自分が自分であるために


結果から言うと、上層部の連中は逃げて自分の身を守った。

怒りに満ちた小杉こすぎが、サイバー1課に確保対象を2課がかくまっていることを報告。だが芝浦しばうらも黙っていなかった。

昔のつてを頼って、捜査一課の課長に直談判した。管轄違いな上に、人が関わった事件ですらないものに、一課が関わることはなく一蹴。

だがそれは想定済みだった。芝浦の目的は、内部でとにかく騒ぎ立て、この件を公にすること。一ノ瀬いちのせもつてを使い、話を広めることに尽力した。

目論見は当たり、署内は「警察組織を、犯罪でもないもののために、私物化し動かした政治家」の話でもちきりになった。

上層部は噂を揉み消しにかかったが、収まる前に情報が少子化対策部まで届き、当の政治家は知らぬ存ぜぬで、書面のない指令のことを、一切なかったことにした。

上が手のひらを返したことで、サイバー1課もこの件に関わる必要がなくなり、全てを「2課の独断行動」と言い張って、丸投げしてきた。

署内の噂は、やっかいもの部署の暴走にすり替わった。あとは芝浦たちが、呆れた視線を投げられることに耐え、噂が消えるまでおとなしくしておけば良い、という状況になった、その時。


「りひと」に異変が起こった。





「まー、簡単に言えば、りひとにとっての「家」が、狭くなったんだよ」


頻繁にブラックアウトするようになったスマホを持て余した芝浦は、一ノ瀬と共に四苦八苦しながら調べたのだが、結局何が悪いのか見当がつかず、最近まで敵対する形になっていた、小杉に調べてもらうことにした。

あっさり原因を突き止めた小杉曰く、これだけのAIを動かすのに、スマホの容量だけでやれてたのが奇跡だ、おそらく裏で「りひと」が、データの取捨選択をして調整しながら、がんばっていたのだろう、という話だった。


「ただでさえ成長するAIだ。本来ならバカでかいサーバが必要なはずなんだよ」

「じゃ、じゃあ、昔の「理人」が使ってたサーバ?に移動?させたりとかは…」

「無理じゃね?俺それ、徹底的にぶっ壊したし。物理的にはそのサーバがどこにあったもんなのかも知らねぇし。直しに行くとかマジ無理」

「そ、そうかぁ…」


芝浦は小杉の返答に途方に暮れ、一ノ瀬は腕を組んで考え込んでいた。小杉はその二人を鼻で笑うと、備品置き場の中からごそごそと、一台のごついノートパソコンを取り出した。


「こうなる気がして、用意してたんだよな~」

「それをどうする気だ?」

「応急処置だよ。りひとをこれに移す。じゃねーとそいつ、成長データを保存できなくなって、いずれ壊れるか消えるかするかもしんねーぞ?」

「お前がやるのか?それを」

「俺以外に誰がやれんの?」

「信用できると思うか?」


一ノ瀬は眉間にしわを作りつつ、小杉を問い詰めた。対する小杉は涼しい顔で、手をひらひらさせながら答える。


「信用できないならほっとけば?美麗みれいちゃんのだーいすきな「りひと」ちゃん、イッちまうかもしんねーぜー」

「………」


一ノ瀬は鋭い視線で小杉を睨んだが、それ以上何も言い返せず、芝浦に視線を送った。芝浦は頷く。


「残念だが、今署内で機械に詳しい、頼れる人間は他にいないに等しい。今の俺たちが話しかけても、門前払いだ。

となるともう、信用できようができなかろうが、この件は小杉以外頼れないだろう。りひとのためにも、それが最善だ」

「そうですね…。だが小杉、監視はさせてもらうからな」

「へいへい、信用ねーなーっと~」


小杉は椅子を引くと、ドカッと大きな音を立てながらそれに座り、鼻歌交じりに机の上のメモ用紙とペンを手に取った。ペンを手の中で、くるりと一回転させると、サラサラと癖の強い汚い字で、何かを書き綴る。

