第二話 鰻と雷神
「う……鰻?」
「お目覚めになられたのですね! 良かったです!」
鰻たちは私の顔を見ると、嬉しそうに笑った。鰻は笑うものだっただろうか?話をすることが出来ただろうか?アニメや漫画のような可愛いらしい、目と口を持つ姿に戸惑いが隠せない。
「えっと……?」
寝起きの鈍い頭では、現在の出来事が理解することが出来ずに首を傾げた。
「あ、失礼致しました。私共は雷神様に、御仕えてさせて頂いております眷属の鰻でございます。向かって左から、鰻子、鰻美、鰻絵と申します」
「……っ! まって、まさか……私は『生贄』にされたの?」
三匹の中央に居るピンク色の着物の、鰻美さんが説明を始めた。正直なところ、鰻が目の前で喋っていることでも情報過多である。追い打ちをかけるように『雷神様』と『眷属』の言葉を耳にすると、村での出来事を思い出し心臓が跳ねた。嫌な予感がする。否定して欲しく、縋るような視線で鰻美さん達を見た。
「はい、主様の『生贄』として捧げられました」
「うわぁ……えぇ……ないわぁ……」
嫌な予感は見事に的中し、私は布団に倒れ込む。
「ひ、姫様!?」
「あの村人どもめぇ……何てことをしてくれたの? 確かに怪奇現象続きで、肩身の狭い生活をしていたよ? アパートの大家さんからも退去して欲しいって言われていたよ? 二十七歳だけど? 恋人も居ないし、寂しい独り身ですが? 私は何も悪いことをしていないよ……。なのに『生贄』とか酷いよ……」
鰻美さん達が慌てる様子が伝わってくるが、今の私に誰かを気遣う余裕はない。愚痴を呟く。実演販売に行ったら生贄にされるなんて、誰が想像出来ただろうか。私が居なくなって悲しんでくれるのは、唯一私の味方で優しい店長だけだろう。
いっそのこと夢であれと願ってみるが、触れる布団の柔らかい感触は本物である。それが一層、惨めな気持ちにさせた。
「姫様……」
「というか、その『姫様』って何?」
困ったような声に、目線だけ動かし鰻たちを見た。『生贄』ならば『生贄』と呼ぶべきである。変に優しくされるは残酷だ。
「主様の奥方様になられるお方ですので、ご結婚前ではこの呼び方が正しいのです」
「……え……。『生贄』って……頭からばりぼり食べられる感じじゃないの?」
意外な返答に瞠目し、『生贄』という言葉のイメージを口にする。
「大丈夫でございますよ。主様はとても穏やかでお優しいお方ですよ」
「えぇ……というか、結婚? なんで?」
鰻美さん達は、私を安心させるように微笑んだ。その言動から彼女らが本心から、主を慕っていることが分かる。食べられる『生贄』ではなかったのは一安心ではあるが、次の『結婚』という言葉に首を傾げた。
「姫様は雷神様へ捧げられた『生贄』の花嫁様で御座います。」
「あ、あの……辞退することは……」
『生贄』とは『花嫁』を意味する言葉であった。彼女たちの主とは雷神のことであり、私はその花嫁として捧げられたということだ。命の危険はないがそれ以上に不安が募り、辞退することを口にしたのは自然の流れである。
神の伴侶など、私に務まるとは思えないからだ。あの村に訪れたのは偶然であり、『生贄』にされたのも偶然である。相手の神にも選ぶ権利があるだろう。偶然で捧げられた私など、嫌に決まっている。互いが合意していない結婚など、上手くいくはずがない。破綻することが目に見えているというのに、結婚をする必要はないのだ。
神に捧げられたとはいえ、結婚する前ならば話し合いで解決することが出来る可能性がある。いくら婚期を逃しているとはいえ、私は普通の結婚がしたい。
「そ、それは……」
鰻美さんたちは、顔を青くした。私が勝手なことを、言っているのは十分に理解している。彼女達を巻き込むのは良くない。結婚を断わるならば、私人身で雷神に話をする必要がある。
「あの……」
彼女達に雷神の居場所を訊ねようと口を開いた。
りん。
「……鈴の音?」
「主様の御成りでございます」
鈴の音が響くと、鰻美さん達は平伏した。
「……え……」
何処からやって来るのかと、見渡せば障子に人影が映った。
「目覚めたか」
「……っ。あの! 私は偶然『生贄』にされただけで……結婚はその……出来ません」
威厳のある声が鼓膜を揺らす。如何やらこの障子の向こう側に居るのが、結婚相手の雷神のようだ。話し合いたいと思っていた相手が、向こうから出向いてくれるとは幸先が良い。神を相手に断わるのは不敬かもしれないが、意思は明確に伝える必要があるのだ。運の良さに感謝しつつ、用件を口にした。
「捧げられた『花嫁』を現世に返すことは出来ぬ。この地は異界だが、望むものは全て用意させよう。大人しく我が屋敷で過ごせ」
「えっ! ちょっ……うっ!」
自分の状況を伝えれば、結婚は無かったことになるのではと期待をした。しかし淡い期待は打ち砕かれ、更には帰れないと一方的に告げられる。確かに鰻や神様と話が出来るなど、夢か物語の中でしか有り得ないことだ。だが無情にも此処は現実であり、異界に来てしまったことを受け入れるしかない。
何かを要求されることはないが、この世界のことや今後について話がしたい。そう思い障子に手を伸ばした。
すると、私の腹が盛大に鳴き声を上げた。
「うぅ……」
両腕で自身の腹を抱え蹲る。真剣な話をしていた筈だが、なんとも緊張感のない音を立ててしまった。自らの失態に、羞恥心から顔が熱くなる。
「昼餉を用意せよ」
「はい、主様」
私の腹の鳴き声は、雷神にも聞こえたようだ。鰻美さん達のやり取りから、逃げるように布団を被った。
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