5 火星の黒騎士

 火星統合府と名を変えたと言っても、結局のところ首がすげ代わっただけという見方は極めて初期の頃だ。

 ライエンス臨時大統領は形骸化していた議会の根回しを行っており、民主政権の再生を約束していた。軍部に懇意で穏健派であるシマンティック議員を中心として、旧再生委員会派を瞬く間に一掃していった。

 だがそれは火星内での内戦に発展する。旧委員会は火星新都として名高いオリンポスシティを要塞化して立てこもる。

 新統合軍はこのオリンポスに対して何度か攻勢を掛けているが、いずれも失敗し、膠着状態に陥っていた。

「航空支援はまだか!? 地上部隊は見殺しか!」

 何度目かの攻勢、何度目かのセリフ。空爆と戦車部隊による旧態依然とした戦術で、機械化歩兵の突破口を開こうにも、いまいち噛み合っていなかった。

 そうした実情の裏にあったのは、実戦経験の少なさからの兵員不足である。火星駐留軍というのは一線を退いた訓練教官や士官候補生の一塊に過ぎなかったのである。

 仮に元エースパイロットであっても、体を満足に動かせない老体。我こそは指揮官だが、実際に手の動かし方を知らない口ばかり達者な士官、そういうものばかりであった。

 だから火星内戦であっても、その戦いは苛烈なものではなく、何か緊張感が足りなかった。

 互いに攻め手を欠く中で、現れた新兵器は前線では意外ではないもの。

 オルトスだ。

「人型、来ます!」

 試作機トールを元に量産化が進められ、ロールアウトしつつあった【リッター】。騎士の名に恥じぬ豪奢な装飾が施された白い機体はオリンポス要塞から現れ、騎士らしくない容赦無い銃撃を統合軍に浴びせるのだった。


                 *****


 輸送艦の中であっても、エアロックに閉じ込められていたリースは、出発したフォボスとは違い、火星の一般的なステーション衛星、ダイモス宇宙港に到着した。

 それでいて通常のドッキングベイでなく、人気のないベイエリアで降ろされる。

 ここまでの移送を担当する兵士から、事務役と思われる者や、それに帯同する軽装の兵に移送が引き継がれる。当然の話だが、事務役の役人のほうが階級は高めなのであろう。他にない胸章代わりのIDカードがそれを示している。

 形式的な引き継ぎを見つめ、合図に従い、同道を再開する。行き先は火星新都行きのレールライン。数名が乗れるカプセルに乗り、火星各地の軌道エレベーターステーションへ移動。更に軌道エレベーターで火星の主要シティに降下する。

 ダイモス宇宙港を使わずに火星本土に降下することもできるが、軌道エレベーターを仲介するレールラインが整備されてからは、ほとんど使われていない。

 火星からの脱出は高価なロケット設備が必要であるし、宇宙からの直接輸送の必要性もなくなってしまっからである。

 リースは軽装兵が自分の刀を共に輸送していることに、まったく興味をみせないようにしながら、火星本土への移動に静かに付いて行った。

 彼らがどのような命令を受けているにせよ、今は動くべき時ではない。そばに刀があるならば、いつでも反抗が可能で、その自信もあった。銃殺刑で死ぬ気はない。

 今のリースには生きる目的がある。

 軌道エレベーターから降りてきた先でようやく両足が地に着く。重力エリアとも月とも違う、身体に重みが付いてくる重さである。ただこれでも地球の重力よりも軽いというのだから、リースの理解力を超えている。

 ともあれ、慣れ親しんだ重力に肩を回したい気分だったが、あいにくと両手は拘束中だ。それを見かねてか、いや本来そういう仕事だったのかと思うほどスムーズに爆弾付き拘束錠は解かれる。リモコン式の電磁拘束錠である。

「持ち物は後程返却いたします。先に臨時大統領府へ向かいます。」

 事務役人はそう言って拘束錠を回収してしまう。事態の推移に、リースはしばし考えあぐねる。どのような意図で拘束が解かれ、統合府の執政拠点に連れて行かれるのか、思いつかなかった。

 軌道エレベーターから火星新都の大統領府へはものの30分ほど。高層ビルや小綺麗な建造物群のおかげで、新都西方に広がる旧都市街は見えることは無い。

 軌道エレベーターでの降下中は外を見れないため、尚更懐かしい故郷は見えなかった。

「ではこちらお返しいたします」

 大統領府正門入り口前で、事務役人から刀を返却される。その前に返してこなかったのは逃走を予測してのことだろうか。そんなことは関係なく、今からでも逃走することは可能なのだが。

 彼の意味の分からない手続きは、この際無視するとして、返却された鞘に納まる刀は左手に持つ。

「案内致します」

 役人の後に付いて、答えの出ない疑問を晴らすために進む。正門警備の兵も、受付の兵も、役人には一度敬礼している。もしかすると大統領付きの秘書官の類かもしれない。ただだからといって、リースは敬意を取る気は更々ない。何しろ、ここにいる理由を開示されるまで彼は罪人であることには変わりない。いつどこで死を命じられるかは分からない。そういう警戒心ぐらいは持っているのだ。

 役人の後ろを付いて行くこと2分ほど。大仰な両扉が開かれ、月の司令室で見たような執務室と併設される応接間で若く見える金髪の男性が座って待っていた。華美すぎないティーカップにそこそこの湯気を立ち昇らせた紅茶のような色の液体を満たしている。それが2つ用意されている。1つは当然男性の、もう1つは空のソファに向けて。

「お連れ致しました」

「ありがとう。手続きよろしく頼む。」

「はっ。失礼します。」

 役人はどうやら秘書官であるという予想は当たっていたようだ。リースを室内に招き入れ、次の指示を受け取ると、部屋を閉ざして出て行った。

「どうぞ、座ってください」

 リースのような若造に敬意を表する言葉に、彼はうやうやしく感じ入ることはない。むしろ傲岸不遜に問う。

「その前に、武装を許して私を招き入れた理由を聞きたい。フィレンス大統領。」

 リースは男性のことを覚えていた。月での第一報は目にしなかったが、その後録画で放送は見た。ライエンス・フィレンス臨時大統領その人である。若そうに見えるが、それは若作りであることも知っている。むしろ老けない人間、セトラーが血筋にいるかもしれない。

「そうですね。まず初めに、君の罪状は消滅しました。超法規的解釈と思ってもらっても構わない。ジェニスという連合軍捕虜は存在しなかった。存在しない人物を処刑などという事実は論理的に存在しない。そういうことになりました。」

