富士の麓の緑
増田朋美
富士の麓の緑
寒い日であった。なんだか急に寒くなってしまったが、そうなってしまうのは理由がよくわからない。他の県では、大雨が降っていたり、大雪がフルなど、変な天気が続いてしまっていて、どうも通常の冬が来たとはいいづらい一面を持っているようである。なんだか変な気候だと思われるが、それが当たり前になってしまうのかもしれない。
その日、杉ちゃんとジョチさんは三島市にある美術館を訪ねるため、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗って、大場駅へ向かっていた。
「えーと、確か、10時20分の花の街号というバスに乗るのでしたよね。」
と、ジョチさんが今一度確認すると、
「うん、そこから、パサディナ上というところで降りる。」
と、杉ちゃんは言った。やがて、まもなく大場駅へ到着しますというアナウンスが流れて、電車は大場駅で止まった。駅員に助けてもらって、杉ちゃんとジョチさんは、電車を降りた。
「わかりました。あと五分くらい待てば来るようですね。ああ、ここにのりばがありますね。ここで待っていてくれれば、くるみたいです。」
大場駅の改札口で切符を切ってもらった杉ちゃんとジョチさんは、花の街号バス乗り場というところに連れて行ってもらった。
「まあ、三島市自主運行バス花の街号ということなので、バスが来るかなとは思うけど。」
杉ちゃんたちは、そう言って、バス乗り場に行った。バスに乗り込もうとする客は他に女性が二人いた。いずれも高齢の女性だった。
「あ、花の街号が来た。」
と女性の一人が、そう言ったので、杉ちゃんたちもその方を見た。確かに、フロントガラスに花の街号と書かれた看板を設置してあるが、どう見てもバスというものではなくて、大型のジャンボタクシーであった。杉ちゃんが思わず、
「あ、これは乗れないな。」
と言ってしまったほどである。
とりあえず、花の街号と書かれたジャンボタクシーは、杉ちゃんたちの前で止まった。二人の女性は当然のようにジャンボタクシーに乗り込んだ。杉ちゃん一行が、どうしようという顔でそこに居ると、
「ああちょっとまってて、今乗せてあげるからね。」
と運転手がジャンボタクシーの中から出てきて、すぐにトランクのドアを開けて、スロープを出してくれた。
「さあどうぞ。」
と言って運転手は、杉ちゃんをバスに乗せてくれた。ジョチさんがその前の座席に乗り込んで、どうもすみませんといった。運転手はトランクのドアを閉めると、さて行きますよと言って、バスを動かし始めた。発車時刻を、五分以上過ぎている。二人の女性たちは、嫌そうな顔をして杉ちゃんをみた。
「なんだよ。僕らが乗ってきたからってそんな顔するなよな。僕らはただ、美術館に行きたいだけで、他に何も無いよ!」
杉ちゃんが思わずでかい声でそう言うと、
「すみませんね。発車時刻を過ぎてしまったのは申し訳ありません。」
とジョチさんも頭を下げたのであった。
「いいえ、良いんですよ。わざわざ謝ってくれなくても、そんな事、気にしないで乗ってくれれば。」
運転手が、間延びした声で言ったのだった。
「ああ、ありがとうね。それより運転手さん、今日は、バスで運行しないのか?いつもこんなちっちゃなものでやってるの?」
「いやあ、利用者が少ないので、10時から13時までの3本は、ジャンボタクシーで運転しているですよ。でもちゃんと車椅子の方でも乗れるようになってますからね。そこは心配しなくていいですからね。」
運転手は、杉ちゃんを敵とみなさなかったようで、にこやかにそういうのであった。その運転手ののんびりした口調が、他のお客さんの気持ちを和らげてくれたようだ。他の女性のお客さんたちも、
「そうねえ、五分くらいどうってこと無いか。そう思わなくちゃね。あたしも、そういう事は、気にしない事にしよう。」
「それに、そうやって二人もお客さんが来てくれるなら、美術館だって喜んでくれるでしょうしね。」
と相次いで言ってくれたのだった。
「あなた達、秋本さんの展示会を見に行くの?」
おばあさんが杉ちゃんに言った。
「ええ、その予定ですが?」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうなんですか。秋本さんとはお知り合いなの?車椅子のお知り合いが居るなんて聞いたことなかったわよ。」
もう一人のおばあさんが言った。
「ええ。まあ、僕たちがしている事務所の利用者さんが、秋本さんのところに絵を習いに行っていて、その好で行くことにしたんですよ。」
ジョチさんが答えると、
