第20話 ジョナス・ハンウェー(後)

 静かに夜が深まっていく。

 離れていた兄と弟が月日を経て再会したかのように、話が弾んだ。二人は互いのことをジョナス、リュウと呼ぶことにした。


 リュウはそれとなく『対抗世界カウンターワールドクロスオーバー』のことを尋ねてみた。するとジョナスはその書物の存在を知らなかった。日常会話はできるものの、小説を読むほどの力はないということだった。自著であることをあえて晒す理由もないと思い、その件についてはそれ以上話題にしなかった


「リュウはどうやってこの世界へ来た?」


「学校が休みの日に、友達の家へ遊びに行こうとしたんです。それでボールを蹴りながら歩いていたら、側溝に落ちました。目が覚めるとこちらの世界でした」


「日常から突然、異世界かあ」


「ジョナスのことも知りたいです」


「ちょっかい出した女の子がマフィアの娘だった。マフィアっつっても地元のチンピラみたいな奴だけどな。ボコボコにされて半殺しで生き埋めにされて、気が付くと、体の怪我も全部治った状態で復元されてた。そんで、俺を復元した魔道士の横に、狐みたいな爺さんがいたの。その爺さんがマロリー様」


「……想像のはるか上をいくエピソードでした」


「復元されたその日から、魔道士の油紙傘のことが気になってたんだけど、言葉がわからないからもどかしかったな。こっちの言葉で数を数えられるようになった頃に、俺の知ってる八本骨の傘の絵を描いて見せたらマロリー様が食いついてきたんだよ。で、どうにかこうにか材料を手に入れて作ってみた。それからあれよあれよという間に魔道具店を開くってことになってた。ここまでが復元から丸五年くらいかな。今は、店を開いてから二年めだ」


「もともと傘を作っていたということですか」


「義務教育終わって定職に就けずにブラブラしてたら、友達の父親が雇ってくれたんだ。そこが手作りの傘の工房だった」


「ラッキーでしたね」


「おっ。俺の幸運は真世界オース的にも真らしい」


 数時間前、力ない足取りでマロリー&ハンウェー商会を訪れたリンドウ・リュウは、心細さに押しつぶされそうな青白い顔だった。

 真世界オースの秘密を紐解きたいような、このまま何も知らずにいたいような、葛藤はまだ胸の内に大いにある。それでも、今この時はもう、楽しい気持ちだった。出身国も母語も異なるけれども、同郷の者と交わす思い出話は良きものだった。


 ジョナス・ハンウェーの方にしても、突然の来客を迎え入れた時には単なる情報収集程度の気持ちであった。それが、存外楽しい時間となった。悩みの少ない異世界生活を送っているという意識を持っていたが、リュウと過ごしたひと時でリフレッシュされたことをかえりみるに、自覚のないストレスを抱えていたようだった。


 互いの身の上を語り終えると、話の種も尽きた。交歓の場がお開きになりそうな雰囲気を感じたリュウは、最後に一つ尋ねてみた。


「ジョナスはBCGを知らないんですね」


「何それ」


 リュウは左の袖をまくり上げて、上腕の注射痕をあらわにした。三×三の正方形に並んだ小さな窪みの集合が二つ。


「それ前にも見たけど、俺、本当に何かわからない」


「結核のヨボウセッシュです。子どもの頃にみんな打つと思うんですけど」


 予防接種も注射も真世界オースには存在せず、カークランド語でそれを表現することができなかった。英語表現も知らないので日本語で言うしかない。そしてBCGの注射器の形状も記憶になかったため、一般的な一本針の注射器の絵を描いてみせた。


「結核のImpfungenか。そんなにたくさん針を刺すImpfungen、俺は知らないよ」


「ジョナスはこれを知らない……」


「たぶん国によって指針が違ったんだろうな」


(全人類がBCG受けてると思ってた……! まじか。自分の無知がめちゃくちゃ恥ずかしい! これを知ってるどうかで異邦人を判別できないってことか。わざわざ腕を露出しやすい服を着てた意味がなかった!!)


 特徴的な注射痕が、異邦人の識別方法として不完全であったことに意気消沈するリュウに、ジョナスが問うた。


「なぜ他の異邦人に会いたいんだ?」


「元の世界へ帰る方法を探しているんです。こっちに来た時の状況に何か共通点がないかどうか知りたいですし、何より仲間がいた方が心強いと思うんです」


「そういうことなら、俺は協力できないぞ」


「え」


「俺はこの生活に満足しているんだ。向こうの世界で勤めていた工房は、高級品を作っててセレブの固定客なんかもいたんだが、俺はただの名もなき一職人よ。それがこっちじゃ自分のブランドを持てて、しかもなんかすごい発明をしたような扱いを受けてる。向こうに戻る気なんかないさ」


「そうですか……」


「まあ、積極的に・・・・協力しないと言ってるだけで、うちの傘を使ってもらったりする分には構わないけどな」


 にっこり笑ってちゃっかり営業を仕掛けてきた傘職人の言い草に、リュウの口元がほころんだ。


「ジョナス・ハンウェー、今日は本当にありがとうございました! これからもどうぞよろしくお願いします!」

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