第20話 温かい祝福
皇太子宮の礼拝堂へ連れ立って入って行くと、祭壇の前で神官が祭服を着て待っていた。
「しばし、お待ち下さい」
何か準備でもあるのだろうと祭壇の前で二人、手を取り合って立ったまま待機する。付き従ってきた近衛騎士は中へは入らず、扉の外に残った。
専属侍女たちは、会衆席の二列目以降にそれぞれ向かったが、何故か座ろうとはしない。
神官が何か準備をしている様子も見受けられず、シルヴィアが不思議に思っていると、誰かが礼拝堂の扉を開いた。皇太子補佐官のロベルトである。
ロベルトは扉を開いて脇に寄り、続いて入ってくる一組の男女に深々と頭を下げた。
「えっ?」
入ってきたのは皇帝と皇后だった。その背後では、近衛騎士団長以外の騎士を残して扉が閉められる。騎士団長は内側で扉を護るように立ち、ロベルトは侍女たちと会衆席に並んだ。
少々決まり悪そうな皇太子に促され、シルヴィアは皇帝と皇后を出迎えて最敬礼を取った。
「畏まらずとも良い。我らは、ただの親として立ち合いに来ただけなのだから」
「そうよ、わたくしたちはもう家族なのだもの。私的な場では臣下のような礼は要らないわ」
「ありがとうございます、皇帝陛下、皇后陛下」
「他人行儀ねぇ。私的な場では、お
「はい。そうさせて頂きます、お義母様」
なんとなく、くすぐったい気分に駆られながらシルヴィアは微笑む。それに笑みを返し、皇后は花嫁姿の義娘を矯めつ眇めつして、満足そうに頷いた。
「やっぱり、そのドレスの方が良く似合うわ。婚姻式のドレスは、サイズと髪の色だけで選んだから、少し違和感があったわよね……ごめんなさいね」
「いえ、とんでもございません。このドレスはお義母様の婚礼衣装だそうですね。お心遣い、ありがとうございます。とても嬉しいです」
「良かったわ、喜んでもらえて。それに、貴女……とても所作が綺麗になったわ。お作法のお勉強、頑張ってくれているのね──」
輿入れの前に、オリヴィアは王国の離宮に籠められ、突貫で王女としての教養を詰め込まれたと言っていた。
幼い頃は王宮にいたとはいえ、十年以上も一修道女として暮らしてきたのである。付け焼刃では、王女どころか貴族令嬢としての作法すら怪しかったに違いない。
「──これならもう、お披露目をしても大丈夫そうだわ」
「その話は後にせよ。神官が困っておる」
いつまでも話を続けそうな皇后を、皇帝が窘める。苦笑気味の皇帝に促されて、皇后は共に会衆席の最前列に向かった。
それを見送りながらシルヴィアは、婚姻式から一か月も経っているのに、未だに結婚披露の宴が開かれていない理由を悟った。
「それでは、両殿下はこちらへ」
神官の指示に従い、シルヴィアは皇太子に手を引かれて、祭壇の前へと戻る。大神殿で神殿長の祭祀の下、既に婚姻式を終えているはずの夫婦が、一か月後に略式とはいえ再度式を挙げるというのに、神官は特に気にした様子もない。
「簡単な
さすがに根回しはきちんとされていたらしい。初老の神官の優しげな口調は、若い二人から篤い信仰心を感じて喜んでいるからのようだった。
神官により婚姻に当たっての神の教えを説かれ、祈祷と祝福を授けられる。
「それでは、誓いの口付けを」
皇太子によりヴェールが上げられ、シルヴィアは感慨深い想いで“夫”の顔を見上げた。
しばし見つめ合い、皇太子が顔を近づけてくるのに合わせて、そっと目を閉じる。
誓いの口付けを受けて、シルヴィアが幸せな気分に浸っていると、いきなり参列者たちから一斉に歓声が上がった。
タイミング的にずれているため、不思議に思いながら目を開けると、礼拝堂の高い天井から祝福の光が差し、色とりどりの美しい花びらが舞い落ちてきていた。
「これは……」
シルヴィアの肩に手をかけたまま、皇太子が辺りを見回して驚いている。シルヴィアは上から見下ろして楽しそうに笑っている大精霊たちを見上げ、内心で溜め息を吐いた。
『もう……お祝いしてくれるのは嬉しいですよ? でも、やりすぎです。これ、ただの加護で納得してもらえるかしら……』
しばし、空を舞っていた大精霊たちは一人一人降りて来ては、シルヴィアに祝福の言葉をかけて頬に口付け、また離れて上へと上がっていく。
その間ずっと、金色の光は降り注ぎ、鮮やかな花びらは舞い落ち続けており、この世ならざる美しさに、侍女たちは感嘆の声を上げていた。
ふと気づくと、皇太子は上を見上げたまま、ぽかんと目を瞠っていた。このような無防備な様子を見せることは、おそらく相当に珍しいに違いない。
まだ深く知って二日ほどしか経たない相手ではあるが、その人物像は大体把握できているつもりだった。
『まるで
思わずくすりと笑うと、皇太子ははっとシルヴィアに目を戻して、慌てたように顔を引き締めている。
「なんということでしょう……まさか、伝え聞く精霊の祝福を目にする日が来ようとは……」
感極まった声が間近で響く。目を向けた先では、神官が滂沱の涙を流していた。
「し、神官様……?」
