第四章 真世界
第40話 偽名
呪文によって転送されたリュウは、
(スクリプトのトリガーにする言葉は何でもいいんだ。ためしにわけわからん呪文にしてみたけど、不意を衝くには良さそうだな。長すぎると忘れてしまうし、ありきたりの短い単語にするとふつうの会話の途中で発動してしまう。匙加減が難しい!)
このフロアはとても狭い。分厚い石の壁に囲まれて閉塞感がある。階段を上り切ったところに、廊下を少し広くしたような小さなホールがあり、その向こう側に小さな開かずの部屋がある。そこは魔術の鎖でがんじがらめに守られていた。濃度の高いマナが辺りに充満している。マナを感じ取る力に優れたものほど、息苦しさを覚える。
(前にプリムラと来た時と何も変わっていない)
「――誰だ」
木製の扉の向こう側から、かすれた男の声がした。
「魔道士リンドウ・リュウです」
「――何の用か」
「魔道省の再生研究室や、左大臣に魔道研究のヒントを与えているのはあなたですね」
「――お前は真のみ述べる魔道士だ。儂が答える必要はない」
男の話初めには必ず少しの間があった。片手間に応答しているような印象だ。
「人の命を犠牲にしてまで研究する魔術とは何か、お教えください!」
「――否。問答のために来たのならば去れ! 儂は忙しい」
「他人を巻き込んでおいて!」
リュウは憤った。自分がリッド・リリジャールの探究心のために復元され育てられたことを思い出して怒りがこみ上げる。
ドガッドガッドガッ
腹立ちまぎれに木製の扉を蹴り付ける。この程度の力で壊せないのは百も承知だが、そうせずにはおれない。
この時のリュウは、頭に血が上って周囲を警戒していなかった。
不意に、無防備なリュウの背中全体に後ろから強い力が加えられた。
「ぐふっ」
リュウの肺から息が漏れる。
足音もなくリュウの背後から現れた武道兵が、リュウの両手を後ろにひねり上げ、体重をかけてリュウの上半身を扉に押し付けている。
すかさずもう一人の武道兵が、リュウの口に布を噛ませて魔術の詠唱を防いだ。
「ようやく追いついた。手間をかけさせないでほしい」
サンドラ・サンデーが現れた。彼女は小ぶりな油紙傘を静かに開き、転送の五段階術式を唱える。
「 対象指定:リンドウ・リュウおよびサンデー班
宛先指定:ホワイトパレス北の談話室
* * *
北の談話室はホワイトパレスの二階の奥まった場所にあり、窓がない。王族が客人とのプライベートな会話に用いる小ぢんまりとした部屋だが、そこに九名もの関係者が集ったので空間の余裕がなかった。
女王、魔道長官、ジョナス・ハンウェー、プリムラ・プロウライト、サンドラ・サンデー、その部下三名、そして拘束されたリンドウ・リュウ。
「サンデー班、ご苦労だった。退出して休め」
女王がサンデーとその部下をねぎらうと、魔道長官が懸念を示した。
「リンドウ・リュウの身柄をおさえる武道兵は残した方が」
「この女がいればここで荒事に及ぶことはなかろう」
この女、と言うところで女王はプリムラの方に目をやった。
プリムラは緊張のあまりコチコチに体を硬くしている。
ハンウェーとプリムラの姿に、リュウは驚いて目を見張った。二人は客人扱いで、椅子に腰かけていた。
サンデー達が部屋を出ていくと、魔道長官が話し始めた。拘束されたリュウは床に転がったままそれを聞く。
「さて。全員揃ったな。この場の議題は、ジョナス・ハンウェー、お前の名前についてだ。逮捕されたマーク・マロリーから経緯は聞いたが、改めて本人の口から聞こうか」
(ハンウェー、何かやらかしたのか? ここになぜ僕が同席する必要があるんだ?)
捕らえられて牢屋に戻されるとばかり考えていたリュウは、この展開に戸惑う。女王も魔道長官もそれを気にかける様子もなく、話を進めていった。
「ジョナス・ハンウェー、貴殿の
「女王陛下が相手でもそれは答えたくありませんね。俺は過去を捨てたんだ」
「無礼者!」
「長官、よい。咎めるな。ハンウェー、貴殿が
「そう。俺は
(偽名!? でも僕やプリムラが名前を呼ぶことができる……!)