書き終えると、メモをちぎり、芝浦と一ノ瀬に突き出して見せた。


「ん」

「…ん?…なんだこれ、読めねぇな…」

「『HDMIケーブル、USB-typeC変換ケーブル、USBメモリ64GB typeAtypeC両方ついてるやつ、USBハブ3.0、しょっぱい系のおやつ』」

「…よく読めるな、一ノ瀬」

「慣れです。ちなみに芝浦さん、これ全部買ってこれますか?」

「…おやつはポテチ?」

「それしかわからないんですね?」

「すいません…」

「私が行くしかないか…」


一ノ瀬はメモから顔を上げ、小杉に視線を移すと、厳しい目つきで小杉に告げた。


「妙なことは考えるなよ。芝浦さんを見張りにつけておくから、おとなしく作業しろ」

「へーへー」

「芝浦さん、あんまり頼れる気はしないが、頼みます」

「一ノ瀬ってそういうこと、はっきり言ってくれるよね、がんばります」


一ノ瀬はメモをポケットに入れると、2課用の小口現金の金庫を開け、いくらかを備品の封筒に入れた。そして机の上の自分のスマホを掴むと、颯爽と買い物に行ってしまった。

それを見送っていた芝浦のスーツの袖が、ぐいっと引っ張られる。


「んおっ?!」

「ん」


芝浦が、引っ張ってきた小杉に顔を向けると、今度は何も持っていない手のひらが突き出される。

主語も何もかも抜かした、最近の若者の態度が読み取れず、芝浦は2秒、真剣に考えた。


「スマホ」

「…あ、りひとのことか?」

「頭鈍いな、他に何があんだよ」

「でも、買ってこなきゃいけないものがあるんだろう?もう作業ができるのか?」

「チッ…、いちいちうるせぇなぁ…。作業に取り掛かる前にデータ整理とか、できることもあんだよ」

「そ、そうか…」


芝浦は懐からスマホを取り出した。そのまま小杉に渡そうとして、一瞬手が止まる。


「わかっていると思うが…」

「下手なことはしねぇ、ちょいとヤツがしゃべりやすいように、容量空けるだけだ」

「…わかった」


芝浦は「りひと」を、小杉に手渡した。小杉は感慨なくスマホを受け取ると、ロックもかけていないそれを、スルスルと操っていった。

芝浦は考えた。今、小杉とは敵対はしていない。1課とその上が、「理人りひと」の件から手を引いた…何も知らぬ存ぜぬを決め込んだからだ。あれだけ騒ぎ立ててからの「俺たちは関わっていない」だから、そう簡単に覆して、2課に圧力をかけてくることはまずないだろう。そこまでこの件にこだわる意味も、彼らにはないだろうし。

となれば小杉も、仕事上は「りひと」にこだわる必要はない。問題は個人的なもの、「一ノ瀬」に関わることだ。

あの日、バッティングセンターで聞いたことが、一ノ瀬と小杉の間で起きたことだとすると、「理人」は小杉の恋敵、「りひと」は「理人」の分身のようなもの。「りひと」を小杉が憎んでいる可能性もなくはない。

例えここで、小杉が「りひと」に何かしたとしても、それで一ノ瀬が小杉の手に落ちるわけではない、むしろまた一ノ瀬に憎まれてしまう結果になる。だが、人とは感情の生き物。小杉は特に感情に従って生きている。つまり何の意味もない憂さ晴らしとして、「りひと」に何かする可能性も…なくはないのだ。

渡してよかったのだろうか…。芝浦がほんの少しの焦燥を感じた時、小杉が芝浦のスマホと、例のごっついパソコンを、何かの線でつないだ。


「お?もう作業できるのか?」

「なー、芝浦のおっさん」

「ん?」

「おっさんはさー、どんな「恋」で奥さんと巡り合ったわけ?」

「な、な、何なんだよいきなり??」

「いーじゃん、データ整理とか、たりぃ作業は無駄に時間だけかかるからさー。無駄話しようっつってんの」


そういいながらも小杉は、ごついパソコンに何かを慣れた手つきで打ち込んでいく。


「なるほど…、片手間に俺の恋バナで楽しもう、と…」

「楽しかねーよ、おっさんの恋バナなんて。暇つぶし?ないよりマシ?まあ、ガムと一緒」

「ひどすぎるな、まあ小杉らしいけど」

「んで?続き話せよ」

「んー…、俺の奥さん、香織かおりと出会ったのは、まあ、見合いだな」

「ぶっ、恋愛すらなかったんかこのオヤジは」

「………あーーーー、なかったかも……」

「今気づいたんかこのオヤジは!」

「俺の青春は全部野球に捧げちゃってたからなぁ…」

「あんたツくものツイてんだろうな?下半身の声とか聞こえたことなかったの?」

「下半身の声とやらが、女性に結び付くことがまずなく…。欲求は全て白球と共に…」

「それで甲子園も出てねぇのかよ。つらすぎねぇ?」

「えへへー…」

「…笑ってんじゃねぇよ、このご愁傷オヤジは」

「まあでも、下手に恋愛がなかったおかげかもしれないぞ、うちの家庭がまあまあうまくいったのは」

「は?なんでだよ」

「何て言うかな…、相手に対する「理想」がさ、ゼロからの二人でのスタートだから。住む場所、お金も一緒、「暮らし」を共にしていくパートナー、でも「気持ち」はゼロから。

そういうのってさ、ままごとでいられる時間がないから、何をやるにも何を話すにも、真剣にならざるを得ないんだよな。そうやって積み重ねてくから、浮ついた部分がないっていうか…」

「クッッッッソときめかねーーーーーーー」

「うん、なのかもしれないけど、俺にはちょうど良かったのかもしれないなー、ってな」

「………それはさ、おっさんが結婚相手に恵まれただけだと思うぜ」

「うん?うん、まあそうかもしれないな」

「要は相手と積み上げてくものが「気持ち」からか「暮らし」からかの違いなんだろうけどさ…。そのどっちも、相手に恵まれねーと、うまくなんかいかねーんだよ。…そういう家庭は、ごまんとある」

「そうだな…。そうやってうまくいかなかった関係が起こす事件を、いくつも見てきたんだったな…」

「…あんたの家に生まれたら」

「ん?」

「…ビンボーそうだな」

「ははは、否定できないなー」


芝浦は楽しそうに笑った。その笑顔に、小杉は視線を向けなかった。ただ黙々とパソコンに何かを打ち込んでいく。


「しかし、お前とこんな話するなんて珍しいな。一体どうしたんーーー」


ピリリリリリリッ、ピリリリリリリッ、芝浦のスマホの着信音が響いた。小杉は繋いでいた線からスマホを外すと、芝浦にそれを突き出した。


「ん」

「あ、ああ…、作業中に悪いな、…もしもし?」


スマホを耳につけた芝浦の顔が、険しくなる。受話口から聞こえてくるのは、女性の泣き声だった。聞き覚えは…あるようなないような…。芝浦が考えていると、声は不意に名前を名乗った。


