4 魔女の後継者
火星移民の時代、それは地球再生委員会が始まるよりも前に遡る。宇宙に住処を移しつつある人類が、第二の地球として目指したのが火星であるのは、ありふれた願いでもあった。
それでも大地を踏みしめて生きていきたい欲求により、厳しいテラフォーミングを成し遂げた。これら初期開拓民たちは【セトラー】と言って、過酷なテラフォーミングや環境適応を行えるよう特別調整された遺伝子を持つものたちであった。
地球の旧為政者たちは、火星を第二の地球として住めるのが分かると、こぞって移住を始め、開拓民を押しのけて自分たちが支配階級に収まった。開拓民の子孫の労働者階級でも特に下層の民は、支配階級たちとの作った新都に住めることは無く、旧市街区に押し込められた。それらは、時と共にスラム化し、現在に至る。
主に8番街まで広がるスラムの中、珍しくもない孤児院の存在。孤児になる理由は様々だが、大体はデザインベビーの失敗作だ。もはやセトラーは必要ないが、親が生まれる子供を作り替える文化は、そのまま残った。ただこれらは高い能力を常に得られるわけではないため、親の遺伝病可能性を極力取り払ったり、そもそも病気に強い体を作るためのものだ。しかしそこに、美しい容貌や髪色、目付きなど、外面上要素をデザインすることは、無理からぬ話だった。親の要望通りにならない子供は、ほとんどが手放され、孤児となった。それは乳児から10に満たない子供までだ。
4番街にいた黒髪の子供もそのような孤児かと思われたが、黒い外套に身を包み、フードを目深に被っても美しい金髪がこぼれる女性の目には、他の孤児とは違って見えた。
「肉よりも血が好きか?」
ズタズタの布にくるまり、服という服を着ていない子供の周りには、干からびたネズミ、骨だけの犬、そして、吊り下げられた老人の遺体があった。
男の子は遺体の脚に噛みつき、肉や骨を露出させてもそれらに興味を持たず、滲み出る血を啜っていた。いくらなんでも凄惨な現場なのだが、黒づくめの女は動じてはいなかった。
「なら私の血をあげよう」
彼女は持っていた小さなナイフで左手の人差し指を薄く切って、男の子に差し出した。
生きた人の生きている新鮮な血を啜るのは男の子にとっては久しぶりで。差し出された手を、もはや食いとるかの如く噛みついた。その様は獣か、御伽話の鬼かのようだったが、女性は怖がらず、むしろ柔和な笑みを浮かべていた。
「私の血を吸うお前ならば」
彼女は優しく言って、男の子の頭を右手で撫でる。
「お前は私の所に来い。お前の好きなように血を啜り、浴びる。そういうやり方を教えてあげよう。」
物騒なことを言って、1人の孤児を自分の孤児院に招き入れた彼女の名は分からない。ただ、4番街では有名な女性で、住む人々は彼女のことを魔女と呼んだ。
『男の子』が招かれた孤児院は、4番街の中心にある寂れた教会だ。もはや何の神を信仰していたのかは分からないし、奥で祀られる像は風化してのっぺらぼうになっている。そして、魔女と恐れられる女性もシスターなどではない。
そこには『男の子』と同じように、辺りを暴れていた少年が数多くいた。魔女が、いたいけな年頃の少年を囲う趣味でもあったかのように男の子しかいなかった。
新たな子供がやってきた時は、元いた少年たちが奇異の目線を向ける。ここに来る子供は、癇癪持ち、知恵遅れ、笑い症など理由は様々だ。孤児の中でも扱いにくい、マフィアが爆弾扱いにもできないような子供たちばかりだ。そこでは仲間意識はほとんど芽生えない。食うか食われるか、手下になるか牢名主になるかである。
連れてこられた『男の子』はといえば、比較的年少に関わらず、頭角を現した。
魔女が孤児たちに教える人殺しの術を、彼はどんどん吸収し始めたからである。そして何より、彼自身は温和だった。一日のパンよりも読書を好み、夜は空を見上げ、星を眺めていた。
無口で、人間関係を積極的に構築せず、威張り散らさない。孤児院の中で弱い少年たちは、『男の子』に希望を寄せたが、すぐに失望した。彼が魔女に連れられて出た先で、大の大人を3人も殺したと彼女が自慢げになった。
「人殺しに何もない。面白いも楽しいもない。そこに流れる血が欲しいんだ。」
なにより『男の子』の言い放った言葉で、年上の子供たちも彼に関わり合うことをやめた。ただ、一番年上だったジェニスという少年は違った。彼も、魔女からナイフ術を教わったが、連れ出されるようなことはなかった。
彼には外で魔女が何をしているのか知っている。殺しの仕事だ。殺す相手は様々で、富豪や役人だけでなく、マフィアや政治家もある。殺し方は、子供にナイフ術を教えているが、本来は外套の中に差してある剣で斬殺する。
ジェニスにはその件が刀であることは分からなかったが、その刀を受け継ぐべき後継者を探していることは分かっていた。『男の子』を連れだしたのは、もはや後継者を彼に定めたと思っていい。
そうなればどうなるか。『男の子』が育ち、10代になり、身体が大きくなっていく過程で、魔女の刀を使い始めたらジェニスたちはどうなるのか。彼らは命を危うくされない分、先行き不明な未来に不安を覚え始めるのも無理はなかった。
必要な想像力が育たなかったことはあるが、魔女がそういう教育を施さなかったのも事実だ。彼女が欲しがっているのは、最強の人殺しの術を扱うことが可能な自らの後継者であって、知恵を巡らせる犯罪者ではない。
だからジェニスは自分の手下、トニーとカームを引き連れ、教会に眠りガスを流した。魔女や『男の子』に利用される前に、危険因子を排除する。そういう思いで、自分たち以外を全員眠らせ、教会に火を点けた。火であれば殺せる、と考えたまでが彼の限界でもあった。
焦げ付いた匂いと、季節外れの暑さと熱さに目を覚ました時、『男の子』の周りは燃え上がっていた。出入り口は火に包まれており、いつ天井が炎に巻かれて崩れて来るか分からない状況だ。
