第28話 お忍び
「『事前に記述した魔術スクリプトは大きな脆弱性をはらむため使用を禁ずる』ですって。バッカみたい!」
リンドウ・リュウの私室に現れるなり、キャサリンは不満をぶちまけた。
何の予告もなく転送マナの青い光がきらめいた後に、輝ける玉体が顕現した。くつろいだモーニングドレス姿で、貴人が人前に出る格好ではない。その上、何やら大きな布包みを抱えている。
「陛下、この部屋は防音されていません。あまり大きなお声を出されない方がよろしいかと存じます」
「これが怒らずにいられますか。あなたの考案した素晴らしいテクニックを、軍と王宮では採用しないって決まったのよ。魔道長官の一存で」
「まあでも実際に危険性が露呈してしまいましたので」
「あの魔道長官、わたしのかわいいリンドウ・リュウが優秀すぎるから潰そうとしているのだわ」
(その憶測は私情挟みすぎでしょ)
『カンクロ』加筆改竄事件の捜査結果を受けて、魔道長官は緊急の条令を出した。軍と王宮魔道兵の魔術運用に関する規制だったのだが、それについてキャサリンは憤っていた。
貧民窟の地下で行われていた『カンクロ四巻』への違法な加筆と改竄。その目的は、二百七十五名もの魔道士が一堂に会する音読調査の会場を利用した、悪意ある魔道の実験であった。というのが、治安部隊の捜査から導き出された結論だった。
「僕――
この紹介文に「卵が好き」と書き加えられた本は、魔道士による音読が可能であった。「僕」は本当に卵が好きなので。この情報は真である。
しかし「妹がいる」という加筆の場合は、魔道士による音読が不能となった。なぜなら「僕」である著者メッセンジャーには妹がいないから。この情報は偽である。
ほんの少しの労力で、本一冊分の文章を無効化できる。これを大規模に検証するために引き起こされた事件だったのだ。
「つまり、魔道兵がスクリプトを準備していたとしても、誰かがちょちょいと改竄するだけで全部ダメになってしまうんですよ。いざ発動しようという瞬間まで発覚しないなんてことも容易に想像できます。こんな危なっかしい技術、このままでは国防や要人警護には使えないと思います」
「そう言われれば、そうですわね……」
(素直でよろしい)
事件を指示したとされるメッシー・モアなる人物の最終目的は不明だが、正攻法で魔道研究を行いたければ
答えは地下室に残されていた魔術理論や魔術モデルの走り書きから類推できた。
スクリプトを用いた魔術行使の他にも、未だ
(こんなに研究熱心な人とお近づきになれたら嬉しいんだけどな。いっしょに
キャサリンはまだぶつぶつと不満を口にしている。どうやら個人的に魔道長官のことを嫌っているようだ。
「陛下、本日はどのようなご用件かお聞かせ願います」
「わたしを王都へ連れ出してくださいな」
「行幸のお手続きとお支度を……」
「それが面倒だからあなたにお願いしているのですわ」
「陛下は目立ちますからすぐにバレますよ」
「もちろん、場にふさわしい装いを」
キャサリンは自慢げな顔で、持ってきた布包みを広げた。
フリルをたっぷりあしらった薄手のデイドレス、その上に重ねる
(はあ!? 今ここで着替えるの!?)
キャサリンはモーニングドレスを脱ぎ捨て、デイドレスをまとう。多数の紐やホックを自分一人で器用に留めている。かつらをかぶり、ワックスに少量の色粉を混ぜたもので眉毛の黒色を消す。すぐに外出用の装いが完成した。
「わたし一人で着られるようにこっそり改造したのよ。すごいでしょ」
「あーはいはい、すごいすごい」
「あなた、わたしが着替えている間に目を背けなかったわね。見たでしょう」
「とくと拝見いたしました」
「はい、不敬罪」
(当たり屋!!)
キャサリンはもう一つの布包みを開いた。男性用の衣類のひとそろいで、それを着るようリュウに命じた。そして彼女は王都で食事をすると言う。場所は決まっており、すでにプライバシーを保てる個室が確保されていた。
「ニューキャッスル通りのリトル・グラス・スリッパーというお店よ」
「かしこまりました。
転送の
対象指定:キャサリン・カークランドとリンドウ・リュウ
宛先指定:レストラン・リトル・グラス・スリッパーの裏口
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