かけがえのないもの


「みんな、話がある」


芝浦しばうら家の夕食時、食卓に全員揃っているのを確認して、芝浦は切り出した。

常にない引き締まった雰囲気の彼を見た家族が、全員手を止めた。スマホ命の双葉ふたばですら顔を上げた。

そんな一人一人の顔を見てから、芝浦は覚悟を決めて話しだした。


「実はりひとがさらわれた。犯人はわかっているんだが、身分のせいでおとがめなしになりそうなんだ」

『…は?』


芝浦に注目していた面々は、予想外の出来事に言葉を失った。一番最初に硬直が解けたのは、次男の逸人いつとだった。


「りひとさらわれちゃったの?!助けてあげてよ、お父さん!!」


まずは予想通りの反応に、芝浦が表情を曇らせる。逸人の声を皮切りに、家族から次々に声が上がった。


「え、ちょっとどうしたのよあなた、なんで事件みたいなことが起こってるの?そんな部署じゃなくなったんじゃなかった?」

「……りひと…、無事なの…?何も…されてない…?」

「身分て何?今時の日本で、んなもんあんの?しかもおとがめなしとかありえないんですけど」

「…お父さんが捕まえられないとなると、相当なご身分の方か、ひょっとして警察関係者ですの…?」

「とーちゃん!!せーぎの鉄拳はどーしたんだよ!?犯人わかってるなら捕まえちゃえよ!!」


皆口々に思いを述べる。混乱するのも無理はない。芝浦はこの先を、どう切り出そうか迷い、目を閉じた。

視界が暗くなる。様々に飛び交う会話の中で、逸人の声が鮮明に聞こえてきた。


「…お父さんは、どうするの?「りひと」を、どうするの…?」


その声に場が鎮まる。芝浦は目を開け、自分の想いを口にした。


「りひとと、りひとをさらった犯人も、助けたい。そのためには、警察の上の人間にたてつくことになる。俺はおそらく、クビになるだろう」


その言葉に、全員が動きを止めた。芝浦の決断次第で、恐ろしいことになるのがわかり、誰も二の句が継げなかった。

凍り付いた時を動かしたのは、誰かの、フッという吹き出すような笑い声だった。声のした方に注目が集まる。芝浦の妻の香織かおりだった。


「子供たちも大きくなったし、これ以上子供作る予定もないから、いいわ、あなたの思うとおりにやりなさいよ。

あなたがクビになったら、私が働きに出るから大丈夫よ」


その声は少しも震えておらず、凛としていた。堂々とした妻の宣言に、芝浦は目を見張った。

長女のいちごが、芝浦を振り返った。その顔には戸惑いはなく、決意がみなぎっている。母に続け、と苺が切り出した。


「…私、腕が認められて…、今、大きな会社から…卒業したら、うちに来ないかって…誘われてる。

仲の良かった先輩も…そこに入ってて、先輩のツテで…まずはバイトしてみないかって…言われてるの。

…迷ってたけど、私、そこでバイト…始めてみる。…お給料、今よりだいぶ…上がるから、家にお金、入れる」


引っ込み思案な娘の思わぬ提案に、やめさせようと口を開きかけた芝浦を遮るように、次女の双葉がスマホをいじりながら続ける。


「あー、あたしもぉー?将来メイクとネイルで食ってこうと思ってるからぁー、友達のお姉でそーゆうとこ勤めてる人とか、まあいるし?

修行とか言えば、まあバイトさせてもらえなくもなさそうだしぃ?ダメならコンビニでもなんでもいいしぃー、行こうと思ってる専学の金くらい、自分で稼ぐかなぁー」

「双葉…」


双葉は決してスマホから目を離さず、だらだら思い付きでしゃべっている風を装ってはいるが、双葉は昔から、本気で心の内を話すとき、唇を触る癖がある。

今もふにふに触りながらしゃべっているところを見ると、きっと本気で考えていることなのだろう。


長女と次女の話を聞いた三女の美都みつが、突然椅子から立ち上がる。家族の注目が集まると、右手を胸に当てて、意を決したように話し始めた。


「…いい機会かもしれないから、私も話させていただきますわ…。

実は私、東京の事務所からモデルにならないかと、声をかけられておりますの。雑誌に投稿した写真が掲載されたのがきっかけですわ。

私はまだ小学生だから、もちろんその話はお断りさせていただいたのですけど、中学生になったら、こちらからもう一度お願いしてみようかと思っていましたの。

双葉姉さまにスマホを借りて、事務所もきちんと調べさせてもらいましたが、いかがわしいところではないようでしたわ。

もし、お父さんの話が現実になるなら、私のモデルの話、本格的に進めさせていただこうかと思いますの」


まさかの小学生自立宣言に、芝浦はあんぐり口を開けて呆然としてしまった。その横で双葉は声を上げて喜び、美都に親指を立てて見せた。


「いーじゃんいーじゃん!!美都、メイクはこの双葉お姉に任せな!!!」

「はい、頼りにしていますわ!!」


盛り上がる女性陣に続き、長男の司朗しろうが、はいはい!と手を上げながら椅子の上に立ち、宣言する。


「みんなが働くなら、俺皿洗いとかやっちゃうもんね!!!でも洗濯は勘弁な!」


お調子者らしい宣言に続き、次男の逸人も椅子の上に立ち、手をぴんと上にあげて宣誓する。


「僕はみんなの洗濯物を畳みます!洗濯は、洗濯機に入れるところまではできるけど、干すのが背が届かないので、ちょっと無理です!!」


子供たちの異様な活気と盛り上がりに、芝浦は何も言えなくなっていた。開いた口を閉めるのも忘れたまま、賑わう面々を眺めていると、満足げな笑みを浮かべた妻と目が合う。


「うちの子たち、なかなか優秀に育ってるじゃない。これならいけそうね、あなた。

ちなみに、美都のモデルスカウトは私の血があってこそのことよ、きっと」


誇らしげなドヤ顔で語る香織を、旦那と子供たちが一斉に見た。その視線に、さらに胸を張って続ける、現在服のサイズ3Lの女。


「私の昔の職業、モデルなんだからね!」


一瞬の間の後、香織を除く一同は顔を見合わせた。そして口々に感想が漏れる。


「初耳だぞ」

「ありえない…」

「てかそれ、今の歳じゃ一銭も稼げない職じゃね?」

「今の歳では役に立ちませんわね…」

「モデルってデブでもなれんの?」

「昔のお母さんの写真、見たことないなぁ…」


肯定的な感想が一つも出ないことに、香織は口元を引きつらせ、怒りに満ちた笑顔で親指を下側に突き立てた。


「お前ら全員かわいい顔立ちしてんのは、私のおかげだってこと、忘れんなよ??」


その意見に、子供たちは全員不服そうな顔をして、肩をすくめた。

芝浦は咳払いをすると、改めてそれぞれの顔を見回し、頭を深々と下げた。


「…すまない、みんな。りひとのために、ありがとう」


顔を上げると、家族全員がきょとんとした顔で芝浦を見つめていた。何事かと思い、芝浦が首をかしげると、プッと香織が吹き出した。


「何言ってんの。りひとのためではあるけど、その前に、あなたのためでしょ、みんながこう言ってるのは」


え、と芝浦が声を上げると、子供たちは照れたり、そっぽを向いたり、はにかんだり、満面の笑みを向けてくれたり、励ましてくれたり、様々に芝浦を気遣ってくれていた。

最高の家族だ。芝浦の胸に熱いものがこみ上げる。


「…父さんは、自分の正義を貫いてくるよ。ありがとう、みんな。

でも、みんなの好意に甘えるのは、最後の最後、どうにもならなかった時だけにする。それまでは、死力を尽くすから」

「死んだら困る。ちゃんと生きて帰ってきてよ、りひとと一緒に」


香織の声に、一同が頷く。芝浦は頷き返し、「事件解決」を改めて胸に誓った。


















「すまん、遅れた!」


芝浦はサイバー2課の部屋の扉を勢いよく開け、中にいた二人に声をかけた。その姿を見た一ノ瀬いちのせが、心配そうに尋ねた。


「芝浦さん…、どうでしたか?」

「心配するな、了承は得てきた。俺も合流するぞ」


その言葉に、一ノ瀬がほっとしたような、申し訳ないような顔を見せる。小杉こすぎは手を叩いて芝浦の参戦を歓迎した。


「いいじゃんいいじゃん!!一狩り行こうぜ!!!」

「小杉、確保しにいくんだ、狩りじゃない」

「なんだよ美麗みれいちゃん、ノリ悪いなぁ~。一狩り行こうぜ、は定番挨拶なんだぜ?」

「知ってる。でも不謹慎だろう」

「まあまあ、二人とも」


言い合いになった二人をなだめ、芝浦はあえて笑顔で告げた。


「2課始まって以来の大事件だ、しまっていこう、いや、一狩り行こうぜ!」


目を丸くする一ノ瀬と、笑って親指を立てる小杉、芝浦の3人だけの「捜査」が、始まろうとしていた。









「捜査」は始まった途端、暗礁に乗り上げた。芝浦は顎に手を当てて唸る。


「うーん…………」


出しつくした解決案に、芝浦は渋い顔をする。一ノ瀬からはため息が漏れ、小杉は不思議そうな顔をしている。


「…まあ、超巨大権力を前に、超下っ端ができることなんて、限られてるからなぁ…」

「法に訴えた真っ向勝負じゃ、叩き潰されて終わり、とはわかっていても、さすがにこれしかないっていうのはどうかと…」

「何?そんなに悪い手なのこれ?イマドキだから使える、ちょー個人にダメージ与えられる手だと思うけど」


小杉のその言葉に、芝浦と一ノ瀬はため息を禁じえない。でもそれでも、今このメンバーでできることは、このくらいしかないのが現状だった。



『この間撮れた暴行の映像を、警視総監の名入りで編集し、ネットに流す』 アウトロー極まりない作戦だった。


もちろん映像を弁護士に持ち込み、小杉の被害を認めさせ、りひとを返してもらう線も出たが、まずこの警察の巨大権力と争う志のある弁護士が見つからないだろう。

次いで費用だ。まさか弁護士費用を経費で落とせるとは思えない。そんな申請をしたら、経理課に鼻で笑われるのがオチだ。

自らが警察組織の人間であることを使って、立件・起訴という案も出たが、まあそんなもの、上からの圧力で不起訴になるのは目に見えている。警察組織を使うこと自体が、まず難しいのだ。

小杉への傷害罪などは、現在なかったことにされている。刑事事件にするのが難しいなら、証拠を持って民事で争うのもあるにはあるが、あれも時間と金がかかりすぎる。言い方は悪いが、こんな小さな事件でそれを騒ぎ立てたとしても、警視総監の立場が揺らぐことはないし、強制的に示談で片付けられて終わる可能性が高い。

家庭内暴力の件については、起訴うんぬんよりもまず、被害者の救済が最優先になる。しかし望愛のあ本人と2課に繋がりも相談実績もなく、支援機関など何も通さずに、いきなり救出に行ったところで、不審がられて門前払いで終わりだ。下手したらこちらが訴えられる。

とにかく「法にのっとる」と、時間がかかる上に、警察組織に揉み消されるのが明白なのだ。この事件は長引かせるほど監視や圧力が強化され、こちらが不利になる。短期決戦で挑むしかないのだ。

行き詰った芝浦と一ノ瀬に、気軽にアウトロー案を投げたのが小杉だった。芝浦と一ノ瀬はその作戦について考える。


「名誉棄損でこちらが訴えられる代わりに、向こうは社会的信用をなくす…かもしれない、ってとこか…」

「フェイクだデタラメだと言われるかもしれませんしね…」

「警察で事件にできねーなら、とにかく証拠をいろんなとこにバラまいてさー、世の中を味方につけんの。

消されてもアップし直して、その手系の動画投稿者とかに手伝ってもらってバズらせりゃ、ヤツも揺らぐ力になんじゃねぇかなー」

「結果は?」

「結果?」


小杉が首をかしげる。芝浦は人差し指を立てて答えた。


「警視総監を揺らがせて、それで終わりじゃないだろう。事は個人的な復讐では済まないんだから。

目的はりひとの奪還、そして久能木 望愛くのぎ のあの安全の確保だ。むしろそちらをメインに動かなければならない」

「すげー、警察官らしー」

「警察官だろうが。芝浦さん、この案では味方にできたとしても、世論だけ。久能木 望愛を助け出す力の加算にはならないかと…」

「いや…、撒き餌にはなるのかもしれないな」

『撒き餌?』


一ノ瀬と小杉の二人が同時に聞き返した。芝浦は思いついた作戦を提案してみる。


「普通に保護しに行っただけじゃ、知らん顔で後で母娘を連れ戻されるのがオチだ。

だから暴行の動画を「撒き餌」にして、世論を煽り、警視総監を動揺させ、そちらに目が向くように仕向ける。その間に、同時進行で久能木 望愛と母親を救出、DV保護シェルターにかくまう。りひとも返してもらう。