「
『男の子』は魔女をいつの頃か母と呼んでいた。親子の情が湧いたのではない。文学を好み、自然に口から出た言葉であった。彼には親子というのが血の繋がりということでしか分からない。であれば、魔女の血を受けたのだから、親子と言えなくもない。
名を知らぬ魔女を母と仰ぎ、殺しの術を教え込まれた。刃で人斬りをすると生き生きする。あくまで楽しさではない。彼が生きるために人殺しが必要だっただけだ。
燃える教会から母を救おうと思うだけの倫理観はあったが、もはや彼女は火に巻かれ始めていた。
「そこにある荷物と、刀を持て。ここを出ろ。」
彼女は熱がろうとせず、汗は出ているが、喘ぐこともせず、『男の子』にいつも通り話しかけた。
「これより先、私を死んだものと思い、生きていけ。ここからのお前は、一個の『お前』だ。」
それらは遺言のようなものだった。命の危険に晒されている状況であったが、彼女が言葉を紡ぐ間は、不思議と教会は倒壊しなかった。
「お前に名を付けなかったのは、『お前』という個を形作ることを惜しいと思ったからだ。だがもはやそれも必要ない。その荷物にお前の名と、これからの道の一つを示しておいた。それをどのようにするかはお前の自由だ。何もかもを『お前』自身で決めろ。」
「はい。母様。」
『男の子』は魔女の言う通り、少々肩にのしかかる重さの麻袋と魔女の刀を持つ。
「さらばだ。我が技を受け継ぎし子。お前の行き道は物語ではない。常に血塗られた道であることを心せよ。」
「さようなら。母様。」
不吉な物言いをする魔女だが、そのほうがらしいとも言える。『男の子』は笑顔もなく、涙もなく、別れの言葉を言ってから、窓ガラスを破って外に出た。それから程なくして、教会は火に巻かれ、倒壊していった。火の燃料になるようなものは教会の木材しかなかったが、なぜか一日中燃え上がり続けた。
後に子供の遺体は十数人も出てきたが、不思議と女性の遺体は見つからなかった。そのことから、4番街には今も魔女の生存を信じる者がいる。
『男の子』は教会に振り返らず、ただ走って行って、程なくして荷物を確かめた。そこには、『男の子』の顔写真が貼りつけられた士官学校の申請書のファイルと、火星市民IDカード、手紙が一通、5冊の文庫本と通信端末が入っていた。
IDカードにはリースター・ヴェルジェムという名があった。
資源衛星フォボス。ここで資源が採れていたのは、すでに数十年前のことだ。穴だらけの衛星は、内部の改装を無秩序に続けていたが、4、5年前になって士官学校に姿を変えた。
火星の大地よりも緑豊かに整えられたフォボス士官学校で3年間の軍人教育の後、士官候補生として火星軍に配属される。
ただそれは建前でのことだ。この学校は実質的に火星の富裕層の子弟のための高等学校だった。軍人教育というのも緩い雰囲気で、とても戦うための軍人を教育するための学校ではなかった。
高額な入学料と引き換えに有名無実なエリートコースが約束される。この場所は、火星軍部の腐敗を象徴する学校であった。
ただそれでも、学校経営者としても、それを支える軍部の思惑としても、目に見えた実績を必要とする。
それが奨学留学制度である。実績のある富裕層の身内でなくても、中流層以下から学生を募る制度である。
いわば、学内に分かりやすい弱者を一定数集めるだけの制度である。
「腰が入ってないんだよ!」
黒髪の少年が、茶髪の少年のストレートを受けてなお、ボディブローを放つ。見た目にも重い拳撃を腹に受け、茶髪の少年は悲鳴も上げられず、腹を抑えて、その場に倒れ伏した。
留学制度で入ってきた学生は、多くが軍人として身を立てるのを夢見た一般家庭出身者である。この学校の暗部、留学生は学内スケープゴートであることを知らないというのがほとんどである。
ただ黒髪の少年が入学した年は、些か状況が違っていた。
彼、ローク・オレントは明らかに貧民層の出であることで目を付けられ、集団に囲まれること数回。入学から一ヶ月前後で、10組以上のグループにケンカを売られた。
こうして全て返り討ちにしてやっている。ローク自身も無傷ではいられないが、それ以上に相手のほうがダメージが多い。
「痛い思いしたくなけりゃ、殴ってくるんじゃねぇよ!!」
と、悶えて倒れる少年の片手をあからさまに踏み付け、うめき声を上げさせている。
明らかにやりすぎなのだが、金持ち貴族階級にもグループの差があるようで、大小のグループはそれぞれ知らぬ存ぜぬの間柄故にお互いの足を引っ張り合う。留学生一人に返り討ちにあった場合は、他のグループは一方的に仕掛けて負けたと証言するし、学内関係者は出来事を見て見ぬふりをする風土ができている。
都合10人単位を病院送りにしているが、治安の悪さは毎年の如くなので見過ごされている。
「いやあ、すごいね君!」
戦意喪失したグループが逃げ帰る中、乾いた拍手をしながらニコニコと金髪の少年が近付いてくる。
「あぁ!?」
アドレナリン沸騰中のロークは新手が来たのかと少年を睨みつけ、凄む。
「うわあ、怖い怖い。でも落ち着いて。僕はラルヴァ・シーゼン。君と同じく留学生枠の者だよ。」
言葉は怖いと言いながら、脳にイラつきを与える棒読み声にむかつきを覚える。名乗ったラルヴァはニコニコとして、両手を小さく上げて、敵意がないことを主張しているようだ。
その様子を見てもロークは警戒を解かない。笑顔がどうにも信用ならない。
「だから、なんだ」
不信をあらわにして、睨むのをやめない。
「僕たちも組まないか、と思って」
ロークの経験上、親切心ですり寄って来た者に不信感があった。ただそれは自分を利用してくる大人に対してだけだ。彼もそうとは限らない。
だが同じものと思って警戒するのは当然のことだ。