 無茶苦茶な論法である。しかし、ジェニスがコロニー連合軍でないことは、リースがもっともよく知るところだ。ジェニスが語った通り、彼らは何らかの形の取引で連合軍へと編入された。それがどのような目的だったかは知らないが、興味もない。

「罪状消滅のために、わざわざ火星に呼び戻したわけではないでしょう」

 簡易軍事裁判でも銃殺が相当な兵士を、火星に呼ぶのは考えられない。恩赦とするのもやりすぎであろう。何らかの別の思惑があると考えざるえない。

 とはいえ、罪状の一旦消滅後の自身のあり方について、比較的穏当な対応をしなければならない。居丈高な態度は一旦改めるリース。

「無論。その話も含めて、魔女の弟子である君に話をしたかったのです。」

 温和で柔和。臨時大統領に就任するような、力強い演説をしたような、それらと同じ人間とは思えない。

 ただ魔女の弟子とあえて単語を口にしたことに、リースは眉をひそめる。それが、好ましい話かどうかも含めて、誘いに乗らなければうまくまとまらない気がして、刀をそばに立てかけてソファーに座った。

「私は情報部出身だから、スラムの魔女について聞き及んでいます。彼女が殺しすぎなければ、私達の仕事も楽ができたのですが。」

「金で人斬りをするもので。それよりも情報将校だったとは。ジェームズなんとかですか?」

「クラシックムービーをよく知っていますね。残念ながら事務方で、華やかなスパイではありませんでしたよ。」

 世間話で始めて、腹を探る。見た目には何でも無い会話だったが、すでにヒントはくれている。

 リースでも、情報部の事務方というのは隠語だと知っている。腐敗していた火星委員会の中で、綱紀粛正や汚職捜査を請け負う、味方が恐れるグループのことである。

 その彼がこうして委員会打倒のため立ち上がったのも、状況の憂慮からであろうことは容易に想像できる。

「彼女がいなくなってしまったのは残念なことですけれど、弟子の存在は知りませんでした。その弟子が地球圏の前線で戦い続けていたことなど、驚嘆に値します。」

「戦いの中で生きる故に」

 世辞を言われていることを理解しつつ、己の真理を答える。リースを、魔女を、そこまで持ち上げることは、戦いで期待されていることに他ならない。

「この度、ヴェルジェ厶少尉にお願いしたいのは、今後火星統合軍で組織されるであろうオルトス部隊。その1つを指揮してもらいたい。」

「目的は委員会残党掃討ですか」

「恥ずかしながら」

 大統領の話の意図するところを、リースは一瞬で答えると、大統領は苦笑した。

 普通に考えれば、先の声明だけで委員会が崩壊するとは考えにくい。委員会に反感を持つ者は火星内でも相当数だろうが、それでも特権階級にしがみつく者たちも当然いる。

 先の声明で組織内を真っ二つに割ったとなれば、武装化して抵抗するグループはいると考えるのが正しいだろう。

「オリンポスシティに籠城されて苦戦しています。速報では、量産化が決まっているオルトスを出して来たとも。早急に統制を取り戻さなければなりません。」

 リースは火星の地名に明るくない。スラムの外は新都にそこそこしかないので当然である。フォボスに上がることすら、最初は驚きだったものだ。

 敵の規模や、拠点防御力は想像ができない。また、のっぴきならない問題ももう1つある。

 リース自身が乗るオルトスである。

「敵の撃滅がお望みであれば」

「対空防御が強く、航空支援は芳しくありません。確かに殲滅が好ましい。」

「では、オルトスと、部隊を」

 量産化されつつあるオルトスの性能が如何ほどかは分からないが、ゲイルよりは強いだろう。機体の反応力と格闘能力以外はゲイルとさほど変わらないアサルトよりは強いだろうと思う。

「オルトスの用意は流石に1日欲しいということです。君のこれまで乗ってきたアサルト。その改装のために。」

 宙に浮かんで開かれたタブレット映像には、どこかの工廠で四肢と装甲板を外され、パーツ単位で交換される作業が映し出されていた。

 それを指揮し、自らも工具を使うのは、メリル・ビランスト。スレイプニールのオルトス技士だ。

 アサルトや彼女がいるのは、リースが移送されていた輸送船に同乗していたことに他ならない。輸送船内での行動の制限がかかっていたリースが知る由もないことだ。

「1日」

 むしろその程度で済むことに驚きだ。分解工程に入ってるということは、強化も視野にあるということだろう。工廠に運び込む前に、用意があったのだと思う。

「申し訳ないが、一泊逗留してくれませんか。宿の手配はすでに。」

「お構いなく。必要ありません。」

 急ぐ必要はあるが、焦っても仕方ない。泊まる場所を用意してくれたのに、リースは即断ってしまう。

 彼には帰る場所が無いが、それでも戻りたい場所はある。

「明日、ここで?」

「ええ。工廠には視察に伺います。配属される新兵もそこで紹介します。」

「了解です。では失礼します。」

 話はすべて終えたとばかりに立ち上がり、刀を持って、忙しなく執務室を出ようとする。

「では明日」

 短く言って、リースは部屋を出て行ってしまった。ティーカップには一口も付けなかった。

 ライエンスはため息をつく。

「戦いの化身が手足を付けて生きている、と言ったところか」

 口を付けられなかったティーカップの温い液体を一口。そして、感想を口にした。



 大統領府を出て、徒歩で旧都スラム街に出向く。リースのように軍服を着る小綺麗な青年は目立つ。スラムに居座る日雇い労働者やストリートチルドレンは、彼がよそ者かどうか見た目で判断してくるが、迷いのない歩みがその目を避けさせる。

 入り組んだスラム街を徒歩で移動すると相当な時間がかかる。その広さに加え、無計画に建造された市街が、人の出足を阻む。最短距離では、屋内に入り込む必要のある区画もあり、そこら中で違法入居や、脛に傷ある者の拠点となっている。

 大統領府を出た時には昼間だったのが、目的地に着いた時には夕暮れであった。

 目的地である4番街の教会があった場所は花束が1つ捧げられた廃墟であった。周囲に我が物顔で居座る得体のしれない人間たちはおらず、その周辺だけ恐ろしいほどに静まり返っている。

 侵入禁止テープも張られていない敷地に足を踏み入れると、今でも焦げた香りが匂い立つような、不思議な様相を呈している。

 それに廃墟の中は人骨らしき葬られていない骨がある。火災があって数年。未だに片付けられていないところは、スラムが見捨てられた土地であることもさることながら、マフィアも手を出して来ていないことが分かる。

 リースは何も喋らないまま、廃墟を探る。骨は少年くらいの子供の骨ばかり。瓦礫をどけても、大人の骨、あるいは女性らしき骨は見つからない。

 あの日、あの時、無我夢中でリースは燃える教会を後にした。その時から今まで教会に戻ることはなかった。ここに廃墟がある以上、火災は現実のことだ。

 であれば、魔女である母の骨は、すでに誰かが葬ったか、何らかの理由で持ち去ったか、火で全て燃え尽きたか。浮かぶ予想を全て裏切り、ここにいた魔女なる者はあの炎以来、消え去ったのかもしれない。

『以後、いないことと思え』

 言われた言葉を思い出し、廃墟から出る。郷愁はあるが、ここにもうリースター・ヴェルジェム以前の名無しとしての彼の居場所はないのである。全てが燃えた。そう理解するしかない。

「戻ってくるなら、ここだろうな」

 廃墟を眺めて、独りごちる。感慨深さすらある。

 誰かが置いていった花束のことを思い出して、廃墟から出てくると、フロントライトを煌々と光らせた電気自動車が1台あった。

 時間は夕焼けだったのが夜になっている。周囲に街灯はないため、ライト以外は真っ暗闇である。

 車から出てきたのは4人。運転手、助手席、後部座席から出てきた。運転手が片方の後部座席ドアを開いて、おそらく1番偉い奴が出てくる。3人は強面でガッシリ体型だが、その偉そうな奴は小柄で髭面だった。火星では珍しい喫煙者だった。

「おい貴様、ここの関係者か?」

「昔住んでいた」

 ぶっきらぼうに聞いてきた偉そうな奴に、リースは素直に答える。

「ならば、魔女はもういないな?」

 更に聞いてきたことは、魔女の忌み名が未だに響いていることを示すことだった。内心ほくそ笑んでしまう。

「遺言は、いないものと思え、だ。もっとも、遺骨は見つからないが。」

 偉そうな奴は偉そうなりに声を上げて笑い始めた。リースの言葉は何の根拠にもならないはずなのだが、相当楽観的か、関係者に言われれば安心する性質なのだろうか。

「これでようやく、ここをなんとかできる。有り難い。」

 意図することが分からないことを言ってくる。どうせ土地を工作して手に入れたか何かなのだろう。

「関係者が戻ってきたとかなんとか言われたが、解決して何よりだ。やれ。」

 偉そうな奴はほっと胸を撫でおろし、周りに合図を送る。ご丁寧に赤外線ライト付きの拳銃でリースに狙いを付け、一斉射を放つ。

 だが、銃声とは別の、金属音が鳴り響く。リースは抜刀していて、一発も撃たれていない。

 当然の如く、刀で全弾弾いた。回避する必要性もない。

「撃ったのなら、殺られる覚悟は当然あるな?」

 どこのマフィアか知らないが、リースにはどのマフィアだろうと関係が無い。本来、金の絡まない殺しは請け負わないが、攻撃されるなら話は別だ。昔読んだ本には、撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だ、という記述があった。リースは、そうだと同意する。

 故に、斬る。

 まずは、近場にいた顔が良く見えない男の首を落とした。ジェニスにやったこととは違い、一刀のみで落とした。

 さらに踏み込み、もう一人の男の右腕を切り落とす。

 反射的に銃を撃ち始める残りの男には、背後に回って胴を一突きした。刀を抜きざまに、突いた男を偉そうな奴に押し付ける。

「ひっ、ヒィィィィィ!?」

 今まで何が起こっているのか理解できていなかったのか、ようやく恐慌状態に陥っている。リースは残念ながら、この男には撃たれていない。

「いつかは分からないが、また来る」

 刀身に付いた血糊を払い、納刀してから言う。リースとしては、単純な別れの言葉だったのだが、偉そうな奴は腰を抜かして失禁していた。



 明くる朝、ライエンスとの約束通り、彼の視察の車に乗せられ、リースは新都郊外の軍事基地内工廠へとやってきた。

「来たな、リースター!」

 メリルは、明らかに眠そうなまぶたをさせながら、ハイテンションにリースを歓迎した。徹夜明けハイ状態である。

 アサルトの状態は修復完了、というより強化が完了している。黒いボディもさることながら、頭部の意匠や、カメラアイ、肩のアーマーなど、ほぼ手直しされている。

「それに武器も一品用意させたぞ!」

「これは」

 作業員が牽引車で運んできた台にあるのは一振りの刃。以前の戦いで折れたレアメタルブレードよりも鋭利に鍛えられており、精密に作られていることは見てとれる。

「刃の名前は考えるヒマがなかったが、機体コードは考えておいた!」

 彼女は自信満々に胸を張る。小柄だし、ナイチチだ。

「シュバルツ。まぁシュバリエでもよかったんだがな!」

 シンプルすぎる名前を披露されて、ライエンスは呆れているようだったが、リースには悪くないように思えた。どうせ元々、アサルトという名であったわけだし、この際、シンプルのほうがいいまである。

「感謝する。あとの調整は仕上げる。君は寝ろ。」

「寝れん!まだある!」

 相当なナチュラルハイなのか、リースの感謝の言葉を無視する。血走った眼で彼の手を引っ張る。

「ミス!?」

 流石にヤバイ状況だと、大統領ともあろう者が心配している。むしろ彼からは、ドクターではなく、ミス・メリルでよいのだろうか。

「今回、剣は特注したが、もっとうまい方法があると思う!

