第5話 異邦人

 はらかずも王宮侵入の罪を犯してしまったリュウは、衛兵の追跡を恐れて遠回りを重ねながら帰宅した。


 温暖な王都と違い、山脈を越えた雪原地帯は春もまだ雪深い。


 石を組み上げた壁の上にこんもりとした茅葺屋根をのせた家は、もともとリッド・リリジャールの住まいで、彼がいなくなった後もリュウが居座っている。

 暖炉に燠が残っていることを確認して、薪を足し、火を大きくした。部屋を暖めるのに魔術を使わないのはリリジャールの習慣だった。一人になった今も、リュウは何となくそれにならっている。

 マントとブーツを脱ぎ捨て、傘と鞄を放り出し、安楽椅子に体を乗せて、ようやく深く息を吐いた。


 長い一日だった。

 出版社に届けるはずだった原稿は鞄に残ったままだ。盗難は防いだが、予定していた提出日に間に合わなかった。

 目を閉じると、瞼の裏に女王の姿が浮かぶ。


「今日王宮で会った黒髪の女性は女王」


 声に出して確かめた。真実であった。


(たしか、先代国王が異邦人とのミックスで、今上はさらにその子どもなんだよな)


 ごく稀に対抗世界カウンターワールドから迷い込んでくる人間を、異邦人と呼ぶ。

 正確には「異邦人はおそらく対抗世界カウンターワールドから来ると考えられている」と言った方がいい。


 真世界オースでは時折、人体のパーツが井戸から汲み上げられる。骨、臓器、肉、髪などがバラバラの状態で現れる。一揃いを汲み上げ、二十四時間以内に復元の魔術を施すと一体の人間となる。


 個人所有の井戸や、集落の共同井戸から、何の前触れもなく肉塊や骨が現れる。たいてい、第一発見者はパニックとなる。恐怖に耐えながら桶を何往復もさせて全てのパーツを集め、最寄りの魔道士会AFSに連絡を取り、復元の魔道士の派遣を依頼する。復元に成功すると異邦人は息を吹き返す。しかしながら、高位の魔道士によって二十四時間以内に施術されないと腐るため、百件に一件程度しか成功しない。


 リュウはそのようにして現れた異邦人である。


 人里離れた雪原地帯の井戸で汲み上げられた彼は、通常であれば二十四時間以内の復元が叶わずに、肉と骨のまま朽ちていくだけだった。ところが極めて稀な運の持ち主だったようで、そこは大魔道士グランドソーサラーの住まいだった。正一位魔道士リッド・リリジャールの手によって汲み上げられ、最高の手際で復元され、最高の教育を施された。復元から六年、若干十六歳で、魔道士会AFSから従三位を授けられるまでに至った。


 このように異邦人は、どこの井戸から出るか、誰の手で復元されるかによってその命運を左右される。


 悪い例としては、体の断片を充分に汲み上げる前に復元魔術を行使されて、身体に欠損が遺った者がある。五体が無事でも、適切な福祉を受けられずに心を壊して自ら命を絶つ者もあった。


 反対に、極上の待遇を受けて国史に名を残した例もある。

 遡ること五十余年前、カークランド王宮の井戸に現れた女の異邦人だ。

 その美しさと知性ゆえ、当時のカークランド国王に見初められて第二夫人として王子を産んだ。王妃には子がなかったため、第二夫人の子が王位を継承し、異邦人の女は国母となった。さらにその王も、適齢期になると子を設けた。異邦人の孫に当たるのが、現在の女王キャサリン・カークランドである。


(そういう身の上なら僕の本に興味を持ってもおかしくはないけど、こそこそと犯罪まがいのことをする理由は何だ?)


 椅子から体を起こし、暖炉の火を調節しながら、女王との対面を思い出す。


 優しい若竹色の居室の中、暖炉のマントルピースには王家の紋章が刻まれていた。信じられないが、あの場所は王宮であり、あの人物は女王本人なのだ。


 考えても動機がわからないし、向こうの今後の出方も想像できない。まずはどうにかして原稿を出版社へ届けて、五巻を無事に完成させたかった。


 世界間移動の研究には多額の費用がかかる。

 覆面作家としての活動は、それを工面するためのものだった。世界間移動はリュウ一人で完成させられる魔術ではない。本来であれば魔道士会AFSの助力を仰ぐところだ。しかし会長のリリジャールを消し去った張本人がリュウなのだ。魔道士会AFSと関わることはできるだけ避けたい。


 リュウは出資者を探しながら、少しでも足しになればと『対抗世界カウンターワールドクロスオーバー』を書き綴っている。


 彼が元いた世界と違い、ここには録音・動画の類がない。そのため、小説と絵物語の娯楽としての人気が非常に高い。

 特に先代国王の誕生から現在に至る五十年ほどは「対抗世界カウンターワールドもの」と呼ばれるジャンルが人気を博している。恋愛であったり冒険活劇であったり、内容は様々であるが、空想の対抗世界カウンターワールドを舞台にするととにかく売れる。

 これに目を付けたリュウは、自身が故郷で過ごした短い十年間の日々を綴って出版した。思惑通りに、売れっ子作家の仲間入りを果たした。


(「かくも面白き読み物が他にあろうか」って言ってたよな。ほめられてるじゃん!)