「今は力で何とかなるかもしれないけど、服従を強要する手合いに力が通用するのはいつまでか分からないだろう?」
ラルヴァは説得を続ける。ただそれは正論である。勿体ぶった言い方だ。
「僕の方は力がない。友になれとは言わない。この学校生活で平和的に生きるために同盟を組まないか?」
ロークに単純な力で敵わないと知れば、貴族は多少頭を使うようになるだろう。あくまで10代の少年的な陰湿さであって、幼稚なことであろうが、彼にとっては面倒極まりない。
要点を出して来たいまいち信用のならない相手に対し、結論を決めかねる。
「まぁ、いきなり言っても、信用しきれないだろう。それに二人だけではまだ弱々しい。実はもう1人、目をつけた人物がいる。」
聞いてもいないのにペラペラと話を展開させる。ロークは、彼を調子のいい奴だと思い始める。
彼の口八丁を雑に聞き流しながら、ついて行った場所は図書室だ。これまでの廊下に人気は無く、無人に近い。電子データ主流の時代に紙の本を所蔵する小さな部屋である。その部屋にラルヴァやロークと同じ年頃の髪を伸ばしっぱなしにした黒髪の少年がいる。
彼は静寂の中で紙の本を熱心に読み耽っていた。細くもないが、筋肉質でもない。側に長い棒状のものを立てかけている。
「やあやあ、話は考えてくれたかね?」
読書の邪魔をすることも考えずにラルヴァは気安く声をかけながら、部屋へ踏み込んでいく。ロークは関わり合いになる様子を見つつ、訝しげに部屋の中に入ろうとして、嫌な気配を感じ取る。
「っ!?」
悲鳴こそ上げなかったが、踏み込もうとした足を下げて戻した。
殺気と言うべきか、嫌な気配を一瞬感じ取ったのだ。
ロークは狙撃を天性の才能だと思っている。ただそれでも、撃てば死ぬかもしれない、という感覚は何度もしてきた。生物的な危険感知だが、それを論理的に言い表すことはできない。それが先ほどの感覚だ。
「彼は、リースター・ヴェル、いや君遠いな。どうした?」
リースターという少年がラルヴァを全無視する中、聞いてもいないのに紹介する。部屋に入ってこないロークを訝しむが、ロークにとっては、なぜその空間に入っていけるのか信じられない顔をしている。
「お前はバカなのか?」
ロークは正直に言う。先ほどの嫌な感覚が無理すぎて、一歩も部屋に入れない。それだけの殺気の投射を受けながら近寄れる神経を疑う。つまりはバカだと思うのである。
「お前は信用ならない」
今まで無視を決め込んでいたリースターが唐突に口を開く。喋るのかというのが半分。そういう低い声なのかが半分だ。
「だがそこのお前は、分かる男らしい。そういう意味では、お前、人の見る目があるな。」
と、リースターは本に紐を挟んで閉じ、立ち上がる。金属音がする立てかけた棒状のものを手に取り、取っ手のようなところを握る。
その時はまだ、ラルヴァもロークもそれが凶器だとは気づいていなかった。どのように凶器検査を潜り抜けたのかは知らないが、それがリースターの最大最凶の武器だということは、この時まで知らなかった。
鞘から引き抜かれた刀身は美しく、妖しく輝くが、その反面刃物であることが容易に見て取れた。
(やばい死ぬ)
ロークは直感的に思ったものの、判断に迷った。逃げるべきか、防御すべきかを迷ったのだ。その一瞬の刹那ですら、ロークの目にはゆったりと見えた。
鞘から刀身を抜き放ち、切っ先をロークの眼前に届かせるまで1秒とかからなかったはずだ。
ロークにもそういう経験はある。達人の放つ殺意の一撃は、なぜかゆっくり見える時があるという。殺せる、死ぬ、という感覚に対して、極めて主観的になっている時の特有の感覚だと思っている。
最小のアクションで放たれた、殺せる一撃は、ロークの目の前で止まっている。彼はその行動に呼吸が止まりそうにはなったが、緊張により失禁はしなかった。
ただ何より、こんな接近戦の達人が同期生であることに驚いた。見つけてきたラルヴァにもだ。
「お前は一体」
へたり込みそうになっているロークは声を振り絞って聞いた。リースターは鞘に刀身を収めている。今のアクションは、踏み込んでいればどのように死んでいたか、というのを表現したアクションだったのだろう。
「知らない。俺は、この先どのように生きればいいか分からない。俺は殺すことしか知らない。」
リースターは哲学的なことを言って、本を持って図書室を出ていく。ラルヴァは、それに無邪気について行き、ロークは息を呑んで遠巻きにしていた。
三人の最初の出会いは有り体に言えばこういうものだった。
ラルヴァがその内、無理矢理二人を引っ張り込むようにしていて、リースターとロークは嫌々ついて行くのが常態化していくのにさほど時間はかからなかった。
それに野外サバイバル講義の時も特徴的だった。
3日間の食糧と寝具を背負って野外のみで生活するという前時代的な講義である。わざわざ気象システムを弄り、講義エリアのみをスコール状態にしたり、酷暑、極寒にするという念の入れようだ。
「重い重い重い! 何なんだよもう!」
3人組で行動することが普通になっていたラルヴァ、ローク、そしてリースター。
それでもラルヴァだけが1人喚いてうるさかった。スコールにより、背中のリュックサックの重さは70kgに達する。その上、地面のぬかるみにより、行軍速度は著しく下がる。
その状態でのラルヴァの悲鳴は、より耳障りだった。とはいえ、黙れとも言えない。ラルヴァがどのように喚いているのか知らないが、豪雨の激しさは喋ると口に雨水が入るほどだ。
リースターは戦闘で黙って歩いている。ラルヴァは喚きながら、中団にいる。ロークがラルヴァの声に辟易しながら、ついて行くという形だ。
3人の出会いから約半年。
貴族たちの弱者いじめは鳴りを潜めてしまったが、代わりに3人で行動しなければ余計なトラブルに巻き込まれるジレンマを背負ってしまった。