お前が、敵の頭を切り落としたことからインスピレーション得て、処刑用を念頭に精錬したが、まだ美しくはない。そうであろう!?」

 彼女は豪語して、同意を求めてくる。彼女にも至らなさを感じるところがあるのだろう。リースからしてみれば職人の仕事と思うのだが、プロの感情というのも理解する。

 ジェニスの首を斬り落としたのは、もののはずみや気が昂ってなのだが、この際どうでもいいだろう。

 欲を言えば、自分が使っている刀のような一振りが欲しい。しかし刀の精錬や作り方は失伝している。この刀ですら、いつ頃作られ、どのような銘か聞いたこともない。

「形状記憶合金」

「なんだと」

 リースは口を突いて単語が出てきてしまう。それがなんの技術かはあやふやだ。唐突にイメージで話してしまった。

「確か、元に戻るという形質の金属だ。それをヒントにして、欠けてもエネルギー供給により刀身を回復させたり、切れ味を強化させる刀身生成プログラムで行くのはどうか?」

 自分で言ってて、ラルヴァ並みのでまかせが出てしまっていた。本で読んだ合金とはまるで違うのは分かっていたが、出てしまった以上は仕方ない。

「おお、なるほど! ハハ、そうか!」

 メリルの理解力もハイ状態で錯乱しているので、荒唐無稽な話を信じてしまう。それでいいのかと言われてしまったら、リースも珍しく自信は無い。

「よーし、次の目的ができたぞー! ワハハ!!」

 などと、笑いながら彼女は用意されていたであろうリクライニングシートに座ると、途端に眠りこけ始めた。忙しい女の子である。

「申し訳ありません、遅れてしまいました!」

 メリルが眠り始めた直後に、リースよりも2、3年若い制服の年少兵が走ってくる。言葉を発したのはくすんだ色の金髪の少年だ。兵士というにはまだ弱々しく、自信のなさが伺える。

 彼は後ろに4人の少年、少女の同年代たちの先頭に立ち、敬礼して声をあらん限り発する。

「キース・イズラミル一等兵であります!」

 恐らくは士官学校在学中の戦時徴用兵であろう。リースとは違い、火星本土内のどこかの士官学校にいて、徴用されたというところか。

 この場に来るということは、彼を含め5名もが、リースの指揮下にはいるということだ。

 リースはちらりとキースらを見る。弱々しい年少、褐色肌の少年、体格は大きいが腰が引けてる少年、三白眼で生意気そうな少年、その隣の顔つきが似ている少女、5人である。

 当然だが、リースは他人に何かを教えたことはない。自分でも教えられるような人間でないということは分かっている。こういうのは、例えばロークが面倒見の良い人間だと分かっている。

「貴様ら」

 リースは刀を抜き放ちながら、振り返った。それが刃物であることは、恐らく初めて見るであろう。直立不動で敬礼するキースが汗ばみ始めている。

「今ここで覚悟しろ。これから貴様らは敵を撃ちに行く。撃てなければ死ぬ。」

 リースは脅しにかかった。そうとしか言えなかった。彼は殺すことしか知らない。敵を生かすことは考えたことはない。

 その証拠に、神速の踏み込みで、キースとの距離を一瞬で詰める。刃は彼の首筋まで数ミリのところの寸止めだ。

「構えていれば、死は目の前だ。故に、死を恐れよ。何もできず死すことを恐れよ。死なぬために、殺すことを覚えよ。」

 リースは冷たく言い放ち、刃を下げる。

「大統領、出発は」

「彼らのオルトスの積み込みは終わっています。あとはシュバルツのみです。」

「承知した。輸送中に調整を行う。」

 ライエンスは脅しにかかったリースを一瞬止めようとしたが手を引いていた。彼にはリースの踏み込みは見えていたが、刃に見惚れていたのである。

「ここより先は修羅場。抜けるのは今だ。」

 かなりハードな言葉を投げかけながら、リースは刀を納刀した。本人的には、脅しとけばいいかぐらいにしか思っていない。元より、自分だけで任務に向かうつもりだったし、できると思っている。

(教える?俺が?)

 そう思うものの、できないとしか思えない。

(上司がアレだぞ)

 あやふやにチャランポランなウィナードのイメージが浮上する。かなり失礼だが、彼がキツく言ってこなかったことも、多分ある。

 リース、ラルヴァ、ロークがウィナードにとって優秀な戦闘員であったことは確かだ。

「大統領」

「何ですか?」

「ウィナード・ワイズマン少佐も、貴方の派閥だったのですか?」

「彼もこれまでの戦争に疑問を持っていただけです。それに、彼はそもそも同志であるシマンティック議員の娘婿。私にとってはむしろ、白鷲というエースに協力してもらった手前。」

「娘婿?」

「スレイプニールの艦長のスフィーナ・シマンティックと彼は婚約しているのですよ。かつては木星で、彼の部下だったとか。羨ましいロマンスですね。」

 エリート艦長と叩き上げのエースで水と油だった2人をイメージして、明かされた真実に顔をしかめる。うまいことウィナード隊長に化かされた感覚がある。

 ここで、彼のイメージを思い直した。烏合の衆であるスレイプニール隊内のメリハリのために、艦長に対してちくちくであった考えであることに、配慮を感じる。艦長としても、それに乗ったのであろう。これが指揮官というものかとリースは思う。

「自分は少佐を勘違いしていたようです」

「私もそうですよ?」

 ライエンスはにこやかに言う。その顔つきは、ラルヴァとは違う。何より、ラルヴァと違って、輝いて見える。

「私は指揮官には向いていませんし、部下を生き残らせる確約もできませんが、任務は完遂しましょう。では。」

 リースは、今できないことを素直に吐露し、ライエンスに浅く会釈した。

 他人を導くとか、教えるとか、今のリースには無理だ。できない。降って湧いた部下を守ることも到底無理な話だ。

 だからと言って、死ぬなと言ってやることも生き残れと言うのも無責任だ。

(出たとこ勝負になる)

 オルトス、シュバルツを見上げながら、今はやるべきことを胸中で反芻した。



 オルトス輸送トレーラーが6台連なって荒地を移動している。宇宙ならともかく、大気圏内のオルトス輸送はトレーラーしかない。オルトスは最新兵器というのはにべもないが、戦術としても戦略としても軍事力としては未成熟の分野になってしまう。

 運ぶにも一苦労。

 ただ、今回はそれがリースにとっては、逆に僥倖だった。

 トレーラーの振動を直に受けながら、シュバルツのコクピット内で、オルトスの調整を続ける。

 アサルトカスタム【シュバルツ】。近接格闘のためのゲイルに過ぎなかったアサルトの四肢を研究開発中だったオルトスパーツと交換した、継ぎ接ぎである。海賊やジェニスとの戦いの戦闘データを元によりリースにマッチングさせたパーツに交換している。具体的には姿勢制御スラスターやブースターにより、大地を走るのではなく走破させるようになり、より機動性が上がっている。火星内ではスケートのように滑り、宇宙空間ではジェットスキー状態となる。

 これを知らない者が初乗りしようとすると、ものの見事にその場で滑ってコケるようなピーキーな仕上がりとなっている。その上、これら走破性能は加速によってシュバルツのメタルブレードの威力を上乗せするものである。

