういう人って、人のことを言えないことが多いと思います。
『なんだかんだ言って、そういう発言する相手(C)もアルバイトで、正社員に出世していない。』とか、『あるとき失態を犯してペナルティでアドバンテージを足踏みさせられている。』とか理由は様々でしょうけど。結局は、相手は別に自分とそうそう変わらないことが大抵です。
なぜそう言葉を荒らげるかって言うと、『俺の方が上だぞ!』と主張したいんですよ。実際には、大差ないから、認めたくなくて、そう言うんですよ。
正社員の人たちを見てみてくださいよ。アルバイトに対して、全く威張らない。だって、アルバイトが一日7時間拘束なのに対して、正社員さんは、一日9時間拘束で、そのうえ様々な仕事を任されて、直接お客様とも接するし、それだけ偉いですもんねえ。実際に。
で、なんでそんなことになっちゃうかという話なんですが、さらにややこしく絡まってきちゃうのが、善意です。
最近、中村文則の『教団X』という小説を読んでいて、今日読んだところのフレーズですげえなと思ったのがありました。引用します。
”人間は、自らの優位性を信じたくなる生物です。さらに人間は善意を前提とする時、もっとも凶暴になれる。善意・正義を隠れ蓑に、自らの凶暴性を解放するのです。”
そうなんですよね。仕事でいえば、『仕事を教える』という大義名分があるから、『仕事を教えている』という企業にとって有意義で前向きな行為に酔えるから、人は自分の言っていることに気持ちよくなれるんですよ。(仕事を教えているという、企業にとって善の行為を隠れ蓑に、凶暴になることが、人間は可能だ。という意味。)
仕事について教えていると、気持ちいい。だから、その時に出る言葉に、善悪の判断がつかなくなる。そのために、グサリと刺さる言葉が使えるようになっちゃうんですよね。
パワハラの正体はこれなんですよね。困ったことに。
実際困ったことに、ほとんどの企業って言うのは、パワハラする人とされる人では、する側の人を『教育者』と役割づけて、擁護するんですよね。
なぜなら、される人はつねに、教わる側だから。
パワハラに対して、下手に反発しようものなら、最悪の場合、教育者に刃向った、狂乱者みたいな扱いになるかもしれません。
それは、先輩である教育者に、後輩である教わる側の人が、かみついた構図だから、企業からしたら、学ぶ気が無いと取られてもおかしくないわけよ。
だから、新入社員って、仕事が続きにくいんだよねー。
皆さん、お疲れ様です。今日も仕事頑張ったね。
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