カウンターワールド・クロスオーバー
土井タイラ
第一章 魔道士は言の葉のしもべ
第1話 魔道士と強盗、そして印刷所の新人
(誰か! 誰か助けてくれ! いや、助けてくれなくてもいい、せめて目撃だけでも誰か!)
夕暮れ時。カークランド王都の片隅。
若き魔道士リュウは、完成したばかりの原稿を抱えて、小路を駆けていた。石畳の硬さが踵に響く。
黒ずくめの屈強な男が、リュウを追い立てる。顔も頭も黒い布で覆い、手袋で指先まで隠していた。男は原稿の入った鞄を狙っているようだ。
あと三軒分走れば出版社の玄関へ駆け込める。できることなら今ここで魔術を行使したくない。もうリュウの息は上がっていて、走りながら声を出せなかった。
隣の大通りからは馬車の音が聞こえるというのに、こちらの通りには誰もいない。ここは通称、版元小路。出版社・印刷所・問屋・倉庫が集積している。賑わいとは程遠い地区だ。
(クソクソクソ! 犬のクソしか落ちてねえよ! マジで誰もいないのか!)
レンガ造り三階建ての建物がずらりと並んでいる。一軒一軒は
道の幅も狭く、何となく陰気で、客商売の店子が入らないのも仕方がない。小売店・飲食店が軒を連ねる大通りとは正反対の雰囲気だ。
出版社の玄関ポーチに辿り着いた。左腕で鞄を守り、右手でドア前の階段の手すりを掴んだ。走ってきた勢いのまま右腕を軸に体を回転させ、階段に足をかける。
男がリュウを捉えるか、リュウが階段を上りきるかの瀬戸際、玄関の扉が開いて少女が勢いよく姿を現した。
リュウは慌てて立ち止まり、大声を出した。
「そこをどいてほしい!」
「----!?」
声にならない悲鳴を上げた少女は、とっさに後ろ手で扉を閉めてしまった。
少女の頭の上で、赤い大きなリボンが揺れた。
彼女は印刷所の新人で、出版社との打ち合わせを終えて帰るところだった。
目の前に、何やら揉めている二人の男がいる。
一人は見るからに不審な黒ずくめの巨漢。
もう一人は清潔感のある少年だが、はるか北方の雪原地帯のブーツを履いている。春だというのに季節外れだし、王都でこんな田舎臭い靴を履く者はいない。これはこれで訳ありそうである。
建物の中に入れて取引先の出版社に迷惑を掛けてはならないだろう。そう判断しての行動だった。
(この女、なんてことしてくれるんだ……!)
リュウは追っ手に掴まれたマントを脱ぎ捨て、再び右手を支点にして階段の手すりを飛び越え、わきの花壇に下りた。よく耕された土がリュウの両足を受け止めた。マントに隠して背負っていた油紙傘が露わになった。
傘を見られては、魔道士であることを隠し通せない。そうとなればここは魔術で切り抜けるのがたやすい。
リュウは右手を肩の後ろに回して、背負った傘を引き抜いた。
二十四本の骨に油紙を貼った蛇の目傘。
いったん下向きに開いた傘を素早く体の前にかざしなおし、傘の頭を黒ずくめの男に向ける。紅色と紺色の同心円がリュウと追っ手を隔てた。魔道具である傘に、追っ手の男は不用意に触れることができない。
男はなおも間合いを詰めてリュウの鞄を奪おうとしている。階段を下りてじりじりとリュウに迫る。小柄なリュウが見上げるほどの巨体だ。
リュウは男と距離を取りながら、同時に少女からも男を遠ざけるように慎重に移動する。
魔術の影響範囲に少女が入らないことを確認して、リュウは早口で詠唱を始めた。
「
「
「
赤光は傘の中心に集中した後、二十四本の骨に沿って分かれ、鋭く流れる。
その時、男の体がくるりと翻り、傘の周囲を回ってリュウの左側に入り込んだ。男の繰り出す蹴りがリュウの手首を直撃し、鞄を地面にたたき落とした。
衝撃で鞄の口が開き大量の原稿が散らばるのを横目に見ながら、リュウは唱えた。
「
焦りを含んだリュウの掛け声と共に、分かれた赤光が骨の先端に到達する。そして矢じりの形に変貌して傘から放たれた。
傘の骨の数と同じ二十四の矢が、至近距離の相手を攻撃する。
男の衣服には防御術が施されており、殆どの矢を防いだ。しかし、一つの矢が彼の左のくるぶしをえぐった。左足の裾が捲れ上がっていたのだ。足で体を支えられなくなった男は、石畳へどうと倒れる。
リュウは、役目を終えた光の矢を再び
(この人、二回とも
呆気に取られて攻防劇を眺めていた少女は、印刷所の新入社員であると同時に新米魔道士でもあった。
魔道士は、五段階術式と呼ばれる手順を用いて魔術を行使する。
リュウはそのうちの
(そんなことできるなんて習ってない……。どういうこと? この人、何者?)