 未だ無銘の刀に、名前を打ち込む。【クサナギノツルギ】。地球の昔話に出てくる大地の龍の遺骸から見つかった神剣の名である。今後名前負けするかもしれないが、こういうのは願掛けである。

(頼むぞ)

 リースは珍しく祈りを捧げる。携えている刀とは、出自も生まれ方も違うとはいえ、紛れもなくリースの剣なのだから、当然のことである。

『まもなくオリンポスシティ直近キャンプです』

 トレーラーの運転手が通話で伝えてくる。

「了解した。パイロットは全員、オルトスへ搭乗。」

 シュバルツの調整は終わっていない。初めから出たとこ勝負である。あとは、戦闘中にマニュアルなりで何とかする。プライムコロニーでもやったことだ。

「運転手はご苦労。輸送はここまででいい。」

 トレーラーの後部ケースが展開して各オルトスが姿を現す。火星の赤く見える荒野に多少シュバルツの黒さは目立つ。それ以外の、キースらが乗るリッター5機は真っ青なボディカラーをしている。こちらもかなり目立つ。

『あの、我々だけで? 前線に連絡は?』

「無論だ」

 キースではないガタイのいい少年、通信コードはグルードと表記されている者からの弱々しい声だ。それに対し、リースは即答する。

「俺は問題ないが、お前らが誤射されると面倒だ。拠点に奇襲を掛け、短期決戦を挑む。」

 事前情報通り、統合軍は実戦経験がまばらな兵で戦っている。そんな味方に支援や援護は頼れない。そういうことを、リースはハッキリ言った。

「シュバルツを盾にしてついて来い。そうすれば貴様らの生存率は上がる。」

 リースは先行して目的地にオルトスを走らせる。オルトスの足を走らせているのではなく、ホバー移動のような滑っていく状態だが、なかなか悪くない。感覚的に車を走らせているのとさほど変わらない。

 目的地であるオリンポスシティは火星新都市計画の1つとして建設された。高原を臼状にして都市が建てられ、物資流通のためのマルチアクセス機能を擁する。そのため各路線からの侵入経路は豊富だが、戦車で侵入するには狭すぎる。そして、地上からの侵入は、見下ろされる形の為、丸見えだ。丘を登りきれば撃ち下せるが、急こう配で、元より戦車戦で突破するのは、望み薄であったろう。

 だがそれもオルトスの2本足なら、ただの丘である。

「各機、登りきったら射撃に専念。俺が突っ込む場所を狙い撃て。」

『隊長!?』

「俺に当てられるなら、今後の戦いでも百発百中だ。」

 リースは何度も言うが、射撃は苦手である。士官学校でも射撃だけは成績が悪かった。

『狙って撃つ。狙って撃つ。これだけだろ?』

 昔ロークが言っていた。止まっている的ならそうだろう。彼は、動いている的にもそういう風に言うから信用ならない。

「行くぞ」

 敵の出撃は見えていないが、リースはシュバルツを全力疾走させる。オルトスドライブは全開。各ブースター全力発動。跳ね跳ぶかの如く黒い機体が、砂塵の中を走る。

 市街地の入口で展開したトーチカがシュバルツを追いきれない。砲塔が回らないところで、後方のリッターの射撃を浴び、爆散する。

(トールの戦闘速度並には出てるか)

 瞬間最高速を出してみたリースはコクピット内でケロッとしている。Gキャンセラーで緩和しきれない衝撃Gは出ているはずである。

 前方で砂塵の中、動体マーカーが追加される。それが敵のオルトスなのか、戦車なのかは分からないが、飛び込んでいけば分かることである。

 リースは再びシュバルツを敵陣に突っ込ませる。今度は敵の攻撃が前方から飛んでくるが、まばらな射撃である。腰が引けてる射撃と言えばいいか。まぐれ当たりを祈るような、狙いの定まらない射撃。それをただ突撃するだけで避け、砂塵の中で見えた敵戦車を踏み付けて、さらに跳躍する。敵のオルトスはおろか、市街地のビルよりも高く跳んで、敵の数を一瞬だけ把握する。すでに動き出している敵軍の数は数十機。それらを全て判別することはできないが、オルトスも数機混じっている。これらを全て相手するのは骨が折れる。

(望むところ)

 シュバルツを着地させ、敵のリッターの後ろに回って、逆手に持ったクサナギノツルギをオルトスドライブに突き刺し、抜いてから離脱する。程なくしてドライブは誘爆して、その場で大爆発を起こす。周囲の市街が影響を受けて崩れ去り、シュバルツ自身の退路を塞いでしまう。ただ同時に、シュバルツを目的として集結中だった敵部隊の動きも妨げられる。

(次だ)

 区画整理されているとはいえ、主観的に迷路状態の市街地を走り、次の敵部隊へと向かう。土煙によって多少の目眩ましはできるとはいえ、敵の正面か側面か背面かは、行ってみないと正直分からない。

 リースにとって幸運なことは、2つある。1つは、オルトスの戦術が未成熟で、敵がオルトスと戦車の混成部隊で各個撃破できたこと。もう1つは、敵のオルトスが白兵戦を毛ほども対策していなかったことだ。

 だから、たとえ敵部隊が正対しても、敵は反射的に射撃しかしてこない。たとえ正面からリースのシュバルツが現れると分かっていても、視認してトリガーを引くまでに1秒程度のラグができる。そのラグは、リースが射線を判断してシュバルツの上体を逸らしながら攻撃するだけの隙でしかない。

(次)

 正面きってリッターのコクピットを貫き、離脱する。刃がオルトスドライブに到達しなかったか、安全装置が働いたのか、爆発することはなかった。だが、その位置にビームのシャワーが降り注ぐ。

 キースらが愚直にリースの指示を続行しているのだ。高台から撃ち下せば、射程距離を稼げる。戦闘が発生するエリアに対して射撃を繰り返せばよい。

 もっとも問題が1つある。高台から一斉射撃をしているのは敵からも丸見えだ。敵戦車の仰角では無理でも、敵のリッターは支援射撃をしているリッターに対し撃ち始めるのは当然の話である。