もっとも、ラルヴァは成績優秀だし、ロークは実技になると負けなしだ。
リースターだけが上手いこと手抜きをしている。成績としては落第寸前だが、それを全て器用にギリギリにしている。
本来はもっとできることを、なぜか彼はできないように見せている。そして何より、息を吸うように他人に殺気をぶつけられる怪物でもある。
最初の頃はリースターに対し恐怖心を抱いていたロークであったが、普段は物静かすぎる文学少年を人間のフリをする化け物だと思うことにした。何も変わらないようでいて、安心感はある。ラルヴァはともかく、少なくともロークに危害は無いのだから。
環境最悪な訓練とはいえ、マシな環境であれば、結局はキャンプのようなものである。あとで知ったことだが、貴族生徒にとっては本当にキャンプ合宿であったらしい。特に苦労もしない環境で、野外で食事をして、テントで寝泊まりして一日で終了というカリキュラムだ。この士官学校はそういう不平等なことを平気でしてくる。
ロークには、火を起こすことも、飯盒炊飯も手慣れたものだった。意外なことにリースターは手慣れていなかった。まさに本だけの知識といったように、ロークの手さばきを興味深く見ていた。
ただ反対に、リースターは味気の無いレーションを煮たり匂い付けをしたりすることで、食事に色を添えていた。
ラルヴァだけは食っていただけである。散々不平を言ってうるさかった彼は、夜が更けてテントを張れば、正反対に子どものように話す。
そういう幼稚なところに辟易するのは決まってロークだ。リースターは興味を示しすらしない。
「好きな人いるー?」
「いるわけねぇだろバカか」
フォボス士官学校は男子のみである。男子は成人年齢である15歳から入学が認められているが、女性士官はなぜか任官年齢が引き上げられている。
そのため彼らに出会いは本来ない。
「リースは、どんな子が好みー?」
ラルヴァが気安くリースターをリースと呼ぶようになったのはこの頃だ。ほとんど反応は得られないのに、粘り強く、しつこく質問しにいく。
それをロークは止めなくなった。本人が無視をしているのだから、ラルヴァを止める必要がないからだ。
「ただまあ、俺もそろそろ教えて欲しいな、お前のこと」
ラルヴァの他愛の無い、やかましい質問を断つ意味もあったが、ロークはゆっくりと口を開いた。
「後ろから撃ったとしても返り討ちにされるような奴がどこから来たのかは、興味がある」
普通、銃で撃ったら、人間はだいたい死ぬ。殺せない相手は化け物か、人間じゃないかのどちらかである。
「4番街スラム」
焚火の灯りで文庫本を寝そべって読んでいたリースが起き上がって口を開いた。
「俺がいつ生まれ、いつからそこにいたのかは覚えてない。生きるために、殺す。俺はそれがずっとできると思って、魔女に拾われた。そんなところだ。」
リースの語ったところはかなり短かった。それを耳にしたラルヴァは縮み上がっている。
スラム街の魔女は都市伝説の1つである。そこで生きていれば、1回や2回聞くことはある。
「流石に魔女の弟子は殺せねぇな」
ロークは両手を挙げて降参ポーズだ。彼からすれば納得いく経緯といったところだろうか。
「魔女の弟子が軍に士官か。殺し合いをしに来た、っていうには遠回しすぎるな?」
「そうだろうな」
リースの血を求める衝動は10代に入ってから収まってきたものだ。それでも人斬りはやめられない。活力そのものだからだ。
「その点、俺は食い詰めだからな。マフィアのヒットマンもまっぴらだった。」
ロークは初めて身の上を明かした。リースから見ても、射撃の腕は光っていた。彼に超長距離から狙われるのは勘弁だと思っている。
「僕はねぇ!」
「お前はいいや。火星で一番偉くなりたいとかそんなんだろ。」
アピールしようとするラルヴァの言葉を遮るローク。ローテンションだった彼も、話のノリが良くなってきたようだ。
「悪いか! 悪いか!」
「はいはい。で、お前は最初どう生きていけばいいか分からないとか言ってたな。」
「む」
図星のラルヴァを腕一本で抑えつつ、ロークは話を広げた。随分前の話だったような気がしたが、彼はだいぶ記憶力がいいらしい。
「どうせ戦って死ぬことはないだろ、お前。俺はいつか死ぬかもしれんが、散々撃ち合って死なないようにしたいわな。若い内にいい女でも見つけられればな。」
「いつか死ぬ、か」
リースは本の物語で死を知っている。しかし、彼自身は死を考えることは無い。そもそも明日のことを考えた記憶が無い。
「戦って、戦い続け、殺しまくったその先に何がある?」
「それはまだ分からん」
考えてもみなかったことを質問され、リースは正直に話した。
*****
真っ暗のコクピットの中で、リースは目が覚めた。夢を見ていたのか、意識を失っていたのか、それは分からない。どの程度の時間が経ったのか、はたまた未だに生死の淵を彷徨っているのか。
(体は動く)
体には痺れが残っているが、動けないことは無いことを確認する。次はオルトスが動くかどうか。
(動け)
聞いた覚えのある声。電流。衝撃。それらが突き抜けて行った後で、リースは己に命じ、神ではない誰かに祈る。
なぜ楽にならないのか。なぜ動かなければならないのか。
(動け)
反芻するように命じる。オルトスドライブの再起動。それがなければ始まらない。オルトスの機構自体は精密機械で、電撃を受ければショートするシロモノだ。だがオルトスドライブは電気とは違うエネルギーだ。ここがオルトスの駆動を担う心臓部である。
(動け!)
諦めずに再起動を繰り返す。それは祈りであったが、彼が抱いた初めての渇望だったかもしれない。
敵を倒したいから動かしたいわけではない。ここで戦わなければ負けるからではない。
(動け!!)
