第22話 初夜

 「わたくしの故国ではね、新郎が新婦を抱き上げて新居へ入る習わしがあったのよ。それをお式の時に陛下に話したら、いきなり抱き上げられて皇太子宮まで運ばれてしまったのよね……懐かしいわぁ」


 そんな思い出話を皇后が口にし、面白がった皇帝に勧められ、苦笑する皇太子に抱き上げられて狼狽える。

 そんな風にシルヴィアが自室へと運び込まれてから、気付くとずいぶん時間が経っていた。


 侍女たちによって花嫁衣裳を脱がされ、再び浴室へと連れ込まれたと思うと、隅々まで身体を磨き上げられる。

 湯から上がって濡れた身体をタオルで拭われながら、ふと目を向けた先に大きな姿見があった。


「こんな所に鏡なんてあったのね……」

「はい。そちらは先々代の皇太子妃、つまりは亡くなられた皇太后様がこちらの宮にいらした時に置かれたものでございます。皇太后様は太られやすいご体質であられたそうで、お若い頃はとても体型を気になされていたらしいのです。それで──」 


 頷きながら、シルヴィアは全裸のまま鏡の前に立った。自分のものとなった身体をまじまじと眺める。

 癒しを受けて嫁ぐ前の健康な状態を取り戻した姿は、とても美しかった。肌は抜けるように白く、染み一つない。


 全体的に少々細めではあるが、形の良い胸は大きめで先端は綺麗な薄桃色。腰のくびれもはっきりとしていて、年の割にかなり女性らしい魅力的な肉体と言えた。

 その白い肌に、艶やかな紅玉のような色合いの濡れた髪がかかる様は、女の目から見ても煽情的に映る。


『これが、わたくし……』


 まじまじと“自分”の姿を見つめてみるが、やはりまだ実感は湧かない。二十年慣れ親しんだ、聖女“シルヴィア”の容姿とは対照的なせいもある。

 プラチナブロンドの髪に、蒼い瞳。精霊のように美しいと良く言われていたように、あまり生身の女性らしさを感じさせない容姿だった。


『“オリヴィア”の容姿は素敵だと思うわ。頬がふっくらしたら、可愛らしくも見えるし……まだ十七歳ですものね。髪の色も綺麗。瞳は薄紫なのね。早く馴染むためにも、もっと頻繁に鏡を見た方が良いかしら』


 そんなことを思っていると、侍女がバスローブを着せかけながら嬉しそうに言った。


「すっかり元通りのお美しさを取り戻されて……聖女様の癒しを頂けて、本当にようございました」


 そうして浴室から連れ出され、侍女たちは慌ただしく髪を乾かしていく。総シルクのレース地のいかにもな寝衣を纏わされ、しっかりと寝化粧もされて準備万端。

 昨夜のように、着替えのために引き上げた皇太子が、再び訪ねてくるのを待つのかと思いきや──


「妃殿下、こちらでございます」


 自室のソファに向かおうとしたシルヴィアは、侍女長のマルティナに押し留められ、別の方向を指し示された。

 奥の壁に扉がある。そちらへと促され、不思議に思いながら向かうと、マルティナが扉の取っ手に手をかけて優しげに微笑んだ。


「皇太子殿下の私室との間にある、本来のご夫妻用の寝所でございます。初夜からずっと、妃殿下があまりにも悲壮なご様子でいらしたので……殿下が気を遣われて、今まではこちらへ通っていらしていたのです」


 最初からずっと異様に委縮していたオリヴィアを、事が済んだ後に一人でゆっくり休ませてやるには、共通の寝所でない方が良かったのだろう。

 妃の私室ならまだしも夫婦用の寝所から、皇太子が朝を待たずに途中で抜け出すというのは、あまり体裁の良い話ではない。


『オリヴィアが入ったことのない部屋……』


 そこで自分が“初夜”を迎えるということに感慨深いものを感じながら、シルヴィアはマルティナに促されるまま、本来の寝所へと初めて足を踏み入れた。

 扉の向こうは、今までいた私室に比べ伝統的で、かなり重厚な雰囲気の部屋だった。大神殿の聖女の寝室に近いかもしれない。


 厚手の帳に囲われた大きな寝台。一方が開かれ、内側に紗の帳が降りている。その前のソファに、寝衣に着替えた皇太子がゆったりと座っており、横に二人の侍女が控えていた。

 シルヴィアの背後で扉が閉められる。マルティナは私室に残ったようで、付いて来なかった。


 昨日は皇太子が訪れるのを待っていたが、今回は逆の立場である。勧められて向かいのソファに腰を降ろしたが、こんな状況で正面から相対するというのは何とも気恥ずかしい。


「オリヴィア、初めて会うはずだが、私の乳母のグレタと侍女長のナタリアだ。これからは顔を合わせる機会が増えるだろうから、紹介しておくよ」

「妃殿下、初めてお目にかかります。殿下の乳母でございますグレタと申します。どうぞよしなにお願い致します」

「わたくしは、殿下専属の侍女を束ねておりますナタリアと申します。これからは、わたくしどもがお世話させて頂く機会も増えるかと存じますので、どうぞよろしくお願い致します」