「だがそれはつまり」

 リースは消え入るような声で言葉を出した。シュバルツで、崩れたビルを足場に跳躍する。オルトスに飛行能力は無いが、シュバルツの推力は機動兵器の空中上昇を実現させた。

 敵部隊がキースたちを撃つということは、そこに敵がいるということに他ならない。であるならば、リースはそこに向かえばよいのだ。

 跳躍してきたシュバルツは、降下しながらクサナギノツルギを敵に突き刺して着地した。

『化け物か』

 戦車兵か、今倒したオルトスのパイロットが言ったのか、声が響いてくる。

『隊長!』

 敵の声に感じ入る前に、キースの通信が入る。

『奥から何か大きいモノが出て来てます!』

 上から見下ろして巨大な存在は何か。リースの頭では、それが何のことか分からない。だがシュバルツのセンサーに、巡洋艦クラスの熱源が示される。

 この時の、リースたちには気付きようがなかった。オルトスドライブは機動兵器運用できるまでのサイズダウンされたエネルギー機関である。ともすれば、そのエネルギー機関を複数運用すれば艦艇とも違う新しい兵器が誕生するのではないか?という発想から生まれた機種がある。

 キャバルリー。さながら大艦巨砲主義に立ち返ったような砲台が複数取り付けられた巨大オルトスである。

 旧委員会側が繰り出して来たキャバルリーは、8本の脚を持ち、尻尾のように主砲を逆立てたサソリのようなメカである。現実のサソリと違って腕が無い。

 銀色の、塗装らしい塗装がされていないキャバルリーは、主砲を高台のリッター部隊に向けている。

「分かりやすい!」

 拠点防衛兵器を巨大化させる利点は、大量破壊兵器を積めるということだろう。主砲がエネルギー火器にしろ、電磁加速砲レールガンにしろ、直撃したオルトスに甚大な被害をもたらすものであろう。

 主砲を撃たせたにしろ、新兵をそれで殺すのは目覚めが悪い。そう思ったリースは、珍しく語気を荒げた。

 シュバルツを加速させ、キャバルリーの脚部の1本めがけてクサナギノツルギを横一文字する。キャバルリーの対空砲らしき機銃が反応するが、シュバルツをかすめるほどではない。刃先がキャバルリーの脚に直撃するが、切断には至らない。相手が大きすぎる。何度も斬ればやれそうなものだ。だが、生憎と時間はない。キャバルリーが主砲を撃ち始めている。どうやら調整不足か砲術計算ミスらしく、キースたちの高台までは届いていない。だが、周囲に被害が出ている。周辺地形に被害が出れば、今はリッター部隊が安全でも、足場が崩れるかもしれない。

 つまり、求められるのは短期決戦。最初と何も変わらない。

(どこを斬ればいいか)

 キャバルリーの足元を抜け、正面に出ながら背を向ける。逃げる形に見えるが撤退ではない。

(この剣が届く、ヤツに致命傷を与えられるのはどこか)

 リースは考える。考え抜く。

 キャバルリーは一番危険な相手、黒いオルトスの背中を追う。機銃が飛んでくるが、やはり当たるものではない。どういうわけか照準が狂っている。そしてキャバルリーが動作している間は主砲を撃つ気配がない。

「なるほどな!」

 このキャバルリー・スコーピオンは、急造された巨大兵器である。建造途中の拠点防衛兵器であって、対オルトス戦を想定したものではない。戦車や艦艇と違い未だプログラムも未熟なため、多数の兵員で運用しなければならない根本から見直さなければならない欠陥兵器なのである。

 何より、足を止めてチャージしなければならない主砲が、文字通り足を引っ張っていたのである。

『支援を!』

 キースら新兵たちも負けてはいない。スコーピオンの威容と主砲に縮こまっていた彼らも再び射撃一斉射を再開していた。

 これもリースの反撃に、良い方向へと働いた。一斉射を上から浴びせられたスコーピオンは足が止まるが、同時に主砲の射角を調整できないし、背中の部分がダメージを負って融解し始めている。

 この間にリースのシュバルツは崩れた市街地のビルを階段状に走り踏み抜いて、跳ぶ。

「行くぞ、シュバルツ」

 初めて、リースは自分の刀とは別の新しくできた相棒に声をかけた。

 跳んだ勢いのまま、シュバルツは都市外縁の外壁を走っている。

『壁走り!?』

『ウソでしょ!?』

 味方の音声が響いてくるが、咎めている余裕はない。シュバルツは壁をさらに蹴り上げて、スコーピオンの上を取る。

「所詮、脚のある戦車だろうが」

 鼻で笑いながら、スコーピオンの背面に着地ざまに縦一文字に主砲を斬り落とした。

「終わりだ」

 最大攻撃力を破壊しただけでは終わりでなく、背面に刃を突き入れ、シュバルツを加速させて、後方まで切り裂く。

 シュバルツがスコーピオン後方に降り立った時には、立派な脚が力なく崩れ、切り裂かれたところが爆発を起こし始めた。ただ派手な爆発は起きず、ノックアウトの如くその場でペシャンコになった感じだ。

『すごい』

 キースは呟く。支援射撃をしたとはいえ、スコーピオンのような巨大な敵も、いとも簡単に倒してしまった。

 本当に敵の殲滅を成し遂げてしまった自分らの隊長に畏怖を持つ。

 火星の委員会残党最大戦力であるオリンポスを1機で落としてしまった黒いオルトス。黒い、つるぎ持つ騎士。

 ライエンス大統領は、この黒騎士の隊をブラック・ナイツと号することにした。

 ただ、ブラックナイツが活躍することはない。なぜなら、戦争はもう終わるからだ。

 新統合軍元帥となったルーデスト准将をコロニー連合との停戦条約交渉の場に連れて行くこと、それが最後の任務になる。



 時を経て。

 黒いオルトス、シュバルツはスレイプニールに帰還する。数週間程度明けた程度だったが、それでも久々に感じる格納庫。トールの姿はない。月に待機しているのだろう。

 五体満足のリースが、刀を携えシュバルツから出てくると周囲のメカニックが視線を露骨に逸らした。

 銃殺刑になると思われた兵が階級の星を増やして再び現れたのだから、幽霊か何かと思ったのだろうか。

「リース!!」

 ただ彼らは違う。黒い宇宙服を着たラルヴァが一直線にリースに向って飛んでくる。

 リースは一歩下がって、慣性移動するラルヴァを避ける。ラルヴァは進み続けて、キャットウォークの床に手を着くしかなく、あらぬ方向に移動していく。

 ラルヴァの後ろからやってきたロークは、キャットウォークの手すりに掴まって、リースに顔を合わせる。

「どうやら変わりないみたいだな」

「どうかな」

 ロークが言ってくることに、リースは自信なく返す。一瞬目を伏せたリースに、ロークはぎょっとしている。

「心は躍っている、気がする」

「ああ」

 リースの様子のおかしさに、ロークは閃きがある。彼も覚えがあるというか、リースのいない間に、ロークも再び海賊たちに会う機会があった。それと似たような浮ついた雰囲気をリースに見たのだ。

