第三章 エンプティ
第24話 左大臣
カークランドの「王都」という言葉は二つの意味を持つ。
一つは首都カークシティ全体を広く表すもので、この場合は王都と首都が同義となる。
もう一つは、正に王のおわす場所という意味で、カークシティの中心地域であるセントラルカークのみを指す。
リンドウ・リュウは今、高級住宅街トラストスクエアにいる。セントラルカークの中でも最も豊かな地区で、王の住まうホワイトパレスの膝元に位置する。閣僚・高級官僚の住居や、遠方に領地を持つ貴族の別宅が建ち並ぶ。普段のリュウは北方辺境の質素な宮殿で過ごす時間が長いので、気おくれしていた。
(制服を支給されていて助かった。僕の私服じゃ物乞いか盗っ人にしか見えない)
白さを強調した街並みの中に、一段落ち着いた灰白色の邸宅がある。リュウはその前で足を止めた。手に持った招待状に記された番地と、目の前の邸宅の番地は一致している。裾の乱れを直し、上衣のボタンと襟が閉じていることを確かめた。
闘犬のような門番におそるおそる名乗ると、すぐに鉄の門扉が開かれた。
前庭はなく、すぐに玄関があった。扉を開けたフットマンは、異様にフリンジの多い奇妙なお仕着せ姿の優男だった。彼の微笑がリュウの緊張を少しやわらげた。彼の案内で廊下を進み、後をついて応接室へと入る。
「リンドウ・リュウ殿、ようこそおいでなさった。また会えて嬉しい」
待ち受けていたのは左大臣マーク・マロリーであった。その手には一本の傘。
「お招きいただき、恐縮でございます」
「そう固くならずともよいのじゃ。老人の茶話に付き合うと思ってくだされ。それとも、お主、制服を着ているということは業務として来たかの?」
「いえ。他に服を持ち合わせていないので、これを着ています。お恥ずかしい限りです」
「せっかくの美丈夫がもったいない。今度
リュウはさきほどのフットマンの変な服を思い出した。マロリー本人の服も、流行を追わず、かといって伝統的とも言いがたい独特の色使いだ。マロリーに服を選ばれるのは迷惑だと感じたので、無視することにした。
「招待状に書かれていましたが、マロリー様は魔道のお話をお求めですか?」
「ほっほっほ。そうじゃ。この傘じゃ」
マロリーの手には、リュウが魔術のスクリプトを書き込んだ傘があった。
「ここに魔術についての書き込みがあるな。これはリッド・リリジャールの教えか?」
「いいえ。師匠は関係ありません」
「
「あー……、まあ、向こうにも似たような技術はありますが、僕はコンピューターのことは全く知りません。
「それじゃよ!」
マロリーは急に声を荒げた。そして、身構えたリュウを気に掛けることなく一方的に語り始めた。
「異邦人の知識と技術が、一足飛びに技術革新をもたらす。そう考えたこともあった。だが、それは無理じゃった。お主ら異邦人は原理や製法を何も知らん。しかし、この傘の書き込みのように
(たしかにスマホの使い方は知ってても、その中身や作り方は全くわからないな。僕だけじゃなく、ハンウェーだってそうだろう)
「世間では
高弁をぶったマロリーは、息が続かなくなり静かになった。肩を上下させる主人に、側仕えの稚児が水をついで渡す。この稚児もフリンジだらけのお仕着せ姿だった。水を飲んで落ち着いたマロリーは、急に振り向いてリュウと目を合わせた。
「お主、リリジャールの弟子であろう? リリジャールは何のためにお主を育てたと思う?」
「……」
「あやつは利己的な男じゃ。ツツ様に近づいたのも、
言いたいだけ言うと、マロリーは応接室を出て別室へと移動した。付いてくるように促されたリュウも、後ろに続く。
屋敷の中は宮殿に比べると薄暗い。要職者の私邸といえど使えるマナの量は限られていて、日中のマナ灯は控えられていた。
案内された部屋は自然光がほとんど入らないようになっていて、他の部屋よりも更に暗かった。その不気味さに、リュウは入室をためらった。
「リュウ殿、マナの光を灯してくだされ」
(ケチ臭いな。自前の備蓄マナは使わないのかよ)
心の中で悪態を吐きつつも、リュウは手渡されたカンテラにマナの光を入れた。
その部屋は、天井まで届く書架が三面を埋め尽くす書斎だった。文机と椅子のセットは小ぢんまりしたもので、ソファも一人掛け。この部屋を使うのは家主だけであることが見て取れた。
「ここにある本は全てマロリー様おひとりで……?」
「そうじゃ。
「はあ」
「ツツ様は美しいカークランド語の発音を身につけられたが、それでも少しぎこちないところがあった。リュウ殿、お主もじゃ」
(似たようなことを女王陛下にも言われた……。地味に凹む)
「生き物だけを主語にする傾向が、ツツ様とお主には見られる。ハンウェーにはそれがない。おそらくそれは、もともとお主らの話していた言語によるのだろう」
(無生物主語ってやつか。元の世界でも聞いたことあるな)
「最近大流行しているという小説を、そこな稚児から伝え聞いてな。試しに読んでみたのじゃ。文章に、ツツ様やお主と似た癖があった」
マロリーは意味ありげに笑み、リュウは冷や汗をかいた。
『カンクロ』の著者の正体がバレたところで、何かリュウにダメージがあるかと言えば、それほどない。しかし、マロリーに弱みを握られてしまったような気がして、不安になった。
「さて」と言ってマロリーはまた急に話題を変えた。「お主、医術の心得はあるか?
「ありません……」
「そうか。今日、聞きたかったことはこれですべてじゃ。ご足労じゃった」
書架のない壁には数枚の肖像画がかけられている。どの絵にも名前と生没年の記されたプレートが添えられていて、マロリー一族の人々だとわかる。その中には二枚、男児の姿もあった。それを見て、マロリーの言わんとすることは痛いほど伝わったが、リュウにできることは何もない。
(誰も彼も自分勝手だよな。願いを叶えるために僕を利用しようとする)
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