第9話 ハッカー
二人は住宅地へ向かった。
最初に出会った版元小路にほど近い。ほとんどの建物が赤茶色の外壁と白い窓枠で同じような外観をしており、規則正しく並んでいる。その中の一軒がプリムラの住む
一階の奥の部屋で、狭く薄暗い。しかしながら清掃は行き届いており、備え付けの家具を大切に扱っているらしいことが見て取れた。
「見たところ盗聴対策をしていないようだが」
「盗聴されて困るような情報を持っていませんから」
転送の魔術およびそれを発展させた通信の魔術を使う上で盗聴対策は欠かせない。
魔道士として就職しておきながら、さっそくそれを無視しているとは先が思いやられる、とリュウは呆れた。
「僕の方はそれじゃ困るんだ。対策させてもらうよ」
リュウは油紙傘を背中から下ろした。傘を閉じたまま詠唱を開始する。
「
不要な手順を省略しつつ、
「
役割指定、開始。
キッチンの窓:受信ポート
キッチンの通風口:送信ポート
キッチン:非武装地帯
キッチンへ至る廊下:検閲及び駆除
リビングのドア:防御壁
役割指定、終了。
検閲と防御壁は最大レベルの
マナが飛び散り、ベリガン・フラット2号室に溶け込んでいった。
「えっ、先生ちょっと待ってほしいです。キッチン丸ごと非武装地帯? マッチ箱でも十分なのに?」
「理論的なことだけを言ったらマッチ箱どころか砂粒ひとつだっていいんだ。言葉で対象を限定できれば、役割を当てるのは何でもいい。小さければ小さいほどコンパクトで好ましいという考え方もある。だが、僕はそうは思わない。
「えー……。理屈はわかったけど、わかりましたけど……。そのこだわり、変わってますよね……。あ、ほら、
適当なあいづちを打って、リュウは作業を進めた。
まず、マロリー&ハンウェー商会の魔術防御の状態を調べる。通信の防御も、直接的な攻撃に対する防御も、標準以上の堅牢性を備えていたが不自然というほどではなかった。
続いて、通信以外の魔術の痕跡を確認する。どのような魔術もマナの
最後に、通信量を監視した。丸一日観察して、ゼロであった。これはおかしい。
魔道士ではない一般人は通信の代行業者を利用する。たいてい、月極の契約をする。通信ポートが常時開放されている状態を保ち、極微量のマナが送受信を継続しているのが一般的な状態だ。通信経路の開放と閉鎖には五段階術式が必要であり、一般人には扱うことができない。そのたびに業者を呼ぶのは手間がかかるため、ポートを開きっ放しにしておく。
通信量ゼロという事象が指し示す可能性は二つ。
一つは、送受信のたびに開放と閉鎖を行っている。たまたまこの日は通信をしない日だった。
もう一つは、この店舗と工房からはいっさいの魔術的な通信を行っていない。
前者の場合、通信業者を使わずに、独自に魔道士を抱えているのだろう。
後者の場合、顧客である魔道士とのやりとりを、非魔道的手段で行っていることになる。もしくは、別の拠点があり、通信を伴う事務的作業はそこで行っているとも考えられる。
「ミズ・プロウライト! ミズ!」
長時間の地味な探偵に付き合いきれず、プリムラは早々にベッドに入っていた。寝室のドアを叩く音で目を覚ます。
「先生の声で起きられるなんて、夢を見てるのかと思いました」
「おはようございます。現実です」
「今日は王子様系ですね」
「お願いごとがありますので」
ドア越しのやり取りの後、プリムラは身支度を整えてリュウと対面した。
黒ずんだクマの上で爛々と輝く彼の双眸の熱量が、プリムラを不安にさせる。
お願いごとを聞く前に、プリムラは一人でキッチンに立った。湯を沸かし、きちんと計量した茶葉をポットに入れ、熱湯を注ぐ。砂時計を逆さにして五分。二人分の茶器をトレーに載せた。憧れの作家と共にプライベートの時間を過ごす緊張と、得体の知れぬ魔道士を安易に自宅へ招いてしまったことへの後悔で、手が震えた。
行儀悪く床に座り込んで作業していたリュウは、そのままティーカップを受け取った。
「先生、休憩の時くらいソファに座っていただきたいです」
謝罪の言葉と共に素直に椅子に座り直す姿は、ただの青年だった。少年のような頼りなさも感じられ、プリムラは困惑する。舞い上がっていた昨日の自分の気持ちがもう思い出せない。
家主の心配をよそに、押しかけ魔道士はハッキングの成果を淡々と述べた。
「大臣のお店を嗅ぎまわったんですよね……。心配です」
