第10話 世界間移動の夢

 * * *

 カークランド女王陛下の御名において、第二次音読調査の調査員を募集する。

 参加資格は、事実のみを述べると誓約し真世界オースと契約した者。

 守秘義務あり。

 参加希望者は、随時、ニューキャッスル北門の魔道士詰所で受け付ける。

 必要な人数に達し次第、募集締め切りとする。

 * * *


 プリムラは路上に掲示された触書を立て看板ごと複写してリュウに転送した。

 昼前だというのに自宅で眠りこけていたリュウは、突然送り付けられた立て看板に頭を強打されて目を覚ました。

 立て看板には「あたし、やっぱり応募することにしました。印刷所には辞表提出済みです」というメモ書きが添えられている。

 リュウは内容を確認すると、立て看板とメモを庭の穴に転送して捨てた。


 寝床にしている安楽椅子にもたれたまま、悶々とする。


(応募できるか、できないか。

 ――僕には資格がある)


(応募したいか、したくないか

 ――僕は応募したい)


(研究に役立つかどうか。

 ――きっと何かしらの収穫はある。魔道士が大勢集まるのだから)


(副業に役立つかどうか。

 ――絶対に時間の無駄。たぶん調査が終わるまで閉じ込められる)


(安全かどうか。

 ――死なないだろう、という意味では安全。ただし、おそらく自由を失う)


 きっと、たぶん、おそらく。

 仮定ばかりで決断の決め手に欠ける。


 不安の材料は二つあった。


 一つめは女王。

 リュウは女王の居室に侵入した時のことを思い出した。あの時の彼女の反応からは、敵意は感じられなかった。リュウ本人かカンクロに関心があるようだった。それが、善意か悪意かはわからない。音読調査に僕が参加したとしたら、女王はどう出るか。


 二つめはリッド・リリジャール失踪事件。

 リュウは誓約のために偽名を名乗れず、経歴詐称もできない。過去に魔道士会AFSから従三位を授けられた時に、その若さとリリジャールに育てられた異邦人という出自から、大変な話題となったのだ。必ず、師匠の行方について問われる。


 何も決めることができないまま一時間ほどが過ぎた。


 リュウの目は、魔術モデル図と大量の走り書きで埋め尽くされた壁を眺めている。

 すべて世界間移動を目指したものだ。

 最初はリリジャールと二人で壁に直接書いていた。しばらくすると壁に余白がなくなり、上に紙を貼って書いた。今ではミルフィーユのように紙が層を成している。


 世界間移動の魔術を実現するにあたって、最も大きな障壁は「世界とは何か」という根源的な問題だった。


 真世界オースでは世界平面説が支持されている。この場合、明確な世界の果てが存在することになる。ただし、果てを観測した者はいない。


 一方、リュウの生まれた世界では、地球は丸く地球の外には宇宙があった。地球を世界と考えれば、世界の果ては存在しない。宇宙を世界と考え、ビッグバン理論を採用するなら、果てが存在するはずだ。


 * * *


 十二歳の頃、世界間移動というビジョンを得たリュウは、すぐに師匠にこう尋ねた。


『転送魔術で行けないんですか?』

『行けない』


 リリジャールは即答し、続けて宛先をリュウの両親の家に指定した転送魔術を唱えた。マナの灯火は何もなさずに消えた。宛先をおおざっぱに日本や地球としても同じだった。


『どうして!? 僕は嘘を言っていない! 僕の家も日本も本当にあるんだよ!』

『そうだな。儂が宛先を唱えられたのだから、真世界オースとしてもそれは真なのだろう』

『じゃあなんで……』

『境界を越えられないのだ』

『きょうかい?』

『境界を越えて外に出て、境界を越えて中に入るというステップが必要になる』

『世界の果てを越える感じ?』

『……』


 答えられないのか答えなくないのか、リリジャールは無言であった。


 リリジャールは壁を指さした。彼は考え事をする時に、壁に図画を描く。

 まず、二本の平行線が引かれた。

 その二本を貫通するように直角に交わる矢印を一本描き、リュウの目を見た後、矢印を手でこすって消した。

 次に、二本の平行線をジャンプして飛び越えるように曲がった矢印を、先ほどより強く濃く描いた。


『あー、転送魔術で境界線を越えられないって、こういうイメージなんですね』

『儂はこの考え方を境界仮説と呼んでいる』

『じゃあ井戸って何なんでしょうね』


 大魔道士グランドソーサラーリリジャールは、それぞれの世界に果て、つまり境界があると考えて境界仮説をとっていた。連続性のない空間を飛び越える魔術モデルを模索していたのだ。


 異邦人リュウは懐疑的にこの仮説を聞いていた。どのようにか井戸は向こう側へ通じていて異邦人が流れ着いてくる、というのが当事者としての直感だった。普段は閉ざされている堰が、特定の条件で開くのだろうと。堰を発見し、堰を開くことができれば、既存の転送魔術の枠組みの中で実現できるのではないかと考えた。


『今はまだ儂一人の研究だ。魔道士会AFSにも境界仮説の支持者はいる。だが彼らの生活のためには、すでに抱えている労働が優先されて、新しい分野に割く資源は乏しい。おまえには儂の下で世界間移動の研究の道に進んでほしいと思っているのだ』


 リリジャールは魔道士なので、文字や数式を書きながら思考を深めることができない。当時まだ誓約をしていなかったリュウが代わりに、師匠の意をくみ取って言葉で表現することもあった。

 魔術の手ほどきを受けながら、研究助手をするような日々を送った。

 師匠は弟子が異なる説を提唱することを厭わず、見守った。


 それぞれ異なるアプローチで研究を進める二人には、共通する悩みがあった。

 資金調達だ。

 マナはこの世界に根ざしたありふれた存在なのに、人間がそれを利用し始めたのはここ二、三百年だった。まだ魔道は成熟していない。

 そのため魔道士に期待される役割は既存の労働の置き換えが多く、未知の分野の開拓に対しては予算も人員も獲得しにくい状況にある。魔道士会AFSの会長と言えども無理を通すことはできない。個人としての研究に留まらざるを得なかった。


 * * *


 そしてリリジャールと別れた今、リュウには同志もいなければ金もない。あるのは若さゆえの時間だけ。

 記憶の堆積する壁から目をそらし、思い出に蓋をした。


  僕も音読調査に応募します。


 その一言をしたためた手紙を、プリムラの集合住宅フラットへ向けて送信した。

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