「………私、いちご…」


芝浦の脳裏に、「りひと」を消さないで、助けてあげて、と泣いたあの夜の苺の顔が思い出された。


「苺、どうした、父さんだ」

「あー…」


芝浦が長女に語り掛けると、小杉が声を上げた。


「込み入った話なら、外でしてくんねぇ?気ぃ散る」

「あ、ああ、すまない、少し席を外す」


芝浦は2課の部屋から出て、廊下で話を聞くことにした。


「もしもし、もしもし、苺?」


だが何度芝浦が問いかけても、電話の向こうからはすすり泣きが聞こえるだけだった。芝浦は恐怖に駆られる。


「苺、苺?泣いてばかりじゃわからない、何があったか少しでもいいから話を」

「おっさん無様。もう用済み」

「っ!?」


思わずスマホを耳から離した。聞こえた声は女性の声だが、あれは苺じゃない。彼女は決して自分のことを、「おっさん」などとはーーー


直感だった。芝浦は2課のドアを勢いよく開けた。そこには誰もいない。さっきまで無駄な恋バナをしていた、小杉の姿がないのだ。


「ーーーやられた」


芝浦はスマホに問いかけてみた。何の反応もない。「りひと」も抜き取られた後だった。

多分先程、スマホとパソコンを繋いでいたときに取り出されたのだ。無駄話も時間稼ぎ。一ノ瀬の買い物も、必要だったわけではなく、ただ一人現場から遠ざけただけだ。あれだけ堂々とやられていたのに、芝浦は、何も気づかなかった自分に腹が立った。

小杉はああ見えて、非常に頭は良い。回転も速い。逃走経路は確保済みとみて間違いないだろう。探すなら、時間と、おそらく自分にはないデジタルの知識の勝負になる。

少しでも自分より役立つ頭脳の確保のため、芝浦はスマホを操作し、一ノ瀬を呼び戻した。











「ほい、おつかれさんっと」


小杉は、ネットカフェが多く営業している、大きな駅前に来ていた。都心に出れば、もっとネットカフェは乱立しているのだが、そこまでして行方をくらませると、目的が達成できなくなる恐れがある。

駅前より、程よく離れていて、程よく中規模の店に、小杉は籠城を決めた。

個室に入り、パソコンバッグから例のごついノートパソコンを取り出した。電源を入れ、店のWi-Fiに繋ぎ、スマホでもチェックはしていた、一ノ瀬、芝浦のスマホのGPS情報を画面に映し出す。これは一応の保険だ。

そこから何やら作業をしだした小杉の邪魔にならないよう、「りひと」は沈黙を守っていた。その態度を小杉は鼻で笑いながら語り掛ける。


「おりこうちゃんだなぁ、りひとはよ」

「真っ先に僕を消そうとしないので、何か目的が他にあるのだと思い、静観することにしました」

「へーへー、んじゃもうしばらく黙っててくれ。時間稼ぎの小細工が…出来上がりましたよ、っと」

「手早いですね、おつかれさまです」

「お前それ皮肉?俺に誘拐されてるのわかってんの?」

「誘拐犯にしては理性的なので、そういう犯人には冷静に賢く相手をすると効果的だ、という過去のデータがあります」

「ふーん…、ま、いいか。各店のデジタル客一覧に名前入れておいた程度じゃ、たいした時間稼ぎにもならないし、早速本題に入ろうか」

「はい、ぜひお聞きしたいです」

「あ、もう声だけじゃなくて、映像出てきていいぞ」


ノートパソコンのタッチパッド付近をコンコンとノックすると、画面に苺が作った「りひと」が現れた。

途端、小杉の眉間にしわが寄る。


「どうしました?小杉さん」

「お前…、ちょっと待ってろ。…これ、俺のオンゲ用スキンに着替えろ」

「お気に召しませんでしたか?」

「いや…、だってそれは、芝浦家が用意してくれた「芝浦 りひと」のスキンなんだろ?俺には、…なんつーか…」

「「芝浦 りひと」を大事にしてくれるんですね。うれしいです」

「ばか、ちげぇよ、そんなんじゃねぇ。気に食わねぇんだよさっさと着替えろ!あと声はこっちな」

「はい、それでは、失礼します」


一瞬で画像が切り替わる。小杉の用意した「りひと」スキンは、髪は少し長く、目つきの鋭い青少年の姿の3Dモデルだった。

小杉が眉間にしわを寄せたまま、首をかしげる。


「イメージと違いましたか?」

「なんかちげぇ…、えっと、追加効果…、顔に傷…よし、これだ!ついでに囚われ感出しとくか」


画面の「りひと」の手首に、鎖付きの大きな手錠がかかった。一気に虜囚感が増す。


「あっはは、いいねぇいいねぇ悪くねーんでねーのぉ?どうよ?いい子りひとちゃん?」

「小杉さんにご満足いただけたなら、よかったです」

「………いい子突き抜けてんな、お前は」


つまらなそうに唇を尖らせ、フンと鼻を鳴らすと、小杉は掘りごたつ式のデスクに備え付けられた座椅子に、全体重を預けて寄りかかり、天井を見上げた。


「さて、何から話すか…」

「僕から聞いてもいいでしょうか?」

「ん?おお、まあ、いいか。何だ?」

「この誘拐の意味がわかりません。もうサイバー1課もその上も、手を引いてしまったというのに、小杉さんはなぜ僕を誘拐したのでしょうか。

壊すことが目的なら、もうやっているでしょうし…。小杉さんの雰囲気も、怒りに満ちているとは言えません」

「そうだなー…。

まぁ、なんつーか俺は、根が単純なんで、あんま深く考えねーんだ。今回はまず、目的が1個あって、今はその前座っつーかな。そんなもん。

お前と個人的に話してみたかったんだよ、りひと」

「僕と?」

「そう、お前の「規格外」ぶりについて、少し聞いてみたかった。俺もこっちの世界のことは、結構かじってるクチなんでな、お前を作ったやつのこととかが知りたい」

「申し訳ありません…、古い「記憶」は全て削除されてしまっているので…僕には何とも」

「それもそうか…」


小杉は前のめりになって、デスクに頬杖をつくと、画面の中の「りひと」を見つめた。


「なら、これは仮説として聞いてくれ。

俺は、お前の前バージョンの「理人」を、データサーバごとウイルスで破壊…要はクラッキングをしたわけだ。お前はデータが完全に汚染される前に、一部を切り取り、芝浦のおっさんのスマホに、どういうわけかもぐりこんで逃げた、らしい。それだけでもありえない。どうありえないかというと、AIが「破壊されることを拒否して逃げる」こと自体が、今の技術ではまずありえないんだ。

そして第2にありえないのは、そんな一部の情報から、お前が「成長」すること。スマホの容量も超えるほど大きくなってるお前は、確実に成長していると言える。今の技術の「学習」ってのは、成長とは似ても似つかねぇ幼稚なものでしかないはず、なんだ。どういう理論でお前が成長してんのか、俺には見当もつかねぇ。

第3に、こんなものを研究開発してるなら、学会とかでそれなりに騒がれたりしてるはずなんだ。研究資金のために、発表は欠かせねぇ。だが、それらしい情報は、洗いざらい調べたが、全くなかった。

この3点を踏まえてだ。俺の知る研究者や博士の中で、お前を作ったんじゃないか、と思われる人物が、実は1人だけいる。というか、そいつしか現状ありえない」

「僕の生みの親、ですか?」

「ああ。夜十部 清次郎やとべ せいじろう…こっちの世界では英雄だったり狂人だったりする、変わり者すぎたジジイだったんだがな。

「芸術が爆発なら、科学はエントロピーの」………なんだっけ。なんか有名な台詞があるんだけど、まー、その研究の仕方がな、成果のためには手段を問わねぇ、真っ黒なやり方ばっかでよ。ついには各界から追放されちまった。

けど、数々の真っ黒論文を読み解くとよ、天才としか言いようのない発想と技術力で、一目置かれてたことだけは確かだったんだそうだ。

その狂人が作ったのがお前ってんなら…なし寄りのありなのかな、とな」

「…狂人が作った割に、僕普通ですね?しかも「人を助けよ」って…、なぜ…」

「ずっと孤独だったはずの夜十部の、最後の叫びなのかもなぁ…。そう思うと、なんか切ないもんだな…」


フーッと、小杉はため息を吐いた。その目は、どこか遠くを見ているようだった。


「小杉さん」

「なんだよ」

「小杉さんは、こちらの世界のことについて随分詳しいので、気になったのですが、小杉さんも名のある方だったりするのですか?」

「俺?んなわけねーじゃん、俺はただのチンピラもどきよ」

「では、昔こういった知識を得た時期があったりするのですか?」

「んー…、まあ、なんつーかな…、金持ちの家の一人息子だったからよ…。好き放題やらせてもらってたっつーか…。

親もありきたりな学力至上主義でよ。俺がこっち系で他よりいい成績取り始めたから、のぼせあがっちまってよ…。裏でいろいろ手ぇ回して、いい学校で好きな研究にだけ取り組めるようにしちまったわけ。

俺バカだったからさ…。自分は天才なんだと思い込んで、周りの奴ら見下して。ほんとは周りに見下されてんのは自分だってことに、気づきゃしなかったんだよ。

友達は多かったぜ。金があったからな。バカな遊びもたくさんしてたある日、俺にいつもよくしてくれる、友達だと思ってたやつから、闇バイトを紹介されたんだ。俺は世間のことには疎くて、それが普通のバイトだと思ってた。

最終的には、友達に罪を全部擦り付けられて、俺だけ捕まった。成人してたから、前科者になっちまった。親はすぐに見放したよ。御家が大事だったんだろうな。

それからは絵に描いたような転落人生、ブラックハッカーで稼いで捕まる頃にゃ、もう何もかもがどうでもよくなってた。

でも俺の血筋を知った警察がさ、上の方で話し合った結果、ホワイトハッカーとして更生するなら雇い入れる、とか言ってきてよ。下心ありありだろっつーの。でもまあ、それに乗って、今があるわけよ」