「大丈夫。クラッキングはしていない」
「そういうことじゃなくて……」
曇った表情のプリムラの心をどう解きほぐせばいいのかわからないまま、リュウは雑にあしらう。
「大丈夫、大丈夫」
すると、彼女の瞳に明るさが戻った。
「え!? 先生、すごいですね。主語も目的語も限定せずに大丈夫って言えるなんて。驚きました」
「いや、僕も驚いた。めんどくさくて適当に口を動かしたんだ。発音できるとは思わなかった。いったい何が
「お願いごと、私にできることならお手伝いさせてください!」
「ありがとう! ミズ・プロウライト。貴女の名前と住所でこの手紙を送ってほしい」
* * *
マロリー&ハンウェー商会 御中
アフターケアの料金表を下記の宛先まで送ってください。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
デイジー通りベリガン・フラット2号室
* * *
「嫌です」
「え」
「さすがにそれは怖いから」
「自分でこの場所を提供してくれたじゃないですか」
「あたし、考えなしのバカなんです。憧れの先生とお近づきになって、舞い上がっていたんです。でも大臣の身辺を探るようなことになるなんて思っていませんでした。何のために一晩中こんなことしているのか、私には全然わからなくて怖いんです」
「それは、あの傘屋の正体を知りたくて……」
「あたしが言ってるのはそういうことじゃありません。強盗に襲われたり、魔道士なのに小説家だったり、ハッキングしてみたり、先生の周りがあまりにも波乱に満ちていて、しかもその理由がわからなくて、何が何だか全然わからないんです。わからないことは、怖いです」
「巻き込んでしまったことは、本当に申し訳ないと思っている。これが終わったら出て行く」
「でも先生は世間知らずだから、私みたいな協力者がいた方が行動しやすいですよね」
「まあ、それはそうだけど」
「だから、先生の身の上とか行動の理由とか、全部教えて下さったら、手紙も送りますし今後もお手伝いします。わかれば不安が減ります」
「今はできない。僕だって貴女を信用できない。貴女は口が軽い。真実が漏れ出てしまう」
「気を付けます」
「漏らしませんとは言えないんですね。丸一日この部屋を貸してくださったことは、本当にありがとうございました。作業はこれまでとして撤収します。僕が展開した盗聴対策も元に戻します」
「その前に教えて下さい。ヒコーキもウチュウセンも、動く絵物語も、本当にあるんですよね。
「君は魔道士だ。僕が返事する必要はないだろう」
「そうですね。これこそが、女王陛下の目的ですよ、先生」
プリムラは本棚を指し示した。そこには
「
(じゃあ原稿の強盗に女王が関わっていたのって……)
その時突然、プリムラが大声を出した。
「あーーーーー! 今日、月曜日じゃないですか!」
土曜日に傘屋を訪れ、そのままプリムラの家で寝ずに作業を続けていた。横で作業に付き合っていたプリムラは、日曜の午後に眠気の限界を迎え、そのまま月曜の朝まで眠っていたのだった。
慌てて身支度をして、そのまま出勤してしまった。
(プリムラ・プロウライトは協力的なのかそうでないのか、わかりにくいな)
リュウは一人取り残された。
他人の家の居心地の悪さと、二日ぶりに一人になれた安堵を感じる。
本棚から本を取り出す。
自身の著作以外、全て音読できなかった。
まれに音読できる記述もあったが、それは「
「原稿盗聴の首謀者は女王」
「音読調査は
「ハンウェーは異邦人」
気になっていたことをつぶやいてみる。三つめを言えたことが意外だった。
(
異邦人だとすれば、布の傘を知っていて当然だ。
異邦人の持つ特殊な技術は、国家に保護されることが多い。店名に左大臣個人の名を冠しているのが不可解ではあるが、公人が関わっていることについては不自然ではない。
(初めて異邦人に会えたのに、思ったほど嬉しくないな)
進行中の事案が大き過ぎて、感情が動かないようだ。
マロリーと女王の不仲は確定しているが、ハンウェーと女王の関係が未知だ。
プリムラの部屋の原状回復を行い、リュウは
玄関は魔術で施錠し、開錠の方法はプリムラへ手紙を送って伝えた。
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