「良いですねえ。秋本さん喜ぶよ。」
とはじめのおばあさんが言った。一応路線バスであれば、次の停留所はどこどこですとか、車内アナウンスが用意されているはずなのだが、ジャンボタクシーの花の街号は、アナウンスが無かった。なので今どこを走っているのかわからなくなってしまうので、
「あの、パサディナ上というバス停に来たら、教えてください。」
と杉ちゃんが言った。運転手は、
「はい。もうすぐ到着しますよ。」
と言ってくれた。そして
「はい。パサディナ上に到着いたします。」
とジャンボタクシーを止めてくれた。そして、トランクのドアを開けてまたスロープを出してくれて、杉ちゃんを降ろしてくれた。ジョチさんが、
「ありがとうございました。帰りは、タクシーで帰ります。」
というと、
「タクシーを呼ぶなら、ぜひこちらにお電話ください。このあたりはタクシーが少ないので、台数の多いこちらにお電話していただいたほうが良いと思います。」
と親切に運転手はジョチさんにタクシー会社の番号を書いたカードを渡した。ジョチさんがありがとうございますと言って、それを受け取ると、運転手はジャンボタクシーのトランクを閉めてありがとうございましたと言って、先のバス停に向かっていった。そのバス停から、50メートルほど歩くと、美術館があるのである。本当に大規模な美術館では無いけれど、ちゃんと秋本常子油絵展という貼り紙もしてあった。杉ちゃんたちは、すぐにその美術館の中に入った。美術館そのものは、ちゃんとスロープが用意してくれてあったり、ドアの段差は何もないように作られているのであるが、そこへ行く道中の乗り物が変だと思われては困ってしまうのだった。杉ちゃんたちが展示室へ入ると、富士山を描いたたくさんの油絵が展示されていて、主催者である秋本常子さんも、待機していてくれた。杉ちゃんなんかは、ご丁寧に秋本常子さんのサインまで貰ってしまったくらいだ。
「なんだか、富士山を見たままそのものではなくて、美しい心で描いたような絵ですね。」
ジョチさんは彼女の絵を褒めた。
「ありがとうございます。あたしはただの画家に過ぎませんが、そう言ってくれれば嬉しいです。」
秋本常子さんはにこやかに言った。
「この大絵巻がすごい迫力あって、かっこいい。」
杉ちゃんは正面においてある絵を見て言った。
「ありがとうございます。一生懸命描いた絵です。褒めて頂いて嬉しいです。」
秋本常子さんはとてもうれしそうに言った。
「上手ですねえ。やっぱり流石秋本さんだ。今日は、単に似顔絵ではなくて、美しい富士山を描いていらっしゃいますね。」
「いいえ、富士山そのものが美しいから、それを私は追いかけているだけですよ。」
ジョチさんと秋本常子さんがそう言っていると、杉ちゃんの方は、一生懸命他の絵を眺めていた。それと同時に、12時を告げる鐘の音が鳴った。
「あ、もうお昼ですね。それでは、お昼ですから、僕たちはこれで失礼します。ああ、帰りはタクシーで帰りますから、何も心配は要りません。」
ジョチさんは先程渡されたカードの番号に電話をかけ始めた。
「本当に今日は私の個展に来てくださりありがとうございました。記念品も何も用意していませんが、本当に心から感謝いたします。」
秋本さんが、杉ちゃんに改めてお礼を言うと、
「いいえこちらこそ。それより美しい富士山の絵を見ることができて嬉しかったです。また個展を開いたら、ぜひ招待してね。それと、できればもう少し、交通の便がいい場所にしてくれるとありがたいんだがね。」
杉ちゃんはにこやかに言った。
「わかりました、これからは私も気をつけます。確かに、こんなところより、もっと華やかな場所に行ったほうが、お客さんも来てくれますよね。」
秋本常子さんも笑顔でそう言ってくれた。
「それじゃあ、お二人を玄関先までお送りするわ。せっかく来てくださったんだから。」
秋本さんは、杉ちゃんたちを玄関先まで送っていった。
それと同時に、外でなにか楽器のような音がした。多分、フルートとかリコーダーの音なんだと思うけど、すぐに故郷を吹いていることがわかった。どんどんと太鼓の音も聞こえてくる。
「あら、今どきちんどん屋なんて珍しいな。」
と、杉ちゃんがでかい声で言った。ジョチさんはそれを聞いて、
「いや、ちんどん屋ではありませんね。デモ隊です。パサディナの緑を守れと叫んでいます。」
と言った。確かにジョチさんが言った通り、現れたのは、大規模なデモ隊で、五人ほどのファイフを吹いている女性たちが、故郷を奏でているのだった。それ以外には、大太鼓をどんどんと叩いている女性も居る。それ以外の女性たちは、
