第1章 空想少女10 僕が殺した2
女性は壁に掛かった時計を見た。あと五分ほどで入場は締切りだ。このまま誰も来てくれなきゃいいんだけど。そう思ったとき「すいません」という声が衝立の向こうの窓口から聞こえた。
もう、まさか今から入るんじゃないわよね。多少憮然としながら「はーい」と返事をして衝立の反対側に回って、窓口のガラスの向こうを見て驚いた。
ロングのレザージャケットを羽織った美しい長身の男性二人がこちらを見ているのだ。何かの撮影で誰かが背後からカメラを回しているのではないか。そう思って二人の背後を見たが誰もいない。
一人が少し身をかがめて窓口から「すいません」と声をかけた。「まだ見れますか?」
「え、ええ。見れますよ」といってチラッと見たコートには美しく繊細な刺繍が施され、所々スワロフスキーが輝いている。まるで王子様のようで並の人間ではとても着こなせないが、この二人には何の違和感もない。もしかしたらどこかの王族がお忍びで来たのかもしれないと本気で思った。
「じゃあ、大人二枚。Z大の学生ですが」
「ぜ、Z大の学生さんは無料ですよ。学生証あります?」
桃李と怜は窓口でそれぞれの学生証を提示して女性に見せた。
「はいどうぞ」
女性は大人用のチケット二枚とミニパンフレットを小窓から差し出した。
「もしかして、いま僕ら貸し切りですか?」
桃李がにっこり微笑んでそう尋ねると、女性もつられて笑顔になり
「ええ。貸し切りですよ。入場はちょうど四時半までで、もう誰も来ないと思うから入場は締め切ります。貸し切りで見て行ってください」と答えた。
事務室の壁にかかった時計を見ると四時半になるところだった。
「閉館は五時半ですから」
「どうも」
軽くお礼をいってから桃李と怜は重厚な扉を開けて「鏡の世界の不思議展」の会場内へを足を踏み入れた。
会場といっても洋館である永井記念館そのものの各部屋に世界中の鏡が飾られている趣向になっている。ボタニカルデザインの美しい壁紙や、格子になった内窓や、マントルピースや、美しい銀の蝋燭立やその他の調度品などと鏡が見事に調和していて、誰かが暮らしている家の中を見て回っている感覚だった。だが二人は美しい調度品には一切目もくれず、各部屋を片っ端から覗いて回った。一階をひととおり見終わって、探索をスタートした応接間に戻ると部屋全体を見回しながら怜がいった。
「いないな」
「ああ。気配がない」
「二階か?」
「おそらく。でも獣道は何か所かあったな」
「そうだな。いるのは間違いない。夜中にスピリットたちがパーティでもやってるのかもな」
「呼ばれたくないねえ。二階に行くか」
「ああ。行こう。まだ時間あるか?」
桃李がスマホを取り出して時間を調べると、五時前だった。
「五時前だからまだ大丈夫だ。けど広いから意外に時間を取られるな」
「うん。そこから行こう。獣道がある」
怜はマントルピースの真正面の壁を指した。
「ああ。そうしよう」
二人は速足でボタニカル柄の壁に向かうと、壁の手前でスイッチを切ったようにパッと消えた。
二人は二階の家族用のリビングと思われる部屋に現れた。
「たぶん、ここは応接室の真上だな」
怜が窓から外の景色を見ながらいった。
「そうらしい」桃李は受付でもらった屋敷の間取り図を広げて見ながら答えた。「急に、気配がし始めた。いるぞ」
「ああ。油断するな」
二人は廊下に出て左右を見回すと、気配のする方へ向かって歩き始めた。
とある部屋の前に来ると二人は立ち止まって顔を見合わせた。間取り図によると「女主人の部屋」となっていた。
「ここか?」
怜が中の様子をうかがいながら桃李に聞いた。桃李が黙って頷くと、怜がドアノブを握りそーっと回してドアを内側へ静かに押し開けた。まず怜が先に入り、桃李が続いた。室内は「女主人の部屋」というだけあって、薄ピンク色の壁紙や、丸いランプや、天蓋のついたベッドや、猫足のついた椅子など柔らかい色彩やデザインで統一されていた。しかし室内には何もいなかった。
「あの奥だ!」
怜が、女主人の部屋の奥に見える、別の部屋への入口を指した。
間取り図を見ると「女主人の化粧部屋」と書かれていて、六角形の部屋が奥にあるようだ。
二人は化粧部屋の入口まで静かに歩いていき、そっと化粧部屋の中を覗いた。その部屋は確かに六角形で、室内はモスグリーンの下地に白とピンクの小花柄を描いた美しい壁紙が貼られ、白い木枠の出窓が二つあり、猫足のついたアンティークの化粧台の上には非常に古い鏡が置いてあり、いかにも貴婦人の化粧部屋という感じである。
部屋の中央には、白いクロスのかかった丸テーブルがあり、その上にはイチゴをバラのように敷きつめたホールケーキや、イチゴの載ったピンク色のババロアや、ピンクのマカロンや、イチゴの断面が美しいフルーツサンドなどが、一杯に並んでいた。
さらにテーブルの真ん中には三段重ねのケーキスタンドがあって、そこにもグラスに入ったイチゴのムースや、イチゴの実の入ったカクテルや、イチゴソースのかかったヨーグルトが綺麗に並べられていて、まるでホテルのイチゴスイーツビュッフェのようだった。
最も奇妙なのは、長い黒髪の綺麗な女性が一人椅子に座って、大人しくスイーツを美味しそうに食べていたことで、一見するとそれは単に、品のいいお嬢さまが、優雅な午後のアフタヌーンティを楽しんでいるような光景だった。
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