第7話 マロリー&ハンウェー商会

 食事を終えた二人は、プリムラの先導で店へ向かった。


 この辺り一帯は、王都の中でも流行を作り出す人々が集まっている。レストランのあったニューキャッスル通りには、服飾店と新進の飲食店が多い。それと交差する図書館通りには、書店・魔道具店・老舗の飲食店が軒を連ねている。


 マロリー&ハンウェー商会の看板は新しく、図書館通りの中では目立っていた。


 魔道具はそう何度も買い替えるものではない。


 一本の傘を修理しながら一生使い続ける魔道士も珍しくない。用途によって数本を使い分ける者もいるが、長く使うことには変わりない。そのため、普通、魔道具店はそれほど混雑しないものだ。


 ところがこの店は、外にまで客の列ができていた。店外に並んでいるのが五組、狭い店内には三、四組の客が見える。


「すごい人気だな!」


「今日は特に混んでますね。あたしは待っても構いませんが……」


「待ちます」リュウは即答した。「すみませんが、待っている間にもう少し傘のことをお聞かせ願いたく思います」


「はい! 喜んで! といっても、それほど多くは知らないんですけど……。ジョナス・ハンウェーさんが傘職人です。傘作りもお店の接客もお一人でなさっています。傘作りに関しては、他に作れる技術者がいないんです。このお店は二年前に開業したばかりで、まだ弟子を取ったりはしていないようです」


「なるほど」


「それで……マロリーさんについては、あたしにはわからないんです。すみません。どこかで聞いた名前なんですけど……」


(それを話せるということは、実際に「どこかでマロリーの名前を聞いている」んだな。有名人なんだろうか)


 行列の中の二組が入店を諦めて去っていった。おかげで思っていたよりも早くリュウたちの順番が回ってきた。


 店内には、プリムラのパラソルと同じタイプの十二色の傘が見本として置かれている。カウンターの上には柄物の生地見本の束が見えた。

 背の高い男が、先客に商品の説明をしているところだった。


「あちらの方がハンウェーさんです」


 プリムラはささやいた。

 男の顔には無精髭が生え、ボサボサに伸びた金髪を無造作に束ねている。それなのに衣服は清潔で、表情は活き活きとしており佇まいも元気そうだ。よく見ると、肘までまくった袖口からはタトゥーが覗いていた。


「少し暑いですね。失礼」


 リュウは上着を脱いで腕にかけた。下に着ていたのはほとんど袖のない胴衣で、魔道手甲が肘から先を覆っている。春の陽射しで暖かいとはいえ、二の腕を露出している格好は少し目立った。

 ハンウェーはリュウを一瞥して会釈したが、先客を優先してリュウたちには声をかけなかった。


 代わりに一人の少女が近付いてきた。プリムラよりもさらに年若いようだ。童女と言った方がいい。


「お待たせして申し訳ありません。よろしければ奥の窓を開けて風を通しますので、そちらでお掛けになってお待ちくださいませ」


「あ、いや、少し暑いけど我慢できないほどってわけじゃないんだ」


 じゃあなんで脱いだんだというプリムラと童女の無言の疑問を無視して、リュウは少女に問うた。


「あなたは魔道士ではありませんね」


「はい。当店の小間使いをしております。いずれは師匠のような傘職人になりたいんです」


「そうですか。見ての通り私は魔道士です。制約誓約があって失礼な物言いになることもありますが、どうかお許し願います」


「もちろんです! 傘は魔道士の皆様に使っていただくためのもの。誓約についてはよく存じております。その言葉からご要望を汲み取って形にするのも職人の仕事のうちです! ……って偉そうに申しましたが、師匠の受け売りです。えへへ」


「素敵なお師匠様ですね。あちらにいらっしゃるハンウェー様ですよね? ところでマロリー様がどのような方なのかお伺いしたいのですが」


「え?」


 ご存知ない? と訴える少女の怪訝な顔。


(まずい。やっぱり有名人なのか?)


 雪原地帯で魔道の修行に明け暮れ、独立後も研究と兼業に励んでいたリュウは世事に疎い。その上、幼年期を対抗世界カウンターワールドで過ごしたために、真世界オースの共通認識のようなものがすっぽり欠落していることがあった。


 異邦人の魔道士という異色の経歴は伏せておきたかった。リリジャールの件があり、なるべくAFSに関わりたくないのだ。しかしながら魔道士であるが故に偽証できない。


 困っていると、それまで黙っていたプリムラが助け舟を出した。


「先せ……、せ、先輩は新聞を読んだりサロンへ行ったりする時間もないほどお仕事が忙しいんですよ」


(先輩?)