火消しが終わった後、警視総監が母娘を連れ戻そうとしても、動画の真偽に関わらず、また世論に叩かれる。世論も抑止力にはなってくれるだろう。

そして一度かくまわれたことで、母娘には保護実績が付く。体のあざなどの診断もしてもらえれば、暴力を受けていた事実は明るみに出る。後に動画を裏付ける証拠になるだろう。

そうなれば法的に何か手を打つこともできるかもしれない。そういう段階までもっていくのが、俺たちの仕事になる。およそ警察のやり方ではないが、こういう助け方もできるものなのかもしれない。

ただし、保護シェルターも警察と連動している。警視総監の命令となれば、場所はすぐにバレるものと考えた方がいい。行政ではなく、事情を汲んでくれる民間の施設を使えば、少しは時間が稼げるかもしれないが…。

しかしまだ弱いな…。例え世論が味方に付いたとしても、警視総監と真っ向から勝負できるだけの「武器」が、こちらには足りなすぎる…」


考えあぐねる芝浦に、一ノ瀬が声を上げる。


「「警視総監」ではなく、「久能木 幸介くのぎ こうすけ」個人としてはどうでしょう?」

「久能木個人?」

「はい。自分より弱いものに暴力を働く人間なんて、口では偉そうに言っていても、中身は稚拙で自分に自信がなかったりするものです。

中身に釣り合わない肩書きのために、何か無茶なことをしている可能性もあります。叩けば埃が出るかも…」

「確かにこのままじゃ久能木個人の情報が少なすぎる…。そういえば、撮れた動画でも「お前は最低だ」と一族から罵られていた、と言っていたな…。復讐のために何かしでかして…とか、余罪がある可能性はあるな」

「ただ…、それも大っぴらに調べることはできないし、時間をかければ怪しまれて、こちらが消されるだけになります。短期決戦で大きな何かを掴まなければならない…」

「賭けか…。何も出なかったら、出たとしても小さなものだったら、どうするか…」


行き詰まって唸る芝浦と一ノ瀬に、小杉の吐き捨てるような、小さな呟きが届いた。


「…親父に聞きゃ、なんか出そーだな…」


その声に、芝浦と一ノ瀬が小杉に振り向く。小杉はバツが悪そうに視線を逸らすと、ふてくされた子供のような態度で、ぶつぶつと続けた。


「…俺と自分の娘を婚約させようとしたのだって、自分に大きな権力の後ろ盾が欲しかったからだろ?そういうものに縋る奴らって、俺の親父も含めて、金に汚いのが多いんだよ。

金の流れを洗えば、多かれ少なかれ、何かやってるかも…横領とか…」

「それを、小杉の親父さんに聞くことは…」

「やだよっ!!!一生口もききたくねぇ、ツラも見たくねぇんだ!!!ヤツに頼み事なんか死んでもごめんだねっ!!!」


芝浦が聞き終わる前に、小杉が大きな声で言葉を遮った。よほど小杉は、父親と確執があるらしい。芝浦はそれの追及はしなかった。


「とにもかくにも、確証、証拠だな。危険を承知で、少し探ってみるか。まずは久能木がどんな人物なのかから…」


芝浦の言葉は、突然の女性の悲鳴でかき消された。何事かと、3人が声の方に振り向く。声は小杉の持ってきたパソコンからしていた。

小杉は、捜査の一環としてアクセスし、最小化して画面に映していなかった、「望愛見守りカメラ」の映像を大きく画面に表示して、音量を最大に上げた。画面から望愛の母親の悲痛な泣き声が聞こえてくる。

先日の暴行のせいか、嘔吐したあとがある。腹部を押さえて縮こまって震えている望愛を抱きかかえ、誰か、誰か、と弱々しい声で助けを求める母親の近くに、画面を開いたままのパソコンが置いてあった。


「聞こえていると信じています。芝浦さん、一ノ瀬さん、小杉さん、緊急事態です。どうか久能木邸までおいでください。

望愛さんはしきりに腹部の痛みを訴えています。内臓に損傷があるかもしれません。お母様は、救急車を呼ぶとお父様に殴られる、と怯えていらっしゃって、動けずにいます。

どうか手遅れになる前に、一刻も早くこちらへ…!何もできない、体のない僕に代わって、どうか、どうか…!!!」


パソコンがネットに繋がってない以上、聞こえているかどうか、わかるはずもないのに、「りひと」は必死に2課の面々に向けて言葉を発していた。届いていると信じて。

作戦は未熟なままだが、このタイミングで動かざるを得ない。3人は覚悟を決めた。


「ピンチに駆けつければ、あれこれ探られずに救出できるかもしれない。今をチャンスに変えよう。

小杉、民間のDV保護施設と、そこと繋がっている病院を洗い出してくれ。都心から少し離れてもいい。なるべく評判のいいところを数件頼む。

それと同時に、例の動画拡散の段取りもつけてくれ。やはり撒き餌が欲しい。名誉棄損は免れないし、効果も未知数だが、実行しよう」

「オーケー!俺も行方をくらましつつやることにするぜ!

海外サーバーを経由して動画もアップするつもりだから、そう簡単には消されねーし、居場所も特定されてやるつもりはねぇ!!!そうだ、俺らのスマホのGPS、完全に切っとかねぇと」

「大変な仕事になると思うが、頼む。一ノ瀬、望愛と母親は、女性のお前がいてくれた方が安心するだろう。俺と一緒に久能木邸へ行ってくれ。

新幹線での移動なら早く着けるはずだ。その間に、調べられるだけ久能木 幸介を調べ上げるぞ」

「了解です!それと付け焼刃かもしれませんが、DVを受けた人に対しての接し方など、少し知識も仕入れていきたいです」

「わかった、そちらは任せる。よし、解散、健闘を祈る!」



たった3人だけの、拙い作戦が走り始めた。引き返せない恐怖を胸に、それぞれは戦いに赴いた。



















その手系のニュースを扱うことで有名な、ある動画投稿者が、一本の動画をネットにアップした。


【閲覧注意・暴行】確かな筋から手に入れた現警視総監の真実の姿【拡散希望】


危険なタイトルがついたその動画は、怖いもの見たさの人間たちにより、じわじわと再生数を伸ばしていった。

コメント欄は様々に荒れたが、注目度は大きくなり、ある程度拡散もされたころ、一斉に動画は消去された。そのあまりの引きの速さと鮮やかさから、動画が真実だったから消されたのではないか、と噂が立った。