「行きな。彼女なら、変わらずにあそこにいる。」

「分かった」

 リースは脇目も振らず、格納庫を出る扉へと向かう。

「ちょっとちょっと!」

 再会の言葉が何もないラルヴァは放置される。ロークはリースの後ろ姿を見送り、嘆息した。

 リースが進む先は、当然医療ブロック。美人女医と言われ、軽傷で通い詰めるクルーがいたのも今は昔。これが普通とばかりに医務室に人気はない。以前いた看護スタッフももはやいないようだ。

 女医、キョウカは仕事がなく、本を読んでいる。それがドアが開放された医務室から見える。

「あら」

 無重力で足音が聞こえるはずがないのに、彼女は気配を察したのか、出入り口に立ったリースに気がつく。

「血は足りてる?」

 彼女は足を組んで、右手首を左手の指で撫でてニヤニヤとする。リースでなければ見られない表情だ。

「残念ながら」

 言いながら、リースは残念そうな顔はしていない。むしろ、揶揄するような彼女に困り顔だ。

「じゃあ、何をしに来たの?」

「約束を守りに来た」

 彼女は立ち上がり、軽く地を蹴って、ゆっくりとリースに近寄る。リースは彼女を受け止めながら即答する。

「貸しも返してくれる?」

「生憎、血は返せないが」

 リースは一瞬目をそらして考えてから、彼女に向き直って言う。いつのまにか医務室から出て流される2人だったが、周囲に目が無いので特に気にすることはない。

「できることといえば」

「あ、むっ」

 リースに男女の愛は分からない。ただ普通の人間の愛の営みを本の知識として知っている。それはキョウカも同じだった。

 そういう者同士で、唇を合せ、当然のようにお互いの舌を絡ませる。初めての行為だが、気分は悪くない。

「こんなことでよければ」

「悪くないわ」

 30秒ほど接触を続けてから口を離し、リースは真っ直ぐに彼女を見る。彼女は特に上気していない顔で答え、もう少しとばかりにリースを抱きしめながら、自分からリースの唇に吸い付いた。

 奇妙な関係性に見える。好き好んで恋愛しようというわけではない。新たな絡み合いを見つけたような行為を繰り返し、関係を確かめ合うようなものだ。

 キョウカは女性として、男性を意識したり、恋愛に憧れたりするような女ではなかった。ヒトの体を診て、切り刻みたいと思うような危ない女である。医療行為は正当であるものの、免許があることは偽っている。

 だから、実際に殺人のため切り刻むことを生業にするリースに余計に好意を持ったのかもしれない。

「ん」

 リースは肩と腰を軽めに抱いているだけに過ぎない。ただキョウカはそれだけで物足りないように、彼背中に腕を回して体を密着させる。キョウカの体型はスレンダーでお世辞にも豊満とは言えない。しかし、艷やかな黒髪が彼女の清楚な見た目と相反して妖しげな魅力を放っている。

 その彼女が男性に縋り付くように身体をくねらせている。彼女自身が、まだリースに愛を感じていなくても雌として雄を欲しているからなのだろうか。

「残念ながら」

 そういう、キョウカから発せられる本能を感じ取ってなのか、リースはここまでとばかりに彼女の両肩にそれぞれの手を乗せ、彼女の行為をやんわりと止めた。

「また話そう」

 止めたリースに不満げな顔をする彼女だったが、彼からの頬への軽いキスで、すぐに仕方ないなという顔をする。それで本当に恋愛感情ないのか。

 キョウカから離れたリースは未練がましく振り返ることもせず、その場から離れる。

 キョウカはしばらくその背を見送り、キスされた頬を指で撫で、微笑みながら医務室へと戻った。

 気が気でないのは2人の様子を途中から覗いていたラルヴァとロークである。

「甘ったるいのに大人な雰囲気! どういうこと!?」

「どうもこうも」

 ラルヴァは子供のように困惑している。キョウカはおろか、リースが女性に興味があることを解せないとしているのだろう。

 ロークとて、彼がどういう考えで、彼女のどのようなところを好んだのかは分からない。

 ただ、収まるところに収まった気がする。約束などと言って、律儀に口約束を守りに帰って来るのだから。ともすれば問題なのは、キョウカのほうだ。

 彼女の医務室が閑古鳥鳴くようになったのは、ひとえにリースと絡みがあったからである。特に普段からコミュニケーションが刺々しいし、次第に白眼視されるのは目に見えていた。

 彼女にとって、まったく気にならぬことだったようで、大きな問題になってはいない。

 じきにリースとキョウカがただならぬ関係であることも噂が立つだろう。主にラルヴァが脚色して流す。

 もっとも噂が流れる時に、リースの立場がどうなっているかは、今の2人に想像つかないことである。



 月のアンリベースに到着したスレイプニールから、現在の最高指揮官、ルーデスト准将が降りてくる。若く見えるが、ライエンスと同期の軍人である。クーデター以前は参謀部に所属していた。

 長身で、黒髪、左目周辺に傷痕がある人物だ。

 彼の右脇をリースが護衛して歩く。その後ろをキースらブラックナイツの部下たちが付いて行く形だ。

 准将らに対し、駐機場に集まった士官たちが一斉に敬礼を取る。ルーデストは彼らに向きながら答礼し、先に進む。

 リースは護衛のためにいるので答礼はしていない。ただ、彼がリースター・ヴェルジェ厶であることは月ではほとんど知られていることなので、むしろ恐れられている。

 捕虜惨殺をした士官が火星に送られ、高官護衛で舞い戻って来たのだから。多くは得体の知れないものと思っている。

 准将の到着式に参列しているウィナードは、数少ない理解者である。何より、彼自身がスネに傷ある身だからかもしれない。

 そして彼にとって准将は元上司である。ルーデストはかつて月で司令をしていた。昔の戦争の指揮官の1人であったのだ。

「座らないか?」

「刀が抜けなくなるので遠慮いたします」

 准将の到着式が終了してまもなく。司令室で歓談に入った准将であったが、護衛として一応の仕事を果たそうとするリースに嘆息する。

 仕事熱心に見えるが、彼がスレイプニールに到着して、同じく輸送艦から移動するルーデストを迎えるわけではなく、艦のクルーに再会しに行ったことは分かっている。

 別にそれを怒るつもりはなかったが、親友のライエンスから聞く彼の印象からかけ離れた行為に、奇妙さすら感じられた。

 恐ろしい暗殺者、火星の魔女の噂はルーデストも聞き及んでいる。それにほぼ単機でオリンポスシティの敵部隊を殲滅して見せた実力は驚嘆に値する。この宇宙時代に刀を携え、銃弾を切り捨てすらする剣客ぶりは味方であれば心強い。