 乳母と年配の侍女の最敬礼に頷き、シルヴィアは笑みを返した。


「オリヴィアです。殿下の妃として足りない面が多々あるかと思うので、支えてもらえると嬉しいわ。これからよろしくね」

「もちろんでございます」


 二人は再度最敬礼し、ナタリアがテーブルの端に用意されていたトレイから小ぶりのグラスを取って、シルヴィアの前へと差し出す。何故か皇太子には用意されていない。

 グラスの中の赤い液体を見つめながら小首を傾げると、ナタリアが若干低めた声で告げた。


「聖女様のお力で、お体が戻られた由は伺っております。お輿入れされた日の夜にも、同じものが差し上げられていたかと存じますが……」

「……あの時のことは、ほとんど何も覚えていないの」


 当時のオリヴィアは恐怖で心を閉ざしていたはずなのだから、そう答えても問題はないだろう。

 そう思ってシルヴィアが切なげに目を伏せてみせると、グレタが諭すように言った。


「ナタリア、殿下からお話を伺ったはずですよ?」

「そうでした。申し訳ございません、妃殿下。こちらは緊張をほぐし、破瓜の痛みを軽減させるための薬酒でございます。皇宮では初夜のお床入り前に、妃となられる方に必ず供される習わしとなっております」


 あらゆる方面から膨大な情報を収集してきたシルヴィアと言えど、皇宮内での密やかな慣習ともなれば、さすがに耳に入っていなくても仕方がない。

 媚薬の類だろうかと思いつつも、慣習と言われれば飲まないわけにはいかなかった。


 気後れしながらも、とろりとした甘ったるい薬酒を何とか飲み下すと、すぐにグラスは下げられ、皇太子が無言で立ち上がる。

 テーブルを回ってきた皇太子に差し延べられた手を取って立ち上がるや、シルヴィアは抱き上げられ、そのまま寝台へと運ばれた。


 一面が開かれた帳の内側にかけられた紗の帳をナタリアが引き開け、寝台にかけられた掛布をグレタがめくって促す。

 皇太子はシルヴィアを寝台へ降ろして、自分も上に上がる。並んで横になった二人に、掛布を引きかけて下がったグレタは、ナタリアと共に紗の帳を戻し外側の厚手の帳を恭しく閉じた。


『初夜の床入りも、皇宮では儀式めいたものになるのでしょうか……』


 そんなことを考えながら、シルヴィアは暗い空間で、帳の外の気配を気にしていた。本当に床入りが儀式ならば、寝台の外で乳母と侍女長がずっと控えていたりすることもあるかも知れない。


 さすがに閨ごとの様子を他人に聞かれているのは嫌だった。だが、内外を隔てる帳が厚いせいなのか、気配が全く分からない。

 二人が出て行ったのか留まっているのかも分からずに、シルヴィアは困惑して身を固くしていた。


 ふと、隣でくすりと笑う声がした。次いで、身動きする様子が伝わってきたかと思うと、耳元で低い声が囁く。


「大丈夫だ、二人とも控えの間に引き上げた。寝所にはもう誰もいない」

「そう…なのですか?」

「ああ、私たちだけだ」


 そう耳に直接吹き込むように甘く囁かれ、シルヴィアの心音がいきなり跳ね上がった。


「で、殿下……」

「他人行儀だな……名前で呼んでくれないか」

「え、あの……」

「私の名前、まさか知らないわけではないだろうね」

「そんなまさか……アルフレード…様……」


 動悸が収まらない。寝台の柱の内側には夜光石が取り付けられ、薄暗い光を放っている。ようやく目が慣れてきて、ものの輪郭が分かるようになった。

 ややしばらくして、自分を見下ろしている皇太子アルフレードの表情が分かるくらいになって、シルヴィアは居たたまれない思いにかられる。


『夜光石の仄暗い光って、何だかとてもなまめかしく見えるのだけど……これは、この方だからなのでしょうか?』


 端正な顔がいっそう麗しくつやめいて見えてしまい、シルヴィアは自分の煩悩故かと慌てて目を瞑って顔を反らした。

 だが、アルフレードは、頬に手を添えて自分に顔を向けさせ、間近から問いかけてくる。


「何故、目を逸らすんだ? 私を見てくれ」


 そう請われると逆らえる気がしない。おずおずと目を見開くと、間近から覗き込んでくる目と視線が絡んで、更に胸の鼓動が早くなった。


「きちんと話ができるようになってから数日だが、私は君がとても愛おしく思えるようになった。だから、すれ違っていた日々を無かったことにして、新たにもう一度始めからやり直せるのが、とても嬉しい。輿入れした日のことを君が覚えていないことも、良かったと思っている。私にとっても、あの状態の君と身を重ねた記憶はあまり思い出したいものではないから……」

「殿──」

「アルフレードだ」


 呼び名を間違えかけて唇を指先で抑えられる。


「オリヴィア、なるべく痛みを与えないよう、できるだけ優しくするから……身も心も、君の全てを私に委ねてほしい」

「アルフレード様……あの……わたくしのこともオリヴィアではなく、何か愛称で呼んで頂けませんか?」

「愛称? 構わないが……何と呼べば?」

「貴方が考えて下さいませ」


 そう願うと、考え込むようにアルフレードは目を閉じた。しばらくして目を開け、何やら呟きながらシルヴィアの髪を弄ぶ。


「リヴィ……いや、ルヴィの方が良いかな。うん、ルヴィというのはどうだろうか」


 そう目を覗き込みながら、手にした髪を持ち上げて口付けた。髪の色からその愛称を選んだのだろう。

 だが、シルヴィアにしてみれば、本当の名前から取った愛称に感じられて、胸の奥がきゅっと狭まるような感覚が走り、我知らず目が潤んでしまっていた。

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