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違うわ、と言う気にもなれなかった。彼は、私が父親ではないことくらい、当たり前に承知している。だから私は、彼の背中を押して室内へ促した。いくら永遠子が出会った時からずっと私を振り回し続け、唐突にやって来て部屋へ押し入ったと言っても、その責はこの男の子にはない。
部屋へ入ってきた私と洋介くんを見て、永遠子は表情の分からないいつもの作り笑いを浮かべた。私は背後の洋介くんをちらりと見た。もしも私が永遠子の子どもだとしたら、こんな表情を実の母に見せられては怯えてしまう、と思ったからだ。
しかし洋介くんは平然としていた。当たり前のように永遠子に歩み寄り、部屋の真ん中あたりに置いてある座椅子に勝手に座っていた彼女の隣に立つ。私は一人はじかれたような妙な疎外感を一瞬感じたけれど、とにかく彼らと向かい合う形で対峙した。
永遠子の容姿は、昔と変わらなかった。13歳にしてはかなり大人びた美しさを持っていた永遠子は、ようやくその幼さという檻から解き放たれたとでも言いたげに、自分のうつくしさを誇っているようにも見えた。身に纏っているのは地味な黒いコートなのに、全身から色香が匂い立つようだった。
「……なんの用なの?」
永遠子のうつくしさに引きずられまいと、私は唇を強張らせながらそう吐き捨てた。できるだけ、冷たく聞こえるようにだ。けれども永遠子はそんな私の努力もどこ吹く風で、平然と笑っていた。
「つれて来たのよ、あなたの息子。会いたいかと思って。」
そう言って、彼女は洋介くんの肩を軽く私の方へ押した。少しだけ身体を揺らした洋介くんは、戸惑ったように私を見上げた。その様子では、彼も永遠子に、ここへ来る目的などは聞かされていないのだろうと思われた。
「……ふざけないで。」
腹の中に怒りが湧き出してくるのを感じていた。ふつふつと湧き上がってくるそれは、けれど永遠子の眼差しひとつで消し止められてしまうような不安定さも抱えていた。私は、いつもそうだ。永遠子のほんのひと動作に、どうしたって心を揺らされれしまう。
「ふざけてなんか、ないわよ。」
永遠子は歌うように言った。彼女自身は、歌うように、なんていう自覚はないのだろう。ただ、彼女の耳にやわらかいアルトの声と、すっきりとした発声の仕方が私に音楽を連想させるだけで。
「帰って。今すぐ。」
永遠子の声ひとつで陥落させられそうになる心を、私は必死の言葉で鎧った。取りつく島のない言葉を、取りつく島のない物言いで。けれど永遠子は、それでも全く動じなかった。
「つれないのね。せっかく14年ぶりに会いに来たのに。」
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