人の口に戸は立てられない。噂は独り歩きを始める。そして誰かがまた、動画をアップした。即座に消されてはまたどこかにアップされるイタチごっこを繰り返すそれに、噂好きの人たちは群がり、情報を拡散していく。

やがてSNSのトレンド入りを果たすと、動画と情報は瞬く間に広がり、そこかしこで炎上を始めた。


「りひと・望愛、奪還救出作戦」の、第一歩である。

小杉は某ネットカフェで、芝浦、一ノ瀬の作戦の成功を祈った。











「いやっ…!私はこの家から出たくない!!…出られない、ここ以外なんてダメ、こわい…」


久能木家の玄関では、腹部の痛みに苦しみつつも、決して家の外に出ようとしない望愛に手を焼く3人と、困り果てた救急隊の姿があった。




突然、芝浦と一ノ瀬に訪問された望愛の母親は、いぶかしむ気持ちよりも助けを呼びたい気持ちが勝ったようだ。芝浦が警察手帳を見せて、警視総監である夫の管轄の者ではないことを示すと、泣き崩れて縋りついてきた。娘を助けてください、と。

一ノ瀬が母親に優しく、ひどいDVを受けていることを知っていること、これから母親と望愛の二人を、民間のDVシェルターにてかくまうことなどを説明した。母親は、何もかも知られていることに驚愕して焦っていたが、もう何も隠さなくていいことに安堵したのか、さらに涙を流し始めた。


3人は玄関から望愛の部屋に行き、説得を試みた。痛みに苦しみ呻きながらも、望愛はかたくなに部屋から出ようとしない。痛みよりも、未知の世界への恐怖が勝って、動けないでいるのだ。

そこで活躍したのが、「りひと」である。


「望愛さん、私はあなたとどこまでも一緒に行きますよ。さあ、一緒に病院へ行って、手当てをしてもらいましょう。

大丈夫、どんなときもずっと、私のパソコンの電力が切れない状態を維持してもらいます。ずっと、ずっとずっと一緒です」

「…でも、部屋から出たくない…怖い…」

「このまま望愛さんが亡くなってしまったら、私はあなたと一緒にいられなくなります。他の誰かにパソコンごと回収されてしまうのですよ?」

「いやっ、理人りひとが持っていかれるなんて、絶対に嫌!!」

「では、生き延びてください。生き延びてくれさえすれば、私はあなたとずっと一緒です」

「……外の人たちが、私とあなたを引き離すかも…。私、人を殴ってしまったし、おうちにも勝手に入ってしまったから、きっと捕まるわ…」

「では、迷惑をかけた人に「ごめんなさい」をしましょう。許してもらえるかもしれません」

「いやっ!許してもらえなかったらどうするの?!それならずっとここにいたほうが…」

「…ここにいれば、あなたの命はおそらくもちません。またお父様が来ます。また殴られてしまいます。この体の状態でそんなことをされたらどうなるか…望愛さんにも想像がつくのではないでしょうか」

「……………」

「単刀直入にお聞きします。死にたいですか?」

「………わからない」

「では、質問を変えます。私と離れたいですか?」

「それはいや!!絶対に嫌なの!!」

「では、生き延びましょう。ここを出るのです、私と一緒に」


会話が途切れ、しばらくした後、「りひと」の説得に納得したのか、望愛が部屋の扉を少し開けた。それを合図に、母親と一ノ瀬が部屋に入り、望愛と「りひと」を救出。芝浦は救急車を表に呼んだ。



芝浦が到着した救急隊に事情を説明し、指定した病院に行くこと、どの病院に送ったか誰にも秘密にしてほしい旨を伝えている間に、母親と一ノ瀬が、パソコンを離さない望愛を玄関まで連れ出したが、そこで事態は止まってしまった。

あまりのんびりしている余裕はない。「撒き餌」に久能木が躍起になっている間だけが、母親と望愛を安全に逃がせる時間なのだ。芝浦も一ノ瀬も焦りを隠せなかった。


人に存在を否定され続けると、否定された人間の自己肯定感はどんどん低くなる。望愛に関して言えば、自己肯定感などないに等しいだろう。そして彼女が否定され続けた場所であるこの家は、彼女にとって地獄ではあるが、ここにいる限り、自分を否定する人間は「1人」で済むのだ。外に出れば他者がいる。大勢いる。それは大勢に自分が否定される未来が来る可能性も示唆している。自己肯定感のない人間にとって、他者が自分を認めてくれることなど、たとえ妄想でも思い描くことはできないのだ。よって、他者が大勢いる「外」は、大いなる恐怖をもたらすものとしか、本人には思えない。


一ノ瀬は、久能木家に来るまでの間に、スマホで集めた知識を思い返していた。こうして「捕縛者」は、「支配者」の都合のいいように、外に出られない、誰にも秘密を話せない人間に、仕立て上げられてしまう。

どうやら望愛の母親も同じらしい。否定され続け、自分でものを考えることすらできないようにされてしまったのか、さっきから娘の姿に、ただただ泣くばかりである。一ノ瀬の心は痛んだ。

だからといって、このままにしていいわけがない。芝浦と一ノ瀬は、目で強行突破の合図を送り合うと、頷いて玄関先の望愛に近づこうとした。



「望愛さん」


望愛の抱えたノートパソコンから、声がした。「りひと」だ。

その声に顔を上げた望愛が、画面に映った「りひと」と向き合う。


「望愛さんは、私のことを愛していますか?」

「…もちろん、愛しています」

「それは、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、私を愛し、私を助け、私を慰め、私を敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓えるほどですか?」

「…え?」

「誓えますか?」

「…そ、それって」

「望愛さん、私と結婚してください」


その場にいた人が、救急隊を含め全員が時を止めた。AIがいきなり何を言い始めたのか、誰にも何もわからない。

だが一人だけ、瞳を潤ませて感動に震えるものがいた。望愛は頬を赤らめ、画面の「りひと」と見つめ合う。そして答えた。


「…はい、よろこんで」

「では、誓いのキスを」


「りひと」に促されるまま、望愛は画面に口付けた。小杉がこの場にいなくてよかった、また大騒ぎされる。一ノ瀬の現実逃避した心にそんな思いがよぎった。


「指輪と婚姻届は、また後日にしましょう。では、望愛さん、私は今日から正式にあなたの夫です」

「はい…」

「病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、あなたを愛し、あなたを助け、あなたを慰め、あなたを敬い、この命のある限り心を尽くすことを誓いましょう」