「それにしても歓迎式典をされると、プレッシャーが段違いだな」

「アルバート提督はいい顔をされんでしょうがね」

 とりあえずリースのことを考えても仕方ない。ルーデストは話題を切り替える。とはいえ、ウィナードの軽口は彼にとって無視できないことだ。

 アルバート中将は火星宇宙艦隊の提督の1人。委員会派でないだけで、新統合軍の支持をしているわけではない。何より、ルーデストのような若輩者に元帥面をされるのは我慢ならないのではないだろうか。

「ま、まぁ、条約さえ締結されれば、地球圏もだいぶ静かになります。火星のことは、これから火星だけで解決すればいいことなのですから。」

 ローウェンはやんわりと前向きに話をする。頭の痛い縄張り争いの話をしても仕方ない。ここにルーデストが訪れたのは、とにかくコロニー側との正式停戦のためだ。一方的な宣言で戦いを中止したところで、コロニーの不満や不信は解消されない。

 コロニー側でも自軍の不信が広まっているだろうが、それならばなおさら全戦闘を停止させなければならない。これ以上の戦争は理由もなく、無益なことだ。遺恨は残るだろうが、コロニーの独立性を確立させることが一番大切なことであると、ライエンスと一致した見解だ。

 ただ懸念材料もある。

「どうかね。戦いをやめたくない奴らもいるんじゃないか?」

「だからこそ、私の護衛に彼を付けたのだろう」

 ウィナードは軽口ではなく、真面目に言う。それを受けて、ルーデストはリースをちらりと見る。

 戦争は終わらせたい。だが、今回の戦いのきっかけを作り、影のように見え隠れするコロニー過激武闘集団、プライムの存在がまだ残っている。

 彼らの動き次第で戦いはまだ続く。そんな気がしてならない。また戦争が続けば、リースター・ヴェルジェムのような戦いの中で生まれる狂人も必要になるだろう。

「何にせよ、もう終わらせなければならない」

 不安なことはあれど、まずは戦争を止めること。それだけを考えなければならない。


                *****


「戦争が終わったらどうするかなんて考えたこともなかったなぁ」

 ミル・アデストライはスポーツドリンクを一飲みして答えた。

 彼女はオルトス戦闘の技術供与のため、一時的にアデストライ一家から月に出向している。名目上、一家と統合軍の橋渡しのため監視役である。

 どうも気が早いようで、ロークを義兄と呼び慕っている。

「義兄サマは姉様のところに来てくれるんでしょ?」

「いつかな」

 シミュレーションルームでブラックナイツの新兵たちを2人で連敗させたところだ。鍛えてやってくれとリースに頼まれたが、全然相手にならなかった。

 新兵たちは勝ち数ゼロなら月基地内1周マラソンということだったので、しばらく戻ってこないだろう。

「姉様のところに来てくれたら、もちろんアタシとも!」

「お前は、俺よりいい相手が見つかるよ」

 ロークにとっては妹みたいに感じ始めた相手だ。それがミラのおかげだったとしても、悪い気はしなかった。

 まもなく戦争が終わるかもしれないと考えても、あまり実感はなかった。ミルには曖昧な答えをしてしまったが、ミラと結婚するのも悪くないと考えていた。

 気が早いかもしれないが、どうにも彼女が忘れられなかった。一家への支援品輸送のため護衛に1回参加して、彼女と再会した。

 傲慢かもしれないが相思相愛かもしれないと思っている。彼女が若造に遊んでくれているかもしれないが、ロークは本気になっていた。

 そして実際に、ミラも本気だったのだが、指折り数えるだけの話では真実の通じ合いはできていない。

 だからなのかもしれない。リースとキョウカの関係性を羨ましく思ってしまう。

「戦争が実際に終わってから考えるとしようや」

 問題は先送りにする。ミラが好きなのは本当だ。だからこそ、言うのは次にしようと思ったのだ。



(戦争が終わる)

 ラルヴァは1人、月面都市へ私服で降り立っていた。休息日なのだから当然だ。

 アンリベース近郊の月面都市は基地が近隣にあるからこそ建造された都市であり、ラルヴァのような若者が歓楽街に出歩いたところで、見咎めはされない。露出の多い格好をした立ちんぼめいた客引きの女性がそこら中に客を見定めている。

 面食いなラルヴァも、この時ばかりはナーバスで誘いに乗る気はなかった。

 ラルヴァ・シーゼンという名は奪った名前である。彼に名前はあったが捨てた。春を売るための名前だったからだ。

 過去を忌み嫌い、全て燃やし尽くした。スラムの娼館が燃えることなど誰も覚えることはない。

 偉くなれば踏みにじる方に回れると考えたのはいつぐらいの時からか覚えていない。飽くなき向上心と、それをひた隠して、踏み台を見定める毎日。

 優秀さは武器だ。邪魔なものを排除し、都合よく力とする。リースター・ヴェルジェムという危険人物が同期にいたのは幸運だった。士官学校で、候補生が死ぬか重傷を負うかすれば、彼が真っ先に疑われたからだ。首を吊らせたのも、死傷事件に発展させたのも、生きながら焼いたのも、疑いが降りかかることはなかった。

 リースやロークを誘ったのは身を守るつもりだった。今でも交友が続いているのは僥倖である。ただ、そうしながら戦争が終わってしまうのは、やり方を変えねばならない。

 昔の委員会ならば、ラルヴァには偉くなれるチャンスがあったかもしれない。政治体制としてまともになりつつある現在の統合軍は明確に戦果を上げなければいけないかもしれない。リースがそのようなものだ。彼自身がそう思うように、ラルヴァも彼に隊長は務まらないと思う。

(難題だよ)

 ラルヴァにリースの地位は奪えない。彼は、ラルヴァの向上心に気付いている。仮にラルヴァがリースの背中を撃っても殺せる気がしない。

(戦争を続けさせるほうが楽かもな)

 自分のために逆説的な仮説を立てる。存外、本気でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る