第4話 魔道士と美貌の貴人

 プリムラによる転送魔術の一瞬の後。

 リュウの両足は柔らかな何かに沈み込んだ。

 知らない感覚に慌てて足元を見る。


 ぶ厚い絨毯の上に立っていた。


 滑らかな羊毛の密集した絨毯が、床一面に敷き詰められている。濃いベージュの生地に、つる植物の意匠が規則正しく円を描いて織り込まれ、ところどころに鳥や花が彩りを添えている。


 どうやらどこかの屋敷に転送されたようだ。


 共に来た黒ずくめの強盗は、絨毯の上に投げ出されていた。


 視線を上げると、天蓋付きのベッドが目に入った。白と金で塗装されており、支柱とヘッドボードには繊細な彫刻が施されている。白いシーツを縁取る刺繍は青と金の糸で、ベッドフレームと調和がとれていた。

 目測で天蓋の高さが2メートル、天井高は5メートルほどありそうな、巨大な寝室だった。

 かなり身分の高い者の住まう部屋に見える。

 誰もいないのに惜しげもなくマナ灯が点されていた。


(誰もいない? 宛先は確かに「依頼主の居場所」だったはず……)


 見回すと、リュウのすぐ後ろに続きの居室があった。やはり巨大な部屋で、寝室とつながる扉は開け放たれていた。

 足音が絨毯で消されるのを良いことに、リュウは大胆に居室の方へ近寄る。


 若竹色でまとめられた部屋の中、一人の美しい女の姿があった。すらりとした肢体を長椅子に預け、うつらうつらしている。頭の高い所で束ねて垂らした黒髪は、長椅子の座面に渦を巻くほど長い。煌びやかなクリスタルのビーズを巻き付けたその髪は、夜空の星の川のようであった。


 他に人影はない。


(あれが強盗の依頼主……?)


 贅を凝らした調度に囲まれ、輝くドレスに身を包んだ若き貴人。絹の衣のツヤの中にあってなお、雪のようにほのかに明るく白い肌が目を惹いた。


 想像を巡らせていた犯人像のどれとも似つかないことに、リュウはたじろいだ。リュウの背負った傘が家具に触れ、微かな音を立てる。


 音に気付いて女が目覚めた。


 透きとおる青い瞳が侵入者の姿を認めた。驚きのためか、しばし唇を震わせたが、すぐに居ずまいを正す。


「貴殿、メッセンジャーか?」

「……」


 声の出ないリュウの返答を待たずに、貴人は続ける。


「ふむ。ここに辿り着いたということはメッセンジャーであろうな」


 若さと威厳の同居する声だった。


(漆黒の美髪と青い瞳……。まさか……この方は……)


「『対抗世界カウンターワールドクロスオーバー』。かくも面白き読み物が他にあろうか。作者にまみえることがあれば、あれやこれやと尋ねてみたいものだと常々思うておった」


 リュウの背筋が凍った。気圧されながらもよく見れば、自分とそれほど変わらぬ年頃のようだった。しかしながら少女と呼ぶのは憚られる風格。このような人物はこの国に一人しかいない。


(―-カークランド女王陛下!)


 王の居室ともなれば、真世界オース全体でも最高レベルの防御術で守られているはずだ。何の細工もない基本的な転送魔術で突破できるわけがない。それどころか宛先の探索すら成功しないと思われる。


(なんでだ? どうしてこんなところに転送できたんだ? ああ、それよりも、今この状況をどうする? どうすればいい? 答える? 黙る? 何が正解なんだ……!)


「ん? 貴殿の背にあるは、誰そ」

 女王はリュウの背後に視線を移した。


 寝室に置いてきた男が、手足を拘束されたまま芋虫のように体をくねらせて居室の入り口まで這い進んでいた。


 ――コンコン。

 同時に、この部屋のドアが廊下側からノックされた。


(今度は何だ!?)


「陛下、お目覚めでしょうか」

 廊下に控えていた女官が室内の声を聞きつけたようだ。


(まずい。今見られたら、何か言い訳できる状況じゃない。良くて逮捕、最悪この場で衛兵に殺される)

 リュウは急いで傘を開く。

(逃げるぞ!)


展開デプロイ省略!

  対象:僕自身!

  宛先:僕の身の安全を確保できる最も近い場所!

 実行エグゼキュート!」


 少しでも追跡を遅らせるために具体的な宛先指定を避け、博打のような転送魔術で王宮を離脱した。


 * * *


 一方、版元小路に残されたプリムラは、リュウの言いつけを守っていた。


 魔術行使を終えるとすぐに事件現場から遠ざかるように走り、大通りに出る手前で息を整えた。

 出版社の玄関でリュウと鉢合わせてから三十分も経っていなかったが、すっかり日が傾いて辺りは暗くなり始めていた。


 マナ灯に照らされた大通りは、週末の夕方らしい賑わいを見せていた。観劇へ向かう婦人の集団、レストランで逢瀬を楽しむカップル、早くも酒に飲まれてパブの前で騒ぐ労働者、特に用事があるわけでもなく家路を急ぐ者たち。

 プリムラは慣れ親しんだ光景にほっとする。

 しかし胸の内では、大好きなメッセンジャー先生にまつわる重大な秘密を受け止めきれずに懊悩していた。

 なるべく平静を装って歩き、集合住宅フラットへ戻った。もともと出先から直帰する予定だったので、職場の者に怪しまれることもなかった。


 自室で一人、本棚に並んだ『対抗世界カウンターワールドクロスオーバー』の背を眺める。四冊とも心躍らせて読んだものだ。


(メッセンジャー先生って何者なんだろ。五巻、ちゃんと出るといいな……)

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