「はい…!」

「まずは、あなたを助けたいです。病院でお腹のレントゲンを撮ってもらいましょう。救急車に乗れますね?」

「…う…」

「あなたは、結婚したばかりの夫の前で、亡くなるおつもりですか?」

「…う、あ…」

「私を悲しませないでください」

「………」

「共に生きると、誓ったでしょう?どんなときもそばにいます。さあ、踏み出してください」


ここまで来ると、周りのものたちにも、こんなことを言い出した「りひと」の意図が伝わる。皆が固唾をのんで、二人を見守った。

しばらく座り込んでいた望愛は、パソコンの画面を見つめたまま、ゆっくりと、震える足で立ち上がった。そして唾を飲み込むと、画面を見つめたまま、片足を前へ出し、外玄関の大理石の床に、その足をつけた。もう片方の足も、同じように画面を見つめたまま、ゆっくりと前に出し、そして両足をそろえた。完全に建物の外に、その身を出したのだ。


そこで望愛の意識は途切れた。ふらついて倒れこみそうになった彼女の体を、芝浦と一ノ瀬が素早く抱き留める。その間も、望愛はノートパソコンだけは決して手から離さなかった。


「芝浦さん、一ノ瀬さん、ナイスです!」


何事もなかったかのような「りひと」の明るい声が、パソコンから響く。一ノ瀬は望愛の手からパソコンを離し、久々の「りひと」と向き合うと、こつんと画面を叩いた。


「やりすぎだ。でも、よくやった」

「ありがとうございます!」


その様子を見た芝浦は笑いながら、望愛の体を救急隊と共に救急車まで運んで行った。



一ノ瀬は「りひと」のパソコンを望愛の母親に託し、家から貴重品も持ち出せた彼女が、救急車に乗り込んだのを確認する。芝浦が母親に、スマホの電源は切って、何があっても入れるなと指示すると、彼女は慌てて電源を切っていた。

最後に芝浦が、救急隊員全員に聞こえる大きな声で、決して行先の病院名を口外しないことを再度お願いした。

発車を見送ると、後ろで一ノ瀬が保護シェルターに連絡しているのが聞こえた。電話片手にOKサインを作っている。病院との連携は取れるようだ。


芝浦は長いため息を吐いて、空を見上げた。ひと段落だが、まだまだ終わりではない。電話を終えて駆け寄ってきた一ノ瀬と、今後の打ち合わせをしようと口を開きかけたが、一ノ瀬が先に話し始めた。


「芝浦さん、私このまま保護シェルターの方で張り込んでいいでしょうか?」

「まだ早くないか?場所が特定されるまでまだかかると思うぞ」

「その時に間に合わないなんて事態になりたくないんです。鉄女の異名通り、何が何でも彼女たちを守るつもりです」

「…わかった。何かあったら連絡してくれよ」

「はい、芝浦さんもお気をつけて!」


一ノ瀬は敬礼すると、踵を返して大通りに向かって走っていった。女性ながら、頼もしい警察官になったものだ。芝浦の胸にあたたかなものが灯る。

だがゆっくりしてはいられない。芝浦も次の行動を起こすべく、駅に向かって速足で歩き始めた。久能木を牽制できる武器。それがまだ、何も見つかっていない状態なのだ。

何としてもこの作戦を失敗させるわけにはいかない。芝浦は拳を握り締めると、一ノ瀬を見習って走り始めた。












久能木 幸介という人物について、芝浦は移動の時間の間にできる限り調べていた。

ネットや、同じ警察関連で調べられること程度だったが、それなりの情報は集まった。久能木はとても社交的らしい。警視総監になってから、よく自身が主催してパーティーを開いたりしているようだ。いろいろな方面の要人と笑顔で握手をする姿を収めた写真が、そこそこ入手できた。

久能木は暴行動画で話していた限りでは、一族からあまり良い扱いを受けてこなかったようだ。幼少期に親との間の愛着障害などがあれば、自己肯定感の低い人物に育つはず。妻や娘を追い詰めて、自分より下の人間として虐げていたのも、自己の肯定感を増すための材料兼憂さ晴らしとして見ていたためというなら、とりあえず説明もつく。こういった人物が極端な二面性を持つのは、そう珍しい話じゃない。

警視総監に上り詰めるまでの経歴は、一見地味で真面目だ。派手な女遊びも、噂の限りではなさそうだ。だが、そんな人物が、上り詰めた途端、豪華なパーティー三昧である。肯定感の低さから来る自己顕示欲の爆発、承認欲求の塊、そんな思いが横のつながりを作り、今の地位を確立している。芝浦はそんな想像をしていた。

そしてその繋がりの一つである、小杉の父親。彼と久能木は、過去に接点がある。その時の久能木の目論見は失敗したが、後に小杉家の後ろ盾なくしても上位に上り詰め、そして再び小杉の父の前に現れ、笑顔で握手をしている。その写真を眺めながら、芝浦は考える。久能木は過去を根に持っているのではないだろうか、小杉の父親に再び近づいたのも、今度こそ利用するためではないか。小杉の父親の会社は、官僚の天下り先として有名な会社だ。そして小杉家親族には、警察官僚を勤め上げたものもいるそうだ。かかわりを持っておくのは、久能木にとって後々のために有効かもしれない。


考える材料としては、この程度しか出なかった。明らかに情報不足だ。黒い噂なども何も手に入らなかった。芝浦は考える。もし久能木に余罪がなく、暴力以外は真っ当な人間だったなら、この件を話し合いで解決できないだろうか。こちらは動画を無差別に流してしまった分、処罰は免れないが、久能木が反省し、母娘を解放、「りひと」も無事、という未来を手に入れられるなら、別に警視総監の立場を脅かす必要はないのだ。

