不特定多数に向けて何かを発言するネットワークが確立しつつある。
そんな状況に、人の脳の持つ本能はついていけない。
医学的には、だいたい50人がイメージの限界と言われている。
言葉や物語がなぜ必要とされたのかという起源は、群れのなかで淘汰されたり、不要な人にされないようにする方法だった。
だから本能レベルで、評価されているかを気にしているわけだ。
言葉と物語は、人が群れを形成した大昔に生まれた。
誰か一人に伝えたい言葉や、時には自分自身に問いかける言葉でさえ、同じような状況にいる他人が読んだときに、共感を呼ぶことや、逆に違和感を感じさせることはある。
インターネットのネットワークは、不特定多数の他人の前で、言葉を綴ることを容易にした。
その状況のとまどいをどうするか?
これはその答えの一つだろう。