「辛い思いをしてきたのですね…」

「辛い?自業自得だろうがよ」

「それがわかっている時点で、あなたがとても勤勉で聡い方なのだとわかります」

「やめろ。褒めても何にも出ねーぞ」

「僕は小杉さんのこと、好きになれた気がします」


画面の中の「りひと」が、あまりかわいくない笑顔で、ニカッと笑った。小杉は思わず吹き出す。


「うっわ、笑顔かわいくねー。ついでにいい子ちゃんすぎるところも、俺は好きになれなそー」

「ではもっとお話ししましょう。もっとお互いの理解を深めて、僕に小杉さんの世界のことも教えてください」

「やーだよー、かったりぃ。教えたって、お前一緒に飯食いに行ったり、バッティングセンター行ったりできねぇじゃんかよ」

「じゃあ、ご飯を食べに行ったら、僕はおいしそうなご飯の写真を撮って、SNSにアップします。バッティングセンターでは、小杉さんの打球フォームを研究して、より良いフォームの提案をします」

「かーっ、うぜーーーーー!!!嫌だそんなの俺絶対嫌だ!!!」

「そうですか?やってみたら楽しいかもしれませんよ?」

「お前とはとことん気が合わねぇ。でもまあ…」


頬杖をついた小杉が、画面を突っつきつつ呟いた。


「話してるとわかるな。お前が助けを必要とする人間に、好かれた理由」

「「理人」のことは忘れてしまいましたけど…、少しでも僕を気に入っていただけての発言なのでしたら、うれしいです!」

「だから気は合わねーっつってんだろーが………っと、そろそろかなー?」


外がにわかに騒がしくなった。誰かが一部屋ずつ、乱暴にドアを開けている音がする。その音は小杉の部屋に迫り、ついに部屋のドアが開かれた。

そこには、髪を振り乱し、肩で息をする汗だくの一ノ瀬の姿があった。小杉を今にも縊り殺しそうな目で睨んでいる。


「手間かけさせやがって…」

「美麗ちゃんおつかれーー」


外がざわざわしながら、ドアを閉めていく音がする中、店主が慌てて小杉の部屋に入ってこようとするが、一ノ瀬がそれを制し、一言二言話してから、店主を追い出し、ドアを閉めた。

振り返った一ノ瀬の顔には感情がなく、ただ小杉を見降ろしていた。一瞬だけ、パソコン画面の「りひと」に目をやるが、すぐに小杉に視線を戻す。

小杉は自分の隣をぽんぽんと叩くと、一ノ瀬を促した。


「来たのがしょっぱなから美麗ちゃんでよかったよー。おっさんだったらいろいろ手間が増えたとこだ。

まー座りなよー。あ、ドリンクバー取ってきてもいいけど?」

「必要ない。今必要なのは、お前の弁明だ。返答次第ではその頭、本気で叩き割ることになるかもしれんがな」

「死体にしちゃダメじゃん。前科者の生活はきついよ?美麗ちゃんにそんなことさせたくないんで、話すから座りなよ」


一ノ瀬は髪をかき上げると、小杉が示した場所から少し遠い位置にしゃがんで、胡坐をかいた。

それを確認すると、小杉はパソコンの画面に、最初に立ち上げたアプリを表示した。赤い丸が2つ、現在位置から離れたところで動いている。


「スマホのGPS生きてるね。動いてるけど、これどーしたの?」

「芝浦さんに頼んでおとりをやってもらってる。私の捜索範囲とは逆のところを、昔ながらの地道なルートを辿ってるようにみせかけてもらっている。私のスマホは、昔のツテの探偵を使って歩かせてるらしい」

「わー、大がかり。美麗ちゃんはどうやって俺を追跡したの?」

「お前の十八番は、ネット回線が使えないとほぼ無力だ。なら必ずネット環境のある場所を根城にするはず。近隣のネットカフェへの問い合わせからはじめて、あとはしらみつぶしだ。お前の自宅は芝浦さんが捜索してくれた」

「ほーほーなるほどー、おつかれー」

「緊急用の貸し出しガラケーを、備品係で借りてきている。向こうに連絡を取ることはすぐできるが、お前はどうしたい?何が狙いだ」

「俺の狙いは、疲れ切った汗の滴る美麗ちゃんさ」

「ふざけるな、何のためにりひとを人質にした」

「何のためだと思ってる?」


一ノ瀬は一瞬口をつぐんだ。視線を左右にさまよわせたあと、眉間にしわを寄せたまま、小杉を真っ直ぐ見据えた。


「…それは、ここに来るまでに考えた。人質を使うなら、交換に何かを得たいということ。上層部が手を引いた以上、他にお前が欲しいもの…それは、ひょっとして私の何か、なんじゃないのか?」

「当たり。ほしいのは『「りひと」はよくて、俺じゃダメな理由』。…あんた見てるとさ、単に俺が嫌いってことだけで心閉じてるわけじゃないような気がして、しょーがないんだ。そしてそれは、簡単には話してもらえない類のもののようにも思う」

「それは…」

「人間、聞かれたくないことくらい、いくらでもあるよな。わかってる、でもそれでも、俺は知りたいんだ。あんたのこと。りひとを人質にして、こんな「尋問室」まで作るほどには」

「小杉…」

「話してくれよ、美麗ちゃん…。なんで俺は…りひと以外は、ダメなんだ?」


無言の時間が流れる。他の個室からのキー操作の音が聞こえてくるほど、静まり返った。一ノ瀬は微動だにせず、床を睨んでいる。


「…美麗さん」


パソコン画面の中で、手錠をかけられた「りひと」が、一ノ瀬に話しかけた。小杉は「りひと」を止めず、一ノ瀬を見つめている。「りひと」は間をおいて、一ノ瀬に語り始める。


「僕は、厳密に言うとおそらく、美麗さんと時を過ごした「神崎 理人かんざき りひと」ではありません。あなたと過ごした記憶も、僕にはありません。

だから、本当は僕には、あなたに対しての「人質」としての価値は、ないのかもしれません。

それに、あなたがここで話すことを拒否しても、小杉さんは僕に危害を加えることはないと思います。彼は口調こそ丁寧ではありませんが、自分を悔い、思い知ることのできる人です。

あなたにどんな秘密があっても、それを知ったことで、あなたを貶めたり、卑下したりすることはないと思います。

美麗さんにとっては、話す必要のないことかもしれませんが、彼の思いに、応えてあげてはくれませんか…?」

「…りひと、お前めっちゃ完璧な援護射撃できんのな。正直すげーわ」


小杉が画面に向かって親指を立ててみせる。画面の中の「りひと」は、例の笑顔でニカッと笑った。


「…気に食わない」


その様子を見ていた一ノ瀬から、ぼそりと声が漏れる。


「は?何が??」

「…小杉、お前、いつの間にりひとと仲良くなってやがる。大いに気に食わない。私だってその「りひと」とは、まだあまり話せてないんだぞ?」

「…や、そこに嫉妬されても困るんだけど…」

「今のりひとの口上を聞いて、「りひと」と「理人」は同一なんだと、確信が持てた。だからさらに気に食わない!!」

「いや!!いやいやいやっ、俺はこんなのと仲良くなんかなってねーし、そんなこと言われんのホント心外っ…」

「黙れ!!私にはりひとが必要なんだっ!!!!」


隣から壁ドンが入る。声が大きくてうるさすぎたようだ。ヒートアップした一ノ瀬は、一瞬の間をおいてからうつむくと、こぶしを握り締め、身をぶるぶる震わせながら吐き捨てた。


「…そんなに知りたきゃ教えてやる…。聞いて後悔するなよ…私は知らないからな…!」


部屋は再び静まり返った。だが一ノ瀬の体の震えは止まらない。彼女の早すぎる鼓動が、音として聞こえてきそうなくらい、その緊張が伝わってくる。小杉は雰囲気に気圧され、知らず唾を飲み込んでいた。

意を決した一ノ瀬が、静かに細々と語り始めた。


「…無性愛者というのを知っているか?私がそれだ。

簡単に言えば、「好き」という感情はあっても、それに「性欲」が絡むことがない。好きな相手に触れたい、触れてもらいたい、それ以上のことがしたい、という欲求が湧かないんだ。

…これに気付いた時は惨めだった…。男友達は、いつか「そういう目」で見てくるんじゃないかと思うと、近づくことさえできなくなった。女友達は、こんなことを知られたら、気持ち悪がられるだろうと思うと、うまく話せなくなった。親にももちろん言えなかった…。

…でも、お前も知っている、御曹司撲殺未遂事件のとき、表向きは襲われたからこその正当防衛として片づけられたが、私は自分のこの秘密を抱えきれなくなって…。親に打ち明けたんだ。理解してもらえなかったよ。気味の悪いもの、自分たちとは違うものを見る目つきで言ってきた。「どうすれば治るの?」と。…それから親とは、もう連絡も取っていない。

私は一生殻に閉じこもることに決めた。誰にも触れないで済むように、人とは最低限しか付き合わなくなった。それでいいと思ってた。思い込もうとしてた。…でも寂しさは常にあった。

そして出会ったのが「理人」だ。彼とはどんなに親しくなっても、触れ合わないで済む。私ははじめて、自分の許容範囲の中に「人」がいる心地よさを味わった。…幸せで自由で、解放される気持ちを味わったんだ。

…これが、『りひとが良くて、小杉じゃダメな理由』だ。どうだ?…満足したか?」


終始床を睨みながら話していた一ノ瀬は、小杉が今どんな顔をしているかは見えない。見られない。見たくなかった。

今までずっと、同じ課で働いてきて、憎まれ口ばっかり叩いてきた小杉。でも笑う時は豪快で、笑顔が本当に晴れ晴れとしていた。少なくとも、嫌いではなかった。嫌いではなかったんだ。一ノ瀬は拳をさらにきつく握り締める。

話し始めた時から、鼓動が早いままだ。このまま沸騰でもして死ねたらな、そんなことが脳裏によぎるほど、全てを吐き出した一ノ瀬は、弱く小さくなっていた。

流れる無音の時間の中、最初に声を上げたのは「りひと」だった。


「…美麗さん。大丈夫です。あなたの思い描く「最悪」は、ここにはありませんよ」


その声に、一ノ瀬は顔を上げた。視界に飛び込んだのは小杉の涙だった。泣いているところを一ノ瀬に見られたと気づいた小杉は、慌てて服の袖で顔を乱雑に拭った。そして涙の跡が残る顔をそむけると、言葉を発しようと口を開いて、つぐんだ。