だが、こうも考える。あれだけ何のためらいもなく、自分の娘に暴力を振るえる狂った男が、真っ当な人間のわけがない。彼には自らの欲求を満たすための余罪が必ずある。

芝浦は眼鏡を外し、両手で顔を拭った。わからない。何か可能性の一端が、これから向かう先で見つかることを祈るばかりだった。




芝浦は、都心の大きなビルの前にいた。ここが本店と書いてあったから、おそらくここに社長---小杉の父親がいるはずだ。

アポなしで行って会えるとも思わないが、いざとなったら警察手帳を出してでも面会してもらうつもりだった。とにかく何でもいい、情報がほしい。敵を知りたいのだ。

意を決してビルのエントランスをくぐろうとしたが、ある声によってその足が止まった。


「え?なんでおっさんがここにいんの??」

「それはこっちの台詞だろ。小杉、お前いいのか?ここ、父親の会社のビルだろう?」


芝浦がそう言うと、黒の肩掛けカバンを持った小杉は、盛大に舌打ちしてそっぽを向いた。知らないで来たわけではないようだ。


「…動画はバズってるぜ。もう俺が無差別アップしなくても、みんなが拡散してくれて大炎上してる。撒き餌の役目は果たせたと思うぜ」

「そうか、ありがとう小杉。こちらも先程、久能木母娘を病院に送ったところだ。診断結果が軽ければ、今日中に保護シェルターの方に移ってくれるはずだ。一ノ瀬が護衛についてる」

「美麗ちゃんの護衛ならまぁ、おっさんがやるより安心できるわ。何しろアイアンメイデンだからな」


ニヤッといたずらっぽく小杉が笑った。芝浦も笑んで頷き返す。しばらくの間の後、沈黙を破ったのは小杉だった。


「…親父の揺さぶり方は、俺が一番よく知ってる。あいつは仕事は確かにできるのかもしれないが、昔からずっと育たない…子供のままの部分があるんだ。そこを突く。

それで久能木に関するボロが出るなら、なんかあるってことなんだと思う。全部俺に任せちゃくれねーか」

「…場合によっては、親父さんの黒い部分も目の当たりにすることになっちまうかもしれないが、お前はそれでいいのか?」

「ハッ…、黒い部分なんて、今更なんだよ。あいつが逮捕されることがあったとしても、俺は何も驚かない」


小杉は空を見上げた。その横顔は無表情で、胸の内に何を抱えているのかは、傍目にはわからない。芝浦は神妙な面持ちで声をかけた。


「…すまん、世話をかける」

「謝んなよ。さあ行くぜ」


言葉少なに、二人はビルの大きなエントランスに足を踏み入れた。





受付で小杉は正体を明かしたが、もちろん信じてはもらえない。警備員を呼ばれる中で、小杉は一枚の写真を、受付嬢に差し出した。

横から覗き込んだ芝浦が見たのは、家族写真だった。現社長と思しき人物と、社長夫人と思われる女性、そしてどこか今の小杉と似た面差しの、黒髪の少年が写っていた。

受付嬢は、写真の少年と今の小杉が同一人物かどうかは自信が持てなかったようだが、一緒に写っている男性が社長であることは確認できたようだ。慌ててどこかへ電話をし始めた。

電話が終わると、しばらくして受付に、警備員を伴った社長秘書の女性が現れた。女性は小杉と二言三言話すと、スマホを取り出し、小杉の写真を撮った。それをどこかへ送信する。

間を置かずに返信があり、それに目を通すと、秘書の女性は小杉に笑みを向け、ついてくるよう促した。小杉は芝浦にもついてくるよう合図を送ると、さっさと歩きだした。芝浦も慌ててその後を追う。

通されたのは一段と大きな部屋で、上品な調度品で彩られた豪華な社長室だった。秘書も警備員も退出していく。まさかここまですんなり通してもらえるとは思っていなかった芝浦は、少々面食らった。

先程の写真の男性を、もう少し老いた感じにしたような現社長は、小杉の容姿を頭からつま先までじろじろと観察すると、吐き捨てるように告げた。


「…勘当したはずだが?なんだ、金の無心か?」

「あいにくと金なら稼げてるから心配すんな。ずいぶんジジイになったじゃねぇか」

「…私の顔に免じて就くことができた職だろう。何が稼げている、だ、犯罪者め」

「仕事してることには変わりねーだろうが、犯罪者の親め」


2人は、部屋に他人の芝浦がいるにも関わらず、隠しもしない敵意むき出しでバチバチと火花を散らし始めた。

小杉を信じ、せめて自分は余計なことはしない、置き物か何かに徹していよう。芝浦はそっと深呼吸し、気配を殺した。


「目的がなければ、お前は私に会いには来るまい。さっさと用件だけ言え」

「何だよ、不肖とは言え息子が来たんだぜ?昔話の一つもしようって気にはならねぇのかよ」

「ならん」

「ちっ、相変わらず不愛想だな」

「無駄が嫌いなだけだ。用件は何だ」


傍から見ていても、小杉の父親のガードが固すぎるのがわかる。これを崩す算段など、本当に小杉は持ち合わせているのだろうか。芝浦の背筋を冷や汗が一筋伝った。

小杉は、部屋に入ってからずっと、父親に殺意のこもった視線を送っていたが、ふぅ、と大きく息をつくと、姿勢を少し砕けさせ、普段の小杉の雰囲気を覗かせた。


「俺、ばーちゃんとは連絡取り合ってんだわ」


突然の脈絡のない小杉の発言に、社長もすぐには返事ができないのだろう、部屋が一瞬、静まり返った。だがすぐに社長も言葉を返す。


「ほう、どちらの祖母だ?」

「もちろん親父の方のだよ」


芝浦は会話に違和感を覚えた。社長が小杉の話に乗っている。あれだけ固かったガードが、少し緩んだようにも思える。不思議だ。

頭の中をハテナだらけにする芝浦をよそに、小杉は砕けた雰囲気を変えないまま、どこか無邪気に祖母の話を始めた。


「ばーちゃん、俺が捕まった時、すっげー怒ったじゃん?あの人が一番最初に縁を切る、って話をしだしたの、よく覚えてんだけどさ。

でもやっぱ年と孫可愛さには勝てなかったみたいよ?元気かー、なんて、連絡してきてさー」

「……ほう、あの人が珍しいことをするものだな」

「親父の話もしてたぜー」

「……私の、話をか」

「最近のあいつはどうなんだ、社長になったからと研鑽を積むことを忘れ、ダラダラと過ごしたりしていないだろうな?

権力をはき違えて、女を侍らせたりして堕落していないだろうな、とか何とか」

「……するわけないだろう、私は至って真面目に過ごしている」

「つまんねー男」

「何だと…!」

「いやまぁ、感想?んでさ、そんなこと俺に言われても困る、俺勘当されてんだからー、って、ばーちゃんに笑いながら言ったわけ」

「その通りだ。お前などもう、私の息子ではない」

「俺もあんたが親父だとは思わねぇよ。でもさー、血は繋がってんだなーって、やっぱ思っちゃうじゃん?電話とか来るとさ」

「……さあな、あの人は私に電話など寄こしたことがない」

「そーなの?さみしーねぇ~。でも喜べよ、今度視察に来るって、ここに」

「……何だと?」

「こわいねぇ~、こわいねぇぇ~~、恐怖のばーちゃん、ここに何しに来るんだろ?