「パサディナの緑を守れ!パサディナの緑を守れ!」
と同じ言葉が書かれた横断幕を持って叫びながら歩いているのだった。杉ちゃんたちは、それを黙って見ているしかなかったが、叫びながら歩いている人たちが、全て女性ばかりなのに驚いた。男性は一人もいない。デモ隊が通り過ぎてしまうと、
「時折、このようなデモ隊が来るんですよ。パサディナの緑を守れと叫びながらこうして行進しているんです。なんでも、この近くにある、ブナの木を建設会社が切り倒してしまう計画を立てているらしくて。それを阻止しようとこのあたりの住民運動が、激しいんですよ。」
と、秋本常子さんがそういった。
「そうなんですか。それでもデモに参加しているのが女性ばかりというのが気になります。何か女性に不利なことでもあるんですかね?」
ジョチさんがそう言うと、
「ええ。確かにブナの木の下で、若いお母さんが楽しそうにおしゃべりをしていたので、そのせいではないかと思います。早く決着がつけばいいと思うんですけどね。でも、建設会社との交渉が難航しているらしくて。」
秋本常子さんはそういった。それと同時に、タクシーが迎えに来たので、ジョチさんと杉ちゃんはそれに乗り込み、三島駅へ戻っていった。タクシーではお金がかかりすぎるので、片道しか使えないのだった。
杉ちゃんたちが、富士駅へ戻って、またタクシーで製鉄所に戻ってくると、水穂さんの世話をするため、製鉄所に来ていたぱくちゃんが、
「お帰りい。今日は、大変なものを見たよ。ここへラーメンを持って来るときにさ。なんでも女性が横笛吹いて、パサディナの緑を守れと怒鳴りながら、駅前を練り歩いているんだ。なんかその女性たちの緊迫しきった顔を見て、僕は怖くなってしまって、別の道を通ったよ。」
と、不安そうに言った。
「それでは、富士でも同じようなデモ隊があったということですか?実は、三島でも同じものを見ました。やはり女性が同じ文句を叫びながら、横断幕を持ってデモ行進していました。それでは、三島と富士で同時にデモ行進が行われていたということになるのでしょうか?」
と、ジョチさんは、そういった。
「そういうことになるね。」
ぱくちゃんがそう言うと、
「確かに今の時代は、インターネットでデモをやれる指示を出すことができますからね。しかし、誰がデモをやれと女性たちに指示を出したのでしょうか。任意でしているとは思えません。彼女たちは本当に必死でやっていました。そうさせるためには、一種の洗脳教育のようなものをされているような気がしました。」
ジョチさんは、すぐに言った。
「しかし、パサディナというのは、どういう地域なんだろう?一応、花の街号というバスが走っているようだが、それも日中はバスではなくてジャンボタクシーで十分なほど、人の出入りも少ない地域のようだよ。そこにあるブナの木を切り倒してしまうというのはどういうことなんだろうね?」
杉ちゃんがそう言うと、布団に寝ていた水穂さんが、
「聞いたことあるんですが、過疎地域で著名な場所だそうです。バスに乗っても、バスの乗客が、お互いの顔を知ってしまうほど、濃厚な付き合いがある場所だそうで。」
と小さい声で言った。
「そうなんですか。それは誰から聞いたのですか?」
ジョチさんが言うと、
「はい。以前、僕のところにピアノを習いに来ていた人から聞きました。大場から来ている方でしたが、あの地区は、ちょっと入りたくないと言っていました。よそ者は、差別されてしまう傾向があるようです。その代わり、住民の結束力はとても強く、ちょっとのことがすぐ大げさに扱われるとか。」
と水穂さんが言った。
「それは、その地区に居ないから、差別的に扱われるの?それとも、民族が違うから?」
ぱくちゃんが、水穂さんにそうきくと、
「異民族というか、その地域に居なかったという要素も含まれると思いますが、彼女は発達障害があり、その地区の親睦会に参加できなかったようで、それで弾き飛ばされてしまったようで。ぱくさんの質問の答えになってないかもしれないですけどね。」
と、水穂さんは答えた。
「そうか、今どき、そうやってちんどん屋してしまうほど、強い結束力を持って動けるっていう地区があるんだ。それはある意味恵まれてるよな。」
と、杉ちゃんが言った。とりあえずその日は、ちんどん屋のことはそれ以上触れないで、対岸の火事で済んでしまう気持ちになっていたのだが。
翌日、何気なくテレビをつけたジョチさんは、いきなりニュース番組でこんな事を報道されていたから驚いた。