「偽名!? でもあたしやリュウが名前を呼ぶことができる……!」
リュウとプリムラは全く同じ疑問を持った。偽名であれば魔道士がその名を呼べない。
「今はな。こっちの世界に来て、過去を断ち切りたくて偽名を名乗り始めたんだが、最初の頃は魔道的に無効な名前だったんだ。だから魔道士は俺の名前を呼べなかったし、魔術で俺に手紙を送ったりとかもできなかった」
ハンウェーの語り口は、ゆっくりとしている。彼の身に起こったことについて、誤った情報を伝えないように慎重に言葉を紡いでいた。
「とにかく俺はジョナス・ハンウェーで押し通して、住民登録もした。開業する時もその名前で登記した。当然、魔道士じゃないヤツはジョナス・ハンウェーと呼んでくれる。マロリー様とかな。そのうちだんだん、俺の名前を呼べる魔道士がぽつりぽつりと出てきたんだよ。で、最終的には誰もが俺の偽名を呼べるようになって、魔術の対象にもできるようになった。こんな感じで、名前が定着するまでには段階があるんだわ」
「そんなことがあったから、マロリー様は名付けについて探るようになったんですか」
プリムラは目を丸くして尋ねた。
「たぶんな」
「名前が定着するには、認知度みたいなものが必要、ってことかな」
続いてプリムラは小首をかしげて確認する。
「そうだな。なんつーか、その時は『世界が俺を受け入れてくれたんだな』って感じがした」
「『本物の』ジョナス・ハンウェーとはどういうことだ」
魔道長官が険しい顔でハンウェーを威圧する。ハンウェーは動じることなく、語り続けた。
「俺たちの世界の傘の歴史に関係してる。まず、俺の出身は、ざっくり西洋と言われる地域。西洋では長いこと、傘は女性のアイテムだったんだ。貴婦人の日除けだった。一方、東洋では、雨を防ぐものとして男女問わず使っていた。この雨傘としての用法を、18世紀後半の西洋に持ち込んだ人物が、本物のジョナス・ハンウェーだ。俺は、こっちの世界で目覚めた時にまっさきに気になったのが傘の形状だった。それで、偽名としてとっさに思い付いたのがジョナス・ハンウェーだったってわけ」
「太母も傘については気にしていたな。懐かしいと」
「ツツ様は東洋の出身だからだろう。偽名の話はここまで。こっからちょっと傘の話をさせてくれ。まず、
「時代?」
魔道長官が聞き返す。
「
「だからどうした」
魔道長官は眉をしかめる。
「いや、俺もこれ以上はわからん。ただ知識を披露しただけだ。偽名がばれたついでに、リュウに知識を共有しておきたかったってのもある。まあ、もしかすると、この世界の神様は東洋趣味だったのかもな」
ハンウェーが語り終えると、談話室は静まり返った。皆、頭の中で今の話の内容を反芻している。
プリムラは水差しの水をグラスに注いで、女王から順に配った。皆、すぐにそれを飲み干した。
静寂を破ったのは女王だった。
「傘の話は興味深いが、今は名前の方が重要だ。メッシー・モアを魔術の対象にできないのは、かつてのハンウェーと同じ原因ではないか?」
メッシー・モアの名が魔道的に有効であれば、彼を対象とした
逆に魔道的に無効な名前の場合は、失敗する。そもそも魔術が発動しない。
彼は後者の現象を引き起こす。
今まで幾人もの魔道兵が彼をあの部屋から引きずり出そうと試みているが、毎回、魔術が不発に終わっていたのだった。
「モアさんの姿を見たり、モアさんに直接触れたりした人がいないから、名前が確定していないってこと?」
プリムラの声が響いた。そのつぶやきは真実を表している。
「ええ? 最低でも生みの親とか名付けの親が見てるだろ?」
ハンウェーの声が困惑のあまり裏返った。
女王は魔道長官の方へ向き直る。
「魔道長官、
「しかし陛下、あの防御壁は上級魔道兵も高位の魔道士も破ることができず……」
「ここに従三位がおるではないか」
「いやしかし……」
「長官、そなたのメンツが立たぬというなら、女王の命令としてリュウに協力させるが?」
そうするとバリアを剥がした場合の功績をリュウ一人に持っていかれてしまう。長官は慌てて承諾した。
「お、畏れ多い! そ、そのようなわけにはいきません! くっ……。我が力不足を認めることになるが……。我々は最上階のバリアを剥がすことができなかった。リンドウ・リュウ殿、そなたの力をお借りしたい!」
拘束されて床に横たわるリュウに、魔道長官は膝をついて願い出たのだった。
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