叱られちゃう?それとも、褒められちゃう?」

「褒めるなんて言葉は、あの人の辞書にはない」

「そお?俺、まともに仕事して生きてるよって言ったら、褒めてくれたぜ?電話で」

「……………」


社長の手先が細かく震えている。それを隠すように自然に、ズボンのポケットに手を入れた。

これは芝浦にもわかった。「祖母」が社長を揺さぶるワードなのだ。小杉はさらに続けた。


「あんたさぁ、ばーちゃんにバレちゃまずいようなことしてない?

なんかここに来るまでの間に、俺黒い噂聞いたんだけど」

「黒い噂?ほう、なんだそれは」

「やー、詳しくは知らねーけど、ばーちゃんの嫌いな「真っ当じゃないこと」、クノギって人とやってんだって?

知らねーぞぅ~、あんた、ばーちゃんの雷が、この世で一番嫌いなものだもんなぁ?」

「……………」


社長の顔に一瞬焦りが走った。だがそれも一瞬だった。すぐに鉄壁の能面のような顔つきに戻ると、はみ出しかけた自分の感情をその下に押し込んだ。


「煽りがあからさますぎたな、お前の言っていることは全て嘘だ」

「へー?そんなことわかんの?」

「お前がどこからそんな情報を仕入れたかわからないが、私にクノギなどという知り合いはいない」

「パーティーで会ったじゃん。俺覚えてるよ?娘いけにえに差し出そうとしたやつ」

「許嫁だろう。…まあいい、私はそいつとは、何のかかわりもない。話がそれだけなら出ていけ」

「何だよ~、急に態度変わったな~、あーやし~~」

「もういい、出ていかないなら追い出すまでだ。…警備員」


社長はしびれを切らし、デスクの上の小型マイクのスイッチを押すと、警備員を呼び出し始めた。そろそろ引き際のようだ。

小杉もそれを察したのか、社長に適当に挨拶すると、あっさり社長室から退出した。芝浦も社長に一礼すると、小杉の後に続いた。


社長室の扉を、丁寧に芝浦が閉める。扉から離したその手をそのまま小杉が捉え、戸惑う芝浦を連れて、足音が立たないように小走りにどこかへ向かい始めた。


「おいっ、どうし…」

「静かに…!」


小杉が監視カメラを気にしながら、ぐるりとフロアを周り、辿り着いたのは非常階段口だった。小杉が周りに誰もいないのを確認すると、重い扉を開け、素早く外に出た。芝浦も、訳が分からないながら、その後に続く。

非常階段をそのまま何階分か降りると、踊り場に座った小杉は、持っていた肩掛けカバンからパソコンとスマホを取り出した。


「な、何始めるんだ?外でパソコンって、インターネット使えないだろ?いいのか?」

「スマホのテザリングがあるから平気」

「…てざ…」

「おっさん邪魔」

「はい」


芝浦は自分が邪魔だということは、とりあえず理解した。おとなしく小杉のセッティングを眺めることにする。

小杉はてきぱきと準備を進めると、パソコン上で何かを立ち上げる。するとパソコンから、男性の声が流れ始める。その声は、先程まで話していた社長の声だった。芝浦は思わず声を上げた。


「…え?盗聴?」

「通話傍受って言えよ。古くせーな」

「…盗聴じゃないか?それも」

「こまけーことはいいんだよ、録音するぞ」


小杉が録音を始めた音声に、芝浦は聞き入った。二人の男性が、何か言い争っているようだった。


「…どういうことだ、久能木。お前の子飼いが俺に嚙みつきに来たぞ。」

「何の話だ?今立て込んでいて、部下をそちらに送った覚えはないのだが」

「直接の部下ではない、下っ端の下っ端だろうな。警察が来た」

「何だと?」

「実は私の息子は今警察関係者でな。それはどうでもいい、息子の後ろに控えてたやつ、あれは確かに刑事の顔つきだった」

「…管轄を教えてもらえるか」

「詳しくは息子のしかわからん。そこから掴んでくれ。確か地方のどこかの、サイバー犯罪対策課だったか…」


「…まずいな、動いているのが俺たちだとバレるぞ」

「俺が顔出した時点でその可能性はあったよ。でも、ビンゴじゃなけりゃまずこの通話がない。親父は無駄を憎んでるからな。世間話で久能木に電話なんかしやしねぇ」


小杉は父親のことを、嫌ってる割によく知っているようだった。過去に何があったのか、ふと考えた芝浦だったが、通話の続きに集中した。


「…わかった、その者たちについて調べを進めよう。こちらの問題とも関連しているかもしれない」

「それより久能木、そいつら「あのこと」についても、ほのめかしていたぞ。何か情報が洩れているんじゃないのか?」

「あのこと?まさか…」

「インサイダー取引の件だ」


小杉と芝浦は顔を見合わせた。何かデカいものが食いついてきた。2人は続きに聞き入った。


「小杉、落ち着け。その情報はどこにも洩れていないはずだ。俺がしっかり法人にも委員会にも手を回している」

「だったらなぜ息子がそんなことを嗅ぎつけてくるんだ?!お前を信用して話に乗った私が馬鹿だった…」

「小杉、その話は後日、関係者を調べ上げてからまた報告する。正直今それどころでは…」

「私はこの件から手を引かせてもらう。お前と一緒に沈むのはまっぴらだ」

「今更罪を一人だけ免れることなどできると思うのか?いいか、あんたは俺と組んでる方がいろいろ得ができる…」

「確かにたんまり稼がせてもらった。だからここで手を切らせてもらうのさ」

「そんなこと俺が許すと思うか?逃がしはしないぞ」

「はっ、何ができるというんだ。これまでの取引の証拠、儲けた金のそれぞれへの送金の証拠、お前が法人や委員会の要人に手を回したときの音声も、他の証拠も全て!私が握っているんだぞ」

「それを表に出せば、あんたも破滅だ!」

「そうだな、だがお前が私に危害を加える気なら、この爆弾のスイッチを押してやるさ。いや、もう仕掛けてある」

「なんだと…?」

「私が消息不明になったら、それが表に出るように仕掛けてあるのさ。データは全て、セキュリティを厳重にしてわが社で保管している。私しかそれにアクセスすることはできない」