「今日未明、静岡県三島市のパサディナ集会所付近の道路で、男性が撲殺されているのが見つかりました。所持していた免許証などによりますと、男性は、三島市の会社員、名倉敏夫さんと判明しました。死因は、後頭部を強打した事による脳挫傷で、体に複数の打撲痕が見られることから、集団で暴行後、死亡したと見られます。」
アナウンサーは慣れた態度でそういう事を説明していた。そして、昨日訪れたパサディナ美術館やパサディナ集会所の映像が映った。
「それでは、また富士でデモが起こるかな?もしかしたら、報道機関で取り上げられるかもしれないぜ。」
と、杉ちゃんが呟いた。そこでジョチさんは、富士市でデモ行進が起きたかどうか、スマートフォンで調べてみたが、昨日あったようなデモ行進のニュースは流れなかった。
「事件がパサディナ地区で起きたんです。あのデモ隊と無関係ということは無いでしょう。」
「デモ隊は、パサディナの緑を守れといったんだね。」
不意にぱくちゃんがジョチさんに言った。ジョチさんがそういいましたけどと言って、
「なんでも、そこにあるブナの木を切り倒してしまうとかしないとかで揉めているらしいんですよね。」
と言った。すると水穂さんが、
「それは、もうとうの昔に切り倒したはずですが。10年前に。」
と言った。
「じゃあもう一本あったんじゃないの?ブナの木なんて日本であればどこにでも生えている木でしょ?」
と、杉ちゃんが言った。
「秋本常子さんは、ブナの木の近くでお母様がたが井戸端会議をしていたと言っていましたが?」
ジョチさんが言うと、
「ええ。その木は、たしかにあったんですが、10年前に切り倒したと生徒さんから聞いたことがありました。それを今更になって持ち出すなんて、何を言っているんだと思いましたけど。」
と、水穂さんが言った。
「じゃあなんのために、ちんどん屋をしていたんだ?」
杉ちゃんが言うと、またスマートフォンが鳴った。ジョチさんが何だと思ってすぐそれを出して、
「はあ、なるほど、被害者は、集団で暴行されて殺害されたようですな。そういうことなら、女性でも犯行は可能ですね。」
とニュースを見て言った。
「ということはつまり?」
「大変だあ!」
そう言いながら華岡が、製鉄所にやってきた。何だと思ったら、風呂を貸してくれということであった。自宅のユニットバスでは風呂に入った気持ちがしないということだった。杉ちゃんが良いよと言って、風呂を貸すと、華岡は、40分以上風呂の中で鼻歌を歌っていた。ようやく風呂から出てくると、
「実はなあ。俺たちは、今回デモ隊の一人という笛吹に話を聞くことができたんだが、なんでも今回のデモは、人に頼まれてやったらしい。彼女の境遇ととても似ているので、放っておけないからデモをしたんだそうだ。そして、被害者の名倉という人は、なんでも主催者の子供が障害を持っている事に漬け込んで、主催者の絵を売り飛ばそうとしていたとか、、、。」
と華岡は事件の事を話し始めた。
「絵をうりとばそうとしたんですか?それではつまり絵にまつわる人物がデモを主催していたというのですか?」
ジョチさんは華岡に言った。
「ああ。そうなんだよ。名前は、秋本常子。パサディナ地区で、絵を描いている女性ですよ。」
「秋本常子さんは、子供さんが居たんか?」
杉ちゃんは思わず言った。
「そうなんだ。なんでも、障害のある子供さんなので、秋本常子はそれを隠していたそうで、生活などを、周りの女性達が援助していたらしいんだ。」
「なるほど!それでは、彼女をデモをしていた女性たちが支え続けたというわけか。それでああして、大規模なデモを起こして、僕らの目をくらませて、その間に名倉という人を殺害した。でも、でもだよ。それでも、彼女にそんなことができるかな?そうやって何人もの女性を動かして、そういう事をさせるということはできるかな?」
「そうですね。それはある意味、秋本常子さんにカリスマ性というか、そういうものが無いとできませんよね。でも、簡単に動かしてしまえる方法があります。それは、秋本常子さんと、共通点があるということです。」
杉ちゃんとジョチさんはそう言い合った。
「でもそんなに大量の女性が、集まるのかな?」
ぱくちゃんが言うと、
「いえ、イシュメイルさん。今の時代、インターネットがあれば、すぐに集められますよ。」
と水穂さんが言った。
「そうなんだね。それでは、秋本さんが今回の事件の、、、。」
杉ちゃんとジョチさんは、顔を見合わせて、秋本常子さんのことを思い浮かべていた。
富士の麓の緑 増田朋美 @masubuchi4996
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