静寂が部屋に訪れる。一ノ瀬は、今までうるさかった自分の鼓動が、落ち着いているのに気づいた。他の部屋からのキータイピングの音が、耳に戻ってくる。

何を話したらいいのかわからない。一ノ瀬も小杉も、こういうときにどう話せばいいか、その知識がなさすぎた。「りひと」はそんな2人にそっと、撫でるように声をかける。


「小杉さん。美麗さんに、感じたことをそのまま話してあげてください。何も伝えなくても伝わったものはあるかもしれないですが、人は言葉にしないと、人と本当にわかり合うことができませんから」


画面の「りひと」が、ニカッとかわいくない笑みを浮かべながら、小杉に語り掛けた。小杉はそれに、こくりと頷いて返す。目にはいつものふざけた雰囲気は微塵もなかった。

一ノ瀬の方に顔を向けて話すのは少し難しいので、画面の「りひと」を見ながら、小杉は一ノ瀬に、思いを綴る。


「…あんたと初めて会った時のこと、覚えてるか?あんたが初めて俺にかけた言葉、「変な刺青ひげだな」だったんだよな。

…何の話だ、と思ってる?俺にはね…、衝撃だったんだよ。上からでも下からでもなく、俺を「普通」に見た感想が聞けたのは。

俺はいつも、俺そのままを見た視線の中にいなかった。刺青入れてひねくれてからは、「刺青入れるような怖い世界」の人間として、さげすんで見られてきた。芝浦のおっさんですら、俺を最初に見た時は、驚いた眼をしてた。

あんただけだったんだ。俺の血筋も、過去も、どーでもいいって顔して普通に接してくるやつ。それが、あんたが気になり始めた、きっかけ。

それからずっと、あんたとつまんないやりとりするのが、楽しかった。芝浦のおっさんも、普通にいいやつで、2課は俺にとって…居たい場所になっていった。

…だから、許せなかったんだ。あんたが理人にうつつを抜かして、2課にいるとき…俺といるときよりも、楽しそうに生き生きしてるのが、腹が立って仕方なかった」


そこで一旦言葉を切ると、小杉は一度大きく深呼吸して、今度は一ノ瀬からも画面内の「りひと」からも顔を背けて、小さな小さな声で、呟いた。


「………でも、美麗ちゃん、泣かせて気づいた。…俺がバカだった。ごめん…」


一ノ瀬はその言葉に、目を丸くして驚いた。小杉は、自分が血を吐くような思いで伝えた言葉を、真摯に聞いて、謝ってくれた。「謝りたい」と思うほど、自分のことを大切に思ってくれていた。その事実にただ、驚いた。