傘を背負いなおしたリュウは原稿を拾い始めた。原稿の半数が、魔術攻撃の余波で四方に飛んでいた。その数、百枚ほど。
少女には、黒ずくめの男と同じくらい、リュウが怪しい者に思えた。
大通りの駐在所から巡査を呼んでくるべきか、出版社の中に引き返して助けを求めるべきか、とりあえずは目の前に散らばった紙の回収を手伝うべきか、逡巡する。
まだ自分の行動を決めかねている少女は、文字通り右往左往しながらリュウと黒ずくめの男を見比べている。
ふと、自分の足元に落ちている一枚が目に入った。それはタイトルページで、こう記されていた。
~~
『
灰色の巨塔が林立する街。
空を飛ぶ巨鳥のような乗り物。
遠隔地との会話を実現する小箱。
火を使わずに水と穀物を入れるだけで炊ける窯。
マナを使わずに夜道を照らす灯り。
奇想天外な世界観でありながら緻密な情景描写が評価されている。老若男女問わず多くの市民に愛されるベストセラーだ。
少女は思わず大きな声で作家の名を叫んだ。
「メッセンジャー先生なんですか!?」
「バ、バカ!」
ペンネームを不審者の前で不用意に叫ばれ、本気の罵倒がリュウの口をついて出た。
リュウの表情を見てバカなりに事の重大さに気付いた少女はさらに慌てた。せめてもの罪滅ぼしにと全力で原稿の回収に協力したが、集め終えた紙の束を手渡す段でもバカだった。
「申し訳ありません! あたしはプリムラ・プロウライト。複製の魔道士で、西カーク印刷に勤めております。カンクロシリーズの印刷をしている会社です。憧れの先生にお会いできて嬉しくてつい大きな声を出してしまいました」
早口でまくしたて、そして魔道士であることを示す傘を掲げて見せた。
「……」しばし絶句した後、リュウは言葉を絞り出した。「本当に君は何も考えてないんだな」
事実、プリムラは深く考える前に名乗り、傘を見せていた。
拘束されたまま転がっている黒ずくめの巨漢は、目と耳を使って静かに情報収集をしている。
(僕はメッセンジャー先生じゃない)
喉元まで出かかったその嘘を、リュウは声にすることができない。
魔道士は言の葉のしもべ。
事実のみを述べると誓約し、
つまり、魔道士は嘘をつけない。
二人が魔道士であるということは、リュウがメッセンジャー先生であることも、プリムラの自己紹介も、プリムラが考えなしのバカであることも、全て事実。
そしてどちらも『
リュウは、まずこの男をどう処分するか決めたかったが、小説家メッセンジャーが魔道士リュウであることを公にしたくないので、司法の手に引き渡すわけにはいかない。
魔術で男を拘束している様子を、第三者に見られるのも困る。
まずは人目につかない場所へ移動したい。
リュウは先ほど脱ぎ捨てたマントを拾いながら、辺りをぐるりと見渡した。
数軒先の建物同士の間に、人間がぎりぎり入れる程度の隙間があった。配管用の通路だ。
その場所を宛先として、リュウは転送魔術を行使する。
「
対象:僕自身、プリムラ・プロウライト、僕の魔術で拘束している黒ずくめの男。
宛先:僕の視界二時の方向の通路。
転送マナの青い光に包まれた三人は一瞬の後に配管用の通路に移動した。
この時も、リュウは
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