第21話 家族団欒

 「それで、加護を頂いたのはどの精霊なの?」


 好奇心をありありと讃えて、皇后が問う。心なしか、皇太子によく似た瞳がきらきらと輝いて見えた。

 皇太子宮のダイニングルームでの晩餐。せっかくだからと皇后は、家族水入らずでの祝いの席の手配までしてくれていた。


 皇后の自分へ向ける厚意には、含むものなど全く感じられない。純粋に息子の妃の存在を温かく迎え入れてくれているようだった。

 シルヴィアは肌で義母の好意を感じて、心からの笑みを浮かべる。


 清らかな身だったとはいえ、幼い頃から収集していた多岐に渡る膨大な情報に揉まれ、精神的にはかなり世間擦れしているのだから、人を見抜くことに関しては海千山千の神殿長以上と言っていい。

 時々、思い込みで見誤ることもあるが──


「光の精霊です──」


 ここで留めておこうとは思ったが、精霊の伝承は知る人ぞ知る。“加護”に付随する事象で不審に思う者が出てくるかもしれない。

 なにせ、ここは皇宮である。優れた人材が集まる場なのだから、どこに知る者が潜んでいるか分からない。


「──あと、風と水の精霊にも」


 そう付け加えると、肉を口元に運ぼうとしていた皇帝が驚いたように顔を上げ、皇后は大きく目を見開いて口元を抑える。


「それは凄い。三精霊の加護とは……」

「ええ、ここ数十年と精霊の加護を受けた者の話はなかったと聞いているのに、それを三つもだなんて。とても誇らしいわ」


 聞かれるままに加護を受けた時の話などを、支障のない範囲で都合よく創作して披露する。

 そんな中でも皇太子は、興味深そうに聞いているようではあるものの、最初から特に驚く様子も見せていない。


『もしかして、精霊にも詳しいのでしょうか。あの派手な祝福だと、分かる人が見たら分かるはずだもの……』


 さすが侮れないと、シルヴィアは夫に対する認識を新たにした。


『この方、このお年で、神殿長と同じ空気を感じるのですよね……。何があっても絶対に敵に回してはいけないタイプの人……懐に入れた相手には、本当に優しくて頼もしい存在なのだけど』


