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永遠子が戻ってきたとき、私はもう実家には住んでいなかった。結婚を遠回しに迫ってくる母が鬱陶しくなり、職場の近く……といっても、実家からもすぐ近くなのだけれど……にあるアパートを借りて、一人暮らしを始めていたのだ。だから私は、なおさら永遠子の訪れが信じられなかった。だって、この場所は永遠子にばれてはいないはずだ。それに、永遠子が求めていたのは祖母の部屋のあの静けさであって、私自身ではないはずだ。それなのに永遠子は、当たり前みたいに玄関に立ち、薄く微笑んで見せた。左右対称に唇が持ち上がる、かつて私が胸を苦しくしながら眺めた微笑だった。
「静かね、ここは。」
永遠子は目を細めてそう言った。私は、ここ、と言うのがどこを指すのか分からなくて、呆然と突っ立っていた。十数年の月日を挟んでいるはずなのに、あっという間に中学生の頃に引き戻されてしまってみたいな心地がした。あのとき確か永遠子は、同じようなことを言って目を細めた。はじめて祖母の部屋へ連れて行ったときのことだ。
「……なんで……、」
私はかろうじてそれだけ口にした。それ以上の言葉は、どこを探しても出てきそうになかった。
なんでここが分かったのか、なんでここにやってきたのか、さらに言えば、十数年前、なんで姿を消したのか。
続く言葉はいくらでもありそうだったけれど、どれも私の心情にはふさわしくないような気もした。とにかく私は、混乱していたのだ。
なんで? と、軽く首を傾げ、永遠子は私の言葉を繰り返した。長い黒髪が、さらりと胸元で揺れる。そして彼女は、背後を軽く振り返って少年の肩に触れると、微笑したままの唇で言ったののだ。あなたの子よ、と。
永遠子のその言葉は、もちろんさらに私の混乱を深めた。だって、私は女だ。身に覚えのない子供がどこかで生まれるはずなんてない性別だ。それに、永遠子が連れている子供は、どう見ても十歳をこえているとは思えない。永遠子がこの町から消えて十数年が経ているのだ。この少年が私の子どもであるはずなんてない。
訳が分からなかった。なにもかもの。
永遠子はおっとりと微笑んだまま、するりと靴を脱ぎ、玄関から家の中へあがろうとした。私は慌てて、とうせんぼをするみたいにそれを拒んだ。永遠子の思い通りになってたまるかと、そんな気持ちがあった。その気持ちは、中学生だった頃にも私の中にあって、それを永遠子はいつも、するり通り抜けて私を思い通りにしたものだけれど。
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