その闘志に応えるかのように、アサルトが再起動し始める。息を吹き返し始めるオルトスのシステムだが、満身創痍であることには変わりない。
まずモニターが死んでいる。次に、駆動パフォーマンスは最低ラインの、動ければいい状態だ。通信は無線から雑音が響いている。
『お…覚めか?』
『どう…る?』
接触回線からの声も途切れ途切れの音声だ。それらも聞き覚えのある声だったが、今のリースには何も響かない。モニターは真っ暗の目隠し状態だが、幸い聞こえている。
「殺す」
全身の血流が暴れ回るような感覚に襲われながら、リースは殺意を込めてレバーを推し込んだ。
外部ではワイヤーで繋がれたアサルトが、捕獲され始めるところだった。電撃を受けてから数分と経っていない。
3機のボルクのうち2機がアサルトを確保し、運ぼうとしている最中だった。その時にアサルトが再起動を始めたのだ。
『お目覚めか?』
『どうする?』
「チッ、コクピットを念入りにつぶすか。そいつは生きてちゃマズイ。」
手下たちの声に、ジェニスは舌打ちしながら命じる。それとは確定してはいないが、それであったら自分らの身が危ない。
魔女の、名を持たない少年の姿を思い出して、苦虫を潰したような顔をする。
彼にとっては魔女も、名無しの少年も化け物だ。殺さなければ皆生きていけないと使命感すらあった。
だがアサルトは急に動き始め、両脇にいたボルクを跳ね除けた。そして一番近くにいたボルクの胴を、レアメタルブレードで刺し貫いた。
『え』
あまりにあっけない断末魔。ブレードが引き抜かれた直後に、ボルクが爆発する。
『わあああああ!!』
動いたと思ったら味方を殺した敵に対し、脇にいたボルクが近接機関砲を撃ちまくり始める。恐怖と錯乱が入り混じった反射的な行動である。
「やめろ、トニー!」
下手に動くなと言い終わらない内に、機関砲に撃たれながらアサルトがボルクを横薙ぎに両断していく。撃たれてから位置を判断したのだ。
斬られたボルクは数秒後に爆発する。アサルトはダメージを負いながら、いつ機能停止に陥ってもおかしくないにも関わらず、ジェニスのボルクに殺意を向けている。
「化け物め。化け物め!」
腰にマウントしているゲイルのライフルを撃ちたい衝動に駆られるが、撃って倒せる自信が無い。
いつまで自分たちの命を脅かすのか。己の行いを棚に上げ、眼下のアサルトを憎んでいた。
魔女の教会を放火した後、ジェニスらはスラム街を流れた。寄る辺の無いストリートチルドレンが生きていく術は他人を食らうしか方法が無い。チンピラを殺し、マフィアを殺し、治安部隊を殺して、ようやく虜囚となった。
そこで持ち掛けられたのは実刑ではなく、取引だった。地球圏に行き、オルトスで戦うこと。その果てで生きていれば、今度の戦争で作られる新造艦を好きに出来る権利をやろう、と。
ジェニスは結果には興味が無かったが、オルトスで戦うことには承諾した。到着したコロニーで、乗る予定だったオルトスを同乗していたらしい軍人らに奪われたのはケチが付いた。
だが、指示通りに戦争する自由を与えられたのだ。それを享受しないでどうするか、と息巻いていたはずだった。
「くそが」
ジェニスは毒づく。殺さなければ追ってくる。
魔女の教会で燃やそうとして生きていた。普通の人間なら死ぬ電撃を浴びせたのに生きていた。二度あることは三度あるのか。三度目の正直なのか。
「死にやがれぇ!」
殺さなければ殺される。ジェニスは我慢できずにコクピット狙いでライフルを撃った。
それを、ありえないことだが、アサルトは避けた。見えているのか、分かっているのか。あの魔女が銃弾を避けて、目標を切り裂くが如く、銃というリーチをものともせずに突撃するかの如く。アサルトは射撃からジェニスのボルクの位置を察して向かってくる。
完全に避けているのではない。見えているわけではない。傷を負っても、音でしか追えない状態ででも、敵を殺すための歩みを進めているにすぎない。
「生き血を啜る化け物は死ね! お前は一体何なんだ!?」
半狂乱で弾切れになるまで撃ち続けるが、アサルトを倒すには至らない。ブレードを一振りできるだけのパワーは未だに残っている。
『死ね』
接近して音声がクリアに聞こえる距離にまで至って、ブレードは振り下ろされる。ボルクの頭部を目深に斬ったところで、アサルトが力を失う。
限界だった。
オルトスドライブが完全に停止し、うんともすんとも動かなくなる。
「はっ、はははは」
ジェニスは直前まで恐怖に顔を歪ませていたのに、それを一転させた。
「俺の方が運があったなぁ、化け物!」
拳一つでコクピットを潰せれば十分とばかりに、弾切れになったライフルを捨てて、ボルクの拳をアサルトに真っすぐ叩き込もうとする。
『させるかよ』
そのたった一瞬を、ラルヴァのマーガムがビームソードで割り込んだ。縦一閃がボルクの右腕を断ち切った。
『現宙域の火星軍、コロニー軍、全軍に命じます。両軍ともに戦闘停止。繰り返します。両軍共に戦闘を停止しなさい。』
いつからか流れていた戦闘停止命令が国際救難チャンネルで呼びかけられていた。それがいつからか、誰から流れているのかは知らないが、これ以上の戦闘は無益にすぎなかった。
救難チャンネルで呼びかけられる戦闘停止命令。これは真実だった。
火星軍艦隊はスレイプニール到着を待たずして、コロニー軍艦隊と戦闘を開始。数時間で大勢は決し、コロニー軍が降伏したためだ。
事の結果報告がスレイプニールに来た時は、リカルド率いるコスモスの艦隊との戦闘に入っていたのである。
救難チャンネルで戦闘停止をした以上、敵兵であっても救助する倫理観は、この時代にも存在している。ラルヴァは嫌だが、半壊したボルクを回収した。
損傷を受けたアサルトはあとからやってきたトールに回収され、スレイプニールへ収容された。
「コクピット強制解放!」
整備班の中ではひと際小柄な少女が鬼気迫った声で命じる。外からの操作によって力なく開いて行くコクピットの中では、リースがレバーを握りしめ、出血した状態で発見された。赤い泡状のものがコクピット内を浮いている。
「パイロットを引き出せ!」
整備班でリースを引きずり出し、医療ベッドに押し付ける様は、死んでいるようにしか見えない。彼の顔は凄惨なものだった。白目で感情的な顔つきをしたままだ。唇を噛んでいたのか、口周りも血だらけだった。
ボルクを収容して、マーガムをハンガーに戻すと、ラルヴァは機体チェックを待たずにコクピットを開け、オルトスを降りる。
「リースは生きてるのか!?」
ラルヴァは、今までになく取り乱して運ばれて行くリースのほうに飛び込もうとする。
「バカ!」
その足を引っ張って引き戻して止めるローク。
「俺たちが行ってどうなるもんでもないだろ!」
「だけど!」
ロークの方は正論で、いつも何も考えてなさそうなラルヴァが必死な顔つきだ。
「殺した方が身のためだぞ!」
ロークの制止を振り切ろうとするラルヴァらに声を掛けたのか、別方向から知らない声がする。回収されたボルクから出てきたジェニスが降伏の両手を上げて出てきて言ったのである。
彼は保安部の兵に銃を突き付けられながら、続ける。
「あいつは火星の魔女の子供だ! 生きるために人殺しをする化け物だ!」
「何なんだよ、お前は!? なんでコロニー軍にいて火星のことを知ってる!?」
ラルヴァはもっともらしいことを言いながらもストレスを捕虜にぶつける。だが、彼の問いかけに、ジェニスは哄笑する。
「ヒャハハハ! 奴に関わったら殺される! 奪われた分の血を奪って生き続ける!
