第2話 ポピュラーミュージックとフォークソング

思うんすよね。現代の音楽って、ホンマに複雑やなって。アメリカのポップスは、いつでもいつの時代今でも頭から離れないようなシンプルなコード進行になっているんですけど、日本は時代によって全然音楽性が違う。それはなんでなんだろう。考えていきましょう。


日本人と言えば、謙虚が美徳とされる国民性を持っていて、アメリカ人に例えば、「Are you speak japanese?」と聞いたときに、アメリカ人が「Sushi」と「Arigato-」と「Sayonara」と「Sukiyaki」etc…のように単語しか知らなくても「Oh!OK!」って言うところ、日本人は、「Are you speak English?」って聞かれたときに、「Why don’t you for the people!」とか「Hi!Ocean Pacific Peace!」とか英語で認知できるのにさ、「I don’t speak English.」とか言っちゃうじゃないですか。


だからかね、音楽に対して、これでもかこれでもかというほどにどんなに作り込んでも納得がいかないのか、とんでもない音楽ができたりするんですよね。Official髭男dismのCryBabyとか転調の嵐じゃないですか。それに、YOASOBIも凄いよね。


何でそうなんねんと考えたときに、やっぱり、日本人の謙虚さだけでなく、国民幸福度調査なども関係があると思いますよ。世界で47位と低い日本の国民幸福度調査の結果がありますが、これは、やっぱり若者の間で牽制的雰囲気が蔓延しているからだと思います。まあ僕も若者の部類に入るんですが。


というのも、音楽と言うのは本来癒しや勇気づけの役割があって、フォークソングの時代なんかは、簡単なコード進行で構成されていて、むしろ今のアメリカ音楽よりだったんですよ。みんなと歌ったり聴いたりして、勇気づけられて絆を深めていくみたいな感じ。イルカとか中島みゆきとかそうでしょ?でもね、今の日本の音楽なんかは、極端な言い方すると、「薬物」に近いよね。


「エモい」とか最近言うじゃないですか。あれって結局のところ、今までの音楽で聴いたことがあまりない、刺激的な音楽体験をさせてくれるコード進行の事なんですよね。それが山盛りに使われているのが現代のJ-popなんじゃないかなと俺は思うわけですよ。


米津玄師さん、変拍子と変調の天才ですよね。僕は音楽理論を語れるほど詳しくはないんですけど、一言で言うならば、他と一線を画している、別次元の音楽家だと思いますよ。


そういうのが流行るのは、国民幸福度が低いから、薬物として音楽を投与して生きていくからなんですよね。僕は別に米津が薬物で違法だって言っているわけじゃないですよ。音楽って、薬物何だなあって思ったので、伝えたかっただけですよ。


ご清聴ありがとうございました。あ、ご精読ありがとうございました。かな。


次のお話でまたお会いしましょう。

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