第13話 女王

 民が王室の構成員について言及する時、名前や称号を直接に呼ぶことは避け、その貴人を連想させる形容詞を名詞化する。


 雪星宮フローズン・ステラー

 氷剣の麗人レディ・アイシクル

 蒼天の燦アジュール・ラディアンス


 キャサリン・カークランドはいくつもの美しい名で表されるが、そのほとんどが人の力を越えた煌めきとして称えられている。

 そのことについてリュウに異論はない。対峙したのはほんのわずかな時間であったが、その身からあふれる威光を感じるのには充分だった。


 そして今、リュウはその輝ける女王の下へ参じようとしている。


 丸三日軟禁された客室に、迎えの者が現れた。


「本日正午より親任の儀を執り行う。ただちに身なりを整えられよ。儀典の間へ案内する」


 リュウは支度を命じられて魔道士官用の礼服を得た。後で知ることになるが、これは一般の魔道士官とは襟の色が異なり、特別任用であることを示しているものだった。


「武道士官の佩刀に準じて、魔道具の傘を持つことが認められる。いかがされるか?」

「持ちます」

「礼服用の帯に取り替える。傘に触れることを許されよ」

「どうぞ」


 雪原地帯へ使節団がやってきた時、リュウは使い慣れた油紙傘を持ち出した。そのため、買ったばかりの新しい傘は家屋と共に燃えてしまった。

 その油紙傘を背負うための帯が取り替えられた。厚く幅広の革製で、斜めにたすき掛けにすると礼装のベルトと調和して見えた。

 迎えの者の手を借りて服装を整え、姿見の前に立つ。肩の上から背中に手を回し、傘を引き抜いてみた。

 詰襟とズボンからなる礼服に蛇の目傘を携える姿は、リュウのセンスからすると珍奇なものであった。


(変だ……。変すぎる……。機能性重視の防寒具を着てるとあんまり気にならなかったけど、やっぱりちゃんとした服を着るとちぐはぐだよな、この世界の傘)


「何か問題でも?」


 ありませんと答えようとしたが、それは発言できなかった。

 リュウが否定も肯定もせずにいると、迎えの者は準備完了と判断し、リュウを部屋から連れ出した。


 何度も廊下を曲がるうちに、リュウの方向感覚は失われた。ただ案内されるがままについていく。各所にほどこされた装飾を楽しむ余裕もなく、これから始まる儀式への心構えもできないうちに儀典の間に到着したのであった。


 重い扉が衛兵によって左右に開かれた。


(まぶしい!)


 思わず目を細めてしまう。


(なんだこの光は)


 レリーフと絵画のタイルで埋め尽くされた天井の中央には、虹色に調光されたマナのシャンデリアがあった。


 明るい広間でまず目に飛び込んだのは、自身の前に敷かれた長い、赤い、絨毯の道。

 そして左右に整列する高級官吏と大臣たち。

 その遠い先に、玉座があった。


 もともと小柄なリュウは、自分が一本のか細い小枝になったように感じた。


 息が浅くなる。

 肋骨が折れるのではないかと思うほどに鼓動が強まる。

 慣れているはずの傘の重みを肩に感じる。


 おそらく、この場にいる全ての人間の衣服に魔術防御が施されている。

 衛兵の武具も、隅々まで魔術で強化されていることだろう。

 シャンデリアのマナ消費量は、目算で、街路のマナ灯の百基分。それを惜しげもなく昼間に使用している。

 よく見ると、天井のタイルの絵画は雲が流れるように刻々と変化しており、マナを消費するアートであった。


 喉から手が出るほど欲しい潤沢な魔道リソースがここにはある。


(すごいな……。これが王家なのか)


 震える膝に力をこめて一歩ずつ進む。

 玉座へ至る階段の手前で両足をそろえた。


 玉座を見上げ、一礼する。

 今日の女王はマントや勲章を身につけており、以前に相まみえた時よりもさらに王としての風格が増していた。

 女王は、リュウの姿を見ても表情を変えなかった。


(僕が王宮に侵入した男だと気付いていないのだろうか)


 女王の双眸の澄明な青さは、マナの灯火よりもリュウの心を捉えた。


(何がこの人の目をこんなに強くさせているんだろう)


 玉声により、改めて勅命が発せられた。


「汝リンドウ・リュウを魔道士官として特別任用する。期間の定めなし」


 リュウは改めていっそう深く頭を下げた。

 女王の言葉は短く、続きを待ったが広間は静まり返っていた。衣擦れの音ひとつない。


(え、儀式ってこれだけ?)


 頭を上げるタイミングがわからず焦って横目で様子をうかがうと、そこには老いた狐のような男がいた。

 老人は指先だけを小さく動かし、リュウに頭を上げるように合図した。

 リュウはおそるおそる背筋を伸ばす。

 右側の臣下の列の先頭は、今朝バルコニーで言葉を交わしたあの老人だった。


(玉座から見て左の一番前ってことは……)


 正装した老人は、狐の印象が少し薄まって見えた。


(左大臣!?)


 狼狽したリュウは玉座へ向けるべき視線をそらし、老人を注視してしまった。

 老人は再び指先だけを小さく動かし、前を向くようにリュウに示す。

 リュウはすぐに向き直ったものの、全身から汗が大量に噴き出し、そのことがさらなる緊張をもたらした。


 数秒なのか数分なのか、少しの間があった。


 そして玉座の女王がリュウに問いかけた。


「のう、リュウ。これは貴殿のものではあるまいか?」


 女王の手には、掌と同じくらいの大きさの木片があった。いびつな「竜」の文字が中央に彫られている。


「この木片の文字・・、貴殿の傘の柄に彫られている文字・・と同じであろう?」


(あれは木彫りの練習をしてた頃のできそこないだ! なんでここに!?)


 リュウは持ち物に「竜」の一文字を刻印している。お互いが異邦人と知らずに出会った際に、相手に気付いてもらえるようにというもくろみがあった。

 漢字を知らない真世界オースの人間にとってはただの紋様に見えるらしく、異邦人のスクリーニングとしてはちょうどよかった。

 世界間移動という目標を持った十二、三歳の頃に思い付いたことで、上手に彫れるようになるまで、何度も練習した。


 その時に出たゴミを、女王が手にしていた。


 驚いて声の出ないリュウに微笑みかけながら女王は続けた。


「われが十二の歳の頃、寝所で休んでおったらな、にわかにこれが枕元に現れたのよ」女王は木片を耳のすぐ横に掲げてみせた。「貴殿はもう少しでわれの顔をつぶすところであった」


(まさか……宛先不定の転送で片付けたガラクタの一つが王宮に……)


 家臣たちがどよめいた。

 これまで呼吸の音すら立てないほどに静かに直立していた彼らが、顔を見合わせ、口々に女王の発言についての懸念をささやく。


 女王の寝所には幾重もの魔道防御が施されている。それで防げるのはその場での魔術行使と、宛先を女王本人または寝所へ向けた転送魔術である。宛先不定の転送魔術を防ぐ方法はない。


 宛先不定の転送魔術は、それを実行しただけで被害者不詳の傷害罪・傷害致死罪に相当するとされる。転送物のたどり着く先が、人体の内部だったり、人の頭上だったりした場合に致命的となるからだ。


 リュウの件も、あと少し位置がずれていたら、木片が女王の頭部を破壊していたことになる。


(お、終わった……僕の人生ここまでか……)


 五年も前、たった十三歳の自分が引き起こしたできごととはいえ、相手が相手だ。リュウは青ざめて低頭した。


「申し訳ございません! わたくしの不徳の致すところでございます。いかなる処分もお受けします!」


「よいよい。寝所の守り人はあれど、わが髪の陰までは見ぬ。このことを知るのはわれのみぞ。こころやすくあれ」


(ほんとに? 許してくれるってこと?)


 ふたたび、儀典の間がざわめきに満ちた。


「陛下! 無礼を承知で申し上げますが、この男のしでかしたことは大罪ですぞ! 許してはなりませぬ!」


「宛先不定ならば、我が命を故意に狙ったものではなかろう。まいないを支度できぬ貧しき民から租税を重く徴する方が、よほど悪しきこと」


 法務大臣による奏上は、あっけなく退けられた。

 何がなんだかわからないまま、リュウは必死で頭を下げた。


「へ、陛下の寛大なお心、ありがとう存じます!」


(でもさ、今までは陛下しか知らなかったんだろうけど、たった今、僕の傷害致死未遂をここにいるみんなに聞かれてしまった……。これから先、僕はこの国でどうやって生きていけばいいんだ……。あと、まだバラされていないけど王宮不法侵入の罪もある。こっちは未遂じゃないし)


「さて。この文字・・対抗世界カウンターワールドのものであるな?」


「さようでございます、陛下」


「異邦人の魔道士とはおもしろい。リンドウ・リュウよ、われに仕え対抗世界カウンターワールドの調査に協力せよ!」


 こうして、リュウの王宮魔道士官としての日々が始まったのだった。

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