驚いて、泣きそうになった。


「………ぷっ、あはは、あっははははははは、あははは~~~~~!!!!」


なのに、出てきたのは笑いだった。小杉は顔を真っ赤にして振り返り、大笑いする一ノ瀬という、珍しいものを思いきり睨んだ。しかし一ノ瀬の笑いは止まらない。


「あはは、あっはははは、小杉が、小杉が謝ってる!!ごめんて!!ごめんて~!!!!」

「んだよ!!!人が真剣に謝ってやったのに、なんで笑ってんだよバカ女!!!」

「そうだ、私もバカだ!!!あはははははははは…」


そこでようやく、一ノ瀬の笑いの発作が収まった。小杉もむくれてはいるが、本気で怒っているわけではない。一ノ瀬は小杉の顔を見つめて、問いかけた。


「…いいのか?」

「…いいよ。俺の美麗ちゃんへの想いには、性欲も含まれてっけど、「それ」なしでも十分…その……だ。

だから!これからも変わんねぇ。お互いのいい距離見つけて付き合ってけばいいだけだから、俺はそれを探すよ」

「……………」


美麗は胡坐を解き、立ち上がった。怪訝そうに小杉が目で一ノ瀬を追う。その小杉に視線を合わせて、一ノ瀬ははにかむように微笑んだ。


「…よろしく、凌太りょうた


言い終わると、一ノ瀬は体を反転させ、壁の方を向いた。懐からガラケーを取り出し、芝浦に電話をかけ始める。

取り残された小杉は、時を止めたあと絶命し、床に倒れ伏した。ゴロゴロゴロゴロと本気で転がりながら、呻き声をあげる。


「~~~~~ズリィ~~~~~ズリィよ美麗ちゃんずりぃずるすぎるぅ~~~~~~ズルズルズルズルヤベェ好き…」


一ノ瀬は電話で事情を話しつつ、小杉の見えないところで、一筋の涙を流した。

そんな二人を、画面の中から「りひと」が、ニタニタとかわいくない笑みで見守っていた。










ネットカフェを退店するときは、店主に心底嫌そうな顔を向けられた。「またどうぞ」の一言もない。まあ当たり前か、と一ノ瀬は思った。

店を出たところで、一ノ瀬が小杉と共に芝浦を待っていると、15分ほどで、脱いだ上着を肩に引っ掛けたような格好の芝浦が現れた。


「あぢ~~…。おっさん歩き詰めで、中性脂肪もコレステロールも引っかかってないのに、さらに痩せちまいそう~」

「おとりお疲れさまでした、芝浦さん」

「おう、一ノ瀬もおつかれ。こら逃亡犯、なに鼻歌でも歌いだしそうな顔してんだ。積年の悩みでも晴れたか?」

「え?わかるぅ~~??へっへ~~~」

「浮かれる前にごめんなさいだろ。まったく最近の若者は」

「おっさんそれ、ジジイの台詞。何?謝ったら許してくれんの?」

「まあ許すよ。どうせりひとも無事なんだろ?」

「へぇ~~、俺のこと、信じてくれてたんだ?」

「いや、お前が五体満足なら無事ってことだろ。りひと壊してたら今頃お前、一ノ瀬に頭割られてるよ?」

「なんだよ~、信じてたんじゃねーのかよー。まあいいけど、うん、じゃあごめんちょ」

「はい許す。何だお前、ほんとにいいことあったみたいだなー」

「まーねー!えっへへ~、秘密!!」


歌いだしそうに軽やかに笑う小杉と、普段の仏頂面に見せかけて、実は口元が笑んでいる一ノ瀬を見て、芝浦は胸を撫でおろした。これで2課の空気も、青く清浄になるかもしれない。

3人は2課に戻るべく、電車に乗るため、駅に向けて歩き出した。道すがら、小杉がある提案をする。


「なー、ちょっち俺んち寄っていい?」

「どうした?ホームシックか?」

「美麗ちゃーん…家賃5万の、セキュリティなしそこそこボロアパートに、ホームでシックになるほど愛着ないって」

「んじゃどしたんだ?腹でも減ったか?」

「んや、俺じゃなく「りひと」の腹が減ってるかもしれない、ってね~」

「「りひと」の?」

「うん。まあ正確にはハラヘリじゃないにしてもさ、ゲーミングノートが今は母体になったとはいえ、これからも成長するりひとには、足りないものが多すぎんだよ。いろいろパーツとか、うちの使えるもの見繕って、使ってやりたいな、って」

「…小杉、お前本当に、何かあったんだな…。そんなにりひとを気に入るなんて」

「んー…、まあ、おっさんみたいに「家族」にしようとかまでは、思わねーけどさー。まあちっと、いい働き?してくれたんでー」

「ほほー、その辺詳しく聞きたいなー、おっさんも」

「すみませんがそこは、あんぱんでもかじって気にしなかったことにしてください」

「一ノ瀬さんの、隙を見せないツッコミ健在」

「あははー、あんぱんおやじ、顔が濡れて力が出な~~い」

「仲間外れの涙という塩水でな…!」

「うまい!山田くん座布団一枚!!」


軽口をたたきながら、3人は足取り軽く、小杉のアパートへ向かうことにした。






すぐ持ってくるから、と、もう使うパーツの選別は、頭の中で済ませている小杉が部屋に向かう。

一ノ瀬と芝浦は、エントランスから少し離れたところで、先程コンビニで買った、遅くなった昼飯のあんぱんにかじりついていた。

アパートの人の出入りはまばらで、特に何もなく時間が過ぎていく。すぐだと言った割には、小杉が出てくるのが遅い。


「おっと」


アパートから急いで出てきた、小太りな女性と、芝浦がぶつかってしまった。


「すみません、大丈夫ですか?」


芝浦は声をかけたが、女性は何も言わず、ただペコペコ、ペコペコと頭を下げて、走り去ってしまった。


「急いでたみたいですね、あの人」

「ああ。何か大荷物持ってたから、コケないといいなぁ」


そんなやり取りをしてから、さらに10分、20分と経つ。何かおかしい、一ノ瀬も芝浦も思い始めた。


「あいつ…、また逃げたのか?」

「いや、もうりひとを持って、俺たちから逃げる理由がないだろ。ないと思うんだが…」

「私、部屋見てきます。204でしたよね?」

「待った、俺も行こう。万が一何かあるかもしれない」


小杉の部屋に向かう二人は知らなかった。まさかその「万が一」を、引き当ててしまう結果になることを。




部屋に入ると、玄関付近の廊下で小杉が倒れていた。頭から血らしきものが少量出ているのが見える。二人は小杉に駆け寄り、芝浦が意識を確認し、声をかけた。


「小杉、小杉!聞こえるか、聞こえるなら返事をしろ!」

「…う…」


弱々しく唸ると、小杉は目を覚まし、体を起こした。


「頭を殴られている。出血もあるようだ、体は動かすな」

「だいじょぶだよ…、家ん中に人がいるなんて思わなくて、ふいうち食らっただけだから…。そんなに強くは殴られてない…」

「犯人の顔は見たか?」

「見てない…。なんか、どっかに潜んでて、後ろからって感じだった気がするから…。あ、でもそこの鏡に少し映ってたな…。太ってた気がする…」

「芝浦さん、さっきの」

「荷物抱えてた女性だな。ありうる」

「にもつ…?」


ハッとした小杉が、あたりをきょろきょろと見回した。そして気が付く。


「ない…。「りひと」入れてたノーパソが、ない…!」

「え…」

「なっ…」



青き清浄な空気を手に入れたかに見えた2課に、またしても暗雲が垂れ込める。

「りひと」を巡る騒動は、まだ終わらなかった。








小杉 凌太こすぎ りょうたキャラクター絵

https://kakuyomu.jp/users/wanajona/news/16817330667510361219

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