お前らはそうして死ぬ! ハハハハ! ハハハ!」
笑いながら手錠をはめられ、保安部に連行されていく。捕虜はもうどこか狂ってしまったような様子だった。そして、その連行される様子を見て、ラルヴァも多少落ち着きを取り戻したようだった。
「おい、お前ら」
ロークとラルヴァに声を掛ける者はもう1人。ウィナードだった。パイロットヘルメットを脱ぎ、タオルで髪の毛を拭っている。そうしながら、アサルトのコクピットに残されていたものを、2人に投げ渡す。
いつもリースが腰に差している刀だ。お守りのように抱え、コクピット内にも持ち込むものだ。
「どうせしばらくは戦闘なんかない。お前らはそれを持ち主に持っていきな。」
無重力で流れてきた刀を受け取る2人。ウィナードはそう言って2人に微笑みかけ、踵を返した。
「はい!」
「了解っす」
体のいいこの場を離れる理由を得た2人は、礼代わりの敬礼をして、刀を持って格納庫を出た。
*****
本格的な対艦戦闘に突入する前に戦闘停止したために、医療区画は静かだった。だが、意識不明のリースが運び込まれて来て騒然とする。
普段はキョウカと医療スタッフの女性が一人いるだけの小さな区画だ。クールな女医と看護婦がいるだけあって、軽傷でも入り浸るクルーが後を絶たなかった。しかし、キョウカが男受けしなかったこともあって、ごく最近は暇を持て余していた。
「CT入れるわ。外傷ピックアップして!」
「はい!」
清潔だが無機質な医療ベッドにリースを載せ、人肌が焼かれた焦げ臭さをマスク越しに感じる。精密機械が停止するほどの高電圧を受けておいて意識を目覚めさせた者。
おそらくそれは化け物なのだろうが、学術的な興味は隠せなかった。それと同時に、キョウカのリースに対する興味もある。
【もしも、リースターが吸血鬼のようなものだとして、血を吸われたらどうなるだろうか?】というものである。
またそのために彼女にはすでに用意がある。彼女のポケットの中には自分から摂った血液が入ったシリンジが忍ばされている。
看護スタッフが腕や脚の処置をする中、キョウカは撮影された内臓写真を観察する。それらは多少気持ちが悪い写真だが、彼女にとっては俯瞰できるシロモノだった。
キョウカの観察力ではほとんど健康体である。事実、脈は振れている。心拍が少々速いが、問題になる程度ではない。それならばと問題になるのは、ここでの処置が難しい脳の症状である。
ここでできる外科手術は開腹が精々である。キョウカも心臓や脳を実際切り開いたことはないし、そもそも道具や機械がない。そんな重い状態は、悪化させないようにするしか方法がない。
「やれることはこれしかないわね」
と、ここぞとばかりにポケットのシリンジを取り出した。
他者から他者への輸血。本来は2人繋いでやるものだが、完全に試し打ちの感覚で、消毒をさらりとやってから、動脈注射で注入してしまう。
「アンダースさん!?」
当然、看護スタッフは反発するが、注入してすぐにリースの身体が痙攣するように震えて反応する。
「がふっ、ゴホッゴホ!」
リースは大きく咳き込み、吐き出してしまいそうになりながら起き上がった。
「ころ、す。奴を殺さなければ。」
彼は頭を抑えて、意識を確かめるように頭を振っている。錯乱、記憶の混乱等、考えられることはある。
「殺すんだ、奴を!」
先ほどまで意識不明だった者とは思えないほど俊敏に、近くにいたキョウカの首を右手で掴む。絞殺さん勢いだったが、彼女は動じていない。逆に首を掴む腕を握り返す。すると、リースのほうも意識が戻ってきたのか、力は緩み、首から手を離す。
「戦闘は終わったわ。あなたは意識不明で担ぎ込まれた。いいかしら?」
「あ、ああ」
簡潔な状況説明にリースは眉間をマッサージしながらおとなしく聞いていた。
「貴方の状態は貧血だと思って、私の血を輸血したわ。身体の方はどうかしら?」
「輸血したのか!? どうと、言われても。」
素っ頓狂な彼女の行為に、流石のリースも驚きを隠せない。身体の状態はまだ甘い。眠っていないような感じで頭が重い。意識や体は動くが、怠い気がする。
とはいえ、暴走状態でオルトスを操作していた時よりは格段にマシだった。
「もっと必要?」
彼女は医療ベッドに手を掛け、キスでもするかのような距離にまで接近して、聞く。そのような雰囲気ではない。リースが暴れるのではないかと距離を取っていた、看護スタッフが赤面して状況を見つめているほどだ。
「大丈夫、だ。今は、まだ。」
キョウカの接近距離に顔を背けて言う。リースに限って、ドキドキしたわけではない。彼もまたその時ではないと判断したのだ。
「くっ」
体の痺れが取れているが、まだ動かしづらいのにも関わらず、彼は動こうとする。
「刀は」
「知らないわよ」
動こうとする患者に釘を刺すように言うキョウカだが、強引に止めようとはしない。止めても無駄ということを理解しているわけではない。プライムでのことから、信念を持つ者だということが分かっているからだ。
「ちょっと出ていくのを躊躇った。悪いな。」
そこに、とてもタイミング良く、リースの刀を持つラルヴァがロークを伴って現れた。彼の言う通り、ちょっと前から医務室に到着しており、状況を覗いてしまったということなのだが。
「助かる」
刀はリースにとってお守りのようなものだ。彼は他人が刀に触っていることに怒ることは無く、感謝を述べた。それが逆にラルヴァやロークをぎょっとさせた。雰囲気が変わったと思ったのである。
