第5話 異邦人
はらかずも王宮侵入の罪を犯してしまったリュウは、衛兵の追跡を恐れて遠回りを重ねながら帰宅した。
温暖な王都と違い、山脈を越えた雪原地帯は春もまだ雪深い。
石を組み上げた壁の上にこんもりとした茅葺屋根をのせた家は、もともとリッド・リリジャールの住まいで、彼がいなくなった後もリュウが居座っている。
暖炉に燠が残っていることを確認して、薪を足し、火を大きくした。部屋を暖めるのに魔術を使わないのはリリジャールの習慣だった。一人になった今も、リュウは何となくそれにならっている。
マントとブーツを脱ぎ捨て、傘と鞄を放り出し、安楽椅子に体を乗せて、ようやく深く息を吐いた。
長い一日だった。
出版社に届けるはずだった原稿は鞄に残ったままだ。盗難は防いだが、予定していた提出日に間に合わなかった。
目を閉じると、瞼の裏に女王の姿が浮かぶ。
「今日王宮で会った黒髪の女性は女王」
声に出して確かめた。真実であった。
(たしか、先代国王が異邦人とのミックスで、今上はさらにその子どもなんだよな)
ごく稀に
正確には「異邦人はおそらく
個人所有の井戸や、集落の共同井戸から、何の前触れもなく肉塊や骨が現れる。たいてい、第一発見者はパニックとなる。恐怖に耐えながら桶を何往復もさせて全てのパーツを集め、最寄りの
リュウはそのようにして現れた異邦人である。
人里離れた雪原地帯の井戸で汲み上げられた彼は、通常であれば二十四時間以内の復元が叶わずに、肉と骨のまま朽ちていくだけだった。ところが極めて稀な運の持ち主だったようで、そこは
このように異邦人は、どこの井戸から出るか、誰の手で復元されるかによってその命運を左右される。
悪い例としては、体の断片を充分に汲み上げる前に復元魔術を行使されて、身体に欠損が遺った者がある。五体が無事でも、適切な福祉を受けられずに心を壊して自ら命を絶つ者もあった。
反対に、極上の待遇を受けて国史に名を残した例もある。
遡ること五十余年前、カークランド王宮の井戸に現れた女の異邦人だ。
その美しさと知性ゆえ、当時のカークランド国王に見初められて第二夫人として王子を産んだ。王妃には子がなかったため、第二夫人の子が王位を継承し、異邦人の女は国母となった。さらにその王も、適齢期になると子を設けた。異邦人の孫に当たるのが、現在の女王キャサリン・カークランドである。
(そういう身の上なら僕の本に興味を持ってもおかしくはないけど、こそこそと犯罪まがいのことをする理由は何だ?)
椅子から体を起こし、暖炉の火を調節しながら、女王との対面を思い出す。
優しい若竹色の居室の中、暖炉のマントルピースには王家の紋章が刻まれていた。信じられないが、あの場所は王宮であり、あの人物は女王本人なのだ。
考えても動機がわからないし、向こうの今後の出方も想像できない。まずはどうにかして原稿を出版社へ届けて、五巻を無事に完成させたかった。
世界間移動の研究には多額の費用がかかる。
覆面作家としての活動は、それを工面するためのものだった。世界間移動はリュウ一人で完成させられる魔術ではない。本来であれば
リュウは出資者を探しながら、少しでも足しになればと『
彼が元いた世界と違い、ここには録音・動画の類がない。そのため、小説と絵物語の娯楽としての人気が非常に高い。
特に先代国王の誕生から現在に至る五十年ほどは「
これに目を付けたリュウは、自身が故郷で過ごした短い十年間の日々を綴って出版した。思惑通りに、売れっ子作家の仲間入りを果たした。
(「かくも面白き読み物が他にあろうか」って言ってたよな。ほめられてるじゃん!)
(もし女王陛下のお墨付きをいただけたら、さらに爆売れするのでは? 外国でも発売されちゃう?)
捕らぬ狸の皮算用というが、妄想ぐらいしても罰は当たらないだろう。
(それから……、)火が穏やかにトロトロと燃えるのを見ながら、再び安楽椅子に体を預けた。(プリムラ・プロウライトの傘を調べなければ。あれが魔道具として問題のない代物なら、
頭の中で今日一日の総括をしながら、眠りに落ちた。
生来の片付けが苦手な性格のせいで、ベッドの上にも書物や魔道具が積み重なっている。リュウが眠るのはいつもこの椅子の上だった。
* * *
その夜、リュウは懐かしい夢を見た。
魔術の修業を始めた頃の追憶だった。
『得意分野が見つかったようだな、リュウよ』
『はい師匠。転送マナがいちばん扱いやすいです!』
温かな笑みを浮かべるリリジャールの表情は、子を導く父のようにも、孫を愛でる祖父のようにも見えた。
『転送魔術って、何でも転送できるんですか?』
『言葉で表現できれば対象物も宛先にも制限がない』
『すごいや! 瞬間移動ですね!』
物質制御系魔術の中で転送が一番得意だとわかると、すぐに日常生活に活用した。
『薪を転送しました!』
『水を汲んでおきました!』
『町へ買い出しに行ってきます!』
とにかく人やものの移動はすべて転送魔術に置き換えていった。楽しくて仕方がなかった。
そのような日々を送る中、覚えのよいリュウをリリジャールは頼もしく思っていたが、一つ困ったことがあった。
リュウは片付けが苦手だった。もともと老人一人で住んでいた家に、勉学に励む若者が同居することで、ものが溢れかえった。書物・紙片・魔術演習で造り出した様々な物体・試用したものの好みに合わなかった魔道具。それらが生活空間を圧迫した。
『リュウよ、そろそろ本気で片付けないと、儂も堪忍袋の緒が切れるぞ』
師匠の発言に震え上がった弟子は、慌てて番傘を開き、五段階術式を組み立てた。
『リッド・リリジャールの備蓄より、
骨の機能指定開始。
一番から六番、対象:この家の中の、師匠と僕にとっての不要品
七番から十二番、離陸の制御。
十三番から十八番、着陸の制御。
十九番から四十八番、宛先の探索。
骨の機能指定終了。
『ま、待て! リュウ!
『
部屋の至る所で、転送マナの青い光が対象物を包み込む。
そしてマナが解放されて消えると、不要品はすべてなくなっていた。
(あー、思い出す。この時、超スッキリしたんだよなあ)
夢の中に、夢を見ている本人の意識が紛れ込む。
(サクッと全部片づけるの、本当に気持ちよかった)
次の瞬間。
爽快感で満ちた少年リュウの頭に、リリジャールの鉄拳が落ちた。
* * *
「――っ!!」
短い悲鳴と共に、青年リュウは覚醒した。
夢見心地のまま安楽椅子の上から滑り落ちる。
さかさまになった上半身が朝日を浴び、耳の中で師匠の声がこだましている。
『宛先不定の転送魔術は禁忌だと言っただろう!!
対象物がどこへ行くのか誰にもわからないんだ!!』
(師匠にあんなに叱られたのはあの一回だけだったな。あの時のゴミ、どこに行ったのか本当にわからないんだよね)
久しぶりに聞いた師匠の声は、温かかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます