第45話 呪縛

「ここで何をしている」


 魔道長官の漠然とした問いかけに、怪人は滔々と語り出した。


「――儂が一人で世界間移動を完成させねばならぬ。そのためには幾人もの儂が必要だ。ツツ様は教えてくださった。人間は脳で考えるのだと。なるほど。それならば頭を複製すればよい。儂は六つの頭部を手に入れた。


 ――六重の思考を速やかに記さねばならぬ。儂は頭と同じ数の右手を手に入れた。


 ――書いたものを読まねばならぬ。儂は手と同じ数の目を手に入れた。


 ――複製には材料が必要だ。儂は両脚と左腕といくつかの臓器を失った」


「複製!? 魔術でその体を得たというのか! だがお前は魔道士ではないはず……」


 魔道長官が口を挟んだ。他の者はかたずを飲んで見守っている。


「――そして、最も重要なことがあった。真世界オースとの契約の破棄。まことのみ述べるという誓約の元から逃れねば、仮定を記しながら思考を深めることができない。儂は、頭の中の自分自身にまつわる記憶のすべてを、いくつもの断片に切り裂き、宛先不定の転送魔術に載せて送り出す術式を唱えた。


 ――こうして儂は儂でなくなり、魔道士でもなくなった」


(この人……)


 モアの語りを聞きながら、リュウはおこりにかかったように震えていた。


(僕はこの人の分厚い手に見覚えがある……)


 顔面蒼白で冷や汗をかくリュウの背中に、プリムラがそっと手を添えた。


「――まっさらになった儂は、この部屋で目覚めた。手元には、二冊の記録があった。どちらの書にも、儂自身のことについてはほとんど記されていなかった。儂は儂であることを捨てたのだから、当然だろう。そのうちの一冊を読み、自分がこの姿になったわけを知った。自分の使命は、ツツ様を元の世界へお返しすることだと。


 ――名がないと不便なので、儂はメッシー・モアと名乗り、魔道士会AFSの会員に金品とマナを渡して儂の代わりに様々な魔術を研究させたのだ。忘却以前の儂が築いたわずかばかりの資産を崩しながら。ツツ様を生きながらえさせ、いつの日か世界間移動の魔術を完成させて、ツツ様を元の世界へお返しすることを夢見て」


 怪人は語りながらも六本の手をせわしなく動かし続け、魔術の草案を書き綴っている。いつも語り始めに妙な間があるのは、このためだった。六つの脳の主たる業務は魔術のための思索であり、来訪者との会話はその合間に処理されていたのだ。


「あ、あなたが、人の命を犠牲にしてまで研究しているのは、せ、世界間移動の魔術だったのですね」


 リュウは声を振り絞った。


「――この声は、以前もこの部屋の前に来たことがあるな。若き魔道士よ、なぜそんなことを気にする?」


「あなたは、僕のことも忘れてしまったのですね」


「――罪に問うなら問え。この姿では移動もかなわぬ。捕えるのは簡単だろう」


 それまで黙って独白を聞いていた魔道長官が問うた。


「おまえがそれを『一人で成さねばならぬ』理由はなんだ?」


「――わからぬ。忘却の彼方だ」


「怪物かと思ったが人間のように話をするな……。ん? どうした、リンドウ・リュウ」


 リュウはガタガタと震えており、その尋常ではない様子は、魔道長官が珍しく他人を気遣う声を発したほどだった。


 変わり果てた姿だが、メッシー・モアの分厚い手はリュウのよく知っている手だった。六つの穏やかなまなざしも、かつてリュウを庇護していた者と同じ。


「ぼ、僕のせいだ……」


「どういうことだ」


「偉大なメッシー・モア! あなたは          だ!」


「何を言おうとしている?」


 肝心なところが声にならない。激しく動揺しているリュウは、しんである文章を組み立てるのに時間がかかった。魔道長官はそれを急かした。メッシー・モアは黙して待った。

 リュウは浅い呼吸を繰り返して、頭がふらふらしている。推測が正しいという自信はあるが、それ口に出すことは自らの罪を認める行為に等しい。苦しい。みじめだ。つらい。逃げたい。逃げたら? プリムラと共に慎ましく楽しく暮らすこともできるんじゃないか? でもそうしたら元の世界へ帰れなくなる。僕は帰るために魔道士になったんだ。だから、逃げない!


「かつて大魔道士グランド・ソーサラーリッド・リリジャールであったものよ! どうか思い出してほしい! 僕はその弟子、リンドウ・リュウです!」


「――知らぬ」


 リュウの叫びは、むなしく消えていった。


「リッド・リリジャールだと!?」


 周囲で事態を見守っていた兵士たちもざわめき出した。複数の魔道兵がリュウの言葉を復唱し、真実であることを確かめる。

 そんな中、ハンウェーは、後方に控えるサンドラ・サンデーが親指を立てていることに気付いた。


「長官、あっちからゴーサイン出てるぞ」


 ハンウェーが魔道長官に囁く。サンデーのサインは、いつでも武道兵が突入して逮捕できるという合図だった。


「待ってください! これは僕がやらなきゃいけないんです……!」


 リュウは軍人たちを押しとどめた。


(あの時、僕が師匠を消し去ったからこんなことになってしまったんだ。全部僕のせいじゃないか!)


 深く息を吸い、決意が鈍らないうちに魔術のトリガーを唱える。メッシー・モアの名前と存在が確定したら使おうと思って用意していた簡単な呪文。


呪縛カース


 先程の二つの魔術とは対照的に、静かで地味な発動だった。

 ほんのりと輝く淡黄色の光の輪が幾重にもメッシー・モアを取り囲み、自由を奪う。六つの右手から六本のペンが落ちる。ペンは、石の床に音を立てて転がった。

 魔術がメッシー・モアを捕らえたことに、魔道兵たちはどよめいた。


 モアは動きを封じられたものの、痛みを感じることはなかった。


「――若き魔道士よ、なぜだ」


「僕は、僕の魔術で大切な人の命を危険にさらしました。師匠と、陛下と。そして、魔術を行使できる力を持ちながら適切なタイミングでそれをせず、一人の命を救えなかった。これらは全て、消せない過ちです。勝手な言い分かもしれないけど、あなたに聞いてほしい。僕は、これ以上誰の命も犠牲にせずに、世界間移動の魔術を完成させてみせます!」


 モアに対する魔道拘束が成功したのを確認すると、重ねて物理拘束をするために武道兵が突入してきた。金属の武装の立てる音が狭い部屋に響く。


「だから、メッシー・モア、もうゆっくり休んでください。それが僕の償いです」

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