「この先のことはここで話す事じゃない。さりとて、ここから先は誰にも見られたくない。まずは出るぞ。」
言うべきことはたくさんあるが、まずは医務室を出ることから始める。ロークは退出を促す。部屋を出る間に、ラルヴァは刀をリースへ手渡した。
「礼は後で、必ず」
「待ってるわ」
退室する前に、リースはキョウカに向き直って、一礼する。彼女はため息をして、腕組みしながらクールに返答した。
医務室を出たラルヴァ、ローク、リースの3人は艦内を進む。同じ風景の通路が続き、たまに出くわす曲がり角や丁字路で、他者の往来を気にしながら、ゆっくりとだ。
その間に話すべきことを話す。
「確認する。リース、お前のしたいことは敵のオルトスに乗っていた奴を殺すこと、だな?」
「そうだ」
「あいつは捕虜として保安部に連行された。口ぶりからして軍人なのは怪しいが、それはいい。場所は独房以外ないだろう。」
「そうか」
ロークは落ち着いて一つ一つ話を進める。それに対し、リースは短い返答を繰り返す。その様子だけは、まるでいつもの態度だが、ちゃんと口を開く分、違和感があった。
「言っておくが、捕虜の暴行は重罪だ。分かってるな?」
「無論だ」
ロークの質問にリースは即答する。その表情は覚悟ではなく、いつもの泰然自若な、自然体の顔だった。ただ、そこから続く言葉がある。
「迷惑はかけん。彼女にも、お前たちにも。」
その他者を思う言葉は、今まで耳にしたことが無い言葉だった。その態度を見せたことが、リースにとっての覚悟なのだろう。
「それが今リースの、いや、今までしたかったこと、でいいのかな?」
独房部屋が近づいて、ラルヴァは聞く。
リースは士官学校において、将来についてなんのビジョンも持っていなかった。あえて言えば、戦争になれば生きられると答えていたぐらい曖昧だった。
その彼が、今は敵のオルトス乗りの抹殺に拘っていた。
「ああ」
「理由を聞いても?」
「奴も教会の子供だ。母様の元から逃げ出したがっていた。故にある時、眠り薬を盛って教会に火を点けた。俺はその日から、母様の元を去り、リースター・ヴェルジェムとなった。奴自身には興味はない。だが、奴のしたことの報いを受けさせる。」
ラルヴァの問いに、リースは明瞭簡潔に答えた。特に隠し事はせずに、素直にだ。平たく言えば復讐に違いない。
普通の子ならば、そんな行為に意味は無いと宣うのだろうか。ラルヴァもロークもスラム出身だ。特に、そういう復讐はラルヴァもロークにも身に覚えがあった。だから、頭ごなしに否定はしない。どころか肯定する。
「そういうことなら仕方ない」
「ちょっと待ってな。見張りがいるから、そいつを何とかする。天井で待っててくれ。」
独房部屋のある通路は行き止まりの上にここまで一方通行。一番手前の曲がり角で待っていては、当のリースが気付かれる可能性がある。隠れる場所といえば、普通の人間の死角になる真上しかない。
「よーよー、御役目ご苦労!」
ラルヴァが珍妙な声掛けをしている声が外のリースにも聞こえる。進んで演技をする時は、変になるのはクセなのかと思う。
「こんなところで一人で見張りはキツイだろ? ちょっと30分くらい飲み物でも取りに行かないか?」
「30分だけだぞ」
懐柔は容易だった。保安部とて普通の人間だということだろうか。と思っていたが、スラムの人間が治安局の汚職隊員にそうするように、いくらかクレジットを握らせたらしい保安隊員が独房部屋を出ていく。隊員が通路から姿を消した辺りで、リースは独房部屋へと入る。人が1人通れるだけの通路に対角と正対という4つの独房が並ぶ小さな区画だ。まず小さな格子窓が付いた扉がある。1つの部屋に備えられているのは簡易ベッドとトイレと洗面台のみだ。かなり圧迫感があり、電灯は通路からの共用灯が差し込むだけのため、暗い部屋だ。
独房の内、当然一つが使用済み。ラルヴァは、使用されたセキュリティロックを解除してしまう。
「それじゃ、僕たちは外にいるから」
ラルヴァの言葉に、リースは返答しない。後ろの2人をちらりと見て、頷くだけだった。頷きではなく、一礼だったのかもしれない。
リースは通路の左奥へ、抜刀しながら進み出る。
「最期の時だ」
刀の鞘を無重力に放り、引き戸で全開となった部屋の前に立つと、ベッドに座る人影が見えた。
「貴様の方がだよ!」
独房に入れられる前に当然ボディチェックはしている。パイロットスーツを脱がされ、武装解除もしているはず。だが、盗み取ったのか隠し持っていたのか、ジェニスは小さなデリンジャーを持っていた。
小さな銃でも体を貫けば重傷を負わせられる。十分に抵抗ができる武器である。
ただしそれは普通の相手ならば、に限る。
「この距離ならば」
狭い通路、高さのない部屋。そんなところで刀を大仰には振れない。
「お前が引き金を引くよりも速い」
リースの言う通り、刀の突きが、ジェニスが銃爪を引くよりも早く放たれた。刀身は、易々とジェニスの腹を貫いた。
「人間は、腹を切った程度ではすぐ死なない」
言いながら、刀身を引き抜く。デリンジャーを離して、出血する腹を手で押さえる。その程度では出血は止まらない。このままでは数時間かけて出血して死ぬ。
「そこまで時間をかけるつもりはない。介錯してやるつもりもない。」
血に濡れた刀身がジェニスの首へ這わされる。力を込めれば薄皮1枚容易に切れる。
「だから貴様の首をゆっくりと落とす。苦しんで、逝け。」
「や、やめろ」
