第19話 ジョナス・ハンウェー(前)
リュウは肩を落とし、とぼとぼと歩いた。
王都の図書館通りには老舗の上品な店が多い。行きかう人々の身なりもよい。背筋のしゃんと伸びた紳士淑女ばかりであった。
魔道士官の制服に身を包んだリュウは、服装こそ周りにひけを取らないものの、ぼんやりとした生気のない表情が彼の姿全体を粗末なものにしていた。
日が西に傾き始める頃、リュウは魔道具店の前にいた。
マロリー&ハンウェー商会。
ここにはリュウの知る唯一の異邦人がいる。
ドアを開けると店内に客はおらず、ジョナス・ハンウェーが一人で商品の手入れをしていた。
「ハンウェーさん、……」
リュウはドアを半分開けてハンウェーに呼びかけてみたものの、何をどう説明したらいいものか、考えがまとまらない。頭の中でごちゃごちゃと言葉が空回りするばかりであった。
ハンウェーは来客の次の言葉を待ったが沈黙が続く。来客はドアを半開きにしたまま動かないので、ハンウェーが先に口を開いた。
「君はたしか、白い傘を買ってくれた魔道士だね」
「はい」
「そして異邦人」
「はい」
「名前はリンドウ・リュウ。
「図書館に、行きました。立派な図書館に行ったんです。この国の歴史や社会を学ぼうと思って。それなのに、昔のことを書いた本を見つけられませんでした。司書に尋ねても『昔のことなんてわからない』としか答えてもらえなくて……。そんなのおかしいと僕は思ったんですけれど……」
すると急にハンウェーは合点がいったという顔をして、リュウを店内に招き入れた。店のドアに錠を下ろし、大通りに面したガラス窓にカーテンを引く。
「少し早いが今日は店じまいだ。異邦人同士、世界について語り合おうじゃないか」
カラフルな傘が展示されている店内は、ロウソクの灯と店の裏の小窓の採光で仄明るい。ハンウェーは接客用の小さなテーブルセットを部屋の隅から中央へ移動させ、そこに座るようリュウを促した。
「白茶と紅茶、どっちがいい?」
「白茶をお願いします」
「じゃあ俺もそれにしよう。昼飯食った?」
「いえ、まだです」
「ちょうどいい。エミリーの作ったサンドイッチが大量にある」
小さなテーブルは、二人分のカップと皿でいっぱいになった。
薄くスライスしたパンに具材を挟んだサンドイッチに、リュウは目を輝かせた。それを食べるのは
「今、君が食べてるのはハムとチーズだ。青菜のソテーとチーズを挟んだのも旨いぞ」
「おいしいです。本当においしいです。久しぶりに食べました」
「カークランドの人間はこういう食べ方をしないみたいだ。俺がマロリー様に紹介したら気に入って、エミリーに作り方を教え込んでた。生野菜を使えないから歯ごたえが単調だが、それは仕方ない」
「ああ、そういえば生野菜食べませんよね」
「堆肥使ってるからな」
リュウはあっという間に平らげてしまった。ハンウェーは自分のサンドイッチもリュウに差し出す。
「やっぱり男は食うねえ。エミリーはたくさん作るくせにそんなに食べないんだよ」
「エミリーさんというのは、ここで働いている方ですか?」
「そう。君らの接客もしただろ。まだ十歳なのにしっかりしている」
「十歳!?」
「
ほおばっていたものを飲み込み、リュウは不安な気持ちを吐露した。
「僕、この世界のことを何も知らないと思ったんです。その上、元いた世界のこともあんまり知らない……」
「何歳でこっちに来た?」
「十歳」
「あー、あっちの十歳はまだ本当に子どもだもんな。そんな幼い頃にこっちに来たのか。大変だっただろう。見たところアジア系のようだが、中国人?」
「日本人です」
「English OK?」
「すみません、話せません……」
「いいんだ。気にすることはない。じゃあこのままカークランド語で続けよう」
茶を一口飲み、ハンウェーは語りだした。初対面の時と同じくボソボソとした話し方だったので、ところどころ聞きにくい。それでもリュウに分かりやすいように噛み砕いて説明する配慮があった。
「まず、今は真紀二百二十五年。俺の肌感覚では17世紀末か18世紀初頭に相当する文明かな。たぶん
「蒸気機関とか大量生産とか習った記憶があります」
「そうそう。それ。俺が知る限り蒸気機関も内燃機関もないし、電気を利用している様子もない。代わりに魔術があるわけなんだが、マナが発見されたのが二、三百年前で、その頃からゆっくりと魔術が発展を続けて今の世の中があるようだ。初めてこの世界で魔術を目にしたときは、超驚いた。特に転送魔術なんか、瞬間移動だろ? すごすぎる。それなのにどうして未だに馬車やら井戸やらの生活から脱却できていないのか? 君はどう思う?」
「マナの
「そうだと思う。俺たちの世界でもかつて綿花の栽培や石炭の採掘に大量の人的資源を投入していたんだが、こっちの世界では誰でもマナを集められるわけじゃない。魔道士となるにはある程度の修業期間と
「あの、『マナが発見されたのが二、三百年前』というところなんですけど……」
「それな。俺も気持ち悪い。マロリー様に聞いてもはっきりしない。マロリー様ってお大臣様よ? なんでそんなにモノを知らないんだよと思ったんだけど、きっとそれがこの世界の常識なんだ」
「大臣になるような人でも知らない、ということですか」
「この世界に四百年前はない」
「『この世界に四百年前はない』!?」
オウム返しをした自分の声が信じられず、リュウは何度もそれを繰り返した。
「俺だってわけわかんないよ。きっと、神様が『光あれ』って言ったのが真紀元年なんだろ。その時から人間は裸じゃなくて、立派な街や都があって、そういうとこから文明がスタートしてるんだよ」
話し込んでいるうちに日が落ち、窓の外が暗くなっていた。暗闇の中でロウソクの灯火が強く、リュウとハンウェーの目が痛んだ。
「
役割指定、開始。
ティーポット:マナの備蓄
僕の使ったティーカップ:光の器
役割指定、終了。
照度は人間がこの部屋で字を読める程度とする。
リュウの詠唱が終わると、ティーカップにマナの光が灯った。再び部屋が仄明るくなり、ロウソクの強い光による目の痛みも和らいだ。
「明かりが一晩続くようにマナを溜めておきました。よかったら使ってください」
「ありがとう。そしてせっかく明かりをくれたところ悪いんだが、茶器は早く洗わないと茶渋がつくんだ……」
ハンウェーの指摘にリュウは平謝りして魔術を取消し、他の適当な家具を指定してマナの光を点けなおした。
使用済みの食器類を持って部屋を出たハンウェーは、しばらくすると水差しとグラスを持って戻ってきた。
「時間ある? よかったらもう少し話していかないか?」
「喜んで!」
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