第15話 音読調査

 第二次音読調査開始の日。


 女王の身支度を手伝う女官二名は苦戦していた。

 女王がなにやら物思いにふけっていて、体をほとんど動かさない。袖を通すのも、襟を留めるのも、普段なら女官の動きに合わせて腕や肩を動かしてくれるのに、今日の女王は全く動かない。

 苦労して服を着せた後、化粧をするのも一苦労だった。顔に粉をはたこうとするのだが、目をつぶってくれない。自分のペースでまばたきを続けるので、目に粉が入らないように神経を使いながら顔の彩りを完成させた。


 当の女王はというと、前回の音読調査のことを思い返していた。

 苦い記憶だ。


 真世界オースの出版界に「対抗世界カウンターワールドモノ」と呼ばれるジャンルが登場してから、五十年近くが経つ。

 異邦人である空沼うろぬまうつつが当時の国王の子を宿し、第二夫人として王室の一員となったことをきっかけに、民衆は対抗世界カウンターワールドへの興味を強くした。

 しかし第二夫人はほとんど表舞台に現れなかった。彼女自身についても、彼女の出身の世界についても、市井に情報が伝わることはほとんどなかった。

 次第に民衆の空想は広がり、小説や芝居の題材として対抗世界カウンターワールドが選ばれるようになっていった。


 それから時が経ち、空沼うろぬまうつつの孫にあたるキャサリンが、わずか五歳で即位した。父王の早逝によるものだった。

 キャサリンは成長するにつれ、そのエキゾチックな美貌で民の注目を集めた。

 「対抗世界カウンターワールドモノ」の二度目のブームが起こる。


 するとキャサリンは、その中に真実が紛れているかもしれないから調べるべきだと言い出した。


 魔道士は真実の言葉のみを発する。

 その誓約を利用して、書物を音読させてみよう、と。


 女のきまぐれだとか、空想と現実の区別もつかない小娘に国を任せられないだとか、文化振興よりも魔道開発の方が先だとか、四方八方から苦言が寄せられた。


 それらを退けて第一次音読調査を決行したのは二年前。キャサリンが十五歳の成年に達し、摂政の裁可が不要となってすぐのことだった。

 カークランド中の出版社の倉庫から、「対抗世界カウンターワールドモノ」の書籍が集められた。絶版の本については、一般家庭からの供出を命じることまで行った。

 そこまでして集めたどの本も、魔道士が音読できる部分はほとんどなかった。

 つまり、完全なフィクションであった。


 家臣たちは口をそろえて若すぎる女王を諫めた。不敬を隠さずにあざける者さえあった。


 その時キャサリンは、自分の血筋も、若くして女王となった境遇も、人目を惹きすぎる容姿も、何もかもを恨みたくなった。


 自分のルーツに近づきたいだけなのに。


「しかれども。此度こたびはどうであろうな」


 にやりと口角を上げて、キャサリン・カークランドは立ち上がる。小説家メッセンジャーが魔道士リンドウ・リュウと同一人物であると判明した時、彼女は自分の正しさを確信した。今回の調査は良い結果となる。


「本日も大変お美しゅうございます、陛下」


 女王の内心など知らぬ女官はちぐはぐな世辞を述べた。


「そなたらの手がなければわが装いは完成せぬ。明日も頼む」

「もったいないお言葉でございます。それでは陛下、魔道教練堂へ転送する準備が整っております。実行してよろしいでしょうか」

「よい」


 許可の声を聞き、控えていた魔道兵が転送魔術を実行エグゼキュートする。

 女王の体は転送マナの光に包まれ、消えた。


 フラッドリーヒル宮殿の東の離れが、魔道教練堂。今日から始まる第二次音読調査の会場である。円形の中央広間に魔道士たちが整列し、女王の登場を待っていた。

 前方の演壇に青い光が出現すると、広間の全員が姿勢を正す。

 光が消えると同時に、玉声が調査の開始を告げた。


「彼方此方より集いし魔道士たちよ。真世界オースへ誓いしそなたらは、まことを見つくる。わが求むるは、対抗世界カウンターワールドの証。書を開け。唱えよ。探れよ。これより第二次音読調査を開始する」


 調査員となる二百七十五人の魔道士に、女王は調査用の書物を授けた。一冊ずつ、女王の手から調査員たちに渡された。一人また一人と女王の前に進み出て受け取る。


 すると、おそれのあまりに静まり返っていた教練堂が、次第にざわめきに満ちていった。


「オレは『対抗世界カウンターワールドクロスオーバー』の1巻だ」


「僕も『カンクロ』だ。1巻」


「私のも『カンクロ』だわ」


「この本、女王陛下のいい匂いがする」


「おいらも『カンクロ』だった」


「全員、『カンクロ』の1巻を読むってこと?」


 一言一言は小さなつぶやきだが、ドーム状の屋根に反響して乱雑な音の群れとなる。


 調査員たちは十人ずつの小班に分かれ、王宮の魔道士官や魔道兵がそれぞれの班のまとめ役につく。

 調査結果の保証のために、すべての魔道士が同じ文章を読み上げるのだった。


 まとめ役の指図に従い、教練堂のあちらこちらで音読が開始される。


 みな、淀みなく読み続けた。


 すらすらと。


 読み手も、まとめ役も、それ以外の者も、驚きをあらわにした。動揺が重なり合い、教練堂全体がさざめく。


 十ページ程度ごとに読み手を交代し、別の者が同じ箇所を読む。やはり、声に出すことができる。


 次第にざわめきが収まり、参加者は読むことと聞くことにのめり込んでいった。今この時に、別世界の実在を証明しているのは自分たちなのだと、小さな使命感のような気持ちが調査員たちの中に芽生えている。


 一方、ざわめきの様子を柱の陰から見ていたリュウも戸惑っていた。リュウは一般の調査員から離れて教練堂の片隅に隠れて控えている。彼にも、課題図書が『対抗世界カウンターワールドクロスオーバー』のみということは知らされていなかった。


 そのリュウの背後に、いつのまにか女王がいた。


「リュウ、いかなる心地か。この光景をいかに思う」

「最悪の気分です」

「何?」

「自分の書いた文章を声に出して読まれるんですよ。恥ずかしくて恥ずかしくて、吐きそうです」

「医師を呼ぶか」


(違う、そうじゃない!)


「四巻をすべて読ませる。それをもって対抗世界カウンターワールドたしかに在り、と証す」


(そんなの無理……! 全部聞いてたら羞恥で死ぬ!)


「貴殿はわれと共に来い。ここに貴殿の任はない」

「え、あ、音読調査に立ち合わなくていいということでしょうか?」

「左様」


 女王の目くばせを合図に、魔道兵が転送魔術を唱えた。

 リュウは女王と共に、フラッドリーヒル宮殿の王の間に移動した。

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