「それを堂々と俺に話していいのか?セキュリティが破られるかもしれないぞ」

「できるものならやってみればいい。しかしデータを握りつぶされても、私は痛くもかゆくもないぞ?すべてなかったことになるだけだ」

「くっ…」

「お前は自分の身と地位が、特にかわいいようだからな、情報を手に入れても、開示するような真似はできまい。私の勝ちだ」

「………」

「私は手を引かせてもらうぞ。世話になったな久能木」


電話はそこで切れた。小杉が録音できているかチェックをして、データを自身のスマホにも送っておく。そばで見ていた芝浦が声をかけた。


「叩いて埃が出たな」

「だな。なあ、今の電話の録音だけで証拠ってなる?」

「いや…、弱いだろうな。やはり小杉社長が言っていた証拠類が欲しいところだが…」

「俺に任せろ、と簡単には言えなそうなシロモノっぽいよな…」


小杉がため息を漏らした。だがその目はやる気に満ちている。芝浦はその件は小杉を信じて託すことにし、まずは現状の再確認につとめた。


「小杉、とりあえずここを離脱しよう」

「わかった。んじゃエレベーターで…」

「ダメだ、このまま非常階段を下りていくぞ。社長や警備室の人間が、俺たちがエントランスに現れないことを、そろそろ訝しんでるかもしれない。監視カメラに残ってる映像で、ここにいたことも割り出されてる可能性もある。

見つかれば何をやっていたか問い詰められて捕まるだろう。そうなる前にさっさと逃げる」

「うえぇ…何階分あるんだよこの階段…」

「早くしろ!非常階段側にも警備員が集まり始めたらアウトだぞ」

「こっそり、かつ大胆に、ってか~?肉体労働は俺向きじゃねーんだけどねぇ~」


軽口を叩きつつ、小杉がパソコンとスマホをカバンにしまって立ち上がった。2人はなるべく足音を立てないよう、素早く階段を下りて行った。











何とか見つからずにビルから脱出できた2人は、肩で息をしながら、次の行動について話し合った。


「…ハァ、ハァ、お、おっさん…俺、いったんじぶんち帰って必要なもの持ってきたい」

「はぁ、はっ、ダメ、だ。さっき俺たちの身元が割れた。久能木もきっと、俺たちを調べさせているだろう。家に戻るのは危険だ」

「今ある手持ちだけで挑まなきゃいけないのかよ…」

「分が悪いか…。それに、落ち着いて作業ができる潜伏先も必要だな…」

「見つかったら俺じゃ逃げることもできねーだろうしなぁ…」


2人は腕を組んで空を見上げた。芝浦は、ふと気になっていたことを小杉に聞いてみた。


「そういえば、あの話は本当なのか?」

「あ?どの話だよ」

「おばあさんが電話をかけてきた話」

「はぁ?そんなん、黒い噂も含めて全部ハッタリに決まってんじゃねーか」

「そうなのか…。今でも連絡を取ってる親族がいるのかと思って、少し安心したんだが…」

「…俺のばーちゃんは、そんなタマじゃねぇよ。厳格が服着て歩いてるような人でさ…。とにかく親父を厳しく厳しく育てたことで、親族の間じゃ有名なんだ。

おかげで親父は、今でもばーちゃんのことが話に出ると、普段の冷静さがはげちまう。おかげでおもしろいように釣れたけどな」

「じゃあ、孫かわいさで…っていうのも」

「全部嘘。犯罪者の俺を一番に切り捨てたあの人の中で、俺はもう死んでんだ。…これからも、一生関わることはないよ」


小杉はカラカラと笑って見せた。家族のあたたかさを最近再実感した芝浦には、辛さの滲む笑顔に見えた。


「小杉、俺にできることは何でも言ってくれ。できる限りかもしれんが、何でもするから」

「そういう約束、男が男にするもんじゃねーよ。それに…」


小杉は、ふと言葉を切った。芝浦を真剣な眼差しで見つめている。


「…どうした?」

「…いや、本当に大丈夫なんだ。俺には、理想の父親っぽいのが、もういるから」

「そう、なのか?ならいいんだが…」

「うん、しょぼくれてて頼りなさそうだけど、…なんとなく、イイやつなんだ」

「そうか。今度会わせてくれ、ぜひ挨拶したい」


芝浦が答えると、小杉は笑い始めた。なぜ笑われたのかよくわからずに、芝浦が首をかしげていると、小杉は笑いすぎて出た涙を拭きながら、現状の話を再開した。


「ハハハ…って、のんびりこんな話してる場合じゃなくね?俺の潜伏先考えようぜ」

「あ、ああ…そうだったな。それなんだが、「りひと」の入ってるパソコンもあれば、力になるんじゃないか?」

「あ!それいいな、あのパソコンにはこれと同じくらい、いろいろ詰め込んでるから使えそうだ。それにりひと自身も手伝ってくれるかもしんねーしな!」

「そしてそのりひとの居所だが…、俺のスマホに一ノ瀬から着信があったらしい。出られなかったからメッセージが来てる。

どれどれ……おお、久能木 望愛のケガは、内臓の損傷はなかったそうだ。炎症で済んでるそうで、処置がされて、もう保護シェルターに移送されている」

「てことは、りひともそこだな。久能木も俺らを探し始めたばっかだろうし、民間のシェルターなら割り出されるまでに時間もかかるはず。…とはいっても、時間制限付きのハッキングにはなるか…」

「すまんな…苦労をかける」

「謝んなよ、これが俺の仕事だろーが。やってやるさ…!」


パシン!と拳を自身の手のひらに叩きつけると、小杉は気合を入れた。


「…わかった。たっぷり無茶して、しっかり証拠手に入れてくれ」

「おい、開き直んな。んじゃ早速行くぞ!ぐずぐずしてらんねぇ」

「いや、俺は他に行くところがある。お前は先に行っててくれ。

あ、それと、さっきスマホに入れてた通話の録音データ、俺のスマホにも送ってくれ」

「あ?まぁいいけど…。何に使うか知らねぇが、気をつけろよ、おっさん」

「お前もな、小杉。終わったら焼肉でも行こう。おごるよ」

「はっ、なんだそりゃ昭和の定番かよ。オヤジくせぇ」


2人は笑いながら互いの拳を突き出し、コツリと合わせた。

それを合図に歩き出す。雌雄を決する、お互いの次の戦場へ---









・りひと キャラクター絵・ウェディングバージョン

https://kakuyomu.jp/users/wanajona/news/16818023214172947977

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