リースはジェニスの首の後ろから、刀身で挽き始めた。少しずつ、ざっくりと。
「やめ、やめてやめ」
もはやジェニスは苦痛が穴の開いた腹なのか、少しずつ切り開かれて行く首のことなのか分かるまい。いつ、自分の首と身体が離れることなど知る由もない。それを見ることはできないし、見れる余裕もない。
「恨めばいい。最期まで。」
ジェニスの恨み言の自由が、リースの少なからずの慈悲だった。ただジェニスはただの人間である。首をゆっくりと斬り落とされていったところで、憎しみよりも苦痛からの解放を願った。
ただもっともそれを許すことは決してなかった。
*****
艦内における前代未聞の捕虜処刑。
捕虜の私刑は宇宙戦争史上幾度もあったケースだ。ウィナードも目にしたことはある。だがそれでも、捕虜を斬殺したことは類を見ない。
スレイプニールにおいて、上級士官はスフィーナとウィナードしかいない。士官候補生は数人いるが、ラルヴァとロークも少なからず関わったことが頭の痛い話になった。
月基地に戻るまで処分保留として、とりあえず3人とも血だまりになった独房以外の部屋に押し込められた。
リースは刀を取り上げられたが、存外おとなしかった。
ただ、捕虜がリースのことを魔女の子供だと叫んだのを何人も聞いたのがまずかった。妙な流言飛語が飛び交い、艦内の風紀が若干悪くなっていた。
それらから遮断される独房は、彼らからすれば幸いだったかもしれない。スラム出身でないなら、火星の都市伝説など怪談にしか過ぎないだろう。
「ラルヴァとロークは軽く済むだろうが」
独房部屋を訪れたウィナードは、3人に聞こえるように言った。
「リースター、お前はそうもいかないぞ。念入りにぶっ殺しやがって。」
老いた保安要員でも目を伏せるほどの凄惨な光景。現場を目にしたウィナードもむせ返る血の匂いに鼻をつまんだほどだ。
捕虜の首を落として全身血にまみれ、包帯を他人の血で濡らす処刑人。普通の人間は死んでいる電撃で死にかけたくせに元気なのは感心だが、やったことが弁護しようが無かった。
「構いません」
リースは格子窓からウィナードを覗いて答えた。
「刑は素直に受けます」
簡単に言うが、もはや戦果に対する恩赦以外に望みは無い。銃殺刑が妥当なレベルである。
「銃殺であれば逃げおおせるだけですので」
「ジョークのセンスがブラックすぎるな」
暗に笑えないと言って、ウィナードはため息をついて呆れる。
期待はしていなかったが減刑を求めることもしない部下に頭を抱える。何より、ラルヴァとロークはウィナードを巻き込むことをしなかった。
刀は自分らで回収して、リースに渡したと口をそろえてしまったのだ。ウィナードに罪を擦り付けることも可能だったにも関わらずだ。
「僕らは、リースのすることを肯定したんで」
「まぁ、しゃーないですね」
ラルヴァとロークはこの言いようである。妙な3人組であるが、やはりそれなりの友情があったのか、信頼関係であったのか。
「まったく」
説得を試みても、あまり効果が出ない。そこまで口裏を合わせているわけではないが、本元の罪をリース自身が受け入れているのがどうにもならないところだ。
スレイプニールが月基地に引き返した時には、後発した艦隊が戻っている状態であった。幸いなことに、これら友軍艦隊には、スレイプニールの不祥事は伝わっていなかった。噂は口の軽いクルーによってすぐに広がるだろう。別に緘口令を強いているわけではない。
無責任な流言飛語が飛び交う前に、すべきことを行う。月基地のローウェンを交えての簡易軍事裁判を行う。ウィナードもダメ元で、更に上、火星統合府臨時大統領となったライエンスにも話を通す。
『話は聞いた。私も、銃殺刑が妥当だと思う。』
ウィナードぐらい若く見えるが、10歳ぐらい年上の大統領は当然の結論を話した。
『個人的に魔女について興味がある。刑の執行の手続きはこちらで行いたい。少々手間だが、彼を火星に移送してくれないか。彼の乗っていたオルトスも火星で研究に回した方がいいだろう。』
穏健派であるものの、ライエンス・フィレンスという男は情報畑の人間だ。仕事以外での法の厳守は当然であろう。ウィナードの期待通りの減刑にはつながらず、大統領の求め通り、リースター・ヴェルジェムは火星へ後送となった。
ラルヴァとロークへの刑は反省室行きが3日。悪いことに、リースの見送りには参加できない。
そのため、リースの知り合いで見送りに来たのはウィナードの他にキョウカだけだった。
しかし、リースは黙して語らず。キョウカを一瞬ちらりと見たが、何もリアクションせずに輸送を引き受ける輸送艦へ搭乗した。
リースにとって良かったのは、刀と文庫本一冊を手荷物として認められたことだろう。リース自身は爆弾手錠を嵌められているため、本は読めない。
ともかく、この前火星から地球圏に来た十数日。リースだけが、火星へと出戻りすることになったのである。
その先に待つのは銃殺刑であるものの、リース自身は晴れやかな気持ちであった。
ただしそれは諦念が含まれているわけではない。どちらかといえば、何とかなるという極めて楽観的な、リースが今まで抱いたことのない希望的観測におけるものであった。
なぜそうなったかと言えば、ラルヴァとロークへ余計な罪が流れなかったから、今度はキョウカとの約束を果たそうと思っていたからである。
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