「ああ……申し訳ございません、妃殿下。年甲斐もなく感極まってしまいました」
神官は気恥ずかしげに言って、祭服の隠しからハンカチを出して涙を拭う。
「大国同士の平和のための結びつきを、神や精霊が祝福されるのは決しておかしくはございませんが……大神殿での式では何ごともありませんでしたのに」
「確かにな。其方らが今日、大神殿へ出向いていたことと何か関係があるのか?」
皇帝が神官の言葉を受けて、祝福を授けられた二人に問う。皇太子はじっとシルヴィアの目を覗き込んで柔和な笑みを浮かべ、父帝に振り返った。
「はい、今回の大神殿への訪問は、神託によりオリヴィアが聖女様から呼び出しを受けたためでした。神はオリヴィアの境遇を心配下さり、精霊に命じて加護を授けさせられたのだそうです」
「なんと……!」
「まぁ、精霊の加護を!? すばらしいわ、オリヴィア」
舞い降りた花びらは床に着くや消え去り、黄金の光も収束していた。今は、その残滓のような金粉が宙に煌めき、ゆっくりと降り続けている。
そんな中に佇む二人に、皇帝と皇后が寄ってきて、降り注ぐ金の残滓を見上げた。
「そう言えば……この金粉に触れると、祝福のお裾分けが頂けるという伝説がありましたね」
「そんな話もございましたな」
シルヴィアに話を向けられた神官が頷く。それを聞いた侍女らがそわそわし出した。
くすくす笑いながら、シルヴィアは侍女たちを手招く。
「せっかくですもの。貴女方もいらっしゃい」
年配の者ばかりの侍女たちが、少女のように華やいだ笑みを見せて、嬉しそうに寄ってくる。
それを見て皇太子が、会衆席に残っているロベルトと、扉の前に立っている騎士団長に声をかけた。
「お前たちも来い。ロベルト、もしかしたら待望の娘が授かるかもしれないぞ。騎士団長は痛む古傷に効くかもしれない」
そう笑いながら言われて、二人の男たちもいそいそとやってくる。
『一か月前に大神殿で行われた、厳かで大々的な格式のある婚姻式よりも、わたくしはこんな風に家族や、ごく近しい人だけに囲まれた温かいお式の方が良いわ。あら? もしかして……わたくし今、もう十分幸せなのではないでしょうか』
ほっこりしながらも、シルヴィアが内心で小首を傾げていると、姿を消そうとしていた大精霊たちが突進するかのように降りてきて、勢いよく詰め寄ってきた。
──これで十分幸せだなんて、私たちが認めると思う? 貴女には、もっともっと幸せになってもらわないと!
──そうよ! 良い? この地に生きる全ての女たちの中で、最も幸せになる権利と資格が貴女にはあるんだから、忘れないで
──そうそう。私たちが付いているのだからあり得ないけれど、万が一でも不幸になったりしたら、闇や大地や火が神の鎖を断ち切って飛んで来てしまうわ
あり得そうで怖い。思わず引き攣った笑みを浮かべながら、シルヴィアは心話で自分が考えられる限りの幸福を追求すると誓う。
まずは、女の幸せとは何かを把握することから始める必要があったが──
とりあえず大精霊たちは納得してくれたらしい。そのまま、ふわっと舞い上がりかけて、ふいに互いの顔を見合わすや満面の笑みで頷き、また降りてくる。
「……!?」
大精霊たちの所業に、シルヴィアは思わず我を忘れて絶句した。驚きのあまりつい、露わな感情を表に出してしまった。
大精霊たちは皇太子に纏わりついて、額やら頬やらに代わる代わる口付けていく。
──ふふ……やきもち焼かないの
──そうそう。これは祝福の口付けなんだから
──そうよ。貴女を幸せにするのは、この子なんだもの。なら、この子がまず幸せにならないと
言っていることは理解できないでもないが、面白がっているとしか思えない。そんな面も精霊の性質にはある。
シルヴィアを複雑な気分にさせながら、大精霊たちは口々に好き勝手なことを言って、宙に舞い上がり姿を消し去った。
なんだか、もやっとした気分が収まらない。ついつい拗ねた顔をしてしまっているシルヴィアを、皇太子は不思議そうに見下ろしてくる。
それを見ているうちに、シルヴィアは衝動に突き動かされていた。
皇太子の上着の胸元を両手で掴んで、力任せにぐいっと引き寄せ、その額と両頬に唇を押し当てる。
息を呑んだ皇太子は、しばし呆気に取られていたかと思うと、その頬が一気に赤く染まった。
「……オ、オリヴィア?」
「あらあら、まぁまぁ……」
皇后が笑みを含んだ口元を手で抑えながら、間近から面白そうに覗き込んでくる。
やり切った気分で溜飲を下げていたシルヴィアは、ようやく我に返った。
この場の誰にも精霊の姿は見えていない。そんな中でのシルヴィアの行動は、傍から見たらあまりにも突飛で言い訳のしようがなかった。
遅ればせながらも羞恥が込み上げ、頬が赤く染まる。
主役二人が顔を赤くして目を逸らし合っているのは、奇妙と言えば奇妙だが、周囲の目はひたすら生温かった。
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