(もし女王陛下のお墨付きをいただけたら、さらに爆売れするのでは? 外国でも発売されちゃう?)


 捕らぬ狸の皮算用というが、妄想ぐらいしても罰は当たらないだろう。


(それから……、)火が穏やかにトロトロと燃えるのを見ながら、再び安楽椅子に体を預けた。(プリムラ・プロウライトの傘を調べなければ。あれが魔道具として問題のない代物なら、展開デプロイメント記述子ディスクリプターを完成させられるかもしれない)


 頭の中で今日一日の総括をしながら、眠りに落ちた。

 生来の片付けが苦手な性格のせいで、ベッドの上にも書物や魔道具が積み重なっている。リュウが眠るのはいつもこの椅子の上だった。


 * * *


 その夜、リュウは懐かしい夢を見た。

 魔術の修業を始めた頃の追憶だった。


『得意分野が見つかったようだな、リュウよ』

『はい師匠。転送マナがいちばん扱いやすいです!』


 温かな笑みを浮かべるリリジャールの表情は、子を導く父のようにも、孫を愛でる祖父のようにも見えた。


『転送魔術って、何でも転送できるんですか?』

『言葉で表現できれば対象物も宛先にも制限がない』

『すごいや! 瞬間移動ですね!』


 対抗世界カウンターワールドに比べると何もかもが前時代的な真世界オースで、リュウが初めて心から感嘆したのが転送魔術だった。

 物質制御系魔術の中で転送が一番得意だとわかると、すぐに日常生活に活用した。


『薪を転送しました!』


『水を汲んでおきました!』


『町へ買い出しに行ってきます!』


 とにかく人やものの移動はすべて転送魔術に置き換えていった。楽しくて仕方がなかった。

 そのような日々を送る中、覚えのよいリュウをリリジャールは頼もしく思っていたが、一つ困ったことがあった。

 リュウは片付けが苦手だった。もともと老人一人で住んでいた家に、勉学に励む若者が同居することで、ものが溢れかえった。書物・紙片・魔術演習で造り出した様々な物体・試用したものの好みに合わなかった魔道具。それらが生活空間を圧迫した。


『リュウよ、そろそろ本気で片付けないと、儂も堪忍袋の緒が切れるぞ』


 師匠の発言に震え上がった弟子は、慌てて番傘を開き、五段階術式を組み立てた。


『リッド・リリジャールの備蓄より、採集コレクト開始。目標百。……採集コレクト終了。

 変換コンバート不要。

 濃縮コンセントレート開始、終了。

 展開デプロイ開始。

  骨の機能指定開始。

   一番から六番、対象:この家の中の、師匠と僕にとっての不要品

   七番から十二番、離陸の制御。

   十三番から十八番、着陸の制御。

   十九番から四十八番、宛先の探索。

  骨の機能指定終了。

 展開デプロイ終了』


『ま、待て! リュウ! 展開の宛先を指定していない・・・・・・・・・・・・・ぞ!!』


実行エグセキュート!』


 部屋の至る所で、転送マナの青い光が対象物を包み込む。

 そしてマナが解放されて消えると、不要品はすべてなくなっていた。


(あー、思い出す。この時、超スッキリしたんだよなあ)


 夢の中に、夢を見ている本人の意識が紛れ込む。


(サクッと全部片づけるの、本当に気持ちよかった)


 次の瞬間。

 爽快感で満ちた少年リュウの頭に、リリジャールの鉄拳が落ちた。


 * * *


「――っ!!」


 短い悲鳴と共に、青年リュウは覚醒した。

 夢見心地のまま安楽椅子の上から滑り落ちる。

 さかさまになった上半身が朝日を浴び、耳の中で師匠の声がこだましている。


『宛先不定の転送魔術は禁忌だと言っただろう!!

 対象物がどこへ行くのか誰にもわからないんだ!!』


(師匠にあんなに叱られたのはあの一回だけだったな。あの時のゴミ、どこに行ったのか本当にわからないんだよね)


 久しぶりに聞いた師匠の声は、温かかった。

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