第2話 パラソルと蛇の目傘
版元小路の途中、配管用の狭い通路。
黒ずくめの強盗は、手足の拘束に加えて猿轡を噛まされ、じっと横たわっている。傷付いた足首から大量に出血しており、相当つらいはずだが声を殺して耐えていた。
プリムラは相変わらずおろおろしている。
リュウは黙ったまましばらく考え込んでいた。
自分を襲った男には依頼主がいるはずだ。衣服に防御術を仕込みながらも、魔術を用いずに襲ってきたということは、この男自身は魔道士ではないのだろう。となると嘘をつけるので、簡単な尋問に意味はない。かといって、効果的な拷問の手段をリュウは知らない。
依頼主を特定するには、転送魔術の宛先指定を「この男の依頼主の居場所」にして、リュウ自身が確かめに行くのが確実だった。
(だがその前に……)
リュウはちらりとプリムラの方へ視線を向けた。
丸く大きな目が印象的な顔にはあどけなさが残っている。柔らかな巻き毛を肩まで伸ばし、頭に赤いリボンを飾っている。
(このバカが本当に魔道士なのか、確かめておかないとな)
「プリムラ・プロウライト、君に二つ頼みがある。断ることは許さない」
「は、はい! あたしにできることなら何なりと!」
「一つめ。転送マナの
二つめ。僕とこの男を対象指定して、転送魔術を実行してほしい。
「承知いたしました!」
「君は複写の魔道士だと言ったね。複写マナを集める方が得意なら、複写から転送に
「はい! すぐに開始します!」
大きな声でハキハキと返事をしたプリムラは、頭上へ向けて勢いよく傘を開いた。
彼女が開いたのは、髪に結んだリボンと同じ、真っ赤な傘だった。
(この傘--!)
リュウの目が、傘にくぎ付けになった。
骨がたったの八本しかない傘だった。そして紙ではなく、布が張られている。開いた姿は全体的に丸みを帯びていて、赤い蝙蝠のようだった。
二十四本の骨に油紙を張ったリュウの傘とは、シルエットこそ似ているものの全くの別物だ。油紙傘の骨の数は三十六か四十八が主流で、二十四というのはリュウが特別に注文して数を減らした品だった。八本まで減らせるとは聞いたこともなかった。
「
目を見張るリュウをよそに、プリムラは作業を開始した。薄オレンジ色の光の粒が、プリムラの傘に集まりだす。
(よかった……。本当に魔道士だった)
彼女がマナを操る様子を確認して、リュウは胸を撫で下ろす。魔道士でない者による詐称を警戒していたリュウは、あえてプリムラにマナの
「……百六十、百七十、百八十。
薄オレンジ色の複写マナが、青色の転送マナに変換され、プリムラの傘を青く染めている。
「先生! 転送マナ、六十ユニット、準備できました!」
「よし、二十をそちらに残して、四十を僕に分けてほしい」
「はい!」
リュウが傘を用意するのを待って、プリムラはマナを分け与えた。
開いて並べると、二本の傘の違いは一目瞭然である。リュウの方は開傘時にも骨がまっすぐなのに対して、プリムラの方は骨が緩やかにしなっている。
(どうしよう、泣きそうだ)
プリムラの傘は、リュウの心を望郷の念で満たした。
十歳の頃、ある日突然、異世界へ迷い込んだ。
その日から、ずっと抱いていた違和感。
傘だけがこの世界の服飾から浮いて見えていた。
この世界はリュウの知識に照らすと近世の西洋を思わせる風土なのに、どうしたことか、魔道具である傘は東洋風の油紙傘だった。
パラソルを持つプリムラの姿は、異物を取り除いてあるべき姿になったかのような正しさを伴って、リュウの目に映った。
「先生、分割が終わりました!」
「ありがとう。助かるよ。次に、オーソドックスな転送魔術の
正直にしか言えないというのに、リュウは余計な前置きを挿しはさんだ。
「その配分で、単純に三分の一にすればこの傘で展開できます!」プリムラはハキハキと自信満々の声で応える。「あ、この傘が気になっていますね? そうです、この傘が時代を変えるんですよ! マロリー&ハンウェー商会の品物で、竹の代わりに鯨骨を使っていて――」
「それが気になってるのは事実だが、話は後にしてほしい。今は僕とこの男を転送してくれ」
「す、す、すみません!」
「宛先指定は『この男の依頼主の居場所』にしてほしい」
「……」
急にプリムラは黙り込んで、まっすぐ頭上に掲げていた傘を、力なく肩に掛けた。
リュウに視線で促されると、先ほどまでとは打って変わって弱々しい声で話し始めた。
「事情はわかりませんが、そんな危なそうなこと、先生にしてほしくありません……。先生からしたらあたしは偶然居合わせた他人ですけど、あたしにとっては特別な先生なんです。お一人で強盗のアジトに乗り込むなんて、危険すぎると思います」
プリムラは傘を閉じて魔術を終了しようとする。
それを慌てて制したリュウは、聞き耳を立てている男に届かないよう、プリムラに顔を寄せて小声で計画を伝えた。まっすぐな黒髪がプリムラの頬に触れた。
「相手と戦ったり捕まえたりしようとは思ってない。居場所を特定できたら、すぐに僕一人で脱出するつもりだ。敵前で
「……」
「僕をここから送り出したら、君もすぐにこの場所を離れてほしい」
「……わかりました」
「今日のことは他言無用に願いたい。それから頼みごとばかりで申し訳ないんだけど、後日、その傘について話を聞かせてほしいんだ。貴女と連絡を取りたいから宛先を知りたい」
「えぇ!? は、はい……! えっと、デイジー通りベリガン・フラット2号室のプリムラ・プロウライトです!」
「ありがとう。それじゃ、よろしく頼む」
リュウはしっかりと目を合わせて謝意を伝えた。そして、石畳に転がっている男のすぐそばに立ち、転送に備える。
転送マナで青く染まった傘を頭上に掲げなおしたプリムラが、詠唱を再開する。
「
骨の機能指定開始。
一番、対象:メッセンジャー先生とメッセンジャー先生が拘束している男。
宛先:メッセンジャー先生が拘束している男の依頼主の居場所。
二番、離陸の制御。
三番、着陸の制御、安全最優先。
四番から八番、宛先の探索。
骨の機能指定終了。
一番、二番、四番から八番のマナ使用量は実行可能な最小限とする。
プリムラの傘の八本の骨にマナが振り分けられた。それぞれ役割を与えられた骨が転送マナの青い光を帯びる。特に手厚くマナを分配された着陸制御用の骨は、他より強く輝いていた。傘がリュウに向けられる。
「ご無事をお祈りいたします!
全てのマナが傘の中心に集まり、リュウと男に向けて射出された。
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