「なるほど、失礼いたしました。当店マロリー&ハンウェー商会は、左大臣マロリーの出資により傘職人ハンウェーの傘を販売する魔道具店でございます」


「あ! 思い出しました! 先輩、摂政だったマロリー様です!」


(左大臣? 摂政? おい、マジかよ! 女王の懐に自分から飛び込んだようなもんじゃないか。ここですぐ帰っても不自然だし、かといって長居しても危ないのでは……)


 リュウは平静を装って、小間使いの少女に笑顔を見せた。


「存じ上げず、大変失礼いたしました。実は、こちらの女性の傘が非常に素晴らしいので(無理を言って)案内していただいたところだったのです」


 無理を言って、と発音することはできなかった。


「プリムラ・プロウライト様でございますね。いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます。そちらの棚の傘が、プロウライト様のものと同じ型です。よろしければお手に取ってご覧くださいませ」


 礼を述べて傘を手に取る。対抗世界カウンターワールドのポリエステルの傘よりは重いが、それでも二十四本骨の蛇の目傘に比べればはるかに軽い。

 リュウの心が熱を帯びた。

 身の安全に対する不安と、故郷を思い出す懐かしい傘を天秤にかける。

 ハンウェーの手が空くまで奥の椅子に座ってしばらく待つことにした。


 話題が途切れ、二人は無言になった。


(そういえば、魔道士になってから誰かとこんなに会話したのは初めてだ。誓約の影響でうまく話せないと思っていたけど、話そうと思えばできるもんだな)


 一般的に、魔道士は口数が少ない。嘘をつけないというコミュニケーション上の制約が、人間関係を難しくするからだと考えられている。


(プリムラ・プロウライトは魔道士になってから日が浅いそうだが、ずいぶんスムーズに発話するな)


 小さな店の狭い通路なので、互いの肘が触れるほどリュウとプリムラの椅子が近い。リュウの視線を感じたプリムラは顔を赤らめて気まずそうにしたが、ふと思い出したように口を開いた。


「この混み具合、音読調査のせいですね」


「音読調査?」


 ご存知ない? と言いたげなプリムラの顔。


「街中にお触れが立てられてますよね。魔道士会AFSからも通達がありましたし。女王陛下の音読調査」


「記憶にありませんね」


 実際のところ、魔道士会AFSからの通信を全て遮断しているリュウのところには届いていないのだろう。


「色々とお忙しそうですものね。女王陛下直々の大規模調査ですから、新人から中堅の魔道士はこぞって調査協力しようとしているんですよ」


「女王陛下直々の……」


対抗世界カウンターワールドの調査です」


「   」


 反射的にリュウの口が開いたが、驚きのあまり言葉は紡がれなかった。


「三ヶ月の短期雇用ですけど、ワンチャンそのまま王宮に勤められるんじゃないかってみんな考えてるんです」


「知りませんでした。実に興味深い」


「女王陛下は新しもの好きというウワサなので、ハンウェー傘を引っ提げて音読調査に応募しようとしてる人が多いんだと思います」


「あなたもその目的でその傘を?」


「もともとはそのつもりでした。でも私みたいな下っ端は三ヶ月も仕事休めませんし辞める勇気もないので、残念ですが応募しませんでした。あーあ、王宮見てみたかったです。第一次調査はニューキャッスルだったんですけど、今度の第二次調査はどこかの宮殿なんですよ」


(宮殿といっても、いいとこ厩舎なのでは?)


「機密保持のためだそうです。第二次調査の守秘義務は一生続くって募集要項に書いてありました」


(一生って……調査が終わったら抹殺されるとかじゃないよな……)


 冒険の始まりを確信し、リュウの顔には自然と笑みが浮かんだ。


 プリムラのもたらした情報が自分に無関係なはずがない。たった一日、書から離れて町へ出ただけでこの収穫だ。苦しみと淀みばかりの時間がほんの少し動き出した。


 会話が途切れるのを見計らって、小間使いの童女がやってきた。


「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」

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