帰還
私は、永遠子が消えた数週間後には地元の高校に入学し、三年間で無事に卒業した。その後は地元の役所に就職し、今に至る。
恋人は、一度も作らなかった。できなかった、とも言える。男にはやはり興味が持てなかったし、女に手を出せばこの町にはいられなくなる。その上、私が夢で見る女は常に新島永遠子だった。他の誰に差し替わることもなく、10年以上。
時々、息がしずらくなって、職場を休むことがあった。原因は分からなかったけれど、呼吸が苦しくなると必ず、永遠子の白い裸身が目の前をよぎった。そうするともうだめで、私は仕事を早退したり、当欠したりした。職場にいるのはほとんどが村で暮らす顔見知りだったし、私を幼い頃から知っている人たちだったので、多分、私は急に体が弱くなったと思われていたのだろう。
仕事を休むと母は、苛々と私に仕事の価値やなんやらを捲くし立ててはきた。けれどそれも、就職してすぐの話だ。10年近く同じようなペースで早退や当欠を続けていると、さすがの母もなにも言わなくなった。
私は、母がなにも言わなくなってからのはじめて、自分を責め始めた。なんでまっとうに働けないのか。月に一度か二度は必ず職場を休む。なんでそんなリズムができてしまったのか。そして、どうして私は永遠子を忘れられないのか。
そんなとき私は、決まって祖母の部屋へ行った。もう祖母はとうに亡いので、その部屋には誰も暮らしてはいない。ただ、仏壇が部屋の奥に置かれ、手前側は物置として使われている、埃臭い部屋だ。その部屋は、やはり造り的に静かで、内側から鍵をかけてしまえばなんの物音も入ってこなかった。そんな部屋で私は一人、座布団を枕に寝転がり、ぼんやりと永遠子のことを思い出した。永遠子のことといっても、私達の間には肉体関係しかなかったので、思い出せることも限られてくる。永遠子の裸身、声、体温、体臭。そんなものたちは、記憶をたどればたどるほど、どんどん渇いて手触りがかさついていった。私はいつからか、永遠子を思い出すこと自体を恐れるようになった。記憶に手垢がつきすぎて、彼女を思い出せなくなっていく。そんな事実が怖くて。
新島永遠子が私の前に再び姿を現したのは、私がそんなふうに10数年を経て、なんとか永遠子を忘れようと四苦八苦している真っ最中だった。
彼女は、私の努力をあざ笑うみたいに、あの頃と変わらぬ姿で私の前に現れた。真っ白い肌、華奢な体躯、長い黒髪に切れ長の両目。そして、そのほっそりとした手で、一人の少年の手を引いていた。
「あなたの子よ。」
永遠子はうっすら笑ってそう言った。
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