 聖女はもちろん、敬虔な神官や信心深い信者に対する神殿長は、それはもう神の如く慈悲深く寛大で、心から敬愛できる人格者である。

 だが、ひとたび神敵と定めた相手に対しては、人相すら違って見えるほどに冷淡な表情を向け、永久凍土のような冷酷さを露わにしていた。


 うっかり思い出してしまい、寒気を感じて微かに身を震わせる。思わず腕を摩っていると、皇太子が心配そうにのぞき込んできた。


「オリヴィア? 寒いのか?」

「あ、いいえ……ちょっと怖かったことを思い出してしまいまして」

「……あの者のことなら、もう君の目に入ることはないから安心して良い」

「え……?」


 何のことを指しているのか、一瞬きょとんとしてしまったものの、すぐに思い当たった。

 皇太子と共通認識があって、“オリヴィア”が怖がるだろう相手は一人しかいない。


「どういうことでしょう?」

「父上の許しを得て、法務院より正式に逮捕状を取った。あれは今、拘束されて厳しい尋問を受けている」


 シルヴィアは目を丸くした。サルヴァトーレ公爵親子との秘密の会談を盗み聞きしたことで、筆頭侍女長の為した所業は分っている。

 そのうち正式に罪に問えるのは、皇族である妃への不敬罪か、医師長へ毒を盛らせたことくらいだろう。


 不敬罪はともかく毒のことは“オリヴィア”が知るはずのない事実だった。下手なことは言えない。

 とりあえず小首を傾げてみせると、皇后が憮然とした様子で言った。


「大して力量もないくせに、恩寵で宛がわれた地位にしがみついて尊大に振舞ってきた老害を、やっと目にしなくて済むようになると言うことね」

「尊大ですか、確かに……先ほど執務室に召喚した時には、用があるから明日にしてくれなどとほざかれましたよ」

「はぁ? 呆れるわね……皇太子への不敬罪も上乗せするべきじゃないかしら?」


 そんな母子の冷気を纏った会話を聞きながら、シルヴィアは苦笑を浮かべて、またそっと腕を摩る。


「こらこら、お前たちはどうしてそう、母子揃って好戦的なのだ。祝いの晩餐なのだろう? 花嫁が引いておるぞ」


 目敏くシルヴィアの様子に気づいたらしい皇帝が、笑いながら窘めた。言われた二人は同時にシルヴィアの様子を窺って、バツの悪い表情を浮かべている。

 仕方なく、敢えて話の方向を変えてみた。


「そう言えば、お義母様。先ほど仰っていたお披露目とは何でしょうか?」

「ああ、もちろん貴女のお披露目よ。前にも言ったとは思うけど、輿入れの頃の貴方の所作は、王女というにはあまりにも拙かったから……貴女の境遇を思うと仕方ないのだけれど。だからと言って、あの状態ですぐに披露目をしていたら、臣下に侮られて碌なことにならないもの。だから、お作法の教師を付けたのだけど……体調を崩したりで難航していると聞いていたのに、久々に会ったらずいぶんと所作が綺麗になっていて驚いたわ」

「まぁ、そんな風にご評価いただけて嬉しいです」

「先ほどから見ていたけど、テーブルマナーも全く問題ないわ。むしろ、若い令嬢たちのお手本にさせても良いくらいよ。本当に、こんな短期間でよくここまで身に付けたものだと感心してしまうわ」

「ありがとうございます」


 シルヴィアは長年に亘って培ってきた、淑女ならぬ聖女スマイルを浮かべる。そう、長年──物心ついた頃から、女性神官たちの躾は厳しかった。

 聖女の品位を損なわないよう、常に立ち居振る舞いに気を遣い、ひたすら所作は美しく、と。


 だが、それはあくまで聖女として。美しい所作については問題ないものの、貴族社会での淑女としての礼儀作法やマナーは同じではない。

 実を言うと、シルヴィアにはそれを学ぶ機会があった。もちろん正式に習った訳ではないが。


 大神殿から出られなかったシルヴィアが、動物たちに意識を同調させて最も多く通ったミラーノ公爵邸。長いこと、可愛らしい子供たちに心癒されながら見守っていた。

 そんな中での幼い令嬢の初恋。令嬢は皇太子に並び立てるようにと、相当に高度な淑女教育を自ら望んで受けていた。


 最初は興味本位で、その教育課程を傍近くで聞いていたが、途中から面白くなってきて、かなり真剣に聴くようになっていた。

 聖女としての役目を熟しながら、出来る限り“聴講”に通っていた。なので、おそらくは、皇太子妃に必要なありとあらゆる素養は身に付いているように思う。


『まさかあの頃は、こんなことになるとは思ってもみませんでしたけど……。あの子が、あんなに真剣に取り組んでいたお勉強を、はたで勝手に見ていたわたくしが皇太子妃として役立てると言うのは、何だかとても申し訳ないのですが……』


 令嬢の失恋は、国同士が取り決めた政略結婚が原因である。もちろん、シルヴィアには全く責任はない。

 だが、あの長い日々をつぶさに見ていた身からすれば、やはり多少なりとも負い目を感じざるを得なかった。


「──それでお披露目なのだけど、七日後に開くことになったわ」

「七日後……? 私は初耳なのですが……準備もあるでしょうに、ずいぶんと性急ですね。間に合うのですか?」


 皇太子が眉を顰め、怪訝そうに問う。


「それがね、あの老害……いえ、筆頭侍女長が随分と前から準備していたらしくて、昨日わたくしから無理やり同意を取り付けて、すぐに動いたようなのよ。貴方たちが戻る直前くらいに奏上書が届いて、わたくしも驚いたわ」

「悪だくみに関してだけは有能だな……」

「全くだわ。オリヴィアの教育が進まないうちに、少しでも早く披露目をしようとしていたのだろうけど」

「お披露目が何故、悪だくみになるのでしょう?」


 理由は十分に分かっていたが、“オリヴィア”は知らないはずのことである。なので、シルヴィアは敢えて知らないふりで小首を傾げてみせた。


「君に恥をかかせるためだ。輿入れ当初の拙い所作のまま、帝国中の貴族を集めて行う披露目の場に出れば、臣下から皇太子妃として不足だと侮られると踏んで、その上で、別の妃を立てる機運を高めていく計画だったんだろうな」

「愚かな話だ。臣下から召し上げた妃ではないのだ。国策で嫁いできた王女を、そんな理由で蔑ろにできる訳がないだろうに」

「全く……もちろん侮られないに越したことはないわ。でも、オリヴィア王女の王国での境遇は、皆が知っていることだもの。義母であるわたくしが、責任もってきちんと教育しますとでも言えば、それで済む話でもあるのよ。何年経っても、進展が見られないというなら別だけど」


 不快げな皇太子の返答に、更に不快げな皇帝と皇后の言葉が続く。


「……あの人はどうして、そのような悪だくみを? 別の妃を立てて、何か利でもあるのでしょうか?」

「ああ、それはね……筆頭侍女長の後ろにはサルヴァトーレ公爵がいるのよ」

「サルヴァトーレ公爵……確か、お義父様の二番目の兄君でございますね」


 さすがに突貫での詰め込みとはいえ、嫁ぎ先の直近の系譜くらいはオリヴィアに教えているはずだと踏んで、シルヴィアはそう口にした。

 幼いミラーノ公爵令嬢は、直近どころか初代からの系譜を諳んじており、シルヴィアもその辺はしっかり記憶していたりする。


「あら、きちんと系譜を覚えているのね、良いことだわ。皇室の系譜は社交にも重要だから、しっかり把握しておくべきよ」

「分かりました」

「公爵は先代同様に権勢欲が強くてね……その割に能力は今一つなのだけど」

「帝位争いを仕掛けて、お義父様に負け、側室だった母君の実家である公爵家に婿入りされたのでしたね」

「そうそう。おそらくだけど、先代公爵と同じことをしようとしているんだと思うわ」

「つまり……自分の娘を皇太子殿下の側室に?」

「そういうこと」


 女二人の会話に、皇太子の機嫌が目に見えて悪くなった。隣から漂う冷気に、シルヴィアはまたそっと腕を摩る。


『あの令嬢がお嫌いなのは良く分かっていますから……そのブリザードみたいな気を収めて下さいませ……』


 内心でそう必死に訴えていると、皇后が苦笑しながら息子を窘めた。


「アルフレード、オリヴィアが怯えているわよ。不愉快なのは分かるけど、少し抑えなさいな。本当に貴方は、あの令嬢が嫌いなのねぇ」

「当たり前です。私が今まで、どれだけ振り回されて迷惑を被ったと……あの思い込みの激しさは異常です。何故だか、私が彼女に気があると信じ込んでいて、どんなに否定しても受け付けない。何を言っても、自分の都合の良いようにしか解釈しない。そんな娘の言い分を押し立てて、公爵は外堀を埋めようとしていたし……」


 げんなりとして訥々と訴える皇太子の様は、シルヴィアからすれば予想外の一面でもあった。

 そんな珍しくも情けない顔をする息子を、父帝が豪快に笑いながら慰める。


「まぁ、オリヴィアとの婚姻で、あの娘が妃になる目は完全に潰えたのだから良いではないか。向こうは付け入る隙を探しているようだが、そんな下らぬ言い分を私が認めることはあり得ない。其方らは夫婦仲を深めて、さっさと何人でも子を生せば良いのだ。さすれば、側室などと口にする輩も出て来ぬだろうよ」

「もう……陛下。二人は新婚で、今日新たに再出発をしようとしているところなのですから、子の話は早すぎますよ。夫婦仲を深めると言うのは、もちろん大切なことですが」


 そんな二人の話に、シルヴィアと皇太子は思わず顔を見合わせていた。いつもの余裕を取り戻した優しげな笑みを向けられて、シルヴィアはほっと息を吐く。

 短い間にすっかり馴染んだ笑顔を見